155.手強い敵
魔術師団副団長は勿論、それに次ぐ団員達も出席してへんかった。
ギルモア領の大部分の時間を止める大掛かりな魔法をかけなあかんから、魔術師団本部から精鋭を引き連れて行ったんやろ。この世界の魔法はこういう時ほんまに便利やと思う。
前世では時を止めるなんて出来ひんから、エボラウイルスが原因で大勢の死者が出た。長い間治療法も無かったから、助けようとした医師団にも大勢犠牲者が出てもうた。せやけど人類が遂に見つけた治療法がモノクローナル抗体や。ただ一種類のB細胞が産生する混じりっ気のない抗体。
急いでエボラのモノクローナル抗体を作らなあかん。効果の高い二種類、mAb114とREGN-EB3。感染初期なら90%以上の患者が治療出来る。同時進行でワクチンもや。
「では俺は研究室で治療薬とワクチンを作ってくる」
「ルイにばかり負担をかけて悪いが頼んだぞ」
「任せてくれ」
父上に頼まれたら気合い入れて一秒でも早く完成させな。俺は次の瞬間には研究室に転移して大量の治療薬とワクチンを作り始めた。
◇◇◇
昨日緊急の会議に出ていた塁君、ローランド、ヴィンセント、ブラッドは全員学園を欠席していた。
事情を知っているのは私とグレイスだけ。アメリア、フローラ、レジーナは何も知らされていないようで心配そうにしている。
コリンズ村のことが知れ渡ればパニックになってしまうから、今はまだ緘口令が敷かれているのだ。
本当は私も欠席したいくらいだけど、周りに気付かれないよう、不安を煽らないように笑顔で過ごすのが責務のような気がしている。だから必死になって演技して、『皆優秀だから忙しいんだね』とか『皆陛下に気に入られてるから何か任されてるみたいだね』とか笑顔で明るくおしゃべりしている。でも本当は何もしゃべりたくないし、ご飯も食べたくないし、泣きたい。
だけど、さすがグレイスはいつも通り優雅に過ごしていて、何も知らなければ機嫌のいいグレイスに見えるだろう。でも秘密を共有してる私からすれば、ふとした瞬間グレイスは物思いに耽っているし、無意識に左手の薬指の指輪を右手の中指で擦っていて、不安な心を落ち着けようとしてるように見える。アウレリオ様の立太子の儀の時、ベスティアリ王国の観覧車の頂上で、クリスティアン殿下がグレイスに捧げたサファイヤの指輪。
この世界では婚約指輪の概念が無いから、塁君が教えたであろう前世の慣習。私もあの時塁君に立て爪のリングをもらって感極まった。婚約指輪というものを知らないグレイスにとっても、プロポーズとともに贈られた宝物で、愛する人との繋がりの筈。
分かるよグレイス、心配だよね。グレイスにとって世界で一番大切なクリスティアン殿下が指揮を執っていらっしゃるから、現地にも赴かれるのではって不安で仕方ないよね。もしも感染してしまったらって思うと怖くて押し潰されそうだよね。
グレイスを抱き締めたいけれど、そんなことしたら他の婚約者三人に異変を察知されてしまいそうだから、いつも通り一定の距離で過ごす私。あぁ、早く帰りたい。塁君に会いたい。
そう願っても、そこから一週間、お城の中でさえ塁君に会うことはなかった。
◇◇◇
「来栖君、培地は追加で十分作っておいたから使って。あと、こっちのミエローマの細胞とB細胞の融合は任せるよ」
「おおきにな。ネオがおってくれて助かるわ」
「えっ! そ、そんな風に来栖君に言ってもらえるなんて!」
「マジで俺一人やったら時間が足りひんし、何年も細胞培養してきたプロがおるとか奇跡やんか」
「まさかこういう風に役に立てるとは思ってなかったよ。大変な状況だから、出来ることは何でもするから遠慮なく指示出して」
不幸中の幸いとはこのことや。一刻を争う今の状況で、ハートリー記念研究所が存在しとること、機材も試薬も十分にあるからすぐに作業に入れること、そして細胞培養に慣れとるネオがおってくれること。
「来栖君、本来ならモノクローナル抗体作製は半年近くかかる筈だけど、シリウスに作ってくれた骨粗鬆症のモノクローナル抗体はどれくらいで作ったの?」
「時間魔法使うて三日や」
あん時はシリウス一頭の分だけで良かったからな。
「ワクチンの方は水疱性口内炎ウイルスを使うんだよね。ウイルス自体は構築するの?」
「せやな。この世界ではそうするしかないな」
「僕は塩基の合成だってやっと出来たのにウイルスを合成するなんて、来栖君は本当に異次元だよ」
「別に普通や」
「普通では絶対にないけどね」
ん? ウイルスを構築。なんや、なんかひっかかる。
俺の頭ん中で『コリンズ村のエボラウイルスも人工的に構築されたんちゃうか』いう考えが過る。
まさかな。出来るとしたら転生者しかおらん。せやけどネオかて出来ひんことを出来るヤツが転生してきて、わざわざ殺人ウイルス作製してばら撒くとかどんな確率や。
確率的にはこの世界のどっかで発生した野生型エボラウイルスに感染した何かを、意図的にコリンズ村で放したヤツがおるって方が有り得る。有り得るのに引っかかるんが、感染したサルの死体が見つかってへんこと。アフリカでは数万匹のチンパンジーとゴリラがエボラで死んどる。感染したサルがコリンズ村におったなら近くに死骸がある筈なんや。報告では死骸も骨も見つかってへん。
あぁ、ほんまにモヤる。なんもかもがおかしいねん。
研究室の扉からノックの音が聞こえても開けに行く暇もあれへん。
「入ってこい」
入ってきたのはローランドとヴィンスやった。
「何かお手伝い出来ることは」
「こっちは大丈夫だ。それよりここ十六年の疫学調査で何か分かったか」
ローランドには国内で発生した感染症の調査をしてもろてる。
過去十六年分。
ヴィーナとマルスがこの世界に生まれてきてから起こった感染症発生に、何かヒントがあるんやないかと思ったからや。
「毎年冬に流行する風邪様症状はインフルエンザですよね。これはルイ殿下が十三年前に治療薬をお作りになってからは死者は減り、その後大きな大流行は起こっておりません。その他の感染症も同様です」
「単発で不自然な発生は無かったか」
「国内全域となると、全てを把握するのは困難でしたが、あの編入生二人の出身地周辺に絞った結果、多少の病人は出ておりました」
誰だって生まれてから今まで周りに病人が出るのは当たり前や。問題なんは何の病気か。発生時期や感染拡大状況に作為的なもんがあるんか。
「二人が六歳の冬、村で重い風邪が流行したという記録が診療所に残っていました。ただの風邪だと判断した医師がエルダーフラワーを処方したようですが、三名に下肢の麻痺が現れ、妊婦一名が死亡したようです」
エルダーフラワーにそないな副作用は無い。冬に風邪が流行すんのはよくあることや。せやけど下肢の麻痺?
「嚥下障害、眼球運動障害は?」
「記載はありませんでした。下肢のみです」
「ギラン・バレー症候群かと思ったが違うようだな。……この世界に無い病原体で風邪様症状の後に下肢の麻痺、妊婦の死亡……」
ここでさっきの考えがまた脳裏に浮かんでくる。ほんまに故意に病原体を作り出しとるとしたら、この国の気候も季節も関係あれへん。六歳児でも中身は転生者で大人。体は子供で少ない魔力。それで作り出せるもんで何がある?
「ポリオか!」
ローランドとヴィンスが一瞬固まっとる。三年前に徹底的に教えたから覚えとるやろ。膜であるエンベロープを持たず、一本鎖RNAと正二十面体のカプシドゆうタンパク質から出来とるポリオウイルス。精製が容易で単純なRNAウイルスや。
それでも7,741塩基対やで。合成したんか? マジか。
ポリオと聞いてネオが首を傾げとる。
「この世界でポリオの発生は聞いたことがないよ? もし野生型で発生してもクルス国の気候だと春から秋の流行になるんじゃないかな」
もっともな意見や。自然発生やったらな。
「野生型じゃないからだ」
「野生型じゃないって……?」
「ポリオウイルスを深く正しく知っている人間が創り出した人工合成ウイルスだ」
敵は手強いいうこと、しかも最悪な計画を立てて十年かけて腕を上げたいうことを、俺達全員が理解した。




