117.クローンの理由
「二人とも、どうかもうお気になさらないで下さい。未遂だったんだし、私は平気ですから」
私はキッチンから出て二人の元に急いだ。私がいくら声をかけても二人は項垂れたままで、塁君の反応を待っているのが分かる。ヴィンセントと侍従さんも壁際で黙って見守っていて、皆が塁君の一挙手一投足に気を配っていた。こういう時、やっぱり塁君は大国の王子なのだと再認識する。
もうどうしようかと塁君を見ると目が合った。『許してあげて』と目だけで切実に訴えてみると、ふっとその目元が緩み、塁君は小さく溜め息をついた。
ネオ君の胸ぐらを掴んでいた手を離して塁君は言う。
「ネオ、お前は俺の友人だ。俺を過大評価するな。俺とお前は対等なんだ。一人で成すには難しいことは俺に言え。力になれることは俺にもあるから。一人で抱え込んで極端な行動に出るな。それにエミリーのミトコンドリアDNAを持つ人間がいなくても、友人の国は全力で護るに決まっているだろう」
塁君は膝をつくアウレリオ様に手を貸し立ち上らせた。次にネオ君の乱れたローブを整えて、ネオ君の腕をポンと一回叩き小さく微笑む。
良かった、仲直りだよね? 視界の中のヴィンセントと侍従さんの表情も緩んだから、もう大丈夫そう。あぁ、本当に焦った。
「講義はどうした」
「じ、自習です。もう少しで次の講義が始まりますが、このままここで、謝罪をさせていただきたく存じます」
「謝罪して欲しいわけじゃないからいいって。ところで何で自習なんだ」
「生徒の一人が体調不良で苦しみだしたんです。聖女様が光魔法をお使いになったのですが、その生徒の体にあったタトゥーまで全部消えたようで騒ぎ出しまして……成長の度に入れる神聖なものだったと言っていました。それでローランド様が別室で宥めていらっしゃいます」
そんなこともあるんだね……。アリスは良かれと思ってしただろうに、たまにこういう不憫なことになるね……。
「そうか、それは南の部族出身のライガだな。視察に回った時に見つけた医師の家系の息子で、非常に優秀だが、あのタトゥーは特別なものだから取り乱したんだろう。子供の頃から部族に伝わる儀式をクリアする度に、その証明としてタトゥーを増やしていき、成人と認められた暁には一つの図案が完成すると聞いている」
「あ、あの見事なタトゥーの子ですね! 俺も芸術的だし神秘的で声をかけたことがあります。あれ消えちゃったのかぁ」
「アリスに魔法の取り消しをさせて体調不良は俺が治しに行く。ネオも戻るぞ。ああ、それとヴィンスとアウレリオは魔術師団の訓練に戻っていいが、講義が終わる時間にまた来てくれるか」
「了解でーす」
アウレリオ様が決意を秘めた瞳でネオ君を見ると、何もかも知られてしまったネオ君は、一瞬体を強張らせた。
「ルイ殿下、私もその時にネオに話があるので、よろしいですか」
「ああ、そうだろうと思って提案した。俺からも同じ件で話がある」
何だろう? とりあえず緊迫状態は脱したけれど、まだ何かあるのかな。それに私の卵子の件は有耶無耶なんだけど、どうしたらいいかな。
ヴィンセントとアウレリオ様が転移した後、塁君は私のところまで来てギュッとハグしてきた。ま、またこれは健康チェックされてるんだろうか? 今更だけど恥ずかしいからやめて欲しい。
「エミリー、間に合って良かった……」
「あ、あのね、本当に私の卵子提供してもいいって思ってるんだけど」
「知らないうちに奪われるのと、説明を受けて同意して提供するのは全然別物だ。説明を聞いたうえでエミリーがいいと言うなら俺はどうにも出来ないが、除核されたエミリーの核や極体が捨てられるのはやっぱり不愉快だ」
そうかぁ……捨てられるんだ。でもどうせ死んでいく細胞だし、と思うけど、塁君が本当の本当に嫌そうな顔をしてるので、やめておくことにした。嫌な思いはさせたくないから。
塁君は壁際に控えたままの侍従さんに顔を向けた。
「侍従、いつもここに入らないお前が居たということは、何か察知して入ってきてくれたんだろう? お前のおかげで間に合った。礼を言う」
「いえ、お役に立てれば幸いです。では私はこのテーブルクロスを本来の置き場所に戻してまいりますので。失礼致します」
確かに侍従さんが来てなかったら、最初に手を握られた直後に卵子を転移させられてたのかもしれない。やっぱり黙って持っていかれて後で知ったら、多少ショックかもしれないよね。
「侍従さん、ありがとうございました」
「いえ、エミリー様に何事もなく良かったです」
「リリーにも侍従さんにお世話になったってよく伝えておきますね」
「……っ!? ぃ、痛っ!」
私の言葉に気が動転した侍従さんは、閉まる扉に思い切り挟まってから出て行った。カマかけたのに、確信に変わった瞬間だった。
「あいつには時別臨時ボーナスだな」
塁君はそう言ってネオ君と医学院に転移して行った。さぁて、私はグラタンだ。
◇◇◇
講義も訓練も終了し、また皆は私のキッチンに集まっている。お城にはもっと広いお部屋も唸るほどあるのに何故此処なんだろう……。
ちなみにタトゥーが消えたライガ君は、アリスの魔法を取り消してタトゥーは元に戻り、体調不良そのものは塁君が治してきたらしい。他人事ながら安心した次第だ。
「さぁ、始めよう。それじゃあまずはアウレリオから話してくれ」
ネオ君は緊張と不安でいっぱいの表情で座っていた。でもさっきのアウレリオ様のご様子だと、ネオ君に怒っていたり呆れたりしているとは思えない。だって一緒に罪を償おうとして頭を下げていたくらいだから。
「ネオ、私のクローンを創ろうとしていたことは知っている。転移魔法で卵子を無断で使っていたことも。いくら使用されず死滅するものだとしても、無断はいけない」
「はい……仰る通りです」
「あとは臓器提供者としてのクローンもやめなさい。私の命がそれで助かっても、ネオがずっと苦しむことになるよ」
「それでも……何としてでも生きて欲しかったのです」
「ありがとう。もう心配いらないよ。それとどうしても知りたいのはね、何故遺伝子治療前の私のクローンを創って育てるなんて発想になるんだろう?」
アウレリオ様の質問にネオ君は口を噤んでしまった。
さっき塁君も『遺伝病患者を創るのは絶対にやめろ』と言っていた。ネオ君は遺伝子治療前の、アンドロゲン不応症の状態のオーレリア様をクローンとして創ろうとしていたの? だって、オーレリア様はあの病気だったから精巣癌になって苦しんだわけで。
「ネオは女性としての私だけを想ってくれているのかな? だとしたら遺伝子治療前だって女性ではないんだよ? ネオと共に過ごした私の中身じゃなくても、外見が女性ならそれでいいのかな?」
アウレリオ様は穏やかだけど、どこか寂しそうにネオ君を見ている。
ネオ君は何か答えようと顔を上げるけれど、言葉がうまく出てこずにとても辛そうな表情になり、また俯いてしまった。見てるだけで私まで胸が痛い。
ネオ君がオーレリア様を大切に想っているのは、疑いようがない事実で、新しい恋を探そうとしてるのかと思っていた女生徒達とのデートだって、蓋を開けてみればオーレリア様のクローンを創るためだった。ネオ君はずっとずっとオーレリア様を好きなままなんだよね。
黙ってしまったネオ君の代わりに塁君が説明を始めた。
「アンドロゲン不応症だったオーレリアは、精巣から分泌されたテストステロンは全く体に反応せず、代謝物であるエストロゲンだけが作用する状態だった。性ホルモンは本来男女ともに両方体内に存在するものだが、量よりも比率が影響する。正常男性でも加齢でテストステロン値が下がりエストロゲンの比率が上がると、女性化乳房になることがある。オーレリアもエストロゲンだけが作用して女性らしい外見には成長した。だが思春期には既に精巣癌が発生していたから、テストステロン値も低下していた筈なんだ」
テストステロンも癌のせいで出なくなってたなら、じゃあエストロゲンにも代謝されないってことだよね? あれ? じゃあどういうこと?
「脳の性自認に関係するエストロゲンも低下していたということだ」
塁君のその言葉に、ネオ君がハッとして顔を上げた。




