110.ネオは変わったのか否か
アウレリオ様とネオ君の留学が始まってから早一ヵ月。
二人は我が国の女性達の人気を二分している。二人が来る日は魔術師団と医学院の門の前に人だかりが出来るほどだ。
アウレリオ様は貴族令嬢に、ネオ君は平民女性に大人気だ。
アウレリオ様は経済大国の次期国王でありながら婚約していない。その婚約者の座は貴族にとってあまりにも魅力的で、当主達が娘をけしかけたのが一ヵ月前の同盟締結記念の夜会だった。だけどご令嬢達は条件よりも何よりも、アウレリオ様ご自身のその美しい佇まいと気さくな人柄にメロメロになっている。ダンスを踊って欲しいとアウレリオ様の前に列をなす光景には私も驚いた。
ベスティアリ国内のご令嬢達からも次々と縁談話が来ているそうで、少し困ったように笑うアウレリオ様が印象的だった。でも王妃様のお茶会で、ご令嬢達は皆『憧れています』と言っていた。男性だと分かったら憧れが恋心に変わるご令嬢だって大勢いると思う。いや、なんだったら元々恋心だった子だっているかもしれない。それが実は男性で結婚出来るとなったら、そりゃときめくよね。分かる。
そしてネオ君を取り巻く平民女性達は、ご令嬢達よりもはるかに積極的だ。講義終了時刻は夜の九時。女性が一人で出歩く時間じゃないにも関わらず、待ち伏せしてまでネオ君争奪戦を繰り広げているらしい。その中には一般クラスの子達も大勢いる。アリスの言う通りお互いバッチバチに睨みあっていて、昼間の学園でも空気が悪い。
一緒に転移魔法で帰らなければいけないアウレリオ様も、最初のうち何回かは待っていた。ネオ君は必ず一、二時間ほどで戻ってきて、帰国後は塔に直行してお仕事するらしい。講義のために残業出来なかった分をすると言って。残業があるなら真っ直ぐ帰国すればいいのにと思うのは、私が恋愛素人だからだろうか。
気を利かせたアウレリオ様は、翌週にはネオ君だけが通れるよう設定した転移魔法陣を敷いた。それ以降ご自分は訓練が終わるとサクッと先に帰っている。
「私が待ってるとネオもデートを満喫出来ないしね。待ってるのも無粋だから習いたての魔法陣で貢献するよ。あはは」
そう言って紡ぎ出す魔法陣の美しさは、絶対習った以上のクオリティだと分かる程だった。
ある日の講義終了後、塁君のためにカツカレーを作っていたら転移魔法で塁君が帰ってきた。ネオ君を連れて。
「ただいま!」
「おかえりなさーい」
キッチンに突然現れるのにももう慣れた。
「と、突然ごめんね、えみりさん……」
「俺が無理矢理連れてきてん」
「ううん、いつでも来ていいよ」
王城の居住区に入るには事前に厳しい審査があるのだけど、アウレリオ様とネオ君は講義の日限定で入城許可証を持っている。
「音尾、カツカレー好きやったやろ? よう食堂で食うとった記憶があってん」
「う、うん。週二、三回は食べてたかな」
「転生してから前世の料理自体初めてやろ?」
「うん、十七年ぶりだよ。本当にいいの?」
「勿論、食べて行って!」
食堂かぁ。羨ましい。私の高校は学食が無かったから、購買はすぐ混むし売り切れ続出だったな。売ってるのもおにぎりやパンだった。食堂で温かいご飯が食べられるのは嬉しいよね。
「塁君も食堂派だったの?」
「うちもおかんが忙しかったから毎日食堂かコンビニやったな。音尾は新幹線通学やったから朝早過ぎて弁当作る時間無かったんやろ」
「そうだね。おかげで今も早起きは得意だよ」
「ししし新幹線……?」
道産子にとって新幹線は遠い乗り物で、JR通学ならまだ分かる。だけど上京してからJRを汽車と呼んで笑われ、JRも地下鉄も路線名で言われて覚えきれないまま人生終了した私。その私の前で新幹線通学とか次元が違い過ぎて質問すら無い。
「たまに名古屋駅の駅弁食うとってめっちゃ気になったわ~」
「名古屋出身なんだ!」
「うん、そうだよ」
「味噌カツとか、でっかいエビフライ弁当とかな」
「あ、じゃあ今日のカツカレーで余分にカツ揚げて味噌カツ弁当作るから持って帰って! 保存したり温めたりは魔法で出来るよね」
「う、うん、出来るけど、でも悪いよ」
「え、えみりの弁当やと……? 悪いのはえみりにだけやなくて俺にもやで!」
テーブルでカツカレーを待つ塁君は、お弁当なんかで拗ねだした。まずい、ネオ君は何も悪くない。擁護しなければ。
「だって学園内で味噌カツ弁当とか不審過ぎるでしょ! ネオ君は研究室で一人で食べられるから怪しまれないからね!」
「そうやけど……俺もえみり弁当食いたい……」
ものすごく分かりやすくしょんぼりする塁君が可愛すぎる。
「じゃあ明日のお昼休みは、絶対誰にも見られない場所見つけてそこで食べる?」
「マジで! そんなん人避けの魔法かけたらええねん! よっしゃ! 明日は味噌カツやー!!」
「来栖君……本当に変わったね……ははは……」
塁君が変わった? 前世でも今世でも、塁君は優しくてちゃんとしていて努力家だけどな。
「昔はどんなだったの?」
「来栖君は……優秀なのは今と変わらないけれど、女性には手厳しかったから」
「そんなんえみりは知らんでええねん」
「それだけえみりさんが特別だってことだよ」
そこで会話は終わったけれど、アリスへの対応は確かに手厳しい。あんな感じかな。
「なぁ音尾、自分も変わったんちゃうの」
「え?」
「女遊びも大概にせんとあかんで」
「…………」
「本命出来ひんの?」
「まだ分からないな……」
「あの子らも講義の度に門とこ居るのもなんやから、今日は衛兵から帰ってもらうよう言うたけど、帰り道かて危ないしな」
「そうだね……」
食事を終えたネオ君が味噌カツ弁当を持って帰った後、塁君に聞いてみた。
「ネオ君って、そ、そんなに遊んでるの……?」
ゲーム内では遊び人と言えばヴィンセントだった。ご令嬢、平民、果ては人妻にまで手を出していた。この世界ではフローラ一筋だけどね。
「まぁ、そうやな。あれはあかん。いつ刺されてもおかしない」
そんなに?? 塁君に友人と言われて顔を赤らめていたネオ君は、以前と変わらない照れ屋のネオ君に見えたのに。
「ハイホーミニスカナイトは聞き間違いじゃなかったんじゃ……」
「ど、どういうことや……」
「遺伝子治療の後にね、フラッフラで部屋に入るネオ君がボソッと日本語で言ったのさ……」
「絶対聞き間違いやで」
そうだよね、そうだよね、意味不明だもん。前世でだってそんなトンチキなイベント無い筈だ。
「じゃあ『ハイボール飲みに行かないと』?」
「なんでやねん」
何て言ったか定かじゃないけど、何だか気になる雰囲気だった。疲れ切った中で無意識に出る日本語なんて、本音とか大事なこととかじゃないのかな。
「……うーん、『胚を見に行かないと』ちゃう?」
突然正解っぽい言葉が聞こえてきた。
「そうかも! すごいそれっぽい!」
「胚か。まだユニコーンのクローン作っとるんやな」
シリウスは元気で観光客に可愛がられているみたいだけど、念のために第二、第三のシリウスを生み出そうとしてるのかな? 仔馬は可愛いし、たくさんいればもっと人気になるよね。
「簡単なことやないから出来る時にしてるのかもしれへんな」
「そっかぁ、忙しいんだね。ベスティアリで研究と業務と医学院の宿題して、週三回転移魔法で通学して、それで女の子ともデートだなんてタフガイだよ」
「ほんまやなぁ。せやけど女遊びしとっても必ずその日のうちには帰国してんねんな」
「魔法陣があるから好きな時間に帰れるのにね。毎日胚を見に行かないといけないのかな? 夜中なのに研究室に戻るなんて、残業手当つくといいね」
私が何気なくそう言った後、返事が無くて『あれ?』と顔を上げると、塁君はテーブルの炭酸水のグラスを握ったまま動きを止めていた。
「塁君?」
「…………あ、ごめん。変なこと考えとったわ」
「変なこと?」
「いや……」
急に深刻な表情になったけど何か私変なこと言った?
「男女のことやから、つい深掘りせぇへんかったわ」
なんのこと?
その時塁君が考えていたことが、まさか次の日学園で起こる騒動の核心部分だなんて、私はほんの少しも想像していなかった。




