109.医学と魔法の留学生
「気分はどうだ」
塁君の問いかけにオーレリア様は手足を曲げ伸ばしし、『うん』と納得したように答えた。
「これ以上ないくらい最高ですね!」
そのお日様のような笑顔に、部屋の空気が一気に明るくなり全員が安堵した。
塁君、ヴィンセント、ネオ君の三人には、ディナーまでゆっくり休んで欲しいとそれぞれ個室が用意されていた。特に疲労困憊状態のネオ君は、フラフラと部屋に向かって行く。足元がおぼつかない様子で今にも倒れてしまいそうだ。
私はAD的なアシストをしたかったけれど特に何も出来ず、塁君が一緒に居て欲しいと言うので塁君の部屋でお茶することになった。お茶だけとか本当に役立たずで何しに来たんだろう。せめてネオ君の腕でも支えようかと思ったけれど、即察知した塁君に止められたので、フラフラのネオ君を後ろから見守る係を自主的にしている。
部屋まで続く長い廊下で、塁君がネオ君に声を抑えて話しかけた。
「よくやったな」
「あ、ありがとうございます……」
「疲れただろう」
「はい……もう倒れそうで……」
「気持ちに決着はついたか」
「……そうですね。自分の手で男性にしたのですから、それはもう、受け入れました」
「そうか」
塁君がネオ君の背中をポンポンと叩いて部屋に向かう。ネオ君が手前の部屋の扉を開けて閉める瞬間、日本語で呟いた言葉を塁君より後ろにいた私はかすかに聞き取ってしまった。
「はぁ……胚を……見に行かないと……」
え? ハイホーミニスカナイト?
うん、多分聞き間違いだわ。
「えみり、疲れてへん?」
「私は見てただけだから全然元気。塁君の方がよっぽど疲れたでしょう? 帰国したら何でも好きなもの作るからね!」
「マジで。俺焼き鳥がええ」
「すぐ出てきたね。もしかしてずっと食べたかった?」
「うん」
「そういう時はすぐ言ってくれていいからね。いつでも作るから」
「いや悪いなー思うやんか」
「悪くないよ。私の婚約者なんだから」
「うわ、心臓にトストストスて矢が刺さって来てんけど……」
なんとなく甘い雰囲気になったけれど、塁君は疲れが出てソファでウトウトしだした。
「えみり、膝枕してもろてええ?」
「うん勿論!」
よし、AD的アシストの時が来た。いい子いい子しながら寝かせてあげようじゃないか。私の太腿のお肉で寝心地はいい筈だしね。全然自慢にならない。
膝に乗った塁君の頭を撫でながら、私はさっきのオーレリア様と王妃様を思い出していた。我が子が死の淵から生還して、世継ぎにまでなってくれる。そんな御伽噺みたいなことが起こるなんて、本当に神様に愛された夢の国だなって。
しかもネオ君がメインで遺伝子治療をしたと聞いた。あんなにオーレリア様が女性であることにこだわっていたネオ君が。きっと気持ちに区切りがついたのかな。新しい恋が始まったとか? そうだったら応援しよう。
そう思いながらずっと塁君の頭を撫でていた。
◇◇◇
ディナーに呼ばれて広間に行くと、王子の正装を身に纏ったオーレリア様が待っていた。あまりに美麗で眼福過ぎて、心のシャッターで連写している。これは攻略対象者でも全くおかしくないレベルだ。
「エミリー、今日も可愛いね」
「待て待て待て。何故俺の前で普通に口説いてる」
オーレリア様の声は以前よりも低くなり、ちゃんと男の人の声なんだけど、やっぱり耳に心地よい。
「オーレリア様も綺麗です!」
「エミリーも普通に返すな」
ぐっすり寝て元気に復活した塁君は、社交辞令でさえツッコんでくる。
「あぁ、名前だけど、皆にも聞いてもらいたいのですが、今日からアウレリオと呼んで下さい」
アウレリオ。確かオーレリアの男性形だった筈。
「三回も繰り返せば元々そんな名前だった気分になると思うんですよね。あはは」
相変わらず明るく笑うアウレリオ様に、重い空気にならずに済んで空気が和む。
「アウレリオ、アウレリオ、アウレリオ……本当だ。違和感なくそんな気分になりますねぇ。あははは」
ヴィンセントもすっかり復活してふざけて笑っている。国王ご夫妻も、ローランドとブラッドも、皆リラックスしていて笑顔が広まっていき、ベスティアリ王国の抱えていた何もかもが解決したのが空気で分かった。
「ネオ、今回のことも、今までのことも、国王として感謝する。褒美をとらせるから、何でも好きなものを言うといい」
国王陛下がネオ君に促すと、まだボーッとした感じのネオ君は思いがけない要求を出した。
「ルイ殿下の開設した王立医学院に、勉強しに行かせていただけませんか」
ここには魔法学園の学生でありながら医学院では教壇に立つ人間が三人もいる。しかも開設者は塁君だ。この場で決まれば話は早い。最速だ。
「む……確かに今回のこともネオには貴重な体験だったろう。ネオの医学の知識には以前から助けられてきた。ルイ殿下のところで学べば更なる飛躍が期待できる。しかし転移魔法を我が国で使えるのはアウレリオだけだ」
「では私も一緒に行きます」
アウレリオ様はあっさり即答した。
ベスティアリの魔法使いは我が国の魔術師に比べて魔力が弱い。特に転移魔法は魔力も技術も必要で、魔術師団でも多くの団員は魔法陣を必要とする。塁君やヴィンセントが魔法陣無しで転移出来るのは、単純に規格外だからだ。
でもアウレリオ様も塁君の体に意識がある時、ホテルの部屋から外まで私を連れて魔法陣無しで転移した。しかもヴィンセントでさえ追跡出来ないほどの、精度の高い追跡阻害を付加して。
ベスティアリ王国で我が国まで問題無く転移出来るのは、アウレリオ様だけに違いない。
「王太子としての勉強と執務があるぞ」
「勿論それもこなします」
「ベスティアリ国王、我が王立医学院は週三回、講義は夕方から数時間です。昼間は働いている生徒も多く、教える側の我々も昼間は学園がありますので、全員に無理のないようにしてあります。ネオは分野によっては我々以上の深い学識を持っています。生徒達にもいい刺激になるでしょう。優秀なネオが改めて学ぶことは、この国のためにもなるかと思います。アウレリオ王子も共に医学を学ぶことも出来ますし、ご希望ならその強い魔力を鍛える場として魔術師団で訓練することも手配しますが」
塁君の提案に国王陛下は申し訳なさそうにしている。
「これでは私からの褒美になりませんね」
「お気になさらず、我々は既に同盟国と思っております」
その言葉に国王陛下は瞳を輝かせた。ベスティアリのような小国にとって、クルス王国のような軍事的にも経済的にも強い立場を持つ大国の同盟国になるのは、安全保障上とても重要なことだからだ。
「魔術師団は世界最強で有名ですね。お許しいただけるなら是非お願い致します」
アウレリオ様が塁君に頭を下げると、塁君は『対等な立場だから礼はいい』とそれを制止した。
「では帰国後すぐに手続きをするので、再来週月曜17時から来て下さい。なるべく講義は4時間で終わらせる予定ですが、日によって少し長引きます」
「ルイ殿下の講義ですけどね」
ローランドとヴィンセントの具体的な言葉を聞いた途端、ボーッとしていたネオ君は驚いて目を見開いた。
「ほ、本当にいいのですか? まさか叶うとは思ってなくて……」
眠気が一気に冷めたネオ君は動揺してアワアワしだした。
「落ち着けネオ」
「ル、ルイ殿下! 本当にありがとうございます! よろしくお願い致します!」
「お前も礼なんてしなくていい」
「いえ、でも、僕は平民で、魔法省の一職員ですので」
「そういうのはいい。お前は俺の友人だ」
その言葉にネオ君はガバッと顔を上げると、真っ直ぐ視線を合わせたまま逸らさない塁君を見て、感極まった表情に変わった。
「あ、ありがたいお言葉です……!」
「そういうのもいい。タメ口でいいから」
「そういうわけには……」
「じゃあ二人の時はタメ口な」
顔を真っ赤にして塁君を見つめるネオ君は、日本語で『ネオ君』と呼んだら真っ赤っかになっていたネオ君と変わりないように見えた。
こうしてアウレリオ様とネオ君は、週に三回我が国に転移魔法で通学してくることになった。




