第十三話 購買売店の女性
セロ国王と謁見を終えた次の日、ハルは何事も無かったようにボルトロール王国の日常を再開される。
しかし、それは表向きだ・・・ハルは研究所の同郷の人達が現状をどう思っているのかの確認を進める事にした。
本来ならば、もう少し研究所組織へ溶け込んでからだと思っていたが、昨日の謁見でセロ国王はハル達が白魔女と漆黒の騎士である事実に疑いを持ち始めている事が解ったからである。
白魔女と漆黒の騎士は以前の境の平原の戦いでボルトロール王国と敵対した人間だと認識されている。
もし、自分達の正体を知られてしまえば、排除される可能性も危惧していた。
一度敵対関係が確定してしまえば、現在のように比較的容易にサガミノクニの人々に近付く事ができなくなってしまうだろう。
そうなる前にハルはこの研究所の人々の意思を見極め、可能であればボルロール王国から脱出させたいと思っている。
そのための第一歩として、ハルが本日訪れたのは、研究所所内の社会維持部が運営している購買課の売店。
この売店はこの研究所で生活するサガミノクニの人々が日常の買い物場所として利用している場所でもある。
彼らは給料という名目でギガを貰うが、衣食住が王国から提供されているので、それを消費する宛など少ない。
精々、この購買部で揃えられた嗜好品を購入するぐらいである。
ハルがここを訪れた理由は研究畑以外の一般人とも交流し、彼らの考えを理解するためであった。
「へぇー、いろいろと揃っているのよねー」
購買売店の狭い店内には所狭しと物品が並べられていた。
ボルトロール王国色の強い派手な意匠の衣服を初めとして、お菓子やお茶などの嗜好品、煙草もあったりする。
ゴルト語の理解できないサガミノクニの人々を勘案し、本の類は置いていなかったが、それ以外物品はまずまずの品揃えだと思う。
価格設定は少々高めだが、研究所職員ならば一般ボルトロール人よりも割高の給料を得ているので問題にならないだろう。
場所が場所だけに高額な商品を売っているのは致し方ない話なのかも知れない。
そう思っていると、ここの店番をしている職員が話しかけてきた。
彼女の名前は工藤・遥。
見た目に優しそうなお姉さんであり、社会維持部の購買課でも人気ある女性であると同僚のルカから事前情報を得ていた女性だ。
確かに他人に安心感を与えるような朗らか笑顔を持つ女性。
優しそうな雰囲気で男受けしそうな感じがした。
「いらっしゃいませ。何かお探しでしょうか?」
まるで衣服屋の接客のような口調で話しかけてくれる。
ハルのことを江崎家長女としてではなく、一般客として普通に接してくれた事にまず好感が持てた。
「こんにちは。私はここに初めて来たけど、いろいろな商品を扱っているのね」
「江崎教授の長女の方ですよね? アナタの事は噂に聞いていますよ」
「私の事はハルでいいわ」
「こんにちは。私はハルカです」
友好的な笑顔のハルカを見て、ハルは彼女の対応が少し気になった。
「ハルカさん・・・アナタ、私の事を見てもあまり嫌がらないようね」
「ええ。こちらの世界に飛ばされてきた当初は江崎家の人達に恨みもありましたが、冷静になった現在ではアレが不幸な事故だったのは誰でも理解ができます。ハルさんや江崎教授が悪い訳ではありませんよ」
「ありがとう。その言葉を父に伝えてあげたかったわね・・・」
「・・・それは・・・本当にあの時は申し訳ない事をしてしまいました」
ハルカは素直にハルに謝る。
ハルとしてもその謝罪の言葉はありがたかったが、それは父が健全だったときに本人に伝えて欲しかったと思えてしまう。
もし、その言葉を父が聞けていれば、心の負荷を少しは低減できたのではないか?
自らの責任に思い悩み、心を壊してしまうまでには至らなかったのではないか?
そんな事を考えてしまい、ハルは首を横に振った。
ここで『たられば』の話をしても仕方がない。
ハルカだけが悪い訳ではないのだから・・・
「ありがとう。ハルカさんは優しいのね。帰れば、父と母に伝えておくわ」
ハルはそう述べるに留め、この話はこれで終わりとした。
「ハルカさん、それよりも私はこの研究所の皆さんの話を聞きたいわ。今はどのような生活をしているのか。生活サイクルとかね?」
唐突な話題転嫁過ぎてハルカはキョトンとしてしまう。
「いきなりだったわね。ごめんなさい。私はこのお城以外の外の世界で生きてきたの。アナタ達がどんな暮らしを強いられてきたのか、興味あるのよ・・・」
「そうですか・・・それでしたら」
ハルカはそう応えて、自分のこれまでの暮らしぶりを伝える。
ハルカは元々話し好きの性格のためか、ハルカ目線で研究所の今までの生活を遠慮なくハルへ教えてくれた。
それは彼女らがこの研究所内で共同生活をしている事。
外の世界へ出る事は原則赦されないが、研究所内ならば比較的自由に過ごせる事。
新商品――ここでの研究所では新兵器と同じ意味――の貢献が高い者が実績として高評価される事。
その評価に応じて給金が支払われる事・・・その研究所世界の社会システムの話は、ハルが今までヨシコ達との会話で得られた情報と同じである。
「・・・なるほど、やっぱり成果主義が横行しているのね。ボルトロール王国らしい考え方ね」
「はい・・・でも、私は悪くはないと思います。必要以上に多くを望まなければ、私のような人間でも安泰に暮らしていけるのですから」
ハルカの心を観てみると、彼女が元の世界で勤めていた会社は残業が多く、給金も少ない・・・所謂、ブラック企業だったようだ。
ここでは長時間労働を強いられる事もなく、自分のアウトプットに等しい――少なくともハルカはそう思っている――報酬が得られるシステムに大きな不満はないらしい。
「私なんて、元の世界では会社と住まいの往復。週末は体力回復とゲームぐらいしか楽しみが無かったのですから・・・」
ブラック企業にありがちなワーカーホリック的な生活を送っていたハルカにとって、こちらの暮らしはそれほど悲観するものではないと感じているらしい。
「そうね。確かにこの城の中ならば、安全は確保されているわ」
「外の世界では違うのですか?」
「ボルトロール王国は戦争に関わっているのよ。それを頻繁に仕掛けている国よ。国境付近には危険が一杯あるわよ」
ハルの指摘にハルカの顔が曇る。
「やはりこの国は本当に戦争をしているのですね。私達はその現場には行けないし、テレビもないので実感はありませんが・・・その・・・ハルさんは戦争の現場を見た事があるのですか?」
「ほんのちょっとね。私はしがない魔術師のひとり、戦争を関わるほどの仕事している訳でもないわ。私が観たのはボルトロール王国とエクセリア国の合戦の跡地。そこには破壊された建物とか、設備とか、放置された人の死体とか・・・凄惨な現場だったわ」
ハルからの情報にハルカの顔が更に曇る。
「それは本当に酷い現場ですね・・・私達の開発した兵器がその戦争に加担した事を考えてしまうと、何と言えばいいやら・・・」
良心の呵責に苛まれるハルカ。
ハルは心を観て、それこそ彼女の本心だと理解した。
「ま、仕方ないわ。それが戦争という行為よ。人が人を殺して褒められる仕事。沢山人間を殺し過ぎて、英雄や勇者なんて呼ばれる人もいるぐらいよ・・・戦争が一度起こってしまえば、そこが悲惨な現場になる事に変わりはないわ。武器供与は確かにそんな状況を作った元凶とも言えるわね」
「そう、ですよね・・・」
ハルの指摘は尤もであり、やはり自分達が行っている事は良くない事と改めて認識するハルカ。
「でもね。武器には意思がない。本当に悪いのは戦争をしようとする人の心なのよ。相手よりも有利な武器を使おうとする人の心の欲よ」
「そうですよ・・・ね」
ハルの言葉に顔が少し明るくなるハルカ。
「それでも、あまり褒められる産業ではないわ」
「・・・やっぱりダメですよね・・・」
すぐに表情が曇るハルカ。
余りも簡単にハルカの心が機敏に反応するので、それが面白くてフフと笑ってしまうハル。
「フフフ。御免ね。意地悪を言って」
「いいえ・・・いいんです。やはり武器開発なんて間違っています。それは子供でも解る道理なのに・・・私・・・」
「私・・・?」
「私、今の生活。実は悪くないと思ってしまって・・・」
「気に入っているの?」
「そこまでか問われると・・・微妙なのですけど・・・」
「どっちなのよ!?」
「いや、優柔不断な回答でした。この購買課の売店でモノを販売する仕事は好きです」
「そう言えばいいじゃない。その仕事ならば武器開発と関係はないわ」
「それでも、そんな私達は武器開発がメインの業務として成り立っている訳で・・・」
「ハルカさんは難しく考え過ぎよ。武器開発はそれを請け負って実行している人の責任よ。ハルカさんが喜びを感じているのは物品を売る仕事よね? ぜんぜん責任の領域が違うわ」
「そう言っていただけると少し気持ちが軽くなります」
ハルがそう認める事でハルカの笑顔から影が消えた。
やはりハルカは人からどう思われるかによって精神状態が強い影響を受けてしまう人物であり、集団社会生活と共感が得意だと言われている東アジア人種色の強い性格の持ち主であるとハルは結論付ける。
「ならば、もし・・・もし、よ。武器開発をしなくてもよい組織に移れるならば、ハルカさんはそこに移りたい?」
「・・・」
ハルの問い掛けに、少し考えてみるハルカ。
それは本当に移籍する事よりも、何故にそのような事を問うのか?と言う疑問が大きい。
「ハルさん・・・アナタは何を考えて・・・」
「深く考えなくていいわ。『もしも』の話をしていだけよ」
「そうならば、ハイですね。武器開発をしなくても良いなら、それに越した事はありません。しかし、ここの皆と別れる事になるのは嫌ですけど」
「それはそうよね。やはりこの世界で同じ民族のコミュニティーから脱して生活するのは厳しいわ。御免ね、変な事を聞いて」
「いいえ。でも、そういう未来もあると考えてみると、少しは希望が見えました。こちらこそ、ありがとうございます」
「ハルカさんはやっぱり善なる人ね。私も話せて楽しかったわ」
ここでふたりは互いに握手する。
それは自然な流れであり、ハルとしてもこの集団の中でまともな思考の持ち主がいたことに希望が持てた。
(まずは第一歩ね。難しいのはそれを実行する時。一歩踏み出すには彼女達に本気の覚悟をさせる必要があるわ。それさえあれば、勢いさえついてしまえば、あとは私が・・・)
そう心の中で考えていると、陽気な声の男性が購買課の売店に入ってきた。
「お、あった。あった。ポテチがまだ残っていたぜ。良かったな、ジュン」
陽気で明るい声の主はハルも知る長浜・隼人だ。
ハヤトが見知らぬ中学生ぐらいの男子の手を引いてここに来ていた。
その男子は棚にあるお菓子の袋を見つけて目を輝かせている。
「コラッ、ハヤト君。また、サボっているようね。アケミに言うわよ!」
「ゲッ、エザキさん!」
ここで予想外の人物に出会ったようで、ハヤトの顔が引き攣る。
彼はハルが指摘したように、現在、仕事を抜け出してサボり中であった。
「い、いゃ~。ジュンが人気のポテチ『横浜家系ラーメン味』を、どうしても食べたいって言ってなあ。ほ、ほら、ジュン。今のうちにそれ全部買い占めちゃえ!」
連れてきた男子にそんな指示をするが、そこに待ったを掛けるのはハルカ。
「駄目ですよ。ハヤト君、ジュン君。そのポテチは人気商品ですから、ひとりひと袋までです。そこに書いてあるじゃないですか!」
ハルカの指摘どおりポテチ置き場の下には東アジア共通言語でそのように張り紙がしてあった。
「ち、やっぱダメか・・・」
やはり彼らは確信犯であった。
ハヤトに続いてつまらなそうな顔をしてしまうその男子の名前を聞いたハルがピンとくる。
「君はジュン君って名前、もしかして、養老先生の息子かしら?」
ジュンは見知らぬハルに戸惑いながらも頷く。
ここで、ハルとジュンを繋ぐ役割をかったのはハヤト。
「ああ、ジュン。彼女は江崎・春子さんで、俺の・・・友達だ。隆二君と生き別れたお姉ちゃんさ」
その紹介でジュンの強張る顔の緊張が少し解かれる。
ジュンはハヤトと違い内向的な性格なのかも知れないと思うハル。
ハルはここで改まってジュンに挨拶をする。
「アナタが養老・純君ね。私は江崎・春子よ。弟と父が本当にお世話になったと聞いているわ。本当にありがとう。お父様にも今度お礼を伝えに行くからね」
ハルはそう言い手を差し出す。
握手を求める姿にオドオドと応えるジュンが初々しかった。
「それはそうと、こんな悪友と一緒に行動するのはお勧めしないわ。今は仕事中の時間の筈よ」
その指摘にギョッとなるハヤト。
彼はサボり癖があるとアケミから言われていた。
実にそのとおりなのだが、ここでハヤトが言い訳を口にする。
「そ、それはだな。ジュンがどうしてもそのお菓子が買いたいって言うから・・・」
それで申し訳そうになるジュンの姿を見て、ハルはこれ以上ハヤトを虐めるのを諦めた。
「解ったわ。ジュン君には本当にうちの莫迦弟がお世話になったので、今回は大目に見てあげる」
そんなやり取りを見てハルカが笑う。
「ふふ、ハルさんの方が、警備課のように見えてきますね」
ハヤトが所属しているのは社会維持部の警備課だ。
ハルカから見てもハルの方が立場は強い。
実はそのハルも現在サボり中である事にハヤトは気付けない。
そんな朗らかなここでの日常は、外の世界で起る反乱の悲壮感など全く伝わらず、別世界のように平和であった・・・




