153.事の発端
「いいか、『じゅうじかのくにのありす』『おとめげーむ』『こうりゃくたいしょう』『しなりおがかわってる』『あくやくれいじょう』『すちる』、俺達の名前の後に『るーと』、これらの言葉をどこかで聞いたら口にした者の身元を控えて直ちに報告してくれ」
こうりゃくたいしょう。これにはクリスティアン殿下とルイ殿下、ご学友の御三方、そしてジュリアンとお頭まで含まれているという。 こうりゃく……たいしょう……、あれ?
おとめげーむ。これは『おとめ』と『げーむ』が組み合わさった言葉か。……そうか。『げぇむ』か。
これらはヴィーナとマルスが話していた言語ではないか。
ではあの二人が転生者? 危険な印象は無かったが、念のため不採用の理由を調べてみようと俺は書類の入った引き出しを開けた。
今まで送られてきた履歴書の束から短期雇用枠の分を取り出す。
「ロビン、どうした」
「怪しいなんて思ってもいませんでしたが、今聞いた言葉に覚えがあります」
手帳からメモを取り出しルイ殿下に渡すと、ルイ殿下は一言『でかした』と呟いた。そして見つけたヴィーナという少女の履歴書には、お頭が付けた×マークがあった。そうだ、一応面接はしたが、このマークを見て最初から当たり障りない質問だけをしたのだ。
「なるほど。あの編入生の二人ですか……本当に特別な配慮が必要そうですね」
ローランド様の瞳が眼鏡の奥で鋭く光る。
「応募してきていたのか」
「はい。ヴィーナの方だけですが。お頭が履歴書の隅に×マークを付けておりまして、それで不採用にしたんです。×の理由は分かりませんが、よくあることです。他にも×マークが付いて不採用にした者は大勢おります」
この商会の起ち上げ当初から、職員採用の際はお頭が念入りに身元調査をしている。今までも些細な理由で×を付けられた人間は多い。平民だろうが、貴族だろうが、調査書を読んだお頭の勘で簡単に×が付く。だがこの勘がよく当たるのだ。
「先程皆様がいらっしゃった時は、ヴィーナは幼馴染の少年マルスとともに雑貨屋の店内から見ていました。その時の会話を読唇術で読み取ったものがそのメモです」
「エミリー嬢のように陰からチラ見タイプなんですかね」
「いや、このメモによると、そもそも俺達に興味が無いようだ。というより、この世界が何の世界かも分かってないらしい。『なんてゲーム? 小説?』『覚えてられない』ということは、数えきれないほどの小説やゲームに手を出したうちの一つが『十字架の国のアリス』ということだ」
それではあの二人はエミリー様が本来の婚約者とは違うことも気付いていない可能性がある。偶然この商会に応募してきたのだろうか。それならエミリー様が危険に巻き込まれるリスクが下がるのではないかと、俺は少しだけ安堵した。
「その二人が毒を撒いた可能性はあるのだろうか」
眉根を寄せたブラッド様の疑問にローランド様が返答する。
「調査で村人達の死亡時期が判明しないとハッキリとは言えませんが、転移魔法が使えるほどの魔力持ちは、現在学園にはルイ殿下とヴィンセントだけです。先月初めからヴィーナさんとマルス君は王都にいたのですから、南西の辺境にあるコリンズ村に行って戻ってくるのは不可能でしょう」
コリンズ村は遠い。領地のギルモア邸までだってかなり日にちがかかる筈だ。だから出稼ぎの男が助けを求めてきたのが先週なのに、ギルモア騎士団から王家への緊急連絡が今日なのだろう。風魔法付与の伝書用紙ならすぐに到着するが、生身ではギルモア領から王都までは馬車でも数週間はかかる筈だ。そう考えればヴィーナとマルスは犯人ではないのではないだろうか。
部屋にいる我々が移動日数に関して考えを巡らしていると、ルイ殿下が口を開いた。
「二人がどういう立ち位置かはまだ分からない。犯人と何処かで関わってしまっただけなのか、全く関わっていないのにバタフライエフェクトで巡り巡って大きな災いになったのか。なんにしても二度と死人を出したくない。この世界に災いをもたらす存在なら誰だろうと容赦する気は無いが、まずは魔術師団の調査報告待ちだな」
そうして皆様は出来たばかりの色鉛筆を持って、転移魔法でお帰りになられた。窓からはまだ出待ちしている少女達が見えるが、雑貨屋の窓からは少年は消えていて、ヴィーナが働く姿だけが映っていた。
そういえば少年は宿題をやると言っていたな……。
雑貨店で働くしっかり者のヴィーナと、いつもギリギリに宿題を提出するマルス、という印象が強く残った。
◇◇◇
「エミリーお嬢様、紅茶を淹れ直しますね」
「あっ、リリーありがとう」
せっかくリリーが淹れてくれた美味しい紅茶なのに、ボーッとしていて冷めてしまった。
商会からお城の自室に書類を持ち帰ってきた私は、お仕事しようと思うんだけど全然集中出来ずにいる。
だって転生者らしき人が二人もいて、シナリオに無かったことが起きた。それも村人全員が亡くなるなんていう恐ろしい出来事。セリーナの時も被害者は大勢いたけれど、それを上回る被害で言葉が出ない。
疫病という自然発生のものでも怖いのに、これが毒で誰かが意図したことなら、そのおぞましい悪意に背筋が寒くなる。
ヴィーナとマルス。日本人名なのかな? 今までの転生者とは違って想像つかない名前だけど、キラキラネームってやつだろうか。それならサラの方がよほど馴染みのある名前だけど、転生者らしき言動は今までしたことがない。
私はまたペンを持ったまま、そんなことを考えていた。
「ルイ殿下も紅茶のおかわりは如何ですか」
「もらおう」
「かしこまりました」
塁君は出来たばかりの色鉛筆で絵を描きながら、私のお仕事が終わるのを待っている。リリーも紅茶を淹れて出て行って、益々室内がシーンとして私の意識が別のところに行きそうになる。
ダメだダメだ、ボーッとしてたら。塁君を待たせてるんだからテキパキ終わらせなくちゃ。
気を取り直していくつかの書類仕事を終わらせた私は、塁君の向かいのソファに座りに行った。座る前に塁君が手招きしているのに気付いて行ってみると、グイッと膝の上に座らされた。
「わぁっ!」
「えみりお疲れ」
「お、重いよ?」
「ぜーんぜんや。もっとプクッてええよ」
お腹に両腕を回されてバックハグ状態の私のお腹は非常に無防備だ。
「えみり体うっすいからなぁ」
さり気無く背中とお腹に手を置かれて挟まれて、体の厚みをチェックされている。やめろ。
「塁君だって薄……!」
振り返ってお腹を触ったらガチガチだった。ビックリして全部の指を使って押してみたけど硬い。私との差!
「薄……なに?」
ニヤッとしながら訊いてくる塁君の腹筋に妬み半分で言い返す。
「薄毛」
「ハゲてへんし!」
塁君が頬ずりしながら『フッサフサやから触ってみ』と言うので遠慮なくナデナデさせてもらうことにした。柔らかい銀髪が気持ちよくて、何だかゴールデンレトリーバーを撫でている気分で満足した。
小鉄の散歩友達でゴールデンの男の子いたなぁ。いつもゴキゲンで尻尾ブンブン振ってて可愛かったなぁ。
さっきまでの不安な気持ちが何処かへ行って一瞬ほっこりしていたら、扉がドンドンを超えてガンガンゴンゴンノックする音がした。いやもうノックでもない。
何!? 殴り込み!?
思わず塁君の膝から立ち上がって後退りしてしまった。
「ルイ殿下!! こちらですか!! 緊急です!! 魔術師団長がご帰還なさいました!!!」
塁君と私は顔を見合わせて、コリンズ村に調査に行ったばかりの魔術師団長を思い浮かべた。今朝向かったばかりでもう帰ってきて緊急とは。嫌な予感しかしない。
「すぐに開ける」
塁君が扉を開けると、そこにはドアを必死でノックしてたであろう魔術師団副団長と、レイノルズ魔術師団長本人が立っていた。




