第一話 改革のプロローグ
「おい、どう思う?」
現在、研究所の食堂の一角を占有しているのは第二研究室の職員達。
彼らは集団討議という上位の研究者だけに許された特権を利用して、休憩時間以外に食堂の一角を堂々と利用している。
公的にサボりが認められている行動ではあるが、現在の彼らはある意味、研究室以外の場所で真剣に議論したかった。
「オイ、あの魔女の事をどう思う?」
「あの魔女って、春子お嬢様の事だよな?」
「彼女は自分でそう認めていた。変な仮面を被っているけど、それは自分の魔力を高めるための魔道具だって言っていたじゃないか」
「確かに尋常じゃない。ぶっ通しで二十時間以上働いているんだろう。バケモノだ」
「そして、彼女はトシオ博士に意見していたわ。今後は人体実験禁止だって」
「そうらしいね。トシオ博士もその方針に合意したって俺も聞くぜ」
「それはいいことだ。トシオ博士は何でも実験、実験って主義だったし、正直、俺はあの人体実験って好きじゃねぇ」
ここに集まった第二研究室の職員達の全員がその意見に首を縦に振る。
トシオ博士が主催する人体実験は主に夜の秘密裏に開催されるが、人手が足りない時は第二研究室の職員も動員される事があった。
所謂、公の秘密と言う事になっている。
その実験内容とは人道に反した実験がほとんどであり、正直彼らは誰一人率先して参加したいとは思っていない。
トシオは研究のために必要であると主張し、そして、ボルトロール王国側も死んでも構わない罪人を用意しているので道義上問題ないと回答していたが、それでも人間として普通の感性を持つ者が忌避して当たり前の行為である。
「人体実験が無しになって、一番ホッとしているのはミスズさんじゃないかしら、彼女は毎回参加しているからね」
同僚の女性研究員のひとりがそう述べる。
しかし、彼女の意見に賛同する声は少ない。
「あんな奴の事なんて心配しなくてもいいんじゃない。所詮、風見鶏の女なんか罰が当たって当然さ」
ミスズの事を解りやすいほど糾弾する声は同僚の中で一番年上の男性研究員――宮崎・奈津夫より出される。
彼を初めとしてここに集まる第二研究室の職員達は元々江崎研究室の職員達である。
そのなかでもミスズは若手の中でも仕事のできる女性としてリーダ的な存在であったし、江崎研究室長からの信頼も厚い女性であった。
そのミスズは現在、風雅所長の第三夫人に収まっている。
この異世界に飛ばされた当時、彼女は江崎博士を糾弾する急先鋒のひとりであった。
そのことに加えて、風雅の研究所の組織構築に多大な協力をした女でもある。
それは旧江崎研究室の同僚から見れば裏切り行為にも等しい。
しかし、彼らも程度の違いこそあれ、異世界に飛ばされた当初は江崎博士一家を糾弾する側に関与していた。
そうして、怒りの捌け口を江崎家に擦り付けていたが、転移事件から六年も経てば冷静になり、あの転移事件が江崎博士の仕組んだ事ではないのは理解できている。
そればかりか、その転移自体がこのボルトロール王国によって画策された事でもあり、言うなれば自分達は不当に元の世界から拉致された事実も十分解っていた。
それでも現時点で自分達の生活と安全の根幹を握っているのがボルトロール王国であるため、叛意を示す事もできず、半ば泣き寝入りの状況であった。
そんな状況での江崎・春子の帰還である。
彼女はボルトロール王国と敵対する隣国のエクセリア国より来訪し、自分ひとりの力で生き抜いてきたのである。
彼らはその生還と再会を素直に喜べるほど単純ではなかった。
それは自分達が江崎博士に酷い仕打ちをした後ろめたさがあったからだ。
しかし、当の春子は表面上に不快感は示さず、素直に研究所の仕事に従事している。
現在はトシオ博士の研究補佐として献身的に貢献していると言ってもよい。
「ハルコお嬢様って、変わったよな。あんなに美人になるなんて・・・」
「美人なだけないでしょ。彼女は魔法が使えるのよ!」
ハルコの変化をそう指摘しているのは成田・律子。
彼女はミスズと同期の女性研究員であり、ハルコの事も幼少期より知っている。
リツコが驚きを以て指摘するのはそのハルコが魔術師になっている事実だ。
今までの常識としてサガミノクニ人は魔法が使えないとされてきた。
しかし、ハルコは使える。
それも現地人を凌ぐ才能を持ち、すべての属性の魔法が扱えるのだ。
実技だけではなく魔法理論についても完全に理解している。
「リツコ、それだよ。ハルコお嬢様はトシオ博士のため、いや、我々サガミノクニ人のために協力を惜しまないって言っていた。素晴らしいじゃないか!」
ナツオはハルコの事を絶賛した。
それは白仮面から常時発動されている友好的な魅惑の魔法が作用した結果でもある。
ナツオはまんまとそれに引っ掛かっていたが、疑り深いリツコにはその効果が薄かった。
「ナシオは単純ね。でもハルコさんが大きな魔法の実力を持つ事はもう疑わないわ。今まで我々には理解できなかった魔法理論についてもトシオ博士としっかりと議論できているからね」
リツコはトシオ博士がその魔力の宿る眼で感覚的に理解している魔法技術をハルが論理的側面で補足する事が大変役に立っていたからだ。
そのお陰で人体実験が大幅に減った。
ハルの魔法の実力は少なくともトシオ博士の持つ魔法を解析できる眼の能力と同等以上。
そうでなければ、トシオ博士の持つ疑問を正しく理解し適切な回答を導き出す事などできない。
しかも、ハルが科学技術にも精通している事は昔の彼女をよく知っているリツコには解っていた。
ハルの父母である江崎夫妻は両方とも科学技術者だ。
彼らの遺伝子を先天的にも後天的にも強く受け継いだ娘、それがエギサ・ハルコである。
「いずれにして、これでトシオ博士・・・いや、我々、第二研究室が大きなアドバンテージを持てるわ。もうあの所長を初めとした第一研究室の面々にでかい顔なんてさせないのだから」
リツコはそう述べて拳を握る。
彼女にとって所長の風雅の一派である第一研究室の存在は鬱陶しいだけの存在である。
管理部門の彼らとは偉そうにしているだけの存在であり、実力が伴わない第一研究室の職員達。
風雅所長を初めとして似たような男女が集まった集団――そうリツコは評価している。
しかも、揃いも揃って狡賢さは人一倍強く、政治的な立ち振る舞いだけは上手い連中であった。
そうやって、各研究者達の出した成果を独り占めして自分の手柄として国王側へ報告している。
所長の風雅の一派が皆の知らないところで贅沢な生活しているのをリツコも解っている。
それが彼女は許せなかった。
同僚のミスズがまんまと風雅の言いなりになっているのもリツコの気に入らないところでもある。
自分よりも頭の良い女だと思っていたミスズがどうして・・・風雅なんかに心を開き、手下の様になったのか全く理解できない。
そのミスズをなんとか救い出せないかと日々悩んでいるリツコであったりする。
「これが切掛けかもね?」
何らかの変化を感じ取り、そんな事を漏らすリツコ。
「何がだ?」
突然の言葉に理解が追いつかないナツオ。
怪訝な顔をしてしまうが、ここでリツコからの提案が出た。
「ナツオ、解らないの? これはチャンスよ。私達が風雅の呪縛から脱するのに」
以前のリツコは研究所から独立できないか考えた事がある。
彼女は人の命を奪う兵器を開発するのが嫌だった。
それは良心の呵責・・・と言うよりも、悲惨な人体実験を見るのが嫌だというのが正しいのかも知れない。
彼女は高潔ではなかったが、それでも人としての当然の忌避感と倫理感を持っていた。
「以前も言ったわよね。この研究所から出られないかしらって?」
「オ、オイ。今ここでそれを言うか!?」
ナツオは焦って周囲を見渡す。
公的な食堂の一角だが、現在は休憩時間外なので、自分達以外に人は居なかった。
それでも誰が聞いているか解らないとしてリツコに声を落とすように言う。
「ともかく、これはチャンスよ。ハルコさんがいれば、研究所から独立して生活できるかも知れないじゃない」
「リツコ、そうは言ってもなぁ・・・」
「そうね・・・まだ決めつけるのは時期尚早ね。でも私はこれがチャンスだと思っているの。そのときは一緒に行動してくれるわよね、ナツオ、フジタ、ツッチィ、アキラ」
リツコは江崎研究室時代から続く同僚達に共謀してくれるよう声を掛ける。
彼らは互いに顔を見合わせた。
程度の差こそあれ、第二研究室の現状の処遇には完全に満足できてない彼ら。
未来永劫、この職場環境が続くならば、何とか変えたいと思うのは彼らの共通事項だ。
ただし、その程度は個人差がある。
「リツコ、お前の考えは解った・・・だが、しばらくは様子見だ」
年長者であるナツオはここで冷静になるよう述べて、突発的な行動は控えるように助言する。
その意見だけはここに集まる同僚達から合意を得られるのであった。
『改革』・・・その始まりとは個々の小さな決意が切掛けとなる・・・その事を彼らが実感できるのはしばらくたった後の事であったりする・・・




