第八話 大奥様
「まったく! ハルさんがこんないい人だったなんて! 私、勘違いしちゃいました~」
呑気にそんな明るい声色でハルの事を大絶賛してくるのは大奥様なる人物。
そこには数刻前まで彼女の事をスパイだと糾弾する姿はもうない。
「ふむ、これは本当に美味しい料理ですね」
彼女が上機嫌な理由はハルの作った美味しい料理を食しているからだ。
ここでハルが作った料理とはトマトパスタ。
大奥様より敵国のスパイだと糾弾されつつも、それを無視したススムに懇願されて作った故郷の料理である。
「乾燥パスタを使っていたけど、どうやって作ったの?」
ススムはハルの調理していた姿を見て気になるところを質問してくる。
「乾燥パスタを製造する魔道具を作ったの。生地をこねて圧延した生地のタネをパスタ状に精製するところから急速乾燥させるところまで全ての工程を魔法でできるわ」
ハルはそう述べて魔法袋から机の上に乗る程度の大きさの機械を取り出す。
そこに予め魔法袋に保管していた小麦の生地を投入すると、ニュ~ウと麺が作られて出てくる。
「これを乾燥せずにそのまま使えば生パスタになるわ。こちらの方が食感はモチっとしているから、それが好きな人はこのまま提供する時もあるの」
そのパスタ製造マシーンに興味津々なのはススムだけではなく、ボルトロールの調理人や大奥様、ルカやレイチェルなどの技術者からも注目を受けていた。
しかし、ススムが褒めるのはそこではない。
「ハルさんのパスタの味の決め手はトマト・ソースと観た。ビン詰めされているそのソースはどうやって製造したのかな?」
「これは私オリジナルのソースよ。これはこちらの世界の様々な野菜を長時間煮込んで旨味を引き出しているの。詳細は・・・秘密ね」
ボルトロールの職人が聞き耳を立てているので、この場でソースの作り方は開示しなかった。
このソースの配合はハルのノウハウが詰まっており、そう易々と教える訳にはいかない。
「ススムさん。それ以上の追及は酷というものですよ。料理のレシピとは魔法のレシピに通じるものがあると思いますわ。これ以上の追及は彼女の権利を侵害しているようなものです」
意外なところで助け舟を出してきたのは大奥様なる人物だ。
彼女はこのボルトロール王国では珍しく古風なローブ姿の魔術師である。
そんな彼女は魔術師の価値観としてハルの秘密を守る権利を認めていた。
「解りました。確かにこれ以上の追及は俺も料理人としてのプライドがある。ハルさん、失礼したね」
「いいえ。私もこれでススムさんのようなプロの料理人に認められたと思っています。素直にうれしかったです」
「それでは。ハルさんからトマトの種を提供して貰おう。それをカレー粉と物々交換だ。トマトの栽培と品種改良はルカに任せていいか?」
「うん。ススム、私に任せてよ。時間はかかるかも知れないけどハルさんが見つけたトマトよりも美味しいものを作るわ」
「まあ。それならば、私はしばらくこの『トマトパスタ』にはありつけないのですか?」
眉毛をハの字にしてそんな困る表情を見せたのは大奥様である。
彼女はまるで食いしん坊の貴族のように映っている。
それが何となく可哀想に映ったハルはつい仏心を出してしまった。
「解ったわよ。それまでは私がススムさんにパスタの材料を提供してあげる。乾燥パスタと瓶詰めトマト・ソースがさえあれば、あとはススムさんならば簡単に作れるわよね」
「ああ大丈夫だ」
任せろと胸を張るススム。
食堂店長の腕を信頼している大奥様はこれで安心する。
「まあ! やはりハルさんは良い人ですわ」
笑顔の花をパッと咲かせる大奥様は、やはり食い意地の張った俗人だと思うハル。
こうして大奥様より信頼を得たハルは、この研究所での立場が盤石となるのであった・・・
そのようにしてハルを認めた大奥様ではあったが、彼女はこの研究所を取り仕切るナンバーツーでもある。
いや、この研究所の全体を監視する魔術師を束ねる存在としてボルトロール王国側から派遣された真の実力者だと言ってもいいだろう。
その大奥様はその日の夜、配下の魔術師に緊急召集をかけた。
彼女の呼びかけに応じて、この研究所に勤める魔術師――特に警備部に所属する荒事対処専門の魔術師が秘密の部屋へ集められる。
それは軍の情報部に所属する女性魔術師達であった。
「全員集まったわね。今晩の議題は江崎家の長女――ハルさんについてです。リューダ、アタナの調査結果をここで説明しなさい」
「ハッ!」
彼女は職業軍人らしく大奥様に恭しく敬礼を示し、求められたハルの調査結果について簡潔にまとめて報告する。
彼女にとっての直属の上司は中央軍務司令補佐アトロス・ドレインであるが、魔術師的にはこの大奥様が師匠に当たる存在であり、頭が上がらない。
「ハルさん――彼女は江崎家の長女、現在の年齢は二十一歳。出身は異世界のサガミノクニ。転移中の不遇な事故により、ここの集団から離れてしまい、エストリア帝国の西海岸のクレソンと言う港町で魔術師に拾われて保護を受けた模様です」
「ハルを保護した魔術の名前は判る?」
「いいえ。ハルさんから聞けていません」
「それが引っ掛かるわね。そのクレソンという港町はエストリア帝国の大魔術師リリアリアの出身地よ・・・まさかね?」
「それについては引き続き調査しております。現在は帝国に潜ませている間者からの情報も精査中ですので」
「ええ。よろしく頼むわ」
「ハルさんはそのクレソンで魔術師としての教育を受けた模様です。その後にラフレスタへ進学し、現在の夫アークさんと出会ったようです」
「結婚しているのね。賢明な判断の娘だわ。こちらの世界で居場所を得るに婚姻する事が手っ取り早い方法よ。案外強かな女かもね。その夫に関する情報は?」
「夫の名前はアーク、剣術士です。現在解っていることは彼が魔力抵抗体質者だということぐらいです」
「ふーん。魔力抵抗体質者とは珍しい存在ね。しかし、ボルトロール王国と魔力抵抗体質者は相性が悪いわ。先のエクセリア国との戦争で敵側の英雄ウィル・ブレッタという魔力抵抗体質者に我が軍団が破れているからねぇ~」
大奥様は先の戦争の情報を得ていた。
本当に敗れたのは銀龍スターシュートの登場と、それを連れてきた謎の仮面魔術師によるものであるが一般王国民の前でそんな事も言えないので、敵側の強力な英雄の力により負けた事にしている。
尤も、ここに集まる魔術師は情報部出身であり、真の情報を知る者も少なくない。
そんな裏事情を含めての発言である。
「それにあのラフレスタに関わっているのが気になるわね。あそこはウチの秘密部隊が壊滅させられたところよ。謎の仮面魔女と英雄ウィルの弟の剣術士によってね・・・」
大奥様が悔しそうに歯ぎしりする。
彼女が感情的になるのは珍しいことだ。
それはカミーラの所属する組織――いや、彼女の父が統括している組織がイドアルカだからである。
大奥様の婚姻前の名前はカミーラ・イド・アルカ・・・イドアルカ総帥の愛娘である。
政略結婚として研究所を統括する風雅の元へと送り込まれ、ここでは大奥様と呼ばれている訳である。
そんな彼女がイドアルカ内情を知るのは当たり前の話。
ラフレスタで負けた獅子の尾傭兵団の情報も正確に得ており、恐ろしい無敵の白魔女の存在も当然知っている。
「もしかして、ハルさんが白魔女である可能性・・・ありえるかもね? 卓越した魔道具師なのでしょ? あの娘?」
「そうです。彼女の発明はトシオさんの実力に匹敵するかと・・・」
リューダはハルの実力を正確に見抜いていた。
「それならば、あの娘が無敵の魔女に変身できる仮面の魔道具を開発できる可能性もあるわ。その白魔女は南の公国の首都アレグラの内乱でも盛大に邪魔してくれたし・・・黒仮面の騎士なんて変な仲間も増やしているようだし・・・加えて、辺境の銀龍スターシュートも従えてと・・・私達ボルトロール王国にとって疫病神的な存在なのよねぇ~」
「・・・」
実はこのときリューダにはハルの仲間に謎の龍魔法使いの研究者の姿が浮かんだが、何故かその存在をこの場で公言する事はできなかった。
それは彼女の中でジルバの正体がスターシュートであるのは憶測の域を脱せない事もあったが、ここで偉大なる意思によって邪魔された事も大きい。
しかし、本人はそれに気付けない。
「ともかく、アナタはハルさん達の監視を続けなさい・・・今のところあの娘は我々にとって有益です」
「・・・はい」
ここで大奥様がそう結論を出したのは、彼女が美味しい料理を作れるからだ。
ススムに加えて、ハルの存在は自分にとってプラスに働く。
そんな俗っぽい欲望がこの大奥様なる人物の甘さ――と言うか、お茶目さであったりする。
しかし、彼女のような人物は自分には甘く、他人には厳しい。
ここで彼女が厳しく当たる相手はリューダであった。
あるひとつの案を思いつく。
「リューダ・・・気が変わったわ。アナタ、ハルさんの監視はいいから、彼女の夫を奪いなさい」
「え・・・私が!? アークさんをですか?」
思いもよらない命令に困惑するリューダ。
「そうよ。愛するものを奪われた時、女は一番感情的になるわ。それは相手に隙を見せる事になる。それがハルの心の底を見極めるチャンスにつながるの」
「・・・ええ、でも・・・」
ハルとアークが深い愛情でつながっている事を認識しているリューダは自分が入り込む隙など無いと思っている。
しかし、ここに叱咤が飛んできた。
「リューダ。これは命令よ。アナタは将来王国を背負う有益な人材。だからこれは大切な使命なの・・・私でさえ、あの男の機嫌を取るために毎日あの汚いのをシャブっているのだから・・・」
ここで大奥様が嫌々相手しているのが誰であるかは大体想像ができた。
しかし、全員がその正解をここで口にできない。
本人を目の前にして真実を告げられる勇気を持つ者など、ここには誰ひとりとして存在しない・・・
そんな忠義を見せた部下の存在に感心しながらも、大奥様はリューダを諭し続ける。
「リューダ、アナタの事は幼少期より知っているから、私からこんな命令を言うのも酷なのだけど・・・これは王国からの命令だと思いなさい」
「・・・ハイ・・・解りました」
渋々だがリューダは承諾の意を示す。
「他の者もハルさんの動向は十分に注意して監視してね。どんなに細かい事でも私に報告するように」
「「はい」」
ここでリューダ以外の情報部に所属している女性魔術師は小気味良い返事を返す。
それは彼女達がリューダのような面倒な命令を請けなくて良かったと思っているからだ。
尤も、彼女達はサガミノクニの人々から女性として求められれば拒否しないように命令されていたが・・・
こうして、研究所の裏の魔術師の会合は解散となる。
翌日からハルの送り迎えの仕事はシュナイダーがひとりで担当となったのは言うまでもない。




