ある騎士の遭遇
世界に七つある国の中で、火の竜に守られた国。ヴァルセイト。
ヴァルセイト王国は、他の国と比べ海がなく陸地が広がった国だ。王都ヴァルセイトを中心として様々な領地を構え、良質な魔石が取れる鉱山であったり、魔法薬の原料となる草花の取れる森林もあり、とても豊かな国だ。
ヴァルセイト王国のある場所、フェルト伯爵の眼下に置かれたその名の冠したフェルトの街は特に魔法薬の原産地として栄えている所である。
魔法薬の原産地としては勿論、フェルトの街付近にあるゲーテル精霊術教育学院もあり学院との中継地点として食品や物資の提供を行う場としても活躍している。
その目下、治安を守り行政としての役目を担っている騎士がフェルトのもう一つの顔として君臨していた。
フェルトの街の南側に役所を構えまた宿舎としての役割を果たしている施設がある。そここそ騎士が住まい仕事をする場所である。
小さな城のような作り。煉瓦で作られた立派な門を構えている。
その門の前で一人の騎士、その中でも治安を担当とする騎士がため息をついていた。
「のどかだ……」
そう呟く彼女の頭上に生えた獣耳がピクリと動く。
少し幼稚な顔立ちだがスラリと伸びた頭身の整った体躯をしている。それに纏う気品に満ちた騎士御用達の軽装備が見事に似合っていた。
腰には彼女だけが使える剣を携えている。
立派な騎士だ。家名を受け継ぎ、剣を授かった騎士なのだ。
ただ普通の騎士と違うのは彼女が獣人族の部類で、獣耳の生えた騎士と言う事だ。
獣耳は敏感に周りの音を聞き分ける。獣人族の鼻は人間よりも臭いを嗅ぎ分ける。獣族と人間の差異はそれだけである。
獣族の騎士、ヒエナはこれからの仕事に憂鬱さを噛み締めていたのだ。
ヒエナの所属は治安部だ。治安部の仕事は近郊の見回りや運搬などの警備である。
これから近郊に外出し見回りに行くのだが、その見回りが彼女にとって億劫なのであった。
フェルトの街はヴァルセイト国の中でも比較的治安の良い場所だ。郊外には平原が広がりそこにいる魔物もスライムやウルフといった温和な魔物ばかりだ。
ここが平和な理由は明白。一つに、魔物の力を弱め街に安寧を齎す教会があると言う事。二つに、近くに精霊術を学ぶ学院がある事だ。
教会は孤児を引き取り養育するのが主だ。それに加え、病人の治療であったり、街の安全のために結界を張ったりもする。
その教会の存在が治安部の動きを停滞させている。勿論、良い事なのだが。
そして、ゲーテル精霊術教育学院の存在。
世には二つの力がある。魔術と精霊術だ。
魔術は生物、物質の力を引用する。精霊術は自然的、概念的な力を引用するものだと定義されている。
もっと噛み砕いて言えば、対内的な魔術と対外的な精霊術と言える。
魔術と精霊術。それらを用いて世は循環している。
精霊術は精霊特有の加護がつくものだ。ヴァルセイト国は火の竜、火精霊サラマンダーに守られている。つまりはサラマンダーの加護がヴァルセイトに宿っている。
その加護の強さは微精霊や精霊術師の力量に関わるが、この場合はゲーテル学院に集まっている微精霊の多さだろう。
それ故、サラマンダーの加護は強く働き、魔物たちは凶暴にならず温和で人を襲わない環境が出来上がっているのである。
良いことなのは確かなこと。だが、治安を守るヒエナに取っては退屈極まりないことだ。
だからこそ、ヒエナはため息を吐く。吐いて、ただただ虚しいだけだった。
文句もそこそこに、一応体裁のため付近の見回りに出動する。
最近は、数匹の特定の魔物を討伐するだけで味気のない日々が続いている。
フェルトの正門を抜け、草原へと出る。
草原の舗装された道を辿ればゲーテル学院の方へ行ける。外れれば森林であったり、丘だったり魔法薬の材料たる野生の原産地がある。
ヒエナはこの草原、森林、丘で植物採取によく使われる場所を重点的に見回る。
街を出て三時間ほどで見回りは終わる。見回りというよりは散歩みたいなものではあるが。騎士の象徴たる剣が生かされる場面はないのである。
近郊の見回りついでに、ゲーテル学院の門前で警備に当たる学院の教諭に挨拶をして、ここ最近の異変など問題がないかを聴取。
ここまでが一連の流れである。何事もなければ、役所の方へ戻るわけだが。
「あれは……」
ヒエナは異変に気づく。
スライムの集団がいたのだ。まるで、そこに何かあるかのような集まり。
ヒエナは少し考える。
スライムは魔物の中でも弱く脆い生物だ。その生態は、ほぼ魔力によって形成されたその身体は魔力が身体の許容を超えると分裂し増える。その生態、魔力を補給するために、そこらの草花に寄り添って微々たる魔力を吸収し生息している。
魔力の供給源が植物である以上、爆発的に増えることはない。
ならば、あの集団は、と。目を凝らして見てみる。
「……誰かいる?」
スライムの集団の中から人影がチラついていた。
まさかスライム相手に襲われる輩がいるとは考えにくい。子供が棒で叩いただけで消える存在相手に。
だが、確かに人がスライムに埋め尽くされようとしていた。
分裂を繰り返すスライム。人相手ならば、魔力だけでなく生気も吸っているだろう。このままでは死に至る。
ヒエナは久方、鞘から剣を抜いた。
スライム相手に剣を引き抜くなど、未だかつてない経験だ。しかし、今は手段を選んでいられない。
ヒエナは間合いを取り、剣を振り上げた。距離はひらいている。だが、距離を開けなければスライムに襲われた人までもが危ないのだ。
一瞬、風が凪いだ。
「はあっ」
掛け声と共にふりかざした剣は空を一閃した。
空を引き裂いた割れ目から風が吹き荒れる。風はスライムだけを取り除くように、スライムを粉々にしていった。
人一人を覆えるだけのスライムは剣一振りで無残に消え去った。そこから現れたのはヒエナにとって珍しい格好をした人だった。
「大丈夫か?」
駆け寄って容態の安否を伺う。すると、奇妙な格好をしたブロンドヘアーの少女は目蓋を擦りながら、うーん、と寝言を呟いていた。
スッと胸を撫で下ろす。異常はないようだ。
して、騎士としてこの少女を放っておくわけにはいかない。
ヒエナは少女を不思議そうに思いながらも、片手で担いでフェルトの街へと帰路についた。