150.配慮すべき二人
あまりの歓声に注意深く外を見ると、エミリー様が通りの向こうから歩いていらっしゃるところだった。
そのお姿を見て悲鳴にも似た黄色い歓声の理由がすぐに分かった。
エミリー様は、ルイ殿下とご学友御三方、そしてベスティアリ王国の王太子と魔法使いというフルラインナップの面々と何故か徒歩で出勤してくる途中であった。クリスティアン殿下がいらっしゃらないことだけが救いの状況だ。
……どういうことなのか。
黄色い悲鳴はどんどん大きくなり、サラの同級生だけじゃなく街の女性達が大勢集まってくる。俺は護衛の気持ちになって彼らの苦労を偲んだ。
数百名の騎士で周りを固めてもいいくらいのメンツであるにもかかわらず、護衛は数名の騎士だけ。恐らく諜報員達が隠れているだろうが、それにしても無防備である。
「ルイ殿下ー! おはようございまーす!」
女生徒達が必死に声をかけてもルイ殿下は見向きもしない。こういうところは昔の無表情だったルイ殿下のままだなと懐かしい。いつ見てもなんと不愛想なことか。エミリー様限定で向けるあの柔らかな眼差しと溺愛ぶりは、昔の殿下を知っている者からすると本当に驚愕だ。
「ローランド様ー! おはようございまーす!」
「皆さんおはようございます」
「ヴィンセント様ぁ! こっち見て下さーい!」
「おはよう、あまり騒がないようにね」
「ブラッド様ー! 今日も素敵です!」
「……おはよう。俺には婚約者がいるからそういう声掛けは控えて欲しい」
「アウレリオ王太子殿下! 王妃様のご懐妊おめでとうございます!」
「ふふっ、ありがとう」
「ネオ君! 日曜にいるなんて珍しい! 今度私達と遊びに行きましょう!」
「え、忙しいので無理です。すみません」
三者三様ならぬ六者六様のリアクション。ルイ殿下はエミリー様と手を繋いで、周りを気にすることなくこの建物に真っ直ぐ歩いてきた。
上から見ていると群衆の中にぽっかりと空間が空いて、その中心にいるエミリー様と六人の男性達。サラの同級生の少女達は頬を真っ赤に染めて最前列で声を上げている。しかし向かいの雑貨屋のヴィーナという少女とマルスという少年だけは群衆に混ざることなく、雑貨屋の店内からその光景を眺めていた。
ヴィーナという少女はルイ殿下達目当てではなかったのか。隣にいるマルスという少年と二人で会話しているのが見える。職業病でつい唇を読んでしまう。
『あれがこうりゃくたいしょう?』
『きおくにない』
『なんてげぇむ? しょうせつ?』
『おぼえてられないよ』
何語だ? この国の公用語ではないらしい言葉。
たとえ西部の小さな村とはいえ、この王国内である以上多少の訛りがあっても公用語である筈。十年以上前、俺と妹も王都外から長い期間ふらふらと彷徨って王都に流れ着いた。その間色々な村を通ったが、あんな言葉は知らない。
やはり職業病で今の会話をメモに残した。何でもないならそれでいい。しかしいつ何が役に立つか分からない。そのメモは俺の手帳に挟んでおいた。
「皆、おはようございます」
「エミリーの部下達、おはよう」
「ルイ殿下、エミリー様、おはようございます」
お二人の後に続いて五人の美形達がぞろぞろと入ってくる。護衛達は我が商会の入口を護り、群衆は商会の建物を取り巻いているが、護衛達に解散するよう言われて少しずつその数を減らしていった。
少女達だけは朝いた場所でまた集まってキャーキャー興奮している。念願叶って良かったのかもしれないが、興奮が治まった時に余計にサラが妬まれそうではある。
「朝から高貴な方達が連れ立って我が商会においで下さり光栄です。何をご用意致しましょうか」
「ロビン、全員色鉛筆ご所望なの。昨日塁君が作るよう言った四色のサンプルはいつ出来そう?」
「昨日のうちに最優先でと言ってありますが、芯を乾燥させるのに三日かかりますので完成した状態でここに届くのは早くて水曜かと」
せっかくこのように他国の王族まで来ていただいているというのに申し訳ない次第だ。
「乾燥か。俺が魔法でサクッと乾かしてくる」
えっ、ルイ殿下が?
ルイ殿下は昔から立場に見合わぬ行動力を発揮してくるのだが、今この場でそうさせてしまって良いのだろうか。この面々の中でさえルイ殿下が最高位の立場だというのに。
「まさか俺達のためにルイ殿下を作業させに行かせられませんよ。俺が行きます。工房の場所教えて下さい」
ヴィンセント様が名乗り出て下さって正直ホッとした。いやそれでも公爵令息であられるのだが。そう思い至ってどうしたものかと思案しているとネオ君が声を上げてくれた。
「あの、それなら僕が行くのが適任ではないでしょうか。この中で実際に自分で絵を描くために使うのは僕だけだと思うので、いい具合に乾燥させて来ます」
他国の魔法使いに工程を知られてもいいのだろうかと思うものの、ネオ君は我が国の医学院生でもあり、出来たばかりのハートリー記念研究所で一番に研究室を提供されるほどルイ殿下の愛弟子であるようだし、何より平民なので工房の職人達も委縮せずに済んで確かに適任かもしれない。
「じゃあ全員で行くか?」
「ルイ殿下、それは職人達が驚くのでお止め下さい」
先程の民衆の熱狂が頭を過る。
「しかしネオだけでは転移魔法は使えないし、今日は馬車は帰してしまったしな。アウレリオが転移魔法で付いていくなら、会長であるエミリーも居た方がいいだろう。であれば夫である俺も行く」
「ルイ殿下は夫って言いたいだけでしょう」
「事実だからな。エミリーは俺の新妻だ。ふっ、ふふふ、いい響きだよなぁ!」
「一ヵ月毎日言ってますよね」
ローランド様がすかさず指摘するが、ルイ殿下は無視している。ところで何故馬車を帰したのかお聞きしたい。
結局エミリー様、ルイ殿下、ネオ君、アウレリオ王子が四人で行くことになった。しばし執務室でお待ちいただくことになる御三方に、サラが紅茶をお出しするが、流石に緊張しているのか息を止めている。
「サラちゃんだよね。お茶ありがとうね」
ヴィンセント様が気さくにお声をかけるとサラは一瞬ビクッとしたが、一生懸命笑顔を作って頭を下げて出て行こうとした。
その時ローランド様がサラに思いがけず話しかけた。
「サラさん、一般クラス一年に編入してきたマルス君とヴィーナさんは不自由なく学園生活を送っているようですか」
「えっ、はい。そう見えますが」
向かいの雑貨屋にいる二人。珍しい編入生であり、盗賊に襲われるという不遇に遭った新入生だから目をかけているのだろうか。
「出身の村の話は聞いたことがありますか」
「いえ、特には」
「王都に来るまで苦労したのでしょうか」
「それはそうだと思います。二ヵ月も無一文で歩いて旅するなんて、出来る同級生はそういないです。魔法学園に入学したい一心で頑張ったのではないでしょうか。あとは二人だったことも大きいと思います。あの二人は家が隣同士の幼馴染なんだそうです」
「そうですか。学園だけではなく、我々上級生も配慮すべきですね。サラさん、突然の質問に答えて下さってありがとうございます」
「いいえ。お役に立てるようなお答えが出来なくて申し訳ないくらいです」
サラは緊張して顔を赤くしたまま出て行った。
そうか、あの二人は偶然同じ栗色の髪、ヘーゼルの瞳ではあるが全くの他人で幼馴染なのか。
無一文で二ヵ月間。俺と妹はもっと幼い時に無一文で半年以上かけて王都に来た。あの時の空腹と体の痛みを忘れたことはない。俺も妹もあばら骨が浮き出て体には力が入らず、一歩足を前に踏み出すことも負担だった。もう歩けない妹を背負って一歩ずつ王都へ向かったあの日々。
ヴィーナという少女とマルスという少年はあの頃の俺達よりましだろうが、それでも辛い道中だったに違いない。
あの少女がルイ殿下やご学友目当てで応募してきた訳ではないのはさっきのを見て分かったが、不採用にした理由は何だったろうか。俺は思い出せないまま書類仕事を始めた。




