第十話 追い詰められた悪
再び、研究所の描写に移る。
こちらでは支配主のシャズナが漆黒の騎士によって斬られてしまった事が解ってしまい、大騒ぎになっていた。
彼らがその事実をすぐに理解したのは白魔女ハルの残した光魔法による現場投影の映像を見ていたからである。
「どう言うことだ! ハルさんはトシオ君の管理下に置いていたんじゃないのか?!」
怒鳴るカザミヤ所長はかなりの興奮状態。
責任転嫁が得意な彼だから、この失態を全てトシオ副所長のせいにしようとしている。
「やっぱりあの娘、初めから私達を騙していたんだわ。どおりで反抗的なはずよ」
重ねて批判追従してくるのは第二夫人エリ。
彼女もいろいろな意味でカザミヤと似た性格だから、ここぞとばかりに責任を追及してくる。
しかし、単純にその意見に同調できないのが、第三夫人ミスズと第一夫人カミーラであった。
「そんな・・・ハルさんが・・・信じられない。あれほどトシオさんに忠誠を尽くしていたのに・・・」
「待ちなさい、ミスズ。裏切ったとしてもあの実力よ。今までよく研究所内で暴発しなかったと思うわ」
彼女達は互いにそんな意見を述べる。
このふたりの意見はカザミヤやエリに単純同調していないだけであり、その中身については微妙に違っている。
ミスズは幼い頃からハルを知っていたから、ハルは自分の味方であって欲しいと願う気持ちが強い。
それに対してカミーラはハルの事を脅威的な魔術師と認識していた。
その脅威の魔術師が今まで大人しくしていた事自体が幸運だと思う。
それを裏返せば、ハルの魔術師としての実力を認めていたし、警戒もしていた。
カミーラの自分の勘が辛くも当ってしまった事に驚きはあっても大きな意外性はない。
そして、当のトシオは・・・
「そ・・・そんな、部長の心の支配の鍵が消えてしまうなんて・・・今までは確かにここにあったんだ!」
トシオは今まで所持していたハルの心の支配の鍵を失い、支配魔法が解けてしまったことを思い知る。
しかし、それはトシオにしか解らない感覚。
この時、途轍もない喪失感が彼の心を襲っていた。
例えるならば、大切な自分の半身を失ってしまったような感覚。
その彼女の支配を解いたのが漆黒の騎士の仕業だというのは映像を見て理解している。
しかし、トシオは彼を恨まない・・・
恨めない・・・
何故なら、支配からの脱却を望んだのはハル個人の意思によるものだと解ったからだ。
トシオは頭が良かった・・・だから、彼は漆黒の騎士を逆恨みするという単純な逃げも選べなかった。
「そんな・・・エザキ部長が僕を拒否するなんて・・・」
「トシオさん? 挫けているところを申し訳ないんだけど、シャズナ様から『爆縮弾』を撃てとのご命令だわ」
カミーラがシャズナからの命令を再度伝える。
トシオも映像を確認してみれば、漆黒の騎士によって斬られてしまった利き腕・・・シャズナの心が宿る勇者リズウィの窮状が目に入る。
そして、自分の心の片隅を調べれば、確かにシャズナより「爆縮弾をここに撃ち込め」と命令を受け取っていた。
しかし、トシオは首を横に振る。
「駄目だ。あそこにはエザキ部長がいる」
砲撃拒否とするトシオ。
しかし、支配された同僚がその意見を却下した。
「トシオ君。我々の仕事に私利私欲は禁物だ」
同僚のスズキ室長から厳しい言葉が出る。
「そうであるぞ。トシオ君! ここは一発スカッと主砲を放とうではないか!」
豪快なクマゴロウ博士はそう言い切り、砲撃の準備を勝手に進めてしまう。
「トシオ博士。我らはシャズナ様の意向を無視する事はできない。ここでボルトロール王国の中枢を破壊せよとのご命令だ」
カザミヤ所長は今回の攻撃命令を肯定する。
自分達の支配者がシャズナであるという認識は支配魔法によるものであり、彼らにとって当たり前の価値観であるが、ここでトシオは少し違っていた。
トシオは現在のシャズナからの命令が本当に妥当なのかと考えてしまう。
果たして自殺願望に近いこのような命令に従っていいのか?
爆縮弾を現場へ撃ち込むと、そこにいるハルも失う結果につながる。
果たして本当にそれでいいのか?
トシオはしっかりとシャズナから支配魔法を受けていたが、それでもその矛盾に気付いていた。
「クマゴロウ博士! 爆縮弾を撃ち込むのは止めましょう。やはり不合理です。あそこにはエザキ部長もいます。彼女を失う事は研究所の技術的価値から勘案してもマイナス要因の方が大きい」
「何を言っている! トシオ君、君は頭が狂ったのか? シャズナ様からの命令は絶対だ。全てに優先するものだぞ!」
「駄目です。クマゴロウ博士、僕には納得できません。論理的な思考で考えると・・・うっ!」
ここでカミーラの魔法が炸裂した。
トシオは不可視の力で首を絞められて、言葉を失う。
「か・・・かはっ!」
宙に釣られるトシオは息ができず、しばらく手足をバタつかせて苦しむが、カミーラは容赦しなかった。
やがてぐったりするトシオ・・・そうして、ようやくカミーラはトシオを解放した。
意識を失ったトシオは地面に転がされて、放置される。
「・・・」
「殺してしまったの?」
恐る恐るトシオの容体について聞くミスズ。
「さぁね。でも、裏切者の事なんてもうどうでもいいじゃない。トシオ博士は明らかにシャズナ様の作戦を邪魔していたわ。反逆者には死がお似合いよ」
「・・・」
カミーラが述べる殺意の正統性は理解できるミスズであったが、それでも心のどこかで「間違っている・・・」と声が聞こえたような気もした。
しかし、彼女の感じた違和感は小さなものであり、それだけで終わってしまう。
それが支配魔法を受けた者の普通の反応であった。
地面に転がされたトシオを誰かが助ける事もなく、彼はそのまま放置されて、現場はシャズナの命令どおり爆縮弾を発射するために研究員達が慌ただしく動いていく。
「蒸気圧力を高めよ。照準はシャズナ様の戦う王城前の広場だ。光学魔法を駆使して着弾点までデータを測定するんだ。急げ!」
クマゴロウ博士がリーダシップを発揮して発射の準備が急がれる。
今の彼らにとって、裏切者のトシオの事など気にするものではない。
こうして、シャズナの支配に忠実で優秀な彼らは、あっという間に爆縮弾の発射準備を終えてしまう。
「装填完了。遅延発動の魔法陣の時限パラメータも設定完了。圧力は設定値を確認。これより列車砲を発射する。四・・・三・・・二・・・一・・・・発射ーーっ!」
ドーーーン!
空気を揺るがす大音響と共に、遂に爆縮弾が列車砲より発射されてしまった。
魔法と蒸気の力で射出される弾頭。
初速は音速に達し、衝撃波を伴いながら砲弾が放たれた。
研究所から目標地点である王城前広場までの距離は約十キロメートル。
時間にして一分とかからない計算だ。
現場の白魔女ハルは自分達に迫る爆縮弾の存在を目視で確認した。
そこに驚きはなく、「やはり予測どおり来てしまったのか」と思うぐらいの認識。
そして、彼女は準備していた対処を実行する。
彼女が選択したのは数ある対処法の中で、最も安全であり確実なもの。
ついでに別の件もこの手段で対処しようとも考えていた。
そして、彼女はその名前を呼ぶ。
「ジルバ、聞こえているでしょ? 爆縮弾の対処をお願い!」
白魔女が何もない空に向かってそう要請すると・・・応答があった。
「あいや、解った・・・ようやく、我を呼んでくれたか!」
そうすると、空が歪み、ソイツが姿を現した。
ボワワワーーン
「な・・・何だ!? コレは!!!!」
シャズナが驚きを以てそう発言したが、その気持ちは同じ戦場にいる誰もが共有していた。
彼らが見たのは空を覆いつくすような巨大生物・・・銀色の鱗が夕日を綺麗に反射させている。
気が付けば、銀龍が低空気飛行していた。
「フハハハハ。ようやく、我を呼んでくれたな。さぁ活躍させて貰うぞ。目標はアレだな!」
銀龍は顎を大きく開けるとこちらに向かって飛来してくる爆縮弾に狙いを定める。
そして、銀龍スターシュートの必殺技『消滅の吐息』が炸裂した。
ゴォォォーーッ!
巨大な龍の顎から白銀の吐息が放たれる。
丁度その頃、爆縮弾の先端が十字に割れ始めていた。
爆縮弾のその中身とは粉体。
消滅魔法・・・それはトシオが発見した世界初の魔法であり、特別な魔力鉱石に特殊な措置を施して粉末状にしたものである。
その粉体をとある条件で魔力的に活性化させると、接触した物質を消滅させる事ができる。
その消滅の様子が、内側に向かって引きずり込まれるように消滅するため、『爆縮弾』とも呼ばれていた。
消滅魔法は粉体を収める砲弾の外壁部分も消滅させてしまうため、着弾する寸前に魔力が活性化するよう時限的な術式が組み込まれていた。
先端が十字に割れたのは、その活性化が進んでいる証拠だ。
しかし、銀龍スターシュートはこれに慌てない。
「歴史の浅い人間が造った消滅魔法など、その魔法を生来より扱う我の前には遊戯のようなもの」
光り輝く白銀の吐息はまるで意思を持つかのように爆縮弾の周囲をぐるりと覆い、粉体を他へ漏らす事なく、すべてを包み込んだ。
そして、爆縮弾が光り輝く・・・
ドンッ! シャバーーッ!!
爆縮弾自体が消滅。
銀龍スターシュートの必殺技『消滅の吐息』に完全に食われた結果である。
消滅の吐息の威力の方が勝っていた。
こうして、ここに撃ち込まれた『消滅弾』の脅威は無くなる。
「ふぅー、やったわね。やっぱり、銀龍スターシュートは頼りになるわ!」
白魔女はここで敢えて大きな声で銀龍の存在を称える。
その行動はスターシュートを単純に喜ばせる以外の効果も狙っていた。
ここに現れた怪物が伝説の魔物『銀龍スターシュート』である事をボルトロール王国側に示すためでもある。
「「うぉーーー! 助かったぞ! 銀龍は我々の味方だ!」」
ボルトロール王国の守備兵達もこのときの銀龍を友好的に称えた。
それは当然である。
今回の危機を救ってくれた事実に感謝するしかない。
そして、この作戦を潰されてしまった方のシャズナは・・・
「ぐ・・・・爆縮弾も阻止された。くっそう! 狡いぞ、お前達!」
シャズナは悔しさで、これでもかと言うぐらい顔を歪ませていた。
正に悪鬼の様相であるが、今の彼はすべてを恨む感情に支配されている。
自分とはあまりにも違う敵の境遇に怒るしかない・・・
どうして、こいつらは大きな力を持たされて、強力な銀龍も従えているのか。
どうして、彼らと同等の力を得るチャンスが自分には与えられなかったのか。
どうして、どうして・・・
自分と他人を比較して、それが埋められないほど大きく開く差など認めたくない。
嫉妬・・・そう述べるだけでは単純に説明できない複雑な妬みの感情がシャズナの心の中に渦巻く。
「畜生・・・このままでは俺は何もできない・・・何もできなくて終わってしまう・・・嫌だ! 俺はこの王国が苦しむ姿をまだ見ていない。全然足らないんだ!」
怒りと恨みの感情がある限界を突き抜けて、心が変になりそうである。
「何かないのか? 俺にも何かが欲しい・・・ 俺にも力が欲しい」
そんな究極の負の感情の中で、シャズナはひとつの可能性を発見してしまった。
その可能性とは魔剣ベルリーヌⅡの中に求めていた答えが隠されていた。
魔剣ベルリーヌⅡの中で厳重に封印されていた鍵を開けてみると、そこには起死回生できる一手があったのだ。
「こ、これは・・・あるじゃないか! 俺にも力を得られるチャンスが・・・魔剣『ヘルリーヌⅡ』よ、俺を強くしてくれ! その魔力で俺を至高の存在にするのだ!」
シャズナが封印を解き、それに命じる。
そうすると変化は直ぐに起こった。
「グギギギ」
シャズナが妙な呻き声をあげると彼の身体――勇者リズウィの身体――に変化が具現化される。
肩口より斬られた右腕は元どおりにつながり、そして、魔剣ベルリーヌⅡと腕が癒着した。
肌色も緑色に変わり、額から角が生えて、紫の瞳孔が縦に割れる。
そして、身体が一回り大きくなった。
明らかに人ではない何者かへ変化してしまうシャズナ。
「何っ?! これってヴィシュミネの時と同じだ。人が魔物に変わった!」
アークは驚きと共に警戒を高める。
過去に戦った厄介な敵ヴィシュミネと同じ変化になったからだ。
「隆二が・・・悪魔になってしまうわ!」
それと同時に、理解の早いハルは自分の弟の身に起きた不可逆的な変化に衝撃を受けてしまうのであった・・・




