第十話 王国炎上(中編)
私は公衆の面前でシャズナから身体を辱められて、何も抵抗できない。
いや、抵抗しようと思えばできた。
それができなかったのは、ここで昔の悪夢が蘇ったからだ。
そう、あれは・・・もう十年以上も昔の話、私がまだ幼少期だった頃の話。
私の国『ゼルファ』はゴルト大陸の東部中央に位置していた。
それはこのボルトロール王国から見て南東の方向に座している。
この国はゴルト大陸制圧を目指すボルトロールの野望から見て、南西諸国占領の橋頭保であり、軍事的に重要な価値のある要衝だった。
現在も周囲をボルトロール王国軍に包囲され、圧力を掛けられた状況であり、開戦一歩前と言えばいいのだろう。
「お父様、私達は・・・この国は大丈夫なのでしょうか?」
私は王族と言う立場から、公事を優先する発言をしなければならない。
それは子供の頃からゼルファ国の王家としてそう振る舞わなければならないと教えられた。
しかし、本心は違う。
自分の命や自分の家族の事が心配でならない。
そんな不安は父に見透かされていたのだろう・・・
「リューダ、大丈夫。私は無益な戦いを望まない。ボルトロール王国は強大な軍事力を持ち、これから近い未来、ゴルト大陸の覇者となるだろう。そんな国に我々が戦いを挑んだところで負けるのは目に見えている。そうなる前に素直にボルトロール王国へ恭順を示せば、戦は避けられる。ボルトロール王国の使者はこう約束してくれた。ここで無益な戦いを起さなければ、王国民は誰一人殺さないと・・・私はボルトロール王国との共存を選択する。それがゼルファの生き残る道・・・これは我らが民にとって最も良い選択となるだろう」
そう述べて家族を安心させようとしているのは子供の私でも理解できた。
実はこの王国は国王の権限がそれほど強くない国なのは子供の私でも解っていた。
諸侯貴族の発言力が強く、まとまりに欠けるとは自国や周辺国からの評価である。
何かひとつの物事を決めるのも、諸侯を集めた会議が必ず紛糾する。
だから、このゼルファは中々ひとつにまとまらない。
そこをボルトロール王国につけ込まれたのだろう。
国内――とりわけ国内貴族関係がギクシャクしているのは私も解る事だ。
「お父様・・・万が一の時は私がお父様、お母様を守ります」
ここで猛々しく宣言するのは私の弟シュナイダー。
「ハハハ。そうだな、シュナイダーは強いからな。しかし、お前は姉と母だけを守れ。もし、私に万が一の事があれば、ふたりを連れて逃げるのだ」
お父様はそんな笑顔でシュナイダーからの申し出をやんわりと断る。
今思えば、ここでお父様は何か勘付いていたのかも知れない。
そんな会話をしていると、喧騒がドアの向こう側からやってくる。
「なりません。ここから先は国王陛下とそのご家族が生活する場所。入室は認められません」
「煩い、三下め。我はロックウェル伯爵家の長男シャズナ・ロックウェル。ゆくゆくは王女リューダ・アイリス・ゼルファと結婚し、このゼルファの国王となる者ぞ。無礼者め!」
ガシャン
金属の甲冑どおしがぶつかる音が聞こえる。
またシャズナが衛視を蹴ったのだと思う。
私の婚約者シャズナ。
彼の家は伯爵家であり、このゼルファでも発言力がある。
だから私達の婚姻が成立した。
王家の女性に私情の恋愛など赦されない。
私達、王家の女性は政治的な道具して、商品のように発言力のある諸侯に嫁がされる。
それは王族としての宿命。
このゼルファを安定させるための役割である。
しかし、私はハッキリ言ってシャズナを好きになれない。
彼は自分の事しか考えず、とても国王など務まらないと思う。
時に臣下に乱暴したり、暴れる事も多かった。
今もそうだろう。
そんな事を考えていると、まるで私の危惧に応えるかの如く、ドアが荒々しく開けられた。
バン
そんな蛮行に父も顔を顰める。
「シャズナ君・・・あまり行儀良くない入室方法だ」
「ふん。我は国王に真意を問い正しに来のだ」
「何を・・・まぁ大体想像つくがね・・・」
「噂によれば、国王はこの度の戦、敗北を認めると聞いたが?」
「それは噂ではない。既に何回もボルトロール王国側の使者と会見しておる。我らがボルトロール王国に恭順を示せば、この戦は回避されるだろう・・・」
「ならんっ!」
ここでシャズナが激高し、お父様の言葉を遮った。
不敬にも程がある。
「それは認められない。戦わずしてボルトロール王国に腹を見せるとは、耄碌したか。このクソジジイ」
シャズナのあまりにも失礼な言葉遣いに警護の王族衛視達も顔を見合わせる。
「何とでも言いたまえ、私は無益な戦などしたくないのだ。ボルトロール王国と争ってどうなる。小国の我々は疲弊し、民が多く死ぬ。そうなると、このゼルファ王国は益々に弱くなるぞ」
「腰抜けめ。ゼルファ王国の誇りが貴様には無いのか!」
シャズナは興奮している。
私は不思議な焦燥感に駆られていた。
これ以上彼を怒らせれば、何をするか解らない・・・そんな不安が大きくなるばかり。
「ボルトロール王国は貴族制を廃止しようとしていると聞く。それならば、我々が恭順した後に失うものが多すぎる。国王よ、今すぐその判断を撤回するのだ」
これは非常に傲慢な意見である。
現在のシャズナは伯爵本人ではなく、その息子。
それも成人にも満たない年齢。
言えば、まだ貴族の末席にも等しい。
王女リューダの婚約者だとしても、そんな青二才が国王に直接意見するなど失礼にも程がある。
流石にこれ以上はと思い衛視達が排除の行動を始めようとしたとき、それは起きた。
私がここで見たのはシャズナが光る何かを手に持つこと・・・
それが刃渡りのあるナイフだったという事実は後に解った。
ドスッ!
「が・・・な、何を・・・シャズナ・ロックウェル・・・狂ったかっ・・・」
そして、お父様は息絶えた。
周囲に鮮血が飛び散り、大量の血だまりができる。
シャズナが自分の意見を聞き入れて貰えないと理解して、ナイフで刺したのだ。
そんな事をすぐに理解できない私。
しかし、直感的にお父様が殺されてしまったことだけは解る。
「い、嫌ぁぁぁぁぁぁーーーーーーーー!」
崩れ落ちるお父様を目にして、絶望だけが意識を上塗りしていく。
それから、私達がどうなったのかあまり記憶がない。
ボルトロール王国の秘密部隊がその直後に雪崩れ込んできて、国王を暗殺したシャズナを初めとする謀反貴族を拘束したのを知ったのは後になってからだ。
シャズナはお父様を殺した罪で死刑になったと思っていた。
しかし、今、生きていることから、どうにかしてその束縛から逃れたのだろう。
そして、彼と同じようにボルトロール王国に併合されるのを由としなかった貴族も多い。
私には解る。
何故なら、その後に私達はボルトロール王国に保護されたが、併合された側のゼルファの人々は私達に冷ややかだった。
「国を売った。傾国者め!」
そんな罵りを受けたのは一度や二度ではない。
お父様の判断は間違っていないと思う。
ボルトロール王国の強大な軍事力は我々を圧倒している。
ゼルファ如き小国がまともに戦って勝てる相手ではないのだ。
お父様の判断は確実にゼルファ人の多くの命を救った筈なのに・・・
しかし、祖国を奪われた人々はそんな可能性など考えない。
もしかすれば、あの時に戦えば領土を失う事は無かったのではないか?そんな妄想に駆られる人が如何に多い事か・・・
きっとあの時も、お父様の暗殺に同意していた貴族は少なくなかったのだろう。
それほどまでにお父様の下した決断は評価されていないのだ。
だから、私達に友と呼べる存在がいないのはそんな理由から来ている。
同郷の者から疎まれて、裏切者の烙印を捺された。
こうして、同じゼルファ人達のコミュニティに私達の居場所はなくなった。
そんな私達に居場所を提供してくれたのがボルトロール王国のセロ国王だった。
セロ国王は寛大な方であり、あの時にお父様の下した決断を高く評価してくれた。
そして、居場所の無くなった私とシュナイダーを引き取り、王都エイボルトへ住まわせてくれた。
私は負けたくなかった。
私は諦めたくなかった。
もし私が諦めてしまえば、自分達が間違っていたとすれば、お父様の判断が間違った事になる。
それだけは認められない。
お父様は苦悩した先にゼルファの民の命を優先して選択したのだ。
だから・・・私はその意思を継がなくてはならない。
負けたくない、死にたくない、辱められたくはない。
少なくとも自分の欲と立場を優先したシャムザなんかに・・・
ここで、そんな昔の記憶――私の不遇の記憶――から現在へ時間軸を戻してくれる声が聞こえた。
「下郎め! その汚らわしい手をリューダさんから離せっ!」
アークさんの声が聞こえて私はハッとなる。
シャズナから乱暴に扱われて、心が弱っていた私に、ここで光が降りてきた。
それは絶望の最中、私に降りてきた唯一の希望。
そして、その直後に・・・
ドーン!
アークさんの埋まっていた付近の瓦礫が吹っ飛ぶ。
直接目視はしてないが、それぐらい気配で解る。
それぐらい解るように、私は情報部のエリートとして教育を受けてきたのだ。
そこから飛び出して来た人の気配も誰であるか解る・・・絶対にアークさんだ。
その姿を見ている筈のシャズナから、「また出たな、謎の仮面男め!」と声が聞こえたが、私はその情報を無視した。
この瓦礫から飛び出きた人間がアークさん以外に考えられない。
彼は・・・強くて、優しいのだ。
そして、私の気がフッと抜ける。
ここで言っておくが、私は決して弱い人間ではない。
亡国の王女として、私は人並み以上の厳しい環境で生き抜いてきた自覚もある。
それでも私は・・・今日のこの瞬間だけは、この力強い英雄の存在に甘えたくなる。
だから私は脱力してしまった。
(ああ、助かった・・・)
「むむ。気を失ったのか?」
秘部への侵入を頑なに拒んでいたリューダからの内股の抵抗が無くなった事で、そう感じるシャムザ。
まるで自分の存在を無視されたかのように感じて、シャムザは不愉快になる。
そんなリューダの態度により、急激に彼女への興味を失うシャムザ。
シャムザの感情を上塗りしたのは突然出現した謎の仮面男に対する嫉妬感情だ。
ここで鋭いシャムザはリューダとこの男性の関係について疑いを持つ。
「貴様の出現で緊張を解くとは・・・リューダと貴様は一体どんな関係なのかを問いたくなった」
「どんな関係かと問われても、赤の他人・・・とは言い過ぎか・・・リューダさんとは・・・そうだな・・・少し仲の良い知り合いとでも言っておこう」
リューダと自分との関係に適当な言葉が見つからず、漆黒の騎士アークはそんなどっちつかずの回答をする。
「嘘をつけ・・・リューダは貴様をとても信頼しているようだ。悔しい事だがな」
自分が感じた事実を淡々と述べるシャムザ。
「お前がアークと言う名前の男性なのはもう解っている。そして、その怪しい仮面を付けて、雰囲気が一段と危険になった。一体貴様は何者だ? エクセリア国の間者か?」
「間者ではない。通りすがりの剣術士・・・もう少し付け加えるならば、勇者リズウィ君の義兄という表現が正しいかな?」
「義兄だと? それだけではあるまい。貴様からは只ならぬ脅威を感じる。我から野望を、我からリューダを奪おうとしているのを感じる」
「俺はお前の野望など興味ないが、リューダさんの自由意思でお前を拒否するならば、その力になってやろうとは思う。それぐらいの義理はある!」
漆黒の騎士アークはそう述べて瓦礫より脱する。
ここで一気に加速し、シャムザの傍からリューダを奪うと、次の瞬間には彼女を抱き、離脱を果した。
それは電光石火の早業であり、ここでシャムザに何かをさせる事は赦さなかった。
そんな行動の衝撃でリューダの意識が再覚醒する。
「ああ、アークさん! お願い、私を守って。助けて!」
彼女は漆黒の騎士に力強く抱き着く。
そんな男に対して強く媚びる姿は、いつも凛とした雰囲気を持つリューダからかけ離れており、アークもここで何とか彼女を助けてあげようと思わせるものだ。
そして、リューダは続けた。
「アナタは絶対にアークさんです。誰が何と言おうとアークさんに違いありません。この声、この香り・・・この力強い肉体。私がアナタのことを間違う筈がありませんっ!」
その言葉は冷静な時に聞けば、彼女が変態的な趣向を持つようにも聞こえなくはないが、ここで必死になったリューダからの言葉であり、また、リューダはまだシャムザの支配の魔法を恐れて目を瞑ったままの状態であり、漆黒の騎士の姿を直視しておらず、彼女の感覚だけでこの人物がアークであると確定して述べている。
「リューダさん、そこまで俺を信頼して・・・解りました。俺はアナタのその信頼に応えましょう。アナタは絶対に渡さない。少なくともシャズナには絶対渡さない!」
その台詞を聞けたリューダは、傍から見ても解るほどうっとりとした表情へ変わる。
「あぁアークさん、私を受入れてくれてありがとう。このお礼は・・・私のすべてをアナタに捧げます」
美人のリューダから色気たっぷりのそんな言葉をまともに受け、アークの顔が少し赤面してしまう。
まるで劇中の彼氏彼女関係のようなやりとりである。
そんなやりとりを目にして、面白くないのはシャズナ。
「まったく、俺も嫌われたものだ・・・まぁ、国王を始めとした恭順派を俺達が次々と葬ったから。嫌われて当然だろうが、それでも力尽くで従わせてやろう」
シャムザは太々しくそんな事を述べて、舌なめずりする。
「何だとっ!」
「まったく、あいつらはゼルファの誇りを忘れやがって、ボルトロール王国に恐れを成して尻尾を振った愚か者共。死んで当然の報い」
「お前はリューダさんの父君、国王を殺したのか?」
「そうだ。俺は間違っていない。ゼルファ王国の由緒正しい独立と民族の自立と利益を優先したまでだ」
「だからと言って、リューダさんの父君を殺害していい理由にはならない。詳しい事情は解らないが、国王の選択は無益な戦いを避けようとしていた結果なのかも知れないじゃないか!」
「貴様に何が解る。我らゼルファの誇りを莫迦にするな!」
「誇りは尊いかも知れないが、それは人命よりも重い事なのか? その誇りとは故郷を人々の命を守る事よりも優先すべき事だったのか?」
「ふん、綺麗事など勝てば何とでも言える。やはり、我と貴様では話が噛み合わないらしい。これを相いれない関係と言うのだろうな!」
議論を打ち切るシャズナ。
そして、シャズナは下僕に命令を下した。
「貴様を殺して、リューダも手に入れよう。俺はゼルファ王国を復活させる。そのためには王家の血は必須だ。その母体を自らの力で手に入れてやろうじゃないか。やれっ、シュナイダーよ!」
ここで髑髏水晶を取り付けられた魔法の杖を掲げる。
その髑髏水晶から紫色の魔力の輝きが増す。
その魔法の指令に呼応するのは、現在支配魔法の制御下にあるシュナイダーだった。




