第十一話 リューダの屋敷
「隆二は・・・どうしてあんな性格になってしまったの・・・」
移動中の魔動馬車の中で現状をそう嘆くユミコ夫人。
彼女も勇者リズウィの悪態に耐えられず、勢いのあまり飛び出して来たひとりだ。
冷静になった今としては、どうしてあんな風にリズウィが変わってしまったのか、訳も解らずに狼狽えていた。
ある意味で自分の感情に素直なところは彼女がハルの母親だと思えてしまうアーク。
「ユーミ叔母さん、気をしっかり持ってください。それでもやはり、リズウィ君は変わってしまったような気がします。前から粗暴なところはありましたが、ここまでじゃなかった・・・」
アークも最近のリズウィの変化が気になっていた。
今までのリズウィは粗暴で自己中心的な性格だったが、己の中で持つ正義だけはしっかりと貫く男だと思っていた。
彼の中の正義とは些か自分には都合が良く、独善的なところもあったが、それでもアークはリズウィのことを悪人だとは決めつけていない。
リズウィの心の芯の部分はハルと同じであり、『根は優しい人間』だと評価していた。
身内贔屓かも知れないが、そう思わせる状況をアークも何度か目にしている。
だからアークは今までリズウィの表面上に現れていた粗暴な部分は彼なりの照れ隠しでると解釈していた。
しかし、ここ数日は本当に人が変わったようだ・・・
「・・・ん?」
ここでアークは何かの可能性に気付く。
「どうされました。アークさん?」
アークの変化に敏感なリューダがこれに反応する。
「い、いや・・・なんでもないです。ただ・・・面倒なことにリューダさんを巻き込んでしまい、本当に申し訳ないと思っています」
「そんなこと気にしないでください。アークさんが困っているならば私が助けるのは当たり前ですよ」
「それこそ・・・困ったものです・・・」
アークは恐縮して頭をポリポリと掻く。
リューダがアークに好意を寄せている様子はどんな鈍い男でも解るが、アークはその好意を素直に受け取る事はできない。
何故ならアークが愛しているのはハルひとりだけだからだ。
そんなこそばゆい雰囲気が続く状況で、魔動馬車はリューダの屋敷に到着した。
リューダの屋敷は王城近に立地しており、エイボルトでも一等地に建つ立派な屋敷である。
勇者の屋敷ほど広くないものの、派手さはなく上品な佇まいであると言えば一番似合う屋敷である。
「ほう」
この屋敷を見て真っ先にそんな感嘆を零したのはジルバ。
人間の持つ価値感など解らない銀龍ジルバではあるが、それでもここが品のある住処であることは龍の本能で理解したようだ。
「着きましたよ。さあ、皆さん入って下さい」
リューダは自分の屋敷に彼らを遠慮なく招待する。
主の帰りを今解ったのか、屋敷の中から使用人達が少し遅れて出てきて主を出迎える。
「リューダお嬢様、ご帰還お疲れ様です。門にてお戻りの旨をお伝え頂ければ、素早く出迎えができましたのに・・・」
使用人の中で少し年齢を重ねた女性が恭しくリューダに頭を垂れて、出迎えが遅くなったことを詫びる。
「今の私には過ぎた礼です。この屋敷には偶にしか戻ってきません。それにここはゼルファではありません。今の私はボルトロール王国の一市民であり、軍の情報部に勤める女性職員のひとりに過ぎないのですから」
過度の礼儀は不必要と述べるリューダだか出迎えた女性は首を横に振る。
「いいえ。それでもリューダ様はリューダ様であられます。それにボルトロール王国で一等臣民も得られておりますので、それ相応の礼を受ける資格がございます。尤もそんなものが無くても我らの忠義は変わりません」
彼女の口調からして、ここにいる使用人達はリューダと同じゼルファ王国出身なのだろうとアークは思った。
恐らくゼルファ王国でリューダに仕えてきた使用人達がそのまま登用されているのだろうと推察する。
「ミランダ、その話はここでは止めておきましょう。それよりも客人を連れています」
リューダはゼルファの忠義話をそこそこで打ち切り、自らが連れてきた客人を紹介する。
アークから順番に紹介して、彼らがしばらくこの屋敷で滞在する事を伝える。
「・・・そうです。アークさん達はここを我が家だと思って遠慮なく滞在してください。もし困ったことがあれば、ミランダ・・・いや、私に言ってください」
リューダはそう言い直す。
初めは自分が仕事で出かけることを想定したようだが、よく考えてみれば現在の自分の仕事とはアーク達の動向を調べる事である。
つまり、アークの滞在するこの屋敷がその職場となるのだ。
それならばミランダにその座を譲る必要はない。
そんなリューダの行動がミランダの目には奇妙に映った。
異性に対してこのように積極的に関わろうとする姿勢は長くリューダの元で仕えたミランダでも初めて見る光景だったからである。
ミランダはそんなリューダの変わりように目をパチクリとさせている。
それでも彼女は歴戦のリューダの使用人。
自分の仕事が何であるかを忘れてはいない。
「客人の方々、ようこそリューダ様の屋敷へ。さ、中に入って下さい」
客人を誘い、滞りなく屋敷内へ案内する。
この屋敷に客人を招くなど久しぶりの事だ。
ゼルファ王国からボルトロール王国に移って以来ほぼ無かった光景。
ミランダは十数年ぶりの来客に給仕としての腕を振るうことになる。
客人達をリビングへ案内すると、そこでお茶の準備を手際良く始めるミランダ。
小さい屋敷で使用人も少ないが、掃除は行き届いており、清潔な居間と手際よいもてなしを密かに感心するアーク達であった。
「・・・そうなのですか、アークさん達はエクセリア国から来た旅人なのですか」
ミランダはリューダが諸用で席を外した際もアーク達と会話をつなぐ役割をした。
普通の使用人はここまでやらない。
使用人の立場では主人の客人と会話するなど許されていないのが普通である。
しかし、ミランダはそんなことお構いなしにアークへ話しかける。
それは彼女自身がゼルファ王家に代々仕える身分であったことに加え、アークに対する警戒心もあった。
リューダお嬢様に害を成す男性かどうか、ミランダ自身が見極めようとしているためだ。
アークとの何気ない世間話から情報収集する。
ミランダとしてもこのアークなる男性が要注意人物であるとはすぐに解った。
何故ならば、あのリューダがとても気にいっている相手だからだ。
ミランダにしてリューダとは祖国ゼルファ王家の姫であり、リューダが生まれた時より仕えている王家使用人の中でも古株である。
言うなればリューダの乳母と言っても過言ではない。
そして、そのミランダはリューダと共にゼルファ王国がボルトロール王国に併合されるという激動の時代を生きてきた。
リューダは一国の姫という立場からボルトロール王国の一市民となり、その上、反逆者の刃によって父王が殺されている。
リューダの母である王妃もゼルファ王国最後内乱に巻き込まれて命を落としている。
そんな最悪の環境でリューダとシュナイダーはボルトロール王国内で強く生きてきたのだ。
共にそんな王女・王子の成長を見てきたミランダはリューダとシュナイダーは自分の子供よりも強い情を抱くのは当然。
そのリューダが恋する相手とならば、ミランダもその相手の為人を把握する必要があると思っていた。
「ええそうです。僕の妻は勇者リズウィ君の姉です。生き別れた彼を探して、このボルトロール王国まで旅をしてきたのですが・・・」
アークはバツ悪く、その弟と喧嘩してしまった事を伝える。
その会話にユミコ夫人が割り込んできた。
「まったく、隆二がアークさんにあんな失礼な態度。親として情けないわ」
「ユーミさんが謝る事ではないです。彼はもう大人だ。自分の責任で発言した結果がアレなのでしょう」
「本当にごめんなさい。アークさんが良い人だから余計に申し訳ないわ」
ユミコ夫人の言葉が何だかこそばゆくなるアーク。
彼にしても今のアークは本名ではない。
エストリア帝国の英雄アクトの名はここボルトロール王国でマイナスの材料にしかならない。
必要な嘘ではあるが、自分の事を善人と評価してくれるハルの母親に対して申し訳ない気持ちになる。
「それで喧嘩した勇者様の屋敷から全員飛び出して、リューダ様の好意に甘えられましたのね」
ミランダから容赦のない指摘。
その言葉にハッとなるのはユミコ夫人だ。
「そ、そうでした・・・私ったらあの子の態度にカッとなってしまって・・・あの御厄介になる対価は払います。お金はあまり所持していませんが、掃除とか洗濯、お料理ならば貢献できますので・・・」
「客人にそんなことして頂かなくても結構です。リューダ様はボルトロール王国の要人ですので、それなりの資金もあります。客人数人程度この屋敷で養うことなど全く問題になりません。それに勇者の母を働かせたと知られれば、世間から悪く評価されてしまいます」
ミランダはそう述べてユミコ夫人からの奉仕は不要だと言い返す。
「本当に私達の存在は人に迷惑をかけるばかりなのですね・・・でも、ありがとうございます」
ユミコ夫人は恐縮になりながらも、ミランダに感謝の言葉を伝えた。
自分達が特別な存在である事に少し疲れた様子だった。
「ユーミさん、タダオさんを休ませた方がいい」
車椅子のタダオは移動で疲れたのか、ぐったりとしている。
夫のその様子に今更気付いたユミコ夫人はしまったという表情に変わる。
ここはミランダが気を利かせて、他の使用人に頼み手早く部屋を用意させ、各人を客間へ案内する。
エザキ夫妻、ローラ一家、ジルバとシーラの恋人同士の各組はそれぞれ宛がわれた客間で夕食までの時間休憩とになる。
こうしてリビングにはアークだけが残された。
ミランダとしてもアークには個人的に聞きたい事があったので好都合であった。
「それで、アーク様・・・リューダお嬢様とはどういったご関係でしょうか?」
「・・・ご関係と問われても、恋人のような関係ではありません。聞いていたでしょうけど、僕は妻帯者です」
アークは単刀直入に聞いてくるミランダにそんな事実を伝える。
アークのそんな言葉に、ミランダは疑わしい視線を返すだけであった・・・
こうして、リューダの屋敷でのアーク達の新しい生活が始まった。
夜の皆が寝静まった時、この屋敷の使用人達はとある一室に集まる。
その部屋は防音がしっかりと施されており、外に会話が漏れる事は無い。
集まる使用人達も昼間と雰囲気が異なっていて、今は全員が暗殺者のような隙のない雰囲気を纏っていた。
その中でも年長の老使用人が口を開く。
「それでミランダ。どうだった?」
「完全に黒ね。本当にリューダ様はあの男に恋しているわ・・・まったく、面倒な相手を好きになってくれたものね」
「本当にお転婆姫様だぜ。ククク・・・いや、すまねぇー」
使用人の中で比較的若い男性が茶化すが、ミランダのひと睨みで詫びを入れてくる。
ミランダを不快にさせてはいけない。
この集団でそれは当たり前の常識。
彼らの正体とは、纏う雰囲気どおりゼルファ王家に仕える暗部の集団。
実力主義が彼らの序列を示していた。
その序列の下から数えた方が早い男性は序列最高のミランダに敵うはずもない。
そのミランダがフゥと重い溜息を吐く。
「困っているところだけはアナタの評価が正しいわ。リューダ様がよりにもよってエクセリア国側の人間を好きになるなんて・・・本当に面倒よ」
「彼らが勇者リズウィの屋敷を追い出されたのもそれが原因だろう。何せ勇者はそのエクセリア国へ遠征するという噂が巷で囁かれているからな」
ミランダよりも年上の老使用人がそんな情報を全員に伝えてくる。
彼の仕事は情報収集活動であったから、その役割を果たしたまでだ。
しかし、その言葉の方がミランダを余計に苛々させた。
「だから面倒なのよ。リューダ様が敵側の人間を匿っていると思われかねないじゃない」
「・・・だったら、殺っちまうか?」
別の男からそんな提案をされるが・・・
「・・・駄目。そんなことすればリューダ様が悲しむだけだわ。我々への信頼もなくなってしまう。あの方はゼルファに残された希望よ。より良き次世代のゼルファ復活をされて貰わなくては」
「おいおい、ミランダはゼルファ王国復活を望んでいるのか? まさか、あの反乱組織のシャズナと同じ野望を持つとは・・・」
別の使用人からそんな指摘が出るが、今度こそ冷たい視線でその発言者を黙らせた。
「シャズナは最悪よ! あの最悪だった頃のゼルファ王国に戻す気はないわ!」
ミランダがそう述べるのはゼルファ王国がボルトロール王国に併合される直前の状況であった。
当時の王家には国を統括する勢力が衰退し、諸侯や有力貴族達に国の運営が牛耳られている状況であった。
だからあの時、ゼルファ国王は自国の存続を諦めた。
自分の声が国土や領民に届かない現状よりも、一度国家を壊し、国政を牛耳る悪徳貴族達からの支配を断ちたかったのだ。
だから当時の国王はボルトロール王国へ恭順を示す選択をした。
それが最後の内乱の引き金となってしまったが、それでも結果的に今は悪徳貴族共を国家反逆という大罪で解体する事に成功している。
ミランダにとって残念な事はその対価として国王と王妃の命が奪われてしまった事とゼルファの国土を失った事だ。
国土の事はまだいい。
リューダは王女として元ゼルファ国民には人気が残っている。
彼女さえその気になれば、その名のもとに国土奪還の猛者は集まってくるだろうと思う。
だが、現在のリューダにその気はない。
彼女はその後の自分達の処遇を守ってくれたセロ国王に対して高い尊敬と恭順の念を抱いている。
「決してリューダ様に無理強いはさせません」
ミランダとしてもリューダが尊き存在である事に加えて、幼少期より面倒を見てきた親愛の情を持つ。
「リューダ様が女性としての幸せを優先するならば、それでも構わないと思っているけど・・・よりによってその相手がエクセリア側の人間だなんて、しかも妻帯者よ・・・本当に面倒ね」
ミランダは再びそう述べる。
その後の彼らは今後の方針について協議するが、結論を定める事はできず、しばらくは様子見する事を決めるに留められた。
彼らが幸運だったのは、もしここで客人達を暗殺する選択をしていれば、全員が返り討ちにあっていただろう。
彼らの選択した「しばらく様子見する」――この選択が正しかった事を彼らが認識できたのは、しばらくしてからである・・・




