114.オーレリアとアウレリオ②
戦友は死にゆく私に意を決したように告げた。
『この世界は前世で僕がしていたゲームの中の世界です。主要な国はクルス王国。そこに聖女様がいます。聖女様の光魔法ならオーレリア様を救える筈です』
クルス王国なら当然知っている。この大陸で一番の面積と軍事力・経済力を持つ大国だ。そこに聖女様がいらっしゃるなんて噂は聞いたこともないが、ネオはいると断言する。ゲームの中の意味も分からないけれど、追求せずともネオが言うのならと信じることにした。
『今の我が国では、遠い大国の聖女様を呼び寄せても門前払いのリスクがあり、失敗すれば二度目にお願いすることすら難しいでしょう。ですから初回の申し出で来ていただけるよう作戦を立てます』
どうやってそんなことが出来るというのか。ただでさえ遥か遠くの国なのに、国の宝ともいえる聖女様を派遣などして下さるだろうか。
あの国には大神殿もある。大神殿が聖女様派遣の実権を握っているとしたら、信徒が少ない我が国の優先順位は低いだろう。それでも来ていただくとなると、多額の寄付金が必要になるかもしれない。大国の大神殿。生半可な額ではないはずだ。経済的に余裕が出てきたとはいえ、死にものぐるいで蓄えた国の資産を、私一人のために使いたくはない。
『聖女様が在籍中である魔法学園では、二学年で海外へ研修旅行に行きます。学園の行事であれば大神殿の管轄ではありません。聖女様は僕達と同い年の十六歳で、来年その二学年になります。ベスティアリ王国を研修先として選んでいただけるよう、手を尽くしたいと思います』
そうしてネオは『王家からクルス王国に、遅くとも来年春には研修旅行先として願い出ること』『まずは視察に来ていただけるよう正式に招待状を送ること』を提案してきた。
『その時期に合わせて我が国を観光立国としてさらに経済発展させ、街も美しく整備し、また来たいと誰もが思うような地にします。そして我が国を選んでいただけるよう、全力を尽くします』
『ネオ、クルス王国一の学園なら、研修旅行に来て欲しい国は数多あるだろう。贅の極みのような視察旅行に招待する国だってある筈だ。その中で遠いうえに小さな我が国を選んでいただけるだろうか』
私の疑問にもネオは顔色を変えることなく答えた。
『僕の読みが当たっていれば、クルス王国には誰より優秀な第二王子がいます』
その方がなんだというのだろう。我が国の価値を分かっていただけると言うのだろうか。私にとっては命より大切な国だとしても、他国だって価値があり魅力がある。その方にとって我が国を選ぶ理由などあるだろうか。
『我が国は国名を変え、この世界にいない筈のユニコーンを有しています。僕達はメインシナリオじゃない部分で小さな変化を起こしたんです。彼ならそれに必ず気付いて我が国を訪れる。断言します』
第二王子はネオが前世で尊敬していた人物の可能性があるという。
私はその計画に命を預け、両親にも全面的にネオに協力してもらう手筈を整えてから研究室で眠りについた。魔法省ならば魔力があるのは不自然じゃない。私の魔力の強さでは、魔力持ちが観光客として訪れた時にすぐ見つかってしまう。ずっと動かない魔力から変に勘繰られて、他国に干渉されるのは避けたい。
それにここは私とネオの秘密基地のようなものだ。何年もここで国のために二人で過ごした日々は、城の豪華な部屋で過ごす日々より大切なものだった。診察台の寝心地は決して良くはないが、悪い気分じゃない。
眠る私にネオは時間魔法をかけてくれた。
『聖女様に必ず来ていただきます。治り次第時間魔法を解きますので、どうかご安心してお眠り下さい』
眠る直前に聞こえたネオの声は、私を安心させるためにあくまで穏やかで優しく、だけどその裏に一人で大仕事を成し遂げなければいけない緊張と、絶対に聖女様を呼ぶという決意を感じさせた。時に弱気にさえ見える大人しいネオの変化を、頼もしく感じながら眠りについた。
体が眠っている間も意識は覚醒していて、朧気に声が聞こえることもあった。内容までは聞き取れなかったが、それがネオが私に話しかける声だということは分かる。
憧れと、友情と、愛情を感じさせるその声色が心地よく、不安という沼へ意識が引っ張られるのを連れ戻してくれる。
覚醒している意識は、いつも国と国民のことばかりを思わせた。
豊かになっただろうか、不作などは無いだろうか、災害は起きていないだろうか、皆が安心して子供を産める国になっただろうか。
ある日突然、自分以上の尋常じゃない魔力が私に流れてくるのを感じた。生まれて初めて出会う自分以上の圧倒的魔力。
この桁外れの魔力なら何か出来るのではないだろうか。私は自分の体のことよりも、ずっと考え続けた国と国民のことで頭がいっぱいで、次にその人物の魔力と自分の魔力がネオを介して繋がったのを感じた瞬間、必死にその魔力に縋ってしまっていた。
訳も分からず縋って縋って気付いた時は、私の意識が半分ほどの魔力と共に、その人物の中に入り込んでしまっていた。だけど彼の体はピクリとも動かない。彼の意識自体も朦朧としていて会話も出来ない。八方塞がりでどうにも出来ず、結局容れ物が変わっただけで動けない自分に歯噛みする思いだった。
だけどさっきまでと違うのは、一人の女の子の声がはっきりと聞こえること。手を握って話しかけてくれているのが分かる。何故かその子だけには触ることを許してしまう自分。対してネオにさえ触られないよう魔力で弾いてしまった。相手が男だからとかじゃなく、何故かその子以外を拒絶してしまう。
私を『ルイ君』と彼女が呼ぶ度に、意識朦朧としている体の持ち主が『エミリー』と、うわ言のように言っている。そうか、この恐ろしいほどの魔力の持ち主は『ルイ』で、この子は恋人で『エミリー』なのだ。
朝から晩までエミリーは手を握って話しかけてきた。取り留めのない話ばかりだが、とても心が満たされる。これは『ルイ』の体の中にいる影響なのか、私まで『エミリー』をとても愛しく感じるようになっていた。
声が可愛い、握ってくる小さな手が可愛い、愛しい。私はこんな温かい感情を初めて抱いた。エミリーが泣いているのが分かった時、どうしようもなく胸が苦しくなって、慰めたい、慰めなきゃ、その手を握ってあげなきゃ、という強い気持ちに駆られた。そして気付けばルイの体を動かしていた。
体から出てもしばらくは、エミリーを愛しく想う気持ちが止められず、時間が経った今もエミリーを好ましく思っている。ルイ殿下の魔力の中に混ざりこんで、感情までも影響を受けたのだと思う。人を愛するという気持ちが擬似的にでも理解出来たのは僥倖だった。
アウレリオになって以来、以前は感じたこともない感情を抱いている自分を自覚できたからだ。少しの胸の苦しさも、幸せを願う心も、ルイ殿下がエミリーにいつも抱いていたものだ。あれほどの強い愛ではないものの、それに発展するかもしれない芽のようなものが確かに自分の中にある。
今、ネオのラボノートを前にして、気が遠くなる程の時間をネオが研究に費やしていたのが一目で分かる。研究の内容は、新たな幻獣を作り出そうとした軌跡。
クローンとしてシリウスを誕生させた後、もっと目玉となる幻獣がいた方がいいと遺伝子組み換えの話をしていたことがある。ただ、その研究の元になる遺伝子も塩基配列も分からないのだと、悔しそうにしていた姿を覚えている。
分からないなりに藻掻いた膨大な時間があったことが、目の前のラボノート数十冊に記されていた。結局はウイルスでホーンラビットを生み出すことに成功したようだが、それも『視察で初めて披露する』という作戦を遂行するために、随分無理をしたようだった。
そして私が眠ってすぐに始めた私のクローン作製。そこに書き込まれていたのは、癌に侵された私の臓器をクローンの臓器と交換する計画。臓器提供者としてのクローン産出計画だった。
『なんてことをしているんだ……』
そして私の腫瘍が無くなったであろう聖女様来訪日以降、その計画の目的は変わっていた。
遺伝子治療前の私のクローンを創り、内密に自分で育てる計画。精巣を摘出し、女性ホルモンを補充して女性として育てるつもりでいるようだった。
だけどそんな馬鹿げた研究をしながらも、その先に見据えた本当の目的。
いずれ人間のクローン作製技術を確立させたら、将来私が王妃との間に男児が生まれなかった時のために、遺伝子治療後の私のクローンを創るというのが一番の目的であることが書き留められていた。
『オーレリア様の苦しみは、病よりも王位を継げないことだ。その苦しみを次代に継いではいけない』
ノートの枠外に何気なく書かれたその言葉。私の本質を誰よりも理解している戦友に胸が詰まる。
昔は考えたこともなかった、非現実的な『王子になる』という人生。いくら母上が泣いても変わることのない現実が、母の涙さえ不毛で非生産的なものだと思わせた。だからこそ男性になれると知って、私は心から喜びを感じてしまった。何より大事なのは国のことだから。婿をとるより私自身が王になるのが最適なのは言うまでもない。適正な時期になれば、当然世継ぎのために王妃も娶らなければいけない。それは重々分かっていながらも、心の奥で痛む愛情の芽。
ネオが何人もの女性と会っていると知って、誰か私以外の大切な人を見つけて幸せになってくれればいいと願っていた。昔も今も、理由は違えど私はネオに応えられない。
胸の奥が痛んでも、その痛みと共に生きていくのもなかなかだと思っていた。この寂しさも、想う心も、私だけのものだと。
ラボノートから溢れてこぼれ落ちるネオの想いに、また私の心の奥の芽が疼く。
『お前はいつだって私と同じように国を想う愛国の志士だと思っていたが、私のことばかり想っていたのか』
『馬鹿だな』と感じる心は、感謝と、慈しみと、確かな愛しさで包まれていた。




