152.不吉なシナリオ変更
「全員が……!?」
ただでさえ静かだった室内が一段階静けさを増す。
仕事柄『死』というものに慣れている俺でさえ、一度に村人全員死亡など聞いたことが無い。戦争でさえ生存者はいるものだ。そんなことが起こるとしたら何が原因だ。
「賊であれば多少逃げ出せる者も身を隠せる者もいるでしょう。であれば何者かが井戸に毒を入れたか、その村で疫病が発生したかでしょうか」
ローランド様の言葉に俺も相槌を打つ。
「ギルモアの伝書は緊急だったため短く、三つのことが簡潔に書かれていた。駆け込んできた男を保護したこと。村人の多くが血を吐いて死亡していたこと。調査はギルモア領の騎士団ですぐに始めるということだ。無論、王家からも魔術師団をすぐに派遣して調査協力すべく、今朝数名が転移魔法で移動した」
「うちの父上が今朝早く出て行ったのはそういうことなんですね」
レイノルズ魔術師団長はヴィンセント様の御父上である。
「血を吐いていたなら毒でしょうか」
ブラッド様の見立てには俺も同意だった。疫病で全員が血を吐いて死ぬなど聞いたこともないから、よほど強力な毒が井戸に投げ込まれたのではないか。
「調査が終わるまで断言は出来ないが、吐血するとなると消化管出血、食道静脈瘤破裂が考えられる。とはいえ村人全員が罹るようなものではない。毒だとしても服毒後に胃の粘膜が侵食され出血することで吐血する。即死ではないから死ぬ前に何らかの行動を起こせる者がいる筈だ。それに誰かが吐血すれば他の村人が毒を疑い口に入れるものに細心の注意を払うだろうし、すぐにギルモアに連絡しただろう。俺は全員が死亡しているということに違和感と奇怪さを感じている」
執務室が更にシンと静まり返る。
「全員が一斉に毒を吸い込んだってことでしょうか。井戸ではなくて毒霧のようなもので」
「周囲の動物の死骸も報告にあげてもらう必要があるな」
大変な事態がこの王国内で起こっているのだと、ピリッとした緊張感が漂う。しかし何故王城の執務室ではなく、今此処でそのお話をされたのか。
「塁君……」
ずっとルイ殿下のお隣で無言で聞いていたエミリー様は見て分かる程顔色が悪かった。
「エミリー、大丈夫か。辛い話だが聞いていて欲しい。エミリーにも関わる可能性があるから、何も知らないままでいるのはマイナスだと俺は思う」
エミリー様にも関わる可能性? 待ってくれ、冗談じゃない。今の不穏で物騒な話がエミリー様に関わるかもしれないとは何故だ。エミリー様ご自身もそれを感じてあれほど真っ青になっておられるのか?
エミリー様は膝の上に乗せた小さな白い手をギュッと握って声を絞り出した。
「シナリオが変わったってことだよね」
「そうだ」
シナリオ? 演劇の台本か? 突然何のお話をされているのだ。
「またですか」
「だから今日歩いてここまで来たんですね」
「群がってくる我々以下の年齢の者の中で、意味不明な発言をする者、もしくは群がらず他の者とは違う行動をする者を見ておいて欲しいというから、何のことかと思っていました」
ご学友の御三方は話が見えているらしい。ではあとのお二人は。
「ネオのようにクルス王国から離れた場所でシナリオを変えてもルイ殿下に気付かれるのに、まさかクルス王国内でそのようなことをするとは。意図するところは何でしょうね」
「ゲームでは昨年中に疫病が発生してヒロインが救っていくシナリオですが、血を吐くような病じゃないです。『ヒロインが握った患者の指先の皺』って描写があって、脱水症状だったので僕はコレラだと思ったんですけど。でも実際は発生しなかったようなので、きっとルイ殿下が対策したんですよね」
「ああ、経口ワクチンを作って国境沿いの全ての町に配布したんだ」
「流石です……!」
アウレリオ王子とネオ君のお二人も『シナリオ』という一言で多くを察している。俺だけが訳が分かっていない。話の腰を折ってはいけない。会話から推察しようと努めた。
「ロビン、急なことで疑問も多いと思うが、簡単に説明させてくれ」
そう言って畏れ多くもルイ殿下は俺一人のためにご説明下さった。
前世というものの話を――
二年前、エミリー様の妹であるセリーナ嬢を捕縛する際、お頭に言われて俺達も出動した。魔女に体を乗っ取られたという幼い少女。魔女裁判では誘拐した時とは別人のような老婆の姿で現れた。まさかあの魔女までもが転生者だったとは。
しかもこの世界がどうなるのか、ルイ殿下とエミリー様の魔法学園ご卒業までに起こることが、ゲームというものの中で描かれているという。ゲーム……何処かで聞いたような。
だが、ご存知だったからこそルイ殿下は幼かったにも関わらず、あの孤児院を作って下さったのだ。そのゲームのようにイーサンが死ぬなんて、そんなことあってはいけない。あいつはいい奴で、お頭の大切な弟であり、俺達にとっても自慢の家族だ。それにきっとイーサンが死んでいたなら俺の妹だって死んでいたに違いない。もし妹が死んでいたら、そのゲームの中のお頭のように俺も恨みと憎しみを抱えた犯罪者になっていただろう。
毎日この商会で働き、世の中に必要とされる喜びなど、大切な妹が笑顔で幸せに暮らす喜びなど知らぬまま。
「シナリオが変わる時、その全てに必ず転生者が関わってきた。今回もその可能性が非常に高い。転生者は必ず俺達と同じ位か年下の人間で、前世の名前をもじったような名前だ。高い確率で俺達攻略対象者と関わろうとするか、むしろ不自然に距離を取ろうとするだろう」
だから今朝は馬車を帰して歩いて来られたのだと説明された。積極的に関わろうとする女性達ばかりが目についたが、特に誰かが突出してアピールをしていたわけではない。
では不自然に距離をとろうとした者。
俺の頭の中でヴィーナという少女とマルスという少年の姿が浮かぶ。だが不自然という程でもない。ただ喧噪や人混みが苦手なのかもしれないし、お互いに恋人同士であるなら他の異性に興味がないのかもしれない。
「転生者の可能性が少しでもありそうな者はいなかったか」
ルイ殿下の問いかけに五名の美男子達は首を振る。
「想定内の状況で変わったところはありませんでした」
「逃げる者もいませんでしたしね」
窓から見ていたが確かに特別目立っていた者はいない。しかしここでエミリー様から女性目線のご意見が出た。
「あの、私だったら、攻略対象者は見たいけど目立たないように見つめます。もし推しを見れるチャンスがあるなら、自然を装ってチラ見して眼球にご褒美をあげます。でもそれで精一杯です。自分が攻略対象者とどうこうなろうなんて思ってないんです。壁とか木になってヒロインのハッピーエンドを見届けたいだけというか」
眼球にご褒美。壁とか木。エミリー様の新たな一面を垣間見た。
「エミリーは五年前の茶会で一番遠い席で俺を見てたよな」
「う、うん……」
「……それがいまや俺の妻。感無量だ」
「ルイ殿下、脱線です」
「……そうだった。すまない。というわけで、今後自分達の周りで他の者と違う言動をする者がいたら目を光らせておいて欲しい。アウレリオとネオもだ。ゲームに出てはこなくても、それだけの容姿でこの国で目立つ存在でいる以上、接触を図られる可能性があるからな」
「うわぁ嫌だな……」
「さっきのエミリーの言う通り、接触しないで陰から熱視線を送ってくる可能性もある」
「それだと僕全然気付けないかもしれません……」
「では念のためあちこち保護魔法をかけておきましょうか」
アウレリオ王子のご提案で、この商会の建物にも、ご令嬢達にお渡しする色鉛筆や花にも保護魔法をかけていただいた。毒を含む攻撃を弾き返す保護魔法を。
そのゲームというものの中ではルイ殿下とエミリー様は婚約者同士でさえないという。ご結婚はまだ公にはされていないが、転生者にとってエミリー様は不測の存在である。どのように思っているか分からない。
その転生者が危険な存在であるかどうかは不明だが、この商会にエミリー様がいる間は俺が全力でお護りしなくては。
そう気を引き締めた時、ルイ殿下が『日本語』という前世でお使いになっていた言語を口にされた。




