第三話 リースボルトの悪魔(前編)
勇者パーティの乗る馬車はボルトロール王国の街道を走り、王都エイボルトから二週間の旅程を経て、東海岸で開発中の都市リースボルトに到着していた。
大河のリース川が海に流れるこのリースボルトはゴルト大陸東の中央部に位置している。
このリースボルトは大型の港湾が築ける好条件が揃っており、ボルトロール王国が早くから目を付けていた占領地だ。
そして、現在は街の開発が進み、王都エイボルトに次ぐ第二の都市になりつつあり、新進気鋭の活気ある都市でもある。
そのリースボルトの海に面した一角に立派な砦が築かれており、この建物こそがリースボルトを軍事的、政治的に支配する拠点になっている。
昼下がり、その砦に勇者パーティの馬車が入場。
予め連絡が入っていたのだろう、盛大な人数の出迎えを受けることになる。
ガチャ
整然と整列した出迎え者の前で勇者専用の馬車が停止し、まるで貴族が乗る馬車のように御者が恭しく馬車の扉を開けて、出迎えた砦の従者が素早く走り寄り、赤い絨毯を布いた。
まるで王侯貴族が来訪したような歓待ぶりだが、正にそれに等しく、ボルトロール王国では特等臣民の称号を得る勇者リズウィはそれほどまでに称えられるべき存在になっているのだ。
「ふう、ようやく着いたか」
ボサボサの黒髪を気にする事も無くリズウィが颯爽と馬車から降りると、早くも歓迎の言葉が老齢の男性より放たれた。
「勇者リズウィ殿。遥々このリースボルトまで出張って貰い、ありがとう。私が現在このリースボルトを治める東部戦線軍団司令のメルトル・ゼウラーだ。よろしく」
握手を求めてくるのは頭頂部の髪が少なくなり始めた中年男性。
中肉中背の男であるが、その眼光だけは鋭い。
尤もそんな迫力が無ければ、ボルトロール軍の司令官など務まらない。
それはボルトロール王国での常識である。
勇者リズウィも慣れたもので、軽い感じで挨拶を返す。
「俺が勇者リズウィだ。これまでは南部戦線軍団、西部戦線軍団で活躍してきたが、東部戦線軍団は初めてになる。こちらこそよろしくな」
勇者リズウィは尊大になり過ぎない態度でメルトルに挨拶を返した。
このボルトロール王国の常識とは相手に舐められれば終わりなので、これぐらい横柄な挨拶でも特等臣民のリズウィならば、無礼には当たらない。
正に軍事優先国家であるボルトロール王国らしい流儀である。
「勇者リズウィ・・・噂に聞くが、なかなかにして胆力ありそうな男だ。これならば『リースボルトの悪魔』にも対抗できるだろう」
「その討伐対象の魔物の情報について詳しく聞かせて貰いたい。俺らがチャッチャッと退治してやっからよぉ!」
「ハハハ。これは大した自信、頼もしい限りだ。話は中でしよう。私も軍人である。回りくどく非効率な儀式など面倒だと思う質でな。もし、これ以上盛大な歓待式典を要求されればどうしようかと思っていたところだ。作戦室を用意してある。そこで報告させよう」
メルトル・ゼウラーは豪快に笑ってそう述べると、手早く移動を始めた。
これにはリズウィも好感が持てた。
少なくともこのメルトル・ゼウラーという軍人は、王都によくいる貴族気質のような礼儀作法を重視する人物ではないようだ。
そんなメルトルに勧められるまま、砦内の作戦室へ移動する勇者一行。
ここでリズウィはそれほど気にしていなかったが、軍人出身のガダルとパルミスはガチガチに緊張していた。
それもその筈、このメルトル・ゼウラーなる男性、ボルロール王国軍人の中で草分け的な存在であり、王国が今よりも昔の戦争が最も激しかった時代の生き証人でもある。
軍人学校の教科書にも出てくるような英人、それがメルトル・ゼウラーだ。
ボルトロール王国で軍事に憧れて育ってきた若者が緊張しない方が不思議なのだ。
しかし、この勇者リズウィは特別だった。
彼はこの国出身ではない。
それは国ばかりでなく、この世界の出身者ですらない。
だからメルトルに対する情報も無く、緊張とは程遠い素の状態だった。
それがある意味で凄さを感じているのは、ガダルであり、バルミスであったりする。
因みにアンナはこのメルトルと同格の父の影響により、英人に対する耐性は十分に備わっている。
シオンは軍属であっても修道女であるため、宗教上の序列関係の方が彼女の関心は強い。
そのため、軍隊の英人には疎かったりした。
そんなガチガチの男性陣と、ある意味通常運転のリズウィと女性陣の集団がメルトル・ゼウラーの案内で砦内を歩む。
そして、広い砦内の廊下をしばらく進むと、作戦室へと辿り着き、重厚な扉が開けられた。
ガチャ
「ここが作戦室だ。既にリースボルトの悪魔と出会った目撃者を準備している。何か聞くならば、彼らに聞いてくれ」
メルトル・ゼウラーは準備よく目撃者を既に手配していた。
「話が早くて助かるぜ。俺が勇者リズウィだ。リースボルトに現れた新種の魔物を退治に来たんだ。さあ、教えてくれ」
「おおー! 勇者様が来てくれれば、百人力です。あの悪魔を退治してくだせぇ~」
「ホントだ。あんな悪魔はこの世にいていい筈がねぇ!」
勇者リズウィに縋るような思いで救いを求めるのはいかにも怯えた村人風情の男二名であった。
彼らは村人のような格好しているが、その正体は斥候である。
普段は村人として装い、内部から裏切者を探し出す秘密警察のような仕事をしている人物だった。
そんな彼らだからこそ、悪魔に襲われても先に逃げ出す事に成功し、情報を持ち帰った数少ない目撃者だ。
「魔物の映像を記録しています」
目撃者のひとりが宝玉を取り出す。
それはボルトロール軍に多く普及している撮影のできる魔道具だった。
宝玉にネックレスのように首から掛けられるようになっており、これを身に着けていれば、常時映像を記録できる優れもので、後で気になった映像のみを再生できる。
男が宝玉に魔力を加えると、宝玉が明るく輝き出す。
そして、空間に魔物の襲撃現場とされる映像を投影し始めた。
「撮影された現場はリース川の畔で、時刻は夕方となります」
男性の証言どおり、水面に夕日が映っており、そこが川の岸辺である事を示している。
都市開発中のリースボルトは田舎の村と都会の街の風景が融合したような場所だ。
所々で建設中の建物が目立ち、街には活気がある。
撮影された場所はまだ開発が進んでおらず、護岸工事もなく普通の川辺である。
雑草の葦が雑然と生える川辺は田舎の村でどこでもあるような風景であった。
そして、よく見るとその葦林の中に女性が佇んでいるのが解った。
「おい、女が水浴びをしてるぜ!」
「へへへ、こりゃいいものが見られたな。おい!」
助平な声がその映像には記録されていた。
街を哨戒しているこの部隊が偶々目にした女性の水浴びの姿を見て喜んでいるのだろう。
映像に映るのは、川に入って自分の身体を洗う裸身の女性の姿だ。
居合わせた男性陣の視線がその映像に注目しているのが解る・・・
「まったく、男って助平ねぇ!」
そんな男達の視線を勘付く女性陣。
特にアンナが不機嫌になり、男性陣の視線を非難するが・・・しばらくすれば、映像に映った女性の異様さを思い知ることになる。
その水浴びする女性の視線が撮影する宝玉へと注がれる。
そうすれば結果的に、この映像を見る者の目とその女性の目が合うことになる。
その直後、リズウィに悪寒が走った。
ゾッとしたというのが正しい表現だろう。
女の手がにゅう~と伸び、撮影者を捕らえたのだ。
何故そうなった事が解ったのかというと、映像の天地が回転したからである。
「ぎゃっ!」
短い悲鳴と共に、宙を舞う男の姿が画面の端に映る。
女の伸びた手によって捕らえられ、引っ張られた。
映像を撮影している宝玉はネックレスが運よく近くの雑草に引っ掛かり、撮影者の男から離れて、男と共に怪物に捕らえられるのを免れたようだった。
そして、その先には衝撃の映像が映っていた。
「ぐぼっ!」
捕らえられた男性が意味不明な悲鳴を発した直後、女性の白い肌の肉が盛り上がって、まるで布にでも捕らえられるように男性の身体に覆い被さる。
それがこの怪物の捕食行動であることを理解できたのは、犠牲者が二人目になったところであった。
「ぎゃーー、助けてくれーっ!」
その後の映像からは悲鳴だけが聞こえるが、映像の範囲外だったため、何が起こっているか正確には解らない。
それでも、現在この映像を見ている者は、彼らがどうやって魔物に喰われているかを容易に想像にできた。
ひとり目の男のように、長く布のように伸びた腕に捕らわれて、その最後に肉が盛り上がり怪物の体内へと吸収されたのだろうと・・・
そんな悲鳴が数多く聞こえて、次々とこの斥候部隊の兵達が犠牲になっているのが解る。
しかし、映像には映らないので解らないが、それがまた恐怖を紡ぎ出している。
しばらくすると人の悲鳴が無くなり、映像の隅に女性の後ろ姿だけが映っている。
その女性は泳ぐように川辺の深みへと進み、そして、水中に消えてしまった。
「・・・こいつは・・・悪魔だ」
ボソリとそんな事を言うガダル。
彼の言ったことは正しい、とその映像を見せられた者は納得してしまうほどの衝撃的な映像だった。
そして、しばらくして、何者かがこの宝玉を回収するところで映像が終わっている。
映像の隅に映った男性は今この宝玉を操作している男性だった。
どうやら葦の茂みにひとり隠れ、難を逃れたようである。
「これが被害を受けた者の最新情報だ」
歴戦の司令官メルトル・ゼウラーでも戦慄を隠そうとはせず、そんな言葉で締めくくる。
「これ以外にも運よく生き残った者もいるが、今の映像と同じ証言をしている。今回の現場はリース川だったが、怪物の出現場所は神出鬼没である。森であったり、林であったり、街の路地であったり・・・被害者は軍人であったり、民間人であったりと、ゆうに百名は超えているのだ」
沈痛な面持ちでそう述べるメルトル・ゼウラー。
「解った・・・この怪物は絶対に人間じゃねー。こいつは絶対に悪魔の女だ。俺達、勇者パーティが絶対に倒してやるぜ!」
リズウィはこの怪物から邪悪な何かを感じ、そして、討伐する気を出した。
確かに異形の敵ではあるが、自分が倒せないとは思っていない。
伸びて迫ってくる敵の手、それは気持ち悪い姿ではものの、スピードはそれほどでもない。
冷静に見極めれば、回避は可能だと判断しており、そして、自分には魔剣『ベルリーヌⅡ』がある。
魔力を吸収できるこの魔剣で魔法は対処できると思った。
伸びる手も魔法を帯びているのだろう・・・それならば、魔法吸収能力のある『ベルリーヌⅡ』で倒せる。
そう考えただけである。
「素晴らしい。それでこそ勇者様だ。期待しているぞ!」
それまで万策尽きた様子であったメルトル・ゼウラーは、ここで勇者パーティに期待する。
こうして、次の日から勇者パーティによる『リースボルトの悪魔』退治が始まることになる。