迷い子
精霊魔術連合組合。この世は精霊術と魔術の二つの力によって循環している。故に、双方をまとめる組合が存在する。
基本、精霊術と魔術を扱う団体は別個にある。世が二つの力を頼りにしている以上、そのような状況は軽視できない。もう数百年も前の話だが、それら二つが反目し合っていた時代もあった。
組合の設立に伴って、そうした取っ組み合いは少なくなっている。
して、精霊魔術連合組合に加入している中でも双方の力を理解し束ねている団体がある。
教会だ。教会は数多く設立されているが、その中でも二つの力を崇拝し世界に即した教会。
レヴァン教会。レヴァン卿を教祖とし、バハムートを礼拝の対象としている教会。バハムートとは精霊術と魔術を扱い世界を束ねたとされる伝説級の神獣だ。
他の教会に比べ拠点も多く世界各国に置かれている。
教会の本意は布教することにあるが、レヴァンは慈善活動に尽力している。
孤児院として、病院として、一般教養施設として、その活動は多岐に渡るがレヴァンはその多くを各国の拠点に置いている。
フェルト拠点におけるレヴァン教会も例にもれずそうであった。
フェルトの街でも大きな建物の一つレヴァン教会。騎士の在住する役所やフェルト闘技場に並ぶ大きさだ。
それもそのはず、建物内は孤児院や病院、共用施設を併設しているのだからそれなりの広さを有している。
その教会の入り口にて、修道着の女性が頬に手を当て当惑した様子で訪れた人と話をしていた。
「あらあら、まぁまぁ。これはまた珍しいお客さんだこと」
当惑した様子に反して、声色は気の抜ける軽い調子。細くゆったりした眼差しも相まって緊張感が解ける。
場の倒錯感に押されながらも、腕に少女を抱えた獣耳の騎士が困惑気味に話す。
「何言っているんですか、アリア!」
アリアと呼ばれた女性は特徴的な長い赤毛を静かに揺らして、宥めるように話を続ける。
「そんな慌てなくても、その子、別に重体と言うわけじゃないのでしょう? スライムが生気を吸い付くすには数十年はかかりますし、昏睡しているところから数日程度でしょう」
冷静に判断するアリアと違って、獣耳の騎士ヒエナは随分焦った様子で口を開く。
「そこじゃありません! この姿です! この姿!」
ヒエナの抱き抱える少女は、見たことのない格好をしている。長い金髪を後ろで束ね毛先がふんわりと跳ねている。爪先に色がついて宝石のような飾りをつけている。
ヒエナが分析を交えて言う。
「私は初めて見ました……。まさか召喚以外で……」
そこで、アリアの目が見開き紫紺の瞳がヒエナの腕の中で眠る少女を一瞥した。
「……ここは人目が付きますね。とりあえず、その子を医療室まで運んで貰えますか。続きはそこで話しましょう」
アリアはそう言って教会内へと入っていった。ヒエナも少女を抱えて彼女について行った。
教会内は静寂に包まれていた。扉を閉める音が鮮明に聞こえた。
ヒエナは生唾を飲み込んだ。彼女は教会に入るといつも萎縮する。
教会に入ると嫌でも目に付く石像がエントランスに飾ってあるのだ。
猛々しい両翼を広げ、全てを飲み込む口が牙を剥き出しにしてひらいている。その両手に黒と白の玉が握られていた。
神獣バハムート。レヴィア教徒が信仰する神だ。して、ここにある石像は御神体と呼べるものだろう。
白は精霊の力。黒は魔法の力。それら二つを握り操ったとされる伝説の神獣。
これだけでも畏怖される石像だ。して、もう一つ視線を奪われる物がある。
神獣バハムートの石像の背面にある壁にかけられた肖像画だ。
ヒエナが無意識に、チラと見ているとアリアがポツリと言った。
「こんなものにご興味おありですか?」
何も言わず、無言で返す。
「レヴィアは我が神に信仰するのは勿論。同時に、戒めを飾るのもまた我らの教訓なのですよ」
「教訓ですか……」
ヒエナは内心、気味が悪く思った。
そこに飾られた肖像画は、レヴィア教だけでなく世界が忌み嫌う存在だからだ。
長い黒髪と藍色の瞳。今ではあまり見かけない、遠い東の国で見られる人種の特徴だ。
黒髪はまるで赤い血を濃く染め、藍色の瞳は凄惨な世界を注ぎ込んだような残酷。その残酷さが一国を滅ぼした。
その名は、災禍の姫。
レヴィアが災禍の姫を戒めとして飾るといった。その意味の真意は、災禍の姫が神獣バハムートと同様に精霊と魔法の力を使えたからだろう。
世界を支えた神獣バハムートと世界を絶望に陥れた災禍の姫。
教会というのなら信じる神だけを祀ればいいもの。それに反する存在を同時に飾るなど少々歪んでいる。
ヒエナはそんなレヴィアが苦手だった。
アリアに連れられてしばらく、広い教会内に嫌気が刺そうとしていたところでアリアはピタリと足を止めた。
「こちらが医療室です」
そう言って扉を開き、先にヒエナと彼女の抱き抱える少女を通す。
静かな医療室である。整然と並んだベッドと薬品を置いた棚が設置されている。
比較的、日当たりの良い場所で窓際にあるベッドには日が注がれている。場は閑散としているために、何やら神々しい場所とも見て取れた。
ヒエナは腕の中で気持ちよさそうに眠る少女を、日の当たるベッドの上に寝かせた。
ガチャリと戸を閉める音が鳴る。ゆっくりと振り向くとアリアが赤毛を揺らして、優しげな眼差しを向けていた。
「それでは話を続けましょうか」
場に緊張が走った。
アリアは靴音を鳴らして少女の眠るベッドの方に近づく。ヒエナの隣を過ぎて、少女に近づくとそっと少女の頬を撫でる。
「端的に告げましょう。この子は異人です」
「異人?」
ヒエナが獣耳をピクピクと動かして、首を傾げた。
「精霊術士が精霊召喚をする際、異界と呼ばれる場所から召喚するのをご存知ですか?」
ヒエナは首を振った。アリアは彼女が騎士と知っていてそう質問を投げかけていたため、当然だと頷いて見せた。
「精霊は異界と呼ばれる世界に住まい。精霊術士はそこから自らのパートナーとなる精霊を呼び寄せるのです。精霊術士はパートナーとなる精霊がいて術士としての格を得ます」
最低限、精霊術士と精霊について説明すると、アリアの視線はもう一度少女の方に視線を落とした。
「稀に術士の呼び寄せなしに迷い込む精霊がいます」
「それがこの少女ですか?」
アリアは寡黙に首を縦に振った。
「精霊にも色んな種がいます。けれど、どんな種も人の姿を持つ。彼女がどのような種の精霊だったかはわかりませんが……」
言葉を濁すアリア。ヒエナは悩むフリをして口を開く、
「異人だとして、どうすればいいのですかアリア?」
アリアは真っ直ぐこちらを見て答える。
「異人とて迷い子と変わりません。こちらで引き取り教育しましょう」
アリアは微笑を刻んでそう言った。そのまま続けていう。
「騎士様はどのようにお考えで?」
街の治安を守る役目のヒエナは少しだけ考え、発する。
「異人を迷い子とするならば私から言及することはありません。とはいえ、不明な点も多々ございます。役所の方には迷い子を教会の方で保護した、とお伝えします。アリアさん、彼女を任せてよろしいですか?」
「ええ、勿論」
彼女は二つ返事で了承した。
とりあえずはひと段落とのことで、ヒエナは安堵した。
ヒエナは一礼をし、医療室から出ようとする。出る際に、一つ言い残す。
「明日、明後日、今一度様子を見に来ます。その時に、明確に異人の子の処遇を判断します」
「ふふ、役所ってつくづく堅いのですから」
「異人とて国に不法侵入しているのと変わらないので、これでも譲歩しているのですよ」
「大丈夫、きっとこの子はいい子だから」
「……そう願っていますよ」
ヒエナは神妙な面持ちのままにここを後にした。