105.告知と性自認
「わぁ、すごいな」
私達全員が床に跪いたまま、青空を見上げて呆気に取られていた時だった。ベッドの上のオーレリア様が目を覚まし、同じ空を見て感嘆の声を上げていた。
この圧倒的な魔力の前でもオーレリア様だけは平気そうで、一人でベッドから足を下ろして立ち上がる。
「ルイ殿下の魔力と二日間馴染んでいたからかな。私は平気みたいだ」
少し低いけど耳に心地よい声。女性にしては高い身長。薄紫のアメジストの瞳。
女神のように美しい寝姿だったオーレリア様は、動き出すと余計に神々しいほどに美しい。だけどその話すスピード、抑揚、視線。さっきまでの塁君と同じだった。
「お前……! 俺のエミリーに何した!!!!」
塁君はまさにバーサーカー状態で、益々怒りに任せて練り上げられていく魔力に、ローランド達もネオ君も息苦しそうに喉を押さえている。
「「「「うぅ……! かはっ!!」」」」
私は無意識で塁君が何か保護をしてくれているのか、立てないけれど息は出来る。
皆の顔がどんどん赤くなる。どうしよう、皆が窒息しちゃうよ。だけど私も呼吸は出来ても声が出ない。塁君を止めたいのに、『やめて』って一言さえ言えない。なんという役立たず。
よし。何かぶつけよう。腕も上手く動かせないけど、私はセリーナの一件で物を投げるのは結構上手くなったんだ。
「キスしましたけどルイ殿下の体でじゃないですか。それより側近の皆さんが苦しそうですよ。手加減してあげて下さい」
ハッとして塁君が振り返り、床に這いつくばる四人と、右手に靴を持って振りかぶっている私を見て、やっと魔力の大放出が治まった。
「私も目が覚めてすぐにエミリーに保護魔法をかけましたが、そこの三人もかけたようですね。怒り狂っていてもルイ殿下もちゃんとかけたんですね。それなのに五人分の保護魔法がかかってるエミリーでさえ立っていられないなんて、魔力を放出し過ぎですよ。魔力だけでうちの塔の屋根まで吹き飛んでしまった。本当にすごいですね」
塁君だけじゃなく、三人も自分より私を優先して保護魔法をかけてくれていたらしい。目覚めたばかりのオーレリア様まで。うわぁ……ここでヒロインなら逆ハーみたいな状況にポッとなるんだろうけど、今の私は青ざめて喀血しそうです。
ボケっとしてキスを避けれず、魔力まで弱いポンコツな私のせいで、我が国の高位貴族令息達が窒息しかかった事実。申し訳ないし謝りたいし何なら菓子折り持ってご実家に伺って土下座したい。ご家族から一発ずつ闘魂注入してもらってもいい事案だと思う。ああ、バークリー騎士団総長の闘魂はすごそうだ……。
若干現実逃避気味の私に太陽の光が降り注ぐ。屋内なのに。
まだ何の魔法も発動していないのに、魔力を放出しただけで屋根が吹き飛ぶ威力。真っ青な空と太陽を頭上に、塁君の規格外さに改めて遠い目で笑うしかない。いや、笑ってる場合じゃない。猛省だ。
「ぷっ。エ、エミリー、その靴ぶつけようとしてたの? ルイ殿下を止めるために? あははは、信じられない」
未だ私の右手にある靴を見て、美しい顔を綻ばせて大笑いするオーレリア様を、塁君は青筋を立てて睨みつけている。
「お前……まさかこんな奴だとは……」
「他の塔の屋根も全部吹き飛んでますね」
張り詰めた空気を壊すかのように、ローランドが眼鏡の位置を直しながら周りを見渡して呟いた。
「吹き飛んだ屋根が遠くの空で停止してるねぇ」
「被害が出なくて良かったです」
ヴィンセントとブラッドは空高くに見える黒い点を目を細めて見ている。あれは塔の屋根数棟分らしい。他の塔の最上階にいた魔法省の職員達は当然腰を抜かしているようで、ヴィンセントが苦笑いしながら手を振る。
「俺だって怒ってはいたが僅かばかりの理性は残ってる」
塁君がクイッと顎を上げると、屋根が静かにそれぞれの塔の上に戻ってきて元通りに修復された。
まだ座り込んでいた私に、塁君とオーレリア様二人が同時に手を差し伸べてきた。大人げなく塁君がオーレリア様の手をベシッと叩き落とすけれど、オーレリア様はそれにも噴き出している。
「オーレリア様……お、お体は……」
「ああ、ネオ、本当に心配かけたね。嘘みたいに痛みも吐き気も消え失せたよ。聖女様にお礼をしなくてはね。その前に父上と母上の元に行こうか」
「あの、想定外のことがありまして……」
「そのようだね。聖女様が二日前に来て下さったのに、時間魔法を解除しなかったのは理由があるのだと思っていたよ。さっきはルイ殿下の体から追い出される直前に、自分で時間魔法を解除させてもらったよ」
「…………っ!」
何もかも察していたオーレリア様を前に、ネオ君はそれ以上何も言えずに立ち尽くす。その姿をジッと見ていた塁君がおもむろに切り出した。
「本来は両親である国王夫妻に先に話し、本人に告知するか慎重に検討するところだが、特殊な立場のため本人に先に説明する」
塁君は告知のためにオーレリア様と二人にするよう指示したけれど、オーレリア様は全員に残るよう言った。
「皆既に知っているのなら、もう部外者ではありませんから居て下さい」
◇◇◇
研究室の椅子に向かい合わせで座ったオーレリア様に、塁君はさっきまでとは打って変わって落ち着いた声色で説明を始めた。
「お前はアンドロゲン不応症という遺伝子疾患だ。X染色体長腕上、Xq11-q12に男性ホルモンであるアンドロゲンの受容体をつかさどるAR遺伝子がある。そのAR遺伝子の一部に変異があり、男児であるにも関わらず胎生期にアンドロゲンが作用せず、外性器が男性化しないのがアンドロゲン不応症だ」
オーレリア様は初めて聞く筈の医学用語も、ある程度理解しているようで真剣に聞いていた。
「胎生期に精巣から分泌されるミューラー管退縮物質と、アンドロゲンの一種であるジヒドロテストステロンの二種類のうち、ジヒドロテストステロンだけが遺伝子変異により正常に作用しないのがこの疾患だ。ジヒドロテストステロンというのはウォルフ管という組織を精巣上体や精管に発達させ、外性器を男性化させる作用を持つ。これが作用しないため表現型が女性になる。一方ミュラー管は子宮・卵管・膣上部に発達する組織だが、ミューラー管退縮物質は問題なく作用するため子宮等が出来ない」
「では私の脚の付け根にあるという精巣は」
「Y染色体短腕上、Yp11.3に存在するSRY遺伝子があれば未分化性腺が精巣になる。異常はARだけであって、SRYは問題なく働くから精巣は出来るんだ」
予想外に落ち着いて受け止めているオーレリア様とは逆に、ネオ君は顔色が悪く、耐えられないような表情で控えていた。
「胸があるのは何故なのですか」
「精巣から分泌されるテストステロンは、女性ホルモンであるエストロゲンに一部変換される。エストロゲン受容体は正常だから、その影響で男性であっても乳房は自然発達するんだ」
「膣の下部は何故あるのでしょう」
「それは尿生殖洞という別の組織由来のため影響を受けないからだ」
「なるほど」
一通りの説明を聞いたオーレリア様は、動揺する気配も無く言う。
「よく分かりました。私は本来は男性なんですね」
「選択肢は二つある。一つは癌化リスクを避けるため精巣は摘出し、女性ホルモンを補充しながら女性として生きていく。もう一つはAR遺伝子の変異を遺伝子治療で修復し、時間魔法で分化からやり直して正常男性として生きていく」
「そんなの答えは一択です。男性を選びます」
即答するオーレリア様の声にネオ君の顔色はますます白くなっていく。女性を選んで欲しかっただろうことは、ここにいる全員が予想していたことだった。
「脳の性差は三つの役割を分類して考える。性役割、性指向、性自認だ。性役割は社会的に期待される役割のことだ。性指向は性愛の対象をどちらの性に求めるか。この二つは医療の対象にはならない。重視すべきは性自認だ。自分の置かれている立場や国のことはひとまず考えるな。自分がどちらの性に属すると思うかを考えろ」
「この国の未来を考えないわけにはいきませんが、それを抜きにしても私は男性を選びます」
誰も何も言葉を発しなかった。部屋の空気がシーンと張り詰める。
「お前はそう言うだろうと思っていた」
塁君がオーレリア様と視線を合わせて溜め息をつきながらこぼす。
「お前の意識が俺の体の中にあった時伝わってきた。エミリー可愛い触りたいって。そういう下心があったうえでのキスだから頭にくるんだ」
「あぁ、バレてましたか」
あははと笑うオーレリア様の後ろ姿を、真っ白な顔色のネオ君が呆然として見つめていた。




