126.歪められる夢の国
それは一瞬のことだった。
酔っ払い達が暴れた後に残された、大勢の怪我人と、怪我をしたたくさんのホーンラビット。それを一度に治そうと、アリスが私の横で光魔法を発動した。
美しい金色の光の粒子がそこら中に降り注ぎ、それは美しい光景だった。
だけど、だけど、あのホーンラビットは、ウイルスに感染して角が生えたウサギなんだよ。
どうしよう、治っちゃう? ネオ君が苦労して造り出した幻獣が消えちゃうよ。
まるで医学院のライガ君の体調不良を治そうとして、部族の誇りであるタトゥーを全て消してしまった時のように、意図しないものまで全て治してしまう聖女の光の魔法。
どうしよう。あの時は相手がライガ君一人だったから、光魔法を取り消して塁君が改めて治療したけれど、今回は流石に対象者が多過ぎる。一旦治したものを取り消すわけにはいかない。だってもう一度痛みを復活させるなんてこと、受け入れてもらえる筈がない。
金色の光を目の前に、『まずい』と脳みそが私に告げる。
金の光が全て消えた後、突然完治した怪我人達の感嘆の声。そしてその少し後、大人達のざわめきに混じって泣き声が聞こえ始めた。
それは子供達の切実な嘆きの声だった。
「お、お母さん! ウサギさん達の角が消えちゃった!」
「わ、わーん、角のウサギさん達がただのウサギさんになっちゃったー!」
その場にいた子供達が泣き出すと、伝染していくように他の子供達も泣き出した。
「うぇーん、うぇーん、ウサギさんー!」
「わぁぁあああ、ウサギさんを戻してぇぇえ」
ホーンラビットカチューシャを付けている子供達は特に激しく泣いていた。
「あ、あれ? 私まずった?」
アリスは当然その状況に困惑するばかり。
「と、取り消せばいい!?」
「待て。この人数だぞ。一度消えた痛みをまた戻したら余計に騒ぎになる」
塁君も顎に手を当て次の一手を考えているようだった。
そんな時。
「ルイ殿下! エミリー様! 何の騒ぎですか!」
「シンシア! アウレリオ様!」
「あぁ、二人とも来たか……まずいことが起こった」
立太子の儀の前日だと言うのに、二人が転移魔法で現れた。
「何でここが分かったの!」
「アウレリオ様は一日数回、この国全土に魔力で索敵をかけてるんです。先程ルイ殿下が捕縛の魔法を使ったのが分かったので、ルイ殿下の魔力を辿ってここに飛びました」
二人に状況を説明していると、周りから心無い声が聞こえてきた。
「せっかく観光で来たのにね……興覚め」
「幻獣も消えちゃったし何だかな」
「明日は立太子の儀式があるっていうのに、なんか幸先悪いよな」
「この国の未来はどうなるのかしらね」
「あ、あれ、アウレリオ王子じゃないの?」
「本当だ……隣は婚約者か」
「儀式の直前にこんなことになるなんて、神様に愛されてないんじゃないのか」
「そういうのってあるよね、生まれ持った運みたいな」
ちょ、ちょっと待ってよ! 何なのそれ!
アウレリオ様ほど国民を第一に思っている人が王太子になるっていう、これほど国の益になる幸運が分からないなんて。たかが、たかがこんなことで。
悔しく思っているのは私だけじゃなかった。
隣の塁君も表情がストンと抜け落ちた。これは大事な人のために怒っている時の顔だ。そしてそれを見てアワアワするアリス。大丈夫、アリスに怒ってるわけじゃない。
だけど私よりも塁君よりも、誰よりも悔しそうに泣きそうになっているのはシンシア、ネオ君だった。
そんなネオ君の背中をポンと叩いてから、アウレリオ様がアリスの元に跪いた。
「聖女様、皆の怪我を治して下さりありがとうございます。また助けられましたね。心からの感謝を」
「え、いや、あの、なんか私、余計だったかも……」
「何を仰います。ホーンラビットも確かに我が国の宝ですが、人々はそれ以上に大切な存在です。聖女様の行いは正しく、皆に敬われるべきことです」
「そ、そう言ってもらえると……頑張った甲斐があります……」
その言葉を聞いていた民衆が、『聖女』という言葉に反応してざわついた。
「今聖女様って」
「クルス王国に聖女様がいるって噂を聞いたことがある」
「王子と知り合いみたいだし、明日の儀式のために来てるんだ」
「じゃあさっきの金の光が聖女様の光だったのか」
「私、料理で火傷した指が治ってる!」
「俺も殴られて切れた口の中も治ってるし、昨日挫いた足首まですっかり良くなってる!」
「すげぇ!」
その場の主役はすっかりアリスに変わったけれど、中には鋭く指摘してくる者がいた。
「ホーンラビットの角が消えたってことは、あれは病気だったってことかい?」
周りもそれを聞いて『確かにそういうことだよな』『何だそれ、益々夢の国とはかけ離れてる』と口々に言い合う。まずい流れだ。
何か、何か言わなくちゃ、と私が言葉を絞り出そうとした時に、塁君が冷めた声で民衆に言葉を発した。
「幻獣は神の祝福で、魔獣は神の呪いのようなものだ。ホーンラビットは魔獣の属性に近いから、聖女の光で呪いが解けたのだろう。呪いと言っても性質の悪いものではない。性質が悪い呪いで魔獣になれば人を襲う。ホーンラビットはよく世話をされていたから人に懐いていただろう」
興に乗って文句を言っていた人達は、塁君の言葉で水を差された気分になったらしく、『誰だお前』と吐き捨てるように言ってきた。
「皆さん、このお方は……」
「俺はクルス王国第二王子ルイだ。明日の儀式のために来ている」
アウレリオ様が慌てて民衆を止めようとした言葉を遮るように、塁君は一歩前へ出て自ら名乗った。
人々は突然現れた大陸一の大国の王子に目を見開いて絶句する。
「う、嘘だろ」
「クルス王国の第二王子って、あの有名な方だよ!」
「聖女様の国の王子だ」
「じゃあさっきの呪いの話も本当なのかも」
皆が塁君の言葉を受け入れそうになった時、またもや横槍を入れてくる人々がいた。
「待て待て。それにしたってこんな騒動が起きるなんて観光地として配慮が足りないだろう」
「そうだそうだ、儀式の前日なのにどうして衛兵や騎士がいなかったんだ」
「警備の兵がいないからこんなことになるんだ」
確かに衛兵は離れたところに行っていた。いつもはちゃんといた記憶があるし、今日だってこの場所以外は人数を増やして警備強化されていたように思う。
「衛兵、何故持ち場を離れていた」
「は、はい! 飼育場の奥の方で具合が悪いという観光客が複数おりまして、そちらにいた職員だけでは手が足りず手伝いに行っておりました!」
なんてタイミングが悪いんだ。衛兵達が出払っていた僅かな時間に、酔っ払いがたくさん来たうえ暴れるなんて。
でも自分の仕事ではないなんて断る衛兵より、困っている人を助けに行ったこの衛兵さん達の方が好感度大だよ!
「ほら、そうやって運が無いから怪我人が出るんだ」
なっ、なにぃぃぃ!? 運が無いとかそんなのアウレリオ様に全然関係ないよ! 言いがかりもいいところでムカついてきた。アウレリオ様も塁君も、もう相手することないよ! この人達には私が巻き爪になる呪いでもかけておくからさ!
「訂正して下さい」
ずっと黙っていたシンシアが、堪え切れないように声を上げた。
「あんた、クルス王国出身の王子の婚約者だろう? 明日発表されるって聞いてるぞ。何だよ、本当のこと言われて愛する婚約者を庇うってか! あんたもこんな運の無い国より、自分の国にいた方がいいかもしんねぇぞ!」
この人達にとってはクルス王国の侯爵令嬢シンシアなんだろうけど、本当はこのベスティアリ王国のために、アウレリオ様だけのために、ずっとずっと奔走してきた一魔法使いネオ君なんだよ。
私も塁君も、アウレリオ様も、流石にカチンときたけれど、王族が一市民を叱責したりしちゃいけない。立太子の儀の前日に、これ以上祝賀ムードに水を差されたくない。
「アウレリオ様に運が無いとか、神様に愛されていないとか、真逆の噂を流布して貶めるのは許しません」
「へぇー、お貴族のお嬢様が許しませんなんて言っても怖くもなんともないわー」
「私は貴族のお嬢様ではありません」
私も塁君も、アウレリオ様も、ビックリしてネオ君を『おいぃぃ!!!』って顔で見てしまった。何を言う気だ! まさか本当のこと言ったりしないよね!? ますますややこしいことになるから止めておきなよ!!
これ以上何か言ったら義姉として物理で止めようと身構えた瞬間、シンシアの魔力がその全身に行き渡っていくのを感じた。ネオ君とアウレリオ様の魔力が混ざった強力な魔力が。
これは変化の魔法。ネオ君に戻るだけなら魔法を取り消せばいいだけ。だからネオ君に戻って本当のことを言うつもりではないのが分かった。ちょっとホッとしたけれど、じゃあ一体何に変身する気なの?
シンシアの体はシュルシュルと、どんどんどんどん大きくなり、巨大を通り越すくらいの大きさになった。もうビルくらいある程に……。
そのあまりの光景に、声を発する者は一人もいなかった。
こんな人混みの中で、ビルほどの大きさにもかかわらず、誰一人として潰されていない理由は……
飛んでいるから――――
快晴の今日、真昼間、太陽の光が急に遮られて私達は真っ暗な陰に包まれた。




