第三話 エリの不満と魔女の野望
「まったく、アイツらはなんて恩知らずなの!」
激しい言葉と共にクッションを投げつけるエリ。
彼女がヒステリックで不快な感情を爆発させているのは自分の部屋に戻ってきてからも続いていた。
現在は夫に向かって鬱憤を吐き出している。
「まあ少しは冷静になれ、エリ」
窘めようとする夫のカザミヤだが、こうなってしまうとエリの性格上、不満がなかなか収まらない。
「アナタ、あの野蛮人のクマ野郎をクビにしてっ!」
早くもクマゴロウ博士に組織的制裁を加えようとするエリ。
荒れ狂う第二夫人をどう窘めるか迷うカザミヤだが、ここで協力してくれたのは第一夫人カミーラである。
「エリさん、ちょっと冷静になられて。その程度でクマゴロウ博士を降格させるなんて無理だとアナタ自身も解っているでしょう?」
そのとおりである。
クマゴロウ博士はなんだかんだ言って機械技術に関してはこの研究所でトップの存在なのだ。
それはトシオ博士やカザミヤ所長よりも豊富な経験と高い知識を持つ実績があったからこそである。
サガミノクニで世界規模の鉄道企業の研究所に所属していた彼の経歴は伊達ではない。
今回の戦争で列車砲を失うという大失態を犯したが、それだけで責任を追及できる人物ではない。
「く・・・そうね。悔しいわ」
エリもその事は解っている。
解っているからこそ、簡単に処罰できないもどかしさに余計腹が立つ。
「最近はクマゴロウ博士の反抗的な態度が目に付くようになってきた」
そんなエリの不満を感じ取ってか、カザミヤからもクマゴロウ博士の悪評が出る。
「先の戦争で怖気付いたのか、戦争は駄目だとか、技術は兵器開発以外に使うべきだとか、私にいろいろ意見してくる」
「やっぱり生意気ね。この研究所で室長に登用してあげたのにその恩を忘れているわ」
「エリの言うとおりだ」
カザミヤも溜息をつき、弱くではあるが彼女の意見に同意している。
彼らは自分達こそ支配者層であり、この異世界で同郷のサガミクニの人々には職と安全な生活を与えてやったと思っている。
だからこのように他人を見下した発言が時々出てしまう。
「クビにするなら、あの魔女も一緒にお願い」
「おいおい、エザキ・ハルコ女史はエリが逸材だと主張して採用を決めたんじゃないか?」
カザミヤは多少茶化すようにそんな指摘をする。
「アイツも生意気なのよ。勝手にいろいろと動いて、目障りだわ!」
どうやらエリはエザキ・ハルコがもっと従順な女性だと当初は思っていたようだ。
彼女が類稀な技術――特に魔術師として――を持つ事に興味を示したエリだが、自分の思いどおりに動かない人間だと最近解ってきた。
しかし、そんなエリの判断に待ったをかけるのは第一夫人カミーラである。
「ちょっと待ちなさい。今の段階でハルを手放すのは感心できないわ。ミスズ、彼女の最近の様子を報告して」
カミーラはいつも同じ第二研究室で働いているミスズからハルの様子を聞き出す。
「えっと・・・、ハルさんはトシオ博士の研究サポートに徹しています。魔法の論理的な課題解決を中心に動き、トシオ博士が動きやすいように・・・」
「もういいわ」
ミスズが言い終わらないうちにエリがそれを止めた。
ハルが技術者として得難い女性である結論が見えたからだ。
支配の魔法を施されているので当たり前であるが、従順で強力な戦略級の魔術師を手元に置いている状況でもある。
これ以上の彼女の活躍の話を聞かせられても時間の無駄だと思った。
「まったく・・・厄介な女を飼ってしまったわね」
「そう邪険にしなくて良いわ、エリ。ハルはあのラフレスタの白魔女。今の状況で彼女を我々の手元に置いておけるのは素晴らしい事よ」
「そう? 私にはあの娘の価値が解らない。面倒な魔道具を出して、我々の組織の秩序を乱している障害にしか見えないわ」
エリは鬱陶しくそう評価する。
「まったく・・・作業効率向上とか言って洗濯作業の労働バランスを崩すような道具なんか出してくれるから、今月の清掃課の成果報告シートは見直しよ。ああ、これじゃ書類を担当しているレイカとカオリの愚痴も絶対に増えるわ。愚痴を聞かされる私の身にもなってよ!」
ブツブツと文句を言うエリだが、一番愚痴の多いのが彼女自身である事実を本人だけは解っていない。
因みにそこを指摘する勇敢な人間などこの場にもいない。
もし、そんな事をしてしまえば、また際限なく出てくる文句を聞かされる、そんな不毛な時間を消費してしまうからだ。
「ともかく、ハルさんとクマゴロウ博士の件は一旦保留ね。これで反戦だとか、兵器開発をボイコットするとか強く主張してくるならば、その時こそ本当に対応を考えましょう」
カミーラはそう述べて、この場のやり取りを終了させる。
そして、次の日。
当の白魔女ハルは・・・
「ふー。気持ち良かったー」
早朝、まだ誰もいない第二研究室の一角を占拠して彼女はシャワーを浴びていた。
白仮面を被るハルはしばらく寝なくても平気だが、それでも生理的な欲求として毎日の入浴はしておきたい。
ハルは携帯型の浴室を持つため、独りになれる時間と場所さえ確保できれば入浴行為は可能である。
それならばと、早朝まだ誰もいないこの研究室で携帯型の浴室を展開して、入浴を愉しんでいた。
既に身体の洗いは完了しており、現在は浴室から出て髪を乾かしている。
残念ながら悩殺的な入浴シーンを描写する前に、彼女は下着と衣服の着用を済ませており、現在はもう裸体ではない。
そんなタイミングでこの第二研究室に来訪者が・・・
ガチャッ!
「・・・あっ!」
朝早く来たトシオは白魔女ハルの入浴後の姿を視認して、そんな感嘆符を挙げる。
「トシ君、おほよう。湯上りだから少し髪は濡れているけど気にしないで」
ハルは何事もないようにそう述べて入室を許可したが、トシオは色香ある湯上りの白魔女ハルの姿を目にして戸惑いを覚える。
「まったく・・・やっぱり、ハルとトシ君をふたりにするのは危険ね」
そんな言葉が出るのは、トシオと共にこの第二研究室にやって来たヨシコからである。
彼女はハルのことが気になり、最近はトシオと同伴でこの研究室にやって来る。
今日もそんな日常であった。
「ヨシコ、安心して。私はアナタ達の恋路を邪魔しないわ」
ハルは間違いなんて起こさないと宣言するが、ヨシコが心配しているのはトシオの方だ。
何かの拍子で白魔女ハルの色香に負けて彼女に手を出してしまうのではないか・・・そんな不安がヨシコの脳裏を過る。
トシオとの日常会話にもハルの話題が徐々に増えてきていた。
このときのヨシコは本能的にハルを好敵手と認識していたりする。
「それにしても簡易的な浴室設備なんて・・・部長は何でも開発しているのですね」
トシオが感心しているところは魔道具だ。
彼は状況とその様子からハルがここで浴室を魔道具で展開していた事を簡単に察していた。
「そうよ。これって結構便利だから。あ、そうそう、言われていた魔道具の起動回路はもう仕上げておいたからね」
ハルはトシオから依頼されていた仕事を思い出して、机を指す。
するとそこには小さな水晶体があって、その中には複雑な魔法陣の描かれた半透明の層が幾重にも内蔵されていた。
トシオはそれを手に取り、自分の眼で確認する。
ここでトシオの魔法解析能力がいかんなく発揮され、水晶体の正確な魔法機能を読み取る。
「素晴らしい・・・完璧ですね。魔法の起動が簡単なアクションで可能になっている。本当にこの大きさで起動装置を実現できるとは、これは部長にしか作れません。夜通し作業して頂き、ありがとうございました」
「別にいいわ。トシ君の役に立つならば、お安い御用よ」
ウインクでそう応える白魔女ハルからは微塵も疲れを感じさせない。
まるで爽快なスポーツでも行った後のように清々しい姿。
それは在りし日の科学クラブでのひとコマのようでもある。
温かい雰囲気になったところでヨシコが割り込んできた。
「ハイハイハイ、駄目よ、トシ君とハル! ここはロマンスが許される学校じゃないのだから」
「まったく、ヨシコも嫉妬深いわねー ちょっとは器量の大きなところを見せなさいよ。私なんか旦那をほったらかしよ!」
「それこそ大丈夫なの? ハル、一回お家に戻った方が良いわよ」
「・・・いや、それはもういい。アークは強いから。これぐらいじゃ嫉妬したり落ち込んだりしない。私がいなくたって・・・」
そんな事を述べるハルの顔はどこか遠くを見ているようであった。
微妙な空気になるが、ここで新たな騒がしい来訪者が現れる。
「おお! ハルさん、探したぞ。宿舎の方には居なかったようなので、まさかここで徹夜していたなんて!」
朝からご機嫌な声を挙げるのはクマゴロウ博士。
返事はハルよりもヨシコの方から先に出た。
「クマさん。まさか夜中に女性の寝所を訪ねるだなんて・・・あまり褒められた行為ではありませんよ」
「おお、そうだな。すまん。すまん。それでも俺の嫁にも付いて来て貰っていたから、問題も無いだろう」
軽くそう受け流すクマゴロウ博士からは性欲のようなものは感じられない。
彼はある意味で技術屋の好奇心の塊のような男だ。
「俺がハルさんを探していたのは、例の魔道具のことだ。洗濯機・・・そのモータはどうやって・・・ん? そこにある物は新たな魔道具かな?」
話の途中だが、ハルの後ろに鎮座する浴室魔道具の存在にクマゴロウ博士の興味が移る。
彼はヅカヅカと進み、許可なく浴室のドアを開き、浴室内へ入っていく。
「おおー! コイツは完全にユニット・バスだ」
中の設備を見て、一瞬でこれが浴室だと理解するクマゴロウ博士。
「まだ温かい・・・使った後か」
デリカシーなくそんな感想まで堂々と述べてしまうのはある意味クマゴロウ博士らしく、そんな彼の様子にププッと笑ってしまう白魔女のハル。
だからハルも素直に対応してやろうと思った。
「そうよ。これは携帯型の温浴設備。魔法でお湯や換気、乾燥もできるわ。シャンプーだってあるし、とても便利なの。ほら」
ハルはボタンを押してシャワーからお湯を出して、容器からシャンプーを取り出し、手で泡立ててみせる。
「むぅー、ここまで出来の良い温浴設備を・・・やはりハルさんは家魔具の天才だ」
「何よ、その家魔具って」
「家庭用魔道具の意味だ。家電の魔道具版だと置き換えてくれればいい」
適当なネーミングセンスに呆れるハルであったが、魔道具の事を褒めてくれるのは嬉しい。
その魔道具の話題でヨシコが昨日の事件を思い出す。
「あ、そうだ。ハル・・・昨日さぁ、あの借りていた洗濯機を没収されそうになったの」
「あら? そうなの?」
軽く返事を返すハルであったが、彼女は半ばそうなる事は想定内である。
あれほど目立つ魔道具だ。
誰かに目を付けられるのもありえる事だと予想していた。
「そうなのよ。ウチの研究所には性悪な女がいてね。よく解らない理由で没収って言ってきたのよ」
「なるほど・・・それでも結局は没収されなかったのね」
それほどヨシコが慌てていない様子からそんな結末を予想するハル。
実にそのとおりであり、その当事者だったクマゴロウ博士よりその時の状況を説明してくれた。
「そのとおりだ。私がきつく反論しておいた。しょうもない理由で難癖をつけるなと!」
クマゴロウ博士はそう述べて自分が守ってやったと主張する。
ヨシコも首を縦に振り、そのとおりだと認めた。
「そうです。クマさん、その節はありがとうございました」
「別に改まってお礼を言われる程の事をしていない。ただし、あの時のエリ夫人の要求は少々乱暴だったからな、私もその態度が気に入らなかっただけだ」
そんな事を述べるクマゴロウ博士に女性の声で割り込みが入る。
「あら!? 私はそれほど態度が悪かったのかしら? 正論を述べたつもりだったのだけど・・・」
クマゴロウ博士はその声を聞いて、ハッとなり、慌てて後ろを振り返ってみると、そこには件のエリ夫人とその手下ふたりが立っていた。
「げっ! どうしてお前達がここにいる!?」
クマゴロウ博士は居ないものと思い悪口を吐いてしまったが、それが聞こえたエリは怒りに眉をピクピクとさせていた。
「どうしてって、私は余計な魔道具を供与して研究所組織の調和を乱そうとしている魔女へ警告しに来たのよ」
自分達は今来たばかりだと言うエリ達。
研究所所内でも性格が悪いと評判のエリ第二夫人とその家来のレイカとカオリの登場にクマゴロウ博士とヨシコは互いに顔を見合わせる。
朝から厄介な奴に絡まれてしまい残念だという気持ちが彼らの心の中では共有されていた。
そんな彼らを余所に白魔女ハルが前に出る。
「私に抗議したい事があるようね」
これに対して白魔女ハルは余裕の態度である。
しかし、エリも負けてはいない。
彼女も勝気な女性であり、他人に喧嘩を売る事など日常茶飯事だ。
「ええそうよ。つまらない魔道具の提供は止めてくれるかしら? 人々の成果が急に増えれば困るのよ。私達が」
「・・・」
「まあいいわ。今回は警告だけよ。次に変な事やったらここから追い出すから!」
それだけを言えば気が済んだのか立ち去ろうとする三人。
しかし、ここでハルが待ったをかける。
「待ちなさい・・・」
一食触発か・・・誰もそう思ったが、実際にはそうならない。
「いいネックレスをしているわね」
ここで白魔女ハルは何を思ったのか、立ち止まったエリの首を飾られていたネックレスを手に取る。
「何するのよ。触らないで!」
エリが身を振り解こうとしたので、その拍子に繊細なネックレスの結合部分が外れて、白魔女の手に落ちる。
「ああっ! 壊した! これって高価なのにっ!」
エリのヒステリックの声が研究室に響く。
いつもならばこんな状況になれば、怒りのあまりエリの喚きは止まらなくなるのだが、白魔女が手を掲げると何故か彼女は静かになった。
「ごめんね。エリさんがあまりにも暴れたから、切れちゃった。弁償するわ」
白魔女ハルは懐から光り輝く鉱石をひとつ取り出し、それをネックレスに中心部分に飾られていたひと際大きな宝石と一緒に握る。
そこで魔法が働いて、白魔女の掌の中で眩い輝きを放つ。
「アナタの元々の宝石はターリンね。青く透き通った宝石で希少価値ある宝石。これぐらいの大きさならばお値段はひとつ二百万ギガってところかしら・・・」
正確にエリのネックレスに飾られていた宝石の値段を言い当てるハル。
「しかし、私の持つハムライトを魔力錬成で融合させると・・・」
ハルはゆっくりと掌を開ける。
「えっ! 何これ? キレイ!」
眩く光り輝く宝石が姿を現わした。
それは元々のエメラルドの輝きを持っていた宝石の中よりそれ以上の光が溢れる新たな宝飾。
この世の物とは思ない美しさがそこにあった。
「これはハームリンと呼ばれる宝石よ。自然でこれだけのサイズの物はまずできないわ。魔法で錬成できるのも恐らくこの世では私ぐらい・・・市場価値で幾らになるのでしょうね?」
敢えて値段は言わないが、この宝石の価値が解るエリは理解した。
今、この目の前の宝石に値段なんて付けられない事を。
それは世の中で唯一の価値だと思う。
「これは迷惑をかけたお代よ」
白魔女ハルはそう言って特大の輝きを放つハームリンをエリに渡す。
エリは震える手でそれを受け取ると小刻みに口をパクパクさせる。
「わ、解ったわ。これで、た、多少の融通は聞いてあげてもいいわ」
極上の宝石を手に入れて興奮を抑えられないエリ。
宝石収集は彼女のこの世界で唯一の楽しみ、いや、欲望だ。
ハームリンの美しさもあったが、加えて、世界にただひとつという希少性で彼女の機嫌は一気に舞い上がった。
しかし、彼女の舎弟のレイカとカオリからは不平不満の声が出る。
「わっ、狡い。エリさんだけ」
「そうよ。私達にも何かあるでしょ!」
取り巻きの彼女達はエリにだけ狡いと、白魔女に自分達の物も要求した。
「解っているわ。アナタ達にも。ハイ」
白魔女ハルは彼女達の欲も解っているので、似たような宝石を錬成して渡す。
ただし、品質と希少性はエリに渡したハームリンよりも一段階低いものにてある。
それはエリの自尊心を傷つけないための措置だ。
それでも美しさは十分であり、レイカとカオリはこれで満足した。
「ハルさんって良い人ね。お邪魔したわ」
三人はそんなこと口にしてこの場から去っていく。
これに唖然とするアケミ。
しかし、ハルは初めから慌てていなかった。
彼女達の欲望を既に見抜き、何か難癖をつけられた時は、この宝石で解決するつもりだった。
「これでしばらくは突っかかって来る事はないでしょう。あの宝石も私が錬成すれば、元手はただのような物だし」
ハルはエリ達を無事に懐柔できてホッと息を吐くが、ここで違う意味で自分の元を訪れたクマゴロウ博士の要件を思い出す。
「ところでクマゴロウ博士。私に何か用事があったんじゃない?」
「お、そうだった。忘れていたが、あの洗濯機に使っていたモータの技術を私にも供給してくれないか? 回転動力源さえ得られれば、私の作れる物が一気に増える。自動車や鉄道だって夢じゃない。それならば兵器以外でも有益な物が開発できると認めて貰える」
クマゴロウ博士の目的は白魔女ハルにモータ装置の提供を求める物であった。
ハルはしばらく考えて、兵器以外の道が伸びるのであればとクマゴロウ博士に魔動モータの技術提供を決めるのであった。




