11.クロックムッシュ
私とルイ殿下が婚約して一ヵ月が経った頃、セリーナは領地の本邸に移った。
ルイ殿下が私を部屋まで運んだ日、セリーナは夕食も摂らずに自室に籠ってしまった。次の日から私とは目も合わせてくれなくなって私も流石に傷ついた。前世でもこれほどの完全無視に合ったことはない。
話し合おうにも無視され続け、そのまま領地へ発ってしまったセリーナ。どっちかと言えば思春期も反抗期も私の方が年齢的にそうなんだけど、おませって関係あるんだろうか? これはもう時間が解決するしかないだろう。ホルモンのせいに違いない。
その後私は王城へ呼ばれ、婚約者として国王陛下御夫妻とクリスティアン殿下に改めてご挨拶をした。
人生で一番緊張したけれど皆とても優しくて、『全てにおいて無気力だったルイがエミリー嬢と出会ってからイキイキしてる。すごい』と逆に感謝されてしまった。
確かにあの表情筋が死んでたルイ殿下はもう何処にもいない。
ルイ殿下は時間が出来ると我が家を訪れ私を色んな場所へ連れ出してくれた。デートなんてしたことがない私はいつもドキドキしっぱなしで、観劇に行った時はずっと手を握ってくるので劇どころじゃなかった。
毎週火曜日はルイ殿下と一緒に朝ご飯を食べることになっている。王子という立場上、騎士団での鍛錬や勉学、魔法の訓練と忙しく、午前中が空いているのは火曜だけなのだ。お城の庭園で食べたり、我が家のテラスで食べたり、私のキッチンで食べたりしている。
メニューは必ずクロックムッシュ。
ルイ殿下は余程私のクロックムッシュを気に入ってくれたらしい。
今朝は少し遠出をして王室所有の森林公園に来ている。美しい湖の前にフカフカの敷物を広げて靴を脱いで座ると何とも気持ちがいい。
「えみりのクロックムッシュいつ食べてもほんまに旨い」
ルイ殿下は二人の時は『えみり』と呼ぶようになった。クロックムッシュが大好物なのか毎週食べても飽きずに旨い旨いと言ってくれる。
私はクロックムッシュに結構こだわりがあって、美味しいと言ってもらえると一際嬉しい。
バター多めで作ったベシャメルソースにナツメグとコンソメ、隠し味に粉チーズを加えるのだ。挟むチーズもたっぷり二種類使ってトロトロにする。バイト先でも店長に太鼓判を押されてレシピを渡した思い出の品。
パンの表面に焼きごてでメッセージを入れて、可愛いワックスペーパーで包むと少しずつ女性に人気になりSNSにも載せてもらえるようになった。
メッセージは大体『GOOD MORNING』か『WELCOME』。だけど常連さんには少し変えたりして。
私が片思いしてた相手もいつもクロックムッシュを食べていた。思い出すとズキンとまだ胸が痛む。
彼にも分かりづらいけど少し変えたメッセージを入れていた。本当に分かりづらいけれど『THANK YOU EVERY TUESDAY』『毎週火曜日のご来店ありがとうございます』。
そう、彼も毎週火曜日の朝だけ店に来ていた。あなたがいつも火曜に来てくれていること分かってますって伝えたくて、初めてそのメッセージを入れた時には私はもう彼に片思いしていた。
毎週毎週火曜の朝に必ず来てはクロックムッシュを注文してくれるから、少しずつ勇気を出してメッセージを変えて。
料理を待っている時に試験勉強をしていたら『GOOD LUCK WITH THE EXAM』『試験頑張って』。目にクマが出来て眠そうな時は『TAKE CARE OF YOUR BODY』『お体に気を付けて』。
普通の人から見たらなんてことないことかもしれないけど、私には大きな勇気が必要だった。メッセージなんて見ないで食べちゃうかもとは思ったけど、やめられなかった。
何回目かで勇気を出して厨房からこっそり覗くと、彼はパンの表面を見てにっこりと微笑んでから食べてくれていた。その姿に死ぬほどときめいて一日中フワフワしてたのを覚えている。
でも、新しく入ったバイトの子が『あの人かっこよくない?』と言って私が作ったクロックムッシュの横に手書きのメッセージカードを忍ばせた。メッセージアプリのIDを書いて。
翌日彼女は『火曜のイケメンのお客さんから昨日の夜連絡もらっちゃった!』と大喜びで、あっさりと私は失恋してしまった。
あんな焼きごてのメッセージくらいで他に何もしてない私は彼女に嫉妬なんかしちゃいけない。だって彼女は私より行動した。勇気を出してIDを渡した。私にはあと何ヵ月かかっても出来ないことをちゃんとした。
でも、でも、やっぱり私にはそれは失恋だった。好きだった。
私は彼にメッセージを入れて半年、彼女はバイトに入って一ヵ月。なんであなたなのって思う自分が嫌で、メッセージに微笑んでくれた彼を見て少しは脈があるんじゃないかなんて勘違いしてた自分が恥ずかしくて、私は彼に入れるメッセージを『GOOD MORNING』に戻した。
彼が来店するなり彼女が飛んで行く姿を見るのもしんどくて、次の月から私は朝のシフトを外した。我ながら弱い。
レシピは渡してあるからクロックムッシュは別の厨房スタッフが作ってくれる。私がいなくても何の問題も無い。世界は何も変わらない。そう思って。
こうして転生してもクロックムッシュを作ってるのが不思議な気分だけど、今はたった一人のために作っていて、その相手が私にだけ旨いと言ってくれる。それがこんなにも嬉しい事だって知ってしまった。
私のキッチンにはメッセージ用の焼きごては無いので、ルイ殿下に渡すクロックムッシュは紙に包んでメッセージ入りのリボンをかけている。こうして一緒に過ごすようになってもう三ヵ月。私は今朝は勇気を出してこの国の言葉で『いつもありがとう』と書いてみた。見終わったら紙に包んで捨てるかなと思っていたのに、ルイ殿下はそのリボンを胸ポケットに入れてくれた。私はそんなことでさえ胸がいっぱいになってしまう。
「えみり、俺こそいつもおおきに」
そう言って私の右手の中指に指輪をはめてくれた。綺麗なマリンブルーの石のついた華奢な指輪。
「俺の保護魔法がかかっとんねん。一遍だけ攻撃から身を護れる」
「そんな凄いものもらっていいの?」
「ええに決まっとるやん。俺があげたいんやから」
この世界にはエンゲージリングの概念がない。だから婚約者に指輪をあげる習慣は無い。でも前世の記憶がある私は、好きな人に指輪をもらうことに憧れがあるから嬉しくてどうにかしてしまいそうだ。
「絶対大事にする! ずっとつけておくね!」
「俺もえみりのこと絶対大事にする」
何を言っても上手いこと口説き文句を言ってくる。それに毎回照れてしまう私はその後ポツリと呟いたルイ殿下の言葉に気が付かなかった。
「絶対今度は守り切るからな」




