無意味な逃避
精霊には六つの属性がある。
火、風、水、土、光、闇。この六つがあり、術士によって適応する。
術士のほとんどは一つの属性しか適応しないが、才覚の次第であればそれ以上の適応が臨まれる。
属性によって術の幅が変わるため、属性はとても重要なものだと言える。二つ以上持てる者はそれこそ優秀だといえよう。
精霊召喚するときに、彼らはどの属性に適応しているかがわかる。
召喚陣を描き込まれた場所に、属性ごとの供物を用意する事が召喚の準備である。術士はそこで念じる事によって精霊は召喚される。前述したとおりで、召喚されるのは自分に見合った属性の精霊――種類の精霊だ。
術士は必ず六つの属性の内一つは適応し、精霊が召喚されるものだ。
みな召喚する際に、一つ一つ召喚して調べていく。
――が、シイナ・ミツキはその六つの属性全て叶わなかった。
灯火を捧げても火の精霊は現れない。
木の葉を舞わせても風の精霊は現れない。
水を落としても水の精霊は現れない。
岩を置いても土の精霊は現れない。
血を流しても闇の精霊は現れない。
涙を溢しても光の精霊は現れない。
属性に適した供物を用意して、召喚を試みたが精霊はミツキの前に現れてはくれなかった。
一度目は期待に胸を膨らませたものだ。
姉は風の属性の精霊を召喚させた。だから、自分にも風の属性の精霊が現れるのだと期待していた。そして、姉のように素敵な精霊術士になるのだと思っていた。
だが、ミツキはそのスタート地点にすら立てずにいた。
二度目、三度目は惨めなものだ。
一度目にできなかったことが、次もできるはずなかったのだ。
貴族が召喚できなかったせいで、何度も惨めな思いをする事になった。結果的に、学院の生徒からは腫れ物でも見られるような視線を注がれるようになっていた。
何度も、何度もやるのは貴族だから。貴族だから、まだ学院に残っていられる。残されているのだ、と。
――いっそ退学にしてくれればいいのに。何で、私はここにいるんだろう。
学院の方針に振り回される。次は四度目。わかり切っているのに、どうして惨めな真似をしなければならないのか。
学院長はわかってくれない。
貴族にだって落ちこぼれはいるんだって。
弱々しい姿で学院長室から出てきたミツキ。すると、傲慢な声が出迎えた。
「まったく、見窄らしい姿ですわねぇ。ミツキ」
その声に反射的に、肩を震わせる。
ゆっくりと視線を上げる。その人は、吊り上がった瞳でミツキを見下ろし豪奢な佇まいの少女だった。
「今度で最後ですってぇ? やっとですわねぇ。鈍間な学院長の判断のせいで、随分惨めな思いをしたでしょう? ああ、可哀想なミツキ」
言葉こそミツキを励ましているような素振りだが、その言い様は皮肉たっぷりだった。
藍色の瞳を瞬かせ、長く垂らした金色の髪を揺らす。
彼女の風貌は貴族――ではなく、王族といった風貌だ。
その態度は貴族よりも傲慢で豪胆である。他人を見下す事に厭わない藍色の瞳が、自分がどんなに優秀で高貴かを疑わない。
自信たっぷりな瞳は、まさにミツキの赤色の瞳と似ているはずなのに対照的な印象だった。
ミツキは反論も異論もなく、視線をそらして逃げるように立ち去ろうとする。
「あ、そうそう」
逃げるミツキに聞こえるよう、朗々とした声が彼女を追って言われる。
「最後の試験。この私に判断を仰ぐよう言付かったのですわぁ」
ミツキは思わず、立ち止まり絶望めいた表情をむけた。
すると、傲慢な少女はその表情が見たかったと言わんばかりに微笑む。
「驚く事ないでしょう? 私はゲーテルの代表でもあるのですから、監督役を任されるのは当然ですわ」
クスクスと言葉の端に笑みを含ませて言う。
「な、なんでトウカが……」
不意に、相手の名前を口にする。
と、トウカと呼ばれた彼女は禁句でも言われたかのように表情を豹変させ激昂した。
「精霊召喚もまともにできない貴族が私の名を易々と口にするなっ!」
トウカの怒号に、身を縮こませる。
声を荒げたトウカは、自身の気品のなさに我に返り自慢の金髪を撫でて落ち着きを取り戻す。
「はあ……、私は王族アルメリアの名を冠す高貴な一族ですわ! そして、この私が次期アルメリアの王となるのです。その私が、貴様のような貴族の役割一つもこなせない腑抜けに呼び捨てされるなど無礼極まりありませんわ」
そして、トウカは口元をきつく引きつらせて言う。
「たとえ、貴様が同じ家で長く過ごした幼馴染みだといえ!」
ミツキの目元に、ほのかに涙が浮かぶ。
一瞬だけ、彼女と過ごした幼き日々を想起するが目の前の彼女の手前すぐに霧散する。過去の情景なんてなかった事になるみたいに。
「でも、貴様を憎く思うのはもう終わりですわ。貴様は貴族のくせに精霊召喚すらできなかった落ちこぼれとしてこのゲーテルに歴史として残るでしょう」
嘲るように言うトウカ。
「精霊召喚もできない貴族に行く当てなんてあるのでしょうか? いや、ないでしょうねぇ」
そう彼女は続け、懐から扇を取り出しパッと開きミツキの元に近づいてくる。
ミツキよりも頭一個分ほど背の高い彼女が近づいてくると、その威圧は大きい。傲慢な振る舞いと、体格的な威圧が合わさってミツキを圧倒する。
トウカは扇を一度仰いでから、パッと閉じて扇の先をミツキの顎に押し当てた。
「落ちこぼれ貴族の行先を貴様は知っていますかぁ?」
藍色の瞳が赤色の瞳を見下し覗き込む。
狙いすましたような藍色の瞳に、身体は硬直したように動けない。
「使用人ですわぁ。貴様は家に戻されて、使用人として教育されどこぞの家に引き取られ、一生そこの主人に付き従う人生になるのですわ」
無情に宣告するトウカに、ミツキの顔色は段々と青ざめていく。
「どこの家に引き取られるのやら、好色の男爵かしらぁ。それとも、拷問好きの婦人かしらぁ」
恐ろしいことを口にする彼女は、ミツキの顔色が絶望に変わり果てる姿を楽しんでいた。
一頻り楽しんだところで、顎に押し当てていた扇を引いて微笑を浮かべ話す。
「でも、安心なさい。貴様のことはアルメリアが引き取りましょう」
一転して、彼女は慈愛のある笑みを表情につくる。
「使用人の教育は当家で行いましょう。アルメリアに相応しい使用人になってもらいましょう」
彼女は嬉しそうに将来を語る。
「アルメリアの使用人として使えるようになったら、私専属の従者にしましょう」
にこりと笑みを作って、藍色の瞳を丸くさせじっとミツキを見つめる。ミツキは依然、表情を硬らせたままだ。
「きっと貴様は私の従者の中でとても特別な存在になるでしょう」
彼女の視線は、ミツキの肢体を撫で回していた。価値を推し量るような、ミツキが従者として側にいることを想像して光悦を浮かべている。
「まず首輪を用意しましょう。それから鎖も必要ですわ。貴様の手綱は私が直に握り支配しましょう。貴様の生活も私の思うまま、ですわ」
悦に満ちた表情に、背筋がゾクりとする。
彼女はそれから嬉々として話を続けた。
ご飯のことを餌と呼び。それを地べたで食べろ、とか。
服従を誓わせるため、立場をわからせるために、足を舐めさせる、とか。
彼女はそれをペットだと呼称したが、犬以下の扱いである。
悦に浸るトウカと、顔面蒼白になるミツキ。
戦々恐々となったミツキは彼女から離れ逃げる。
「あら、逃げても行き着く先は変わりませんわよ。貴様だって、この試験が無意味だってわかっているのでしょう?」
背後から降りかかる言葉に、耳を塞いでしまいたい。
でも、自分でもわかっていた。だから、学院長を前にして試験がもう一度あると聞いて悪態をついた。
自分に才覚がないのはわかっている。どうして、これ以上惨めな思いをしなければならない。
貴族にさえ生まれなければこんな思いをしなかったのか。自分の運命をただただ呪う。
ミツキは孤独だ。落ちこぼれの貴族は誰にも理解されず、縋る相手もいない。
一人、走り出したミツキは逃げ場所を追い求めた。
ただ逃げることを考えるミツキ。学院から離れようとも、許可なしに学院を出ることは叶わない。
学院の正門や裏門には警備がたてられ、とてもミツキ一人では抜けられないだろう。一応、精霊術は使えるが視界を一瞬眩ませるほどしか役立てない。複数人いる門前では有効打にはならない。
逃げることだけを考えるミツキ。この窮地が彼女の頭を必死に回転させていた。
学院の建物から出て前庭へと抜ける。正門を一瞥すると、警備の人が何人かいるのがわかる。
塀を登る、なんて手段も考えられたがあまりに高い塀であるために無謀だと言える。
実に八方塞がり、そう思われた。
「でっかいガッコー……。これじゃあ迷子になりそうだわー」
気の抜けた声で、荘厳で歴史ある校舎を安易な言葉で表現する少女がいた。
この時間、外に警備の他に人はいないものだと思っていたため驚いて身を隠す。近くにあった木陰から、少女の方を見る。
その少女は奇抜な格好をしていた。見た感じ制服と言った感じだが、スカートの丈が短いのが印象的で上下の服の露出が多いのが目立つ。
見たことのない格好。彼女は艶のある金色の髪をしていて、後ろの方で長い髪を束ねていた。
派手な印象、そして阿保ぽい面構え。ミツキは内心失礼な印象を抱いていた。
側から見れば学院に入り込んだ不審者だろう。何せ、ミツキは彼女を学院で見たことはない。もし生徒ならば黒いローブを羽織っているだろうし、訪問者ならば胸元に許可証となるバッジをつけているはずだ。
彼女はミツキと同い年のように見えるが、学院の生徒ではないだろう。だが、訪問者にしては許可証がないことが不自然だ。
視線が一度、警備の立つ正門の方へ向く。そして、派手めな少女の方に視線を戻して考える。
とてもじゃないが彼女が警備を欺いて学院内に入ったとは考えにくい。それに、学院の警備を知って侵入したにしては、あまりに警戒感がなさすぎる。
彼女は学院の景観を楽しむように辺りを散策し、警備のことなど気にしてないようだ。
ならば、彼女は正規の方法で学院に入っているのだと考えるのが自然だ。ミツキは思案する。きっとそこに抜け道があると思ったからだ。
そう思っていると、派手めな少女が気になる独り言をぼやいた。
「もうそろそろ終わったかなぁ。あー、食材の検品終わったらここの食堂食べさせてくんないかなー」
「……食堂?」
ミツキは呟くように確認する。
食材の検品という単語から、彼女が食材の搬入にきた業者だと考えられた。だとしたら、彼女が入ってきたのは正門ではなく裏門。そして、食堂の搬入口となる場所だろう。
ミツキは途端に思いつく。
食材を搬入してきたならば、荷車を利用しているに違いない。
つまり、その荷車を利用し紛れることができれば学院を抜けられるかもしれない。
これをチャンスだと思う。が、チャンスをくれた少女は独り言の後、食堂の裏手の方へと向かっていた。
彼女が先に向かえば、見つかるリスクが高い。少し時間を稼ぐ必要がある。
ミツキは小さく息を吐いて念じる。すると、彼女の周りに白く小さな明かりが舞う。
微精霊というが、術士の間では霊晶と呼ばれる精霊の欠けらである。精霊の一端であるため、微精霊という呼ばれ方がされる。が、精霊術の根源であるため術を使う上での想像は霊晶の方が馴染み深いのである。
霊晶に、あの少女を誘導するように念じる。
数体の霊晶はまばらに飛び始め、少女の元へと向かっていた。
「な、何これ?! 雪? じゃないよね?」
少女は近づいてきた霊晶に気付き、すぐさま興味を示した。
ゆらゆらと舞う霊晶は、裏手にある食堂の搬入口とは逆側に少女を先導する。少女は霊晶の動きを疑うことなくつられていく。
それを遠目で伺うミツキ。こともなく、思惑通りに言った事に、逆に少女のことを心配する事になる。けど、今はそれどころじゃない。
そのすきに、食堂裏手の方へと急ぐ。今なら荷車に隠れるチャンスがあるだろう。
学院の裏手、食堂の搬入口に来ると話し声が聞こえた。
どうやら搬入口の奥の方で、食材の確認をしているようだった。
遠くから荷車を見ると、その近くには誰もおらず車の中は布が覆いかぶさり隠れるにはちょうど良い場所だった。
すでに食材は中に運び込まれているだろう。
荷車を引いてきただろう精霊ユニコーンの存在が気になったが、それは目眩しでどうにかするしかない。
チャンスは一度。誰にも勘付かれずにここを抜け出す。
逃げたい一心がミツキを突き動かす。
霊晶を呼び寄せ、ユニコーンを目眩しするように頼む。ミツキは荷車の中に忍び込めるよう構えた。
霊晶は一斉に眩い光を放ちユニコーンの瞳を眩ませる。ユニコーンの低い唸り声が合図となって、ミツキは足早に荷車の中へと駆け込み布に覆いかぶさり隠れた。
ユニコーンの声に気づいて、一人駆けつけてきたがすでにミツキは荷車の中に隠れていた。
これで、このまま街まで行けるはず。
それからどうしよう。そう思ったが、荷車の中で蹲り逃避することしか考えなかった。




