137.一歩を踏み出す
『あー、あかん。僕の実体の方が侍従次長に見つかったもうた。あ~泣いたんバレて心配そうに走ってきてしもたー』
侍従次長とは侍従さんのことだろうか。そういえばこの前侍従さんはもうすぐ侍従次長になるって塁君が言ってたっけ。
やっぱりさっきのこぼれ落ちた涙は、ジーン君の実体がある方の床を濡らしていたのかもしれない。それは侍従さんも心配するよね。結構泣いてたもんね。
『僕、戻らな』
『うん、また来てね。ジーン君のおかげで寂しくなかったよ。来てくれて本当にありがとう』
『なんもええねんて。あ、父上の魔力感じる。隣の部屋に転移して今戻ってきたとこや。僕の魔力に気付いてすぐこっち来る筈や。母上、もう大丈夫。すぐ元気になるで』
ジーン君の言葉通り、すぐにノックの音が響いた。
『あ、私寝てるから返事出来ない』
『僕の魔力があるから返事が無くても開けると思う』
本当に小さくドアを開ける音が響く。
「えみり? この魔力……ジーンか?」
現実の塁君の声が私を眠りの世界から連れ戻す。
『さすが父上や。僕の夢一回見ただけやのに分かるんやなぁ』
あぁ、目が覚めそう。ジーン君の声が小さくなっていく。姿もぼんやりと薄れていく。
『侍従次長が横で殿下殿下うっさいから僕ほんまに戻るな』
『ジーン君、早く本物に会いたいな。いっぱいギュッてさせてね』
『うん! いっぱいしてや!』
大輪のヒマワリが咲くようにジーン君が笑顔になったその瞬間、現実の私の瞼もうっすら開き、目の前のジーン君は消えていた。
「えみり、寝てた? かんにん、起こしてもうたな」
「ううん、塁君おかえりなさい……」
「顔赤いししんどそうやんか。熱か?」
「あ、指輪、忘れてて……ごめんね。昨日お風呂の前に、外してそのまま寝ちゃって」
「ええよ。立て爪やから一日中付けとくんも難しいかもしれへんて思うてたとこや。普段使い出来るのも用意させてな。とりあえず今は立て爪のはめてええ? 熱もすぐ下がる筈や」
「うん、そこの宝石箱の一番上なの」
「ん、待っとって」
塁君が指輪をとってきてはめてくれた途端、嘘のように熱が引いて体の奥から活力が湧いてくる。
「あ、治った。すごい」
「良かった。熱あんのに一人で心細かったやろ? いや、ジーンがおったんか? さっきまで魔力感じてたんやけど、この魔法はなんやろ」
「あのね、夢の中に意識を飛ばせるって言ってた。過去にも異世界にもだって」
「異世界にも?」
「私達の前世の両親にも会いに行ってるんだって」
私はジーン君から聞いた話をありのまま伝えた。塁君の目元もちょっとだけ潤んだけれど、六甲おろしのくだりでスンと引いていった。
「それにしてもジーンはやっぱ天才やな」
「ね! 可愛いし優しいし天才なんてどうしよう!」
「シナリオ脱出成功のうえマジで最高の人生やな!」
二人で両手を合わせてキャッキャアハハと興奮してたら、塁君が『そうや』と胸ポケットから紙を取り出した。
広げて現れたのは写真のようなリアルドラゴンの絵とびっしり書かれた文字。どう考えてもネオ君が書いたものだ。
「相変わらずもの凄い画力」
「ほんまにな。ドラゴンエリアのコンセプトについてえみりの意見が聞きたい言うてたで」
「私ロックテイストは分からないなぁ」
紙には黒を基調としたグッズの数々。ユニコーンやホーンラビットとはかけ離れた世界観が面白い。
「なんか、こういう、メタルポーズみたいなの流行らせたり?」
「えみり、その手はフレミングの法則やな」
「ぅっ、はずかし」
「可愛い……ちなみにメタルポーズはコルナ言うてこの形や」
私が言ってたメタルポーズは、どうやら人差し指と小指を立てて、あとの指はたたんだものだった。そうだそうだ、こんなのだった。
「こうかな」
「それはアメリカ手話で『I LOVE YOU』やな。親指が立っとるからな」
し慣れてないせいか自然に親指も立ってしまう。塁君が敢えて親指も立てて『I LOVE YOU』サインにして私に向けてきた。
「これは相手に向けてすんねん」
「こう?」
「せや。俺もえみり愛してんで」
いやいやいや! 今そういうことじゃない。
「こうかな!」
「それはキツネかツーアウトちゃうか」
「むずかし! これは皆も出来ないに違いない! 流行らない!」
「いや出来るやろ!」
出来ないと思っていたメタルポーズは私以外皆出来るようで、一ヵ月後にオープンするドラゴンエリアの店員さん達が、お店に入ったお客さんに挨拶と共にメタルポーズをすることになるとは、そしてそこから人気になり、このエリアで記念に絵を描いてもらう観光客が、まさか令嬢達までも皆メタルポーズをすることになるとは、この時の私はまだ想像すらしていなかった。
ただこの時、私はこの紙を見てネオ君の商魂に感銘を受けていた。バイトしたい私。だけどクルス王国では私は侯爵令嬢であり第二王子の婚約者。バイトなんて無理。だったらネオ君のように自分が始めるしかないのではないかと。
せっかく春休みだし、塁君は忙しくて私は時間があるし、これはやるしかない。そして自分でお金を稼いで、そのお金で塁君にプレゼントをするんだ! 今まで貰った分の何分の一かでもお礼したい。
次の日、私は商会を起ち上げるべく塁君にお願いしてゼインに相談に行った。この世界のゼインは前世で言う極道の組長的存在だ。犯罪者集団のリーダーでありながら、色々な商会のオーナーでもあり、実際は王家の手足である。
「エミリー様、商会を起ち上げたいとか。商品は何をお考えですか」
いつ見ても黒髪長身で鍛えられた肉体のゼインは大人かっこいい。あの暗黒を背負った人殺し闇将軍がこんなに健康お兄さんになるとは。
「文房具を一から作りたいんです」
私は鉛筆と消しゴムを提案してみた。
この世界の筆記用具はペンとインクで、書き間違えたら一巻の終わり。学園でも板書を写す時に不便で仕方ない。あったらいいなとずっとずっと思っていたのだ。でも誰かが作ってくれるのを待つのではなく、自分が作ればいいんだと、ネオ君に触発された私は一歩踏み出すことにした。
それに将来的には色鉛筆も作って、ジーン君が気軽にお絵描きを楽しめるようにしたい。一年前の夢の中で絵の具を服に付けて、『描かさってもうたー!』と言っていたジーン君が、汚れを気にせずにお絵描き出来るように。
「なるほど、そんなものがあったらかなり便利ですね」
ゼインは説明してすぐに興味を持ってくれた。塁君が書いてくれた鉛筆と消しゴムの原料と作成方法を見せると、原料の産地や助けてくれそうな職人さんを教えてくれた。しかも最初の交渉も、起ち上げに必要な書類も、必要なものは全て準備してくれて、数日後には私の商会が出来ることになった。
「ゼイン、ありがとうございます! 私頑張ります!」
「ふふ、いいんですよ。お力になれたらこれ以上嬉しいことはありません。また孤児院にも来て下さい。ガキどもがエミリー様に会いたがってますから」
「はい! 製品が出来たらたくさん持って行ってプレゼントします! 皆がたくさん勉強したり絵を描いたり出来るように」
「その品物は全国どころか世界中で必要とされるでしょう。学校でも、役所でも、商店でも、大規模な商売になりますよ」
ゼインは特許申請もしてくれたうえ、職人さん達にもなるべく優先で進めるよう一声かけてくれていた。それだけで職人さんが最優先で進めてくれたので製品もすぐに出来てきた。ゼインパワーすごい。
ちゃんと黒鉛に混ぜる粘土の比率を変えて、まずはHBから4Bくらいまでを作ってみた。木の種類も塁君がヒノキの一種を指定してくれていたので削りやすいし軽い。消しゴムはこの世界にはプラスチックが無いので天然ゴムを使用した。子供でも最後まで安全に削れるよう、鉛筆削りも追加でお願いした。
「塁君、見て見て。出来てきたよ!」
「おぉ! 鉛筆やんか! めっちゃええやん!」
ゼインの言っていた通り、鉛筆と消しゴムは世界中で使われることになり、あっという間に大ヒットしてしまった。もう生産が追い付かないくらいで嬉しい悲鳴。
孤児院の子供達も、『もうインクこぼさなくて済む!』『失敗して書き直さなくて済む!』と喜んでくれて、イーサンが皆に字の練習をさせやすくなったとお礼を言ってくれた。
ただお金を稼ぐだけじゃなく、人に喜ばれるものを作れたことが単純に嬉しい。これでこの世界の子供達が出自に関係なく、字の読み書きが出来るようになればいいな。それは必ず子供達の将来に役立つ筈だから。
そんなこんなで私の商会はとんでもない利益を生み出して、思っていたのの数万倍の収入を私は手にしてしまったのだった。




