108.王子の誕生
今日が遺伝子治療の日だということは分かっていた。まさか僕がすることになるなんて。
だけど他でもない来栖君に、『お前の手で治して見届けろ』と言われてしまった。
いつまでも性別にこだわっている狭量な僕に、喝を入れられた気分だ。
分かってるんだ。ご本人の意思を尊重して、部外者は口を出すべきじゃないって。本心なのかどうか分からないなんて自分に言い訳をしながら、本当は僕自身がオーレリア様に女性でいて欲しいと望んでいる。
女性でいてくれても、それで僕が責任を取れる立場でもないのに、無責任に口を出してしまった。ただ、自分が想い続けていたいだけの身勝手で下らない理由で。
オーレリア様が懸念していたように、何処かの王族や高位貴族が婿入りして、子供が出来ないと側妃を迎えたら、オーレリア様はその様子を側で見ることになるのに。しかも国まで乗っ取られてしまうんだ。そんな思いをさせたくなんかない。それなのに僕は。
僕の想い程度と天秤にかけるまでもない。それに健康が一番に決まってる。男性になれば、女性ホルモンをずっと補充しなきゃいけない生活から解放される。余計な手術もしなくて済む。
悩むまでもないんだ。
それなのに、僕は情けなくも何度もオーレリア様を惑わすような発言をしてしまった。いや、惑わせてもいなかった。オーレリア様はいつも即答だった。僕よりよほど男らしい。
僕だけが、いつまでも現実を直視出来ずにいた。
だから『お前がやらなきゃダメだ』と言われたんだ。この迷いに決着をつけなきゃいけない。
分かったよ、来栖君。
医学を志した者として、必ずオーレリア様を治してみせる。僕に足りないところも、来栖君がいてくれるから怖くない。
夢みたいだよ。来栖君にまたこうして教えてもらえるなんて。
『ネオ、ヴィンス、時間魔法で一気に胎芽まで戻すぞ。ヴィンスは至適環境に保ち、俺とネオはAR遺伝子を修復していく』
『いつでもOKですよ~』
目を閉じて来栖君の手に魔力を集中させると、オーレリア様がどんどん幼くなっていき、赤ん坊になり、ついに胎児に戻っていく光景が頭の中に広がっていく。
胎児に戻った瞬間、ヴィンセント様の魔力に包まれ、子宮内環境に変わったことが分かった。
時間魔法は止まらずどんどん胎児が逆行する。遂に胎芽まで戻った時、来栖君の声が響く。
『ネオ、最初に一緒に潜った時みたいに、まずX染色体を探し出せ』
『はい!』
来栖君が教えてくれたことは全部覚えている。神様みたいに憧れた来栖君が、僕だけに教えてくれた方法だ。忘れるわけなんてない。
核に潜って分裂中期に、そして絡まってる染色体をほぐしてA-Tだけを黒く染める。並べ替えて対にならない性染色体の長い方。
『ありました』
『よし。Xq11-q12を強拡大』
Xq11-q12、何処だ。恐らく数字からいってセントロメアからすぐ下だろう。
『このバンドの辺りまでですか』
『そのバンドの上の色が抜けてる部分までだ』
聞いて良かった。僕は染色体地図までは覚えていない。
言われた部分をどんどん拡大していく。白黒反転した天の川ような光景。
『塩基の構造はそれぞれ覚えているか』
『はい』
『じゃあ四種類それぞれ自分の分かりやすい色で染め分けろ』
『やってみます』
見やすいように気を付けなければいけない。Aを赤に、Tを緑に、Gを青に、Cを黄色に染めてみた。
『それでいい。それじゃあAR遺伝子の塩基配列を言っていくぞ。エクソンは六つあり、第一エクソンはCAGとGGCの繰り返しがある。特にCAGの繰り返し数は個人差はあるが正常で36以下だ。38以上だと球脊髄性筋萎縮症の疑いが出てくるから気を付けて見ていく』
『はい』
そうして来栖君は淀みなくAR遺伝子の塩基配列を口にした。集中しなければいけない。19万塩基対以上だと言っていた。最後まで集中力を切らさずにいなければ。今僕は、遺伝子という命に係わるものを操作しているんだ。
『TAGCCTGGAA GAGGGCAGCC AGGGGAGAAG TTAGGGCTGG……』
異常は無い。
『TTTGCTGCTG CAGCAGCAGCAGCAG……』
CAGの繰り返し配列だ。リピート数は全部で20。異常は無い。
またしばらくして始まる繰り返し配列。今度はGGCだ。
『TGGTGGCGGC GGCGGCGGC……』
こっちはリピート数15回。
それからどれくらい集中していただろう、時間がどれくらい経ったかも分からない。来栖君が口にする塩基配列と目の前の塩基配列はずっと同じだったのに、突然塩基がひとつずれて続いていく。
『ここです! Aが欠失しています!』
『それでコドンの組み合わせが変わったんだな。欠失と挿入は置換に比べて影響が大きい。よし、そこにA-Tの組み合わせを組み入れろ。この核一つだけじゃなく、全ての細胞核に一斉に入れるんだ。胎芽だから成人のDNAを修復するより遥かに楽な筈だ』
テロメアのTTAGGG配列から持ってくれば早いけれど、少しでも出生後の細胞分裂の回数に影響を与えたくない。薬剤を作り出す要領で原子から作り出していく。
AはC₅H₅N₅、プリン塩基でC-6にアミンが付いている。TはC₅H₆N₂O₂、ピリミジン塩基でAと二本の水素結合で結びつく。よく見比べろ、本来のA-Tと遜色ないか。
『大丈夫だ。よく出来てる』
来栖君のお墨付きをもらった。あぁ、良かった。教授に褒められるよりずっと名誉に感じる。
『続きも見ていくぞ』
『はい!』
そうして全ての塩基配列を見終わった時には、倒れそうなほどの疲労感を感じた。
だけど疲労感よりも強い達成感と爽快感。
たった今、僕の手で、オーレリア様は正常男性になったんだ。
疲れていてもここで倒れてなんていられない。来栖君はまだまだこれから時間魔法でオーレリア様を戻すんだ。正常男性となったオーレリア様が生まれて、育って、僕らと同じ年齢の王子になるまで。
『ヴィンス、戻していくから新生児期だけ温度35℃、湿度80%、その後は温度25℃、湿度60%で』
『了解です』
◇◇◇
塁君とヴィンセントとネオ君の三人が治療を始めてから、かれこれ三時間が経過した。だけど見守る私達の誰一人中座する人間はいなかった。全員が余所見もせずにオーレリア様と三人を見つめていた。
治療を始めてすぐ、オーレリア様はどんどん小さく逆行し胎児になっていった。塁君とつないでいた手も縮んでいって、塁君の手の中ですっぽりと納まって何も見えない。視界からは消えたけれど、その魔力は健在で、塁君の手の中からオーレリア様の魔力が漏れている。
祈るように真っ直ぐ見つめる皆の目の前で、オーレリア様の魔力が少しずつ少しずつ大きくなっていった。
ハッとしてその手の中を見ていると、胎児が大きく育っていき、手からはみ出す大きさになった。
そして誕生の瞬間なのだろうか、ヴィンセントの魔法が変化したのを感じる。可愛い可愛い生まれたての赤ちゃん。見えてしまったけれど、ちゃんと男の子だ。
「あ、あぁ……オーレリア……」
王妃様が両手で口を押さえて涙を流している。
母親になった瞬間、我が子が生まれた瞬間を、王妃様は思い出しているのだろう。私も生命の神秘を目の当たりにし、気付けば涙がはらはらと流れていた。
私もいつかお母さんになる。ジーン君を生むとき、きっと王妃様の気持ちが今よりもっと分かるだろう。
赤ちゃんだったオーレリア様は、少しずつ少しずつ成長していった。塁君が敢えて時間魔法をゆっくりにしている。
男の子の姿のオーレリア様の成長を、両親として見守る時間が必要だからと。
元々魔力で紡いだ服を着ていたからか、新生児期以降はちゃんと変化する服を身に着けていた。生まれる時は皆裸だしね。今はブルーのベビー服が可愛らしい。
首が据わり、腰が据わり、ハイハイをする。つかまり立ちをして、歩き出し、走れるようになる。国王ご夫妻は目に涙を溜めながら、小さなオーレリア様を抱っこしたり、手を繋いで一緒に歩いたりしてその時間を大切に過ごした。
幼児になり、少年になり、そして十七歳の現在まで全ての時間を正した時、ミルクティーのような柔らかな色合いの輝くストレートヘア、同じ色の長い睫毛、薄紫のアメジストの瞳、そして陶器のような白い肌、だけど長身で程よく筋肉のついた体躯は間違いなく男性で、世にも美しい一人の王子様が、私達の目の前に姿勢よく立っていた。




