103.目覚めない王子
ネオ君は塔の最上階で起こったことを包み隠さず全て報告した。あの場にいた私とアリスも、それが全て真実であることを保証する。
「なるほど。お二人の治療には特におかしな点はありませんね。いつもルイ殿下とヴィンセントがしている手技です。ではオーレリア王女個人の意思で、ルイ殿下の中に魔力を流したと見るべきですね」
ローランドから殺気が消え、ヴィンセントが説明を始めた。
「時間魔法って言うのはね、時を止めても体の状態はその通り時間が止まるけど、意識の時間は止まらないんだよ。だからオーレリア王女の意識は眠っている体の中でずっと覚醒していたんだろうね」
「ま、まさか側で話している声も聞こえているのですか?」
「聞こえても朧気だろうね。体は眠っている状態のままで時を止められてるから、感覚器も眠っている状態なんだよね」
ネオ君はどことなくホッとしている。さっきの話を王女様に聞かれてなくて安心したのだろうか。
「王女の時間魔法を取り消して目覚めさせれば、ルイ殿下の意識も同時に戻るのではないですか」
ローランドの提案にヴィンセントは難色を示した。
「どうかなぁ。万全じゃない状態の体が目覚めると、不具合が生じるんじゃないかなぁ。こんなの初めて見たから保証は出来ないけど、王女様の魔力を移動させてからの方が安全なのは確実だよね」
「それが可能なら早急に願います」
「俺の魔力を流して引っ張り出せるかやってみようかな」
ヴィンセントが塁君の手に触れようとした瞬間、何かを察知して手を引いた。
「どうしたんです?」
「弾かれる寸前だった。触ろうとした方の手に魔力が一気に集まってきたからね」
「ネオ殿に引き続きヴィンセントもですか」
「拒否しているのは王女様じゃないかなぁ」
ヴィンセントの言葉に全員が顔を見合わせた。
待って。王女様の魔力が流れ込んだだけじゃなく、王女様の意識が働いてるの? どういう原理で?
「エミリー嬢は問題なく手を握れてますし、ルイ殿下の意思じゃないですか? エミリー嬢以外は触るなっていう」
「あ、あの、僕は先程研究室でルイ殿下の手首を掴んでしまったのですが、その際は嫌がられたりせずに自然に任せて下さいました」
ネオ君の言葉にローランドはまたもギッと睨みつけた。
「ルイ殿下の手首を掴んだのですか。なるほど」
「も、申し訳ありません……」
そうだった。確かに塁君はネオ君に手首を掴まれても、驚きもせずに受け入れていた。ネオ君の心の揺らぎも葛藤も苦しみも、全て受け止めるかのように。
「もうすぐ夕食の時間です。食事を摂る気分じゃありませんが、自由時間も終わりですので行かなければ不審に思われるでしょう。不本意ではありますが、ベスティアリ王国の機密事項を今はまだ秘匿することに協力致します。ルイ殿下は体調不良で部屋での食事を希望していることにしておきます。ルイ殿下ご自身の魔力がこの部屋にあるので教師陣も疑いは持たないでしょう。食事は私が運んで参ります。エミリー嬢は如何なさいますか」
ローランドの言う通り、食事を摂る気分じゃない。だけど不審がられるのは避けなきゃいけない。
「付き添っていたいので、一緒に部屋での食事を希望すると言ったら不自然でしょうか」
「いえ、ルイ殿下ならエミリー嬢が看病するのはごく自然でしょう。では二人分の食事を運んで参りますのでここでお待ち下さい。アリス嬢はどうか今日のことはご内密に。何かお願いがあれば連絡致しますので、研修旅行に戻って下さって結構です。ネオ殿はオーレリア王女の体を見張っていて下さい。何か異変があれば直ちに我々に連絡を」
ローランドの指示に従って、アリスは一般クラスの生徒たちと合流すべく食堂へ移動していった。
「あの……」
絞り出すようなネオ君の声に、ローランドは『何か?』と冷たく短く答える。
「本日オーレリア王女が聖女様に治癒される予定だったのは、国王ご夫妻も当然ご存知です。もうずっと、首を長くしてこの日をお待ちになられておりました。全快した王女が王城のお二人の元へ戻るのを今か今かと期待していらっしゃる筈です。ですが事態が事態ですので、どうか王女の疾患についてはお二人にもまだ伝えないで欲しいのです」
ローランドは一瞥して口を開いた。
「分かっています。王女ご本人が王太子として後継者に成り得る状況です。国王ご夫妻がお知りになれば男性の性別を選ぶよう促され、本人の意思が置き去りになると危惧されているのですね」
「はい、その通りです」
「診断名の告知と説明に関しては、ルイ殿下がお目覚めになられてからお任せするのが良いでしょう。これに関しては貴方も公平になれるとは思えません」
ローランドの容赦ない厳しい指摘にネオ君は何も言い返さず、深く礼をして塔に戻って行った。
「それでは我々も団体行動に戻ります。エミリー嬢、どうかあまり思い詰められませんように。あのルイ殿下がそう簡単に危機に陥るわけがありません」
三人も食堂へ向かい、部屋には私と意識の無い塁君二人だけ。
「塁君、早く目を覚まして」
大きな手をギュウッと握っても握り返してくることはない。
その日も、次の日も、塁君の意識が戻ることは無かった。
◇◇◇
「塁君、今日は自由行動日だよ。今起きたらまだ間に合うよ。起きて」
二日前から何度も何度も話しかけているけれど、瞼さえピクリとも動かない。
「起きないとまた瞼に目を描いちゃうよ。今度は逆にゾウリムシを描こうとしたら、上手く目に見えるように描けるかな? 塁君、どう思う?」
視察旅行の朝は、私が声をかけるとすぐに目覚めて、寝ぼけて私に抱きついてくれた。
「『えみりや、おはよ』ってギュってしてくれないの? あれ、嬉しいんだよ」
塁君のほっぺをツンツン指でつついても、寝返りはおろか呼吸が乱れることさえない。
「塁君……このままなんて嫌だよ。早く目を覚まして。綿あめ半分こしようって約束したでしょ? メリーゴーランドも一緒に乗りたいし、ウサ耳カチューシャもお揃いでしようよ。エッグハントで金ピカ特賞たまごも見つけよう」
この二日間何も変わらない塁君の姿。ブラッドに寝かされたまま、少しの位置も動かずそのまま。
何時間もじっと見続けた私の瞳に涙がじんわり浮かんでくる。私が泣いても仕方ないから、気を強く持って隣にいようって決めたのに、泣いてるんじゃないよ私は! ひっこめ涙! 乾け目玉!
私はネオ君やヴィンセントと違って弾かれはしないから、私の魔力を流して王女様の魔力を引っ張り出せたりしないだろうか。
このままいくら待ってても何も変わらない気がする。このままじゃ国と国との関係もどうなってしまうか想像もつかない。
だけど国と国とか、そんなことより私にとっては塁君が一番大切で、塁君に目を覚まして欲しい、ただそれだけ。
私の魔力は大したことないけれど、それでも今触れられるのが私だけなら私の役目のような気がする。
タイミングよくローランド達三人が来てくれた。
「お変わりないようですね」
「私、魔力を流して王女様の魔力を引っ張り出すことに挑戦しようと思います」
「エミリー嬢まで引っ張られる危険があるから賛成できないな」
「でもこのままじゃ何も変わらないと思うんです」
「確かに魔術師団を連れてきても全員弾かれると見るべきでしょう。我が国一の魔力を持つルイ殿下に、ベスティアリ王国一の魔力を持つオーレリア王女の魔力が半分入っているのです。もうこの世の誰も魔力で勝てる者がいないなら、現状唯一触れられるエミリー嬢しか出来ない方法でしょう」
ヴィンセントに魔力での誘導の仕方を教えてもらって、三人に見守られる中、私はすぐに取り掛かった。
塁君の手を両手で包み込むように握り、少しずつ魔力を流し込もうとしたその時、私の手の中にある大きな手がギュッと握り返してきた。
「あっ!」
「動きましたね!」
二日ぶりに感じる塁君自身の握力。ゆっくりと瞼が開き、二日ぶりにマリンブルーの瞳が姿を現す。
「塁君!」
「……泣かないで、可愛いエミリー。ずっと話しかけてくれてありがとう」
ローランド達はホッとしたように深く息を吐き、『少しの間二人にして差し上げます』と部屋から出て行った。変な気を遣わなくていいのに。
「綿あめを半分こするんだよね? いいよ、今から行こうか」
だって目の前の塁君は、何もかも、塁君と違うから。
話すスピード、抑揚、視線。
絶対に塁君じゃない。
「貴方、オーレリア様ですか?」
私の問いかけに塁君の姿をしたその人は美しく微笑み、私の髪の毛を一束すくって口づけをした。




