134.クローン胚作製
「音尾、右の卵巣の採卵終わったで。13個や」
「僕も左終わったところ。12個だった」
「合計25個か。ええんちゃう」
遂にアウレリオ様のクローン作製が再開した。今回は来栖君が協力してくれるから初めて上手くいく気がする。今まではどうしても人間の卵子はなかなか手に入らなかったし、やっと手に入れても上手く胚盤胞まで育たなかった。
来栖君によると、ヒトの体細胞核移植不成功の理由は、成熟卵子の雌性核と極体を除去する際に、一緒に三種類のタンパク質を除去してしまうからだという。
ひとつは紡錘体の両極に存在し、細胞分裂の際に垂直方向の分裂を指示するNuMAというタンパク質。極の形成と維持に必要で、これを除去してしまうと細胞分裂を維持できない。
もうひとつは減数分裂時の紡錘体、星状体形成に必要なHSET。
そしてEg5。微小管と結合し、紡錘体の適切な構造と機能に必須の分子モータータンパク質。
どれも除去してしまえば正常な細胞分裂が起こらない。胚盤胞に育つまで通常七日間程度。今まではそこに行きつく前に細胞死することが多かった。
卵子の染色体は見えないため、第一極体を目印に針で取り除くのが従来の手法。どうしてもこの時卵子内の細胞質も一緒に取り除き失敗してしまうのだという。僕も細胞質まで除去しないよう気を付けてはいたけれど、結果を見れば失敗していたのだと分かる。
だけど今回からは除核にも転移魔法を使用することで、純粋に核と極体だけを取り除く。来栖君と細胞核に潜り込んだ時と同じ方法で、各塩基を魔法で染めると容易に染色体を視認出来るようになる。これで必要なタンパク質まで除去することが防げる。
そしてその後の体細胞核移植でも、アウレリオ様の線維芽細胞から核だけを卵子に転移させれば、不純物無く目的のものだけが移植された過不足無い胚になる。
細胞数約100の胚盤胞期胚になり次第、王妃様の子宮に胚移植してご出産を待つ。妊娠管理は来栖君がしてくれるというので心強い。体細胞クローンは早期流産、死産が多いから。
無事アウレリオ様のクローンが生まれたら、書類上は第二王子になるけれど、年齢的にもアウレリオ様の次代の国王になるだろう。あの魔力と知性とお人柄の国王が二代続くのだからこの国は安泰だ。
僕は思いがけず王太子妃になんてなってしまったけれど、肩書にかかわらず、この生ある限りアウレリオ様のために持てる知識と技術を活かし続ける。必要ならば何代でもクローンを作ろうと決めている。
こんな途方もない夢を見られるようになったきっかけは全て来栖君だ。
人体に転移魔法を使う発想は、来栖君が国王陛下の治療に使ったのが最初だ。あの時隣の部屋に魔法省の同僚達と控えていた僕は、来栖君の魔力を突然隣の部屋から感じて心臓の高鳴りが抑えられなかった。
しかもその後詳細を聞いて更に体中の血が沸き立つのを感じた。血管内プラークを体外に転移させるという奇想天外な発想。
僕は魔力がそう多くないから、自分一人を別の場所へ転移させることも出来ないけれど、体内の微小なものを転移させることは出来るかもしれないと気が付いた。
それからは魔法陣無しでの転移魔法訓練に明け暮れて、やっと人間の体内物質を転移させることが出来るようになったけれど、今度は卵子の提供者探しに難儀した。シリウスの時は馬の卵子を器具で取り出していたけれど、この世界で人間にやるにはハードルが高すぎる。転移魔法のおかげでやっと人体への侵襲が限りなく少ない方法で採卵出来ると思ったのに。
最初は魔法省に出入りしている下女に謝礼を渡して協力してもらっていた。だけど全ての胚が育たず死んでいった。ベスティアリ王国には魔力持ちがほとんどいない。魔力があれば何か結果が違うのではと思い、クルス王国から研修旅行で来ている平民の女生徒達に狙いをつけた。彼女達は全員が魔法学園の生徒で、魔力持ちなのは確定している。
しかも彼女達は何故か向こうから積極的に近付いてきてくれたり、僕の体に触れてくるので、知られずに魔力を流して卵巣周期を把握するのは容易だった。
『君の大事なものをもらってもいいですか』
その女生徒達の中で、ちょうど排卵期の女生徒を選んでそう聞くと、頬を赤らめたり、食い気味だったり、目を輝かせていたり、皆それぞれ表情は違えども、全員が『あげる』と言ってくれた。
お腹に手を当て、自然排卵された未受精成熟卵子をポケットの中の培養液が入ったチューブに転移させる。
『ありがとう。大事にします』
とお礼を言って立ち去ると、皆『え?』と言って引き留めてくるけれど、僕はすぐに卵子の処理をしたいのに。
『大事にしてくれるのよね?』
『当然です。とても貴重ですから。丁寧に扱うと約束します』
『嬉しい! いつ?』
『今からです』
『い、今から!? で、でも、ネオ君なら』
『そういうわけなので失礼します。ありがとうございました』
『え? えぇ?』
そんなやり取りを繰り返していたら、その女生徒同士が僕の取り合いで喧嘩になったと聖女様に教えられた。僕の取り合いって何でだろう。
来栖君にもアウレリオ様にも止められて、無断で卵子をもらうのはやめることになった。卵子と言ってもこの世界じゃその概念が無いから、下手に言うと混乱させると思ったんだ。一応大事なものとして許可はもらっていたんだけど、やっぱり説明も無いのはまずかった。えみりさんの卵子も使いたかったけれど、来栖君がブチギレてたからもう諦めることにした。
それでも僕なんかを友人と言ってくれた来栖君に報いるためにも、王妃様の卵子を使って絶対に成功させてみせる。来栖君に見合う人間に僕はまだまだなれていない。それをいうならアウレリオ様に見合う人間にもなれていない。
二人は誰よりも優秀で美しく、優しい。だからこんな僕にも優しさをくれる。
僕はこれからも努力しなきゃいけない。前世から憧れてやまなかった来栖君の友人に相応しい人間になるために。今世で愛を教えてくれたアウレリオ様のパートナーに相応しい人間になるために。
「あんま気負い過ぎんと気楽にな」
卵子の凍結を終えた来栖君が、除核を終えた僕に言う。
「気楽に出来るようなドナーじゃないよ」
「魔法は集中すれば大概うまくいくで」
「あのドラゴンも?」
「あぁ、あれは音尾のドラゴン見て、アレンジさせてもろてん」
「あ、あんな一瞬で?」
「音尾はさすがやな。前肢が翼になっとって、発達した胸筋のバランスも全体の25%程度。着地の時の様子で含気骨にしとったのも分かったわ。翼竜をベースにアレンジしとったな。よう出来てた」
「来栖君のは巨大で重かったよね。着地の時に地面が揺れたよ?」
「体自体は音尾とほぼ一緒や。着地の時は魔法で体の重さ増やして、飛ぶときは軽くしてんねん」
「飛行速度も異常に速かったし、声も地響きみたいに響いたよ?」
「飛行と声な。あんなん魔法で加速したり空気震わせたりしてんねん」
「じゃ、じゃあ変身しながらずっと魔法で体の密度とか周りの空気とか調節してたの?」
「せや」
ただでさえ高度な変化の魔法を、常に調整しながら他の魔法まで何種類も同時に発動させるなんて、本当に正気の沙汰じゃない。
「ほんとに……来栖君の背中は遠すぎるよ」
「なんでやねん。音尾の生物に関する知識あってのもんやんか」
「僕なんて中一の時に来栖君のペガサスへの考察を聞いて、それから本を読み始めただけだよ」
「せやけどもう俺の知識を超えてる思うで?」
「超えてるところなんて無いよ」
「自信の無いやっちゃなぁ。シリウス生み出した功労者なんやからビシッと胸張っていけや。さ、除核終わったならちゃっちゃと核移植するで」
そうして来栖君の指導の元、除核した卵子内にアウレリオ様の体細胞核を転移させ、微弱な電流で電気融合と活性化を行った。
王妃様の体の調整を重要視した来栖君の指示で、クローン胚の培養も通常通り七日間かけることにした。このたった一個の胚が、いずれアウレリオ様になるのだと思うと手が震える。
「心配し過ぎて観察し過ぎんようにな」
せっかくワンステップの培養液を使っているのに揺らし過ぎたら意味が無い。気を付けなければ。
培養六日目。満を持して観察したクローン胚は、無事に胚盤胞にまで育っていた。明日には細胞数が100程度になるだろう。
「ほな明日が胚移植の日や」
来栖君は王妃様の子宮の状態を万全に整えていてくれた。そもそも僕一人では採卵前の排卵誘発剤も用意出来なかった。本来は閉経後女性の尿から精製されるhCG注射薬。それを来栖君は試験管内で作製するリコンビナント製剤で作ってくれた。培養細胞に目的遺伝子を導入して株化、培養してその培養液を精製することで作る遺伝子組み換え製剤。不純物が入らないため卵巣過剰刺激症候群にもならず、良質な卵子を採取出来る。
何もかも王妃様のお体を気遣い、妊娠出産という大仕事をお任せするからには、取り除ける苦痛は全て取り除くという姿勢からだ。
やっぱり僕はまだまだ医師の卵としても来栖君には追い付けない。
だけどその背中を追う日々も確かに充実感と高揚感に満ちている。もっと知りたい。もっと教えて欲しい。追いかけて追いかけて、気付けばきっといつか自分は高みにいるだろうと確信を持てる。医学院の同級生達もきっと皆がそう感じてる。それでもその時来栖君は、もっともっと上にいるだろうけどね。
明日の胚移植を前に、僕は医学院の大量の宿題を終わらせた。




