第三話 ハルの研究領域訪問
結婚報告でいろいろあったが、現在のハルは研究所施設内を見学させて貰っている。
研究所の奥へと続く通路を進んでいるのはハル、トシオ、アケミ、ヨシコ、ハヤト、そして、リューダである。
その先頭を歩くハヤトは元気がない。
「ほら、ハヤト。もうちょっと元気を出しなさいよ!」
ハルの結婚報告のショックがまだ続いているハヤト。
そんな彼を励ましているのはアケミだ。
「だって、あの江崎さんが戻ってきたと思ったら、もう他人のものになっていて・・・」
「何を言ってんのよ。好きだった人が幸せになったんじゃない。祝ってあげなよ。それにアンタには私がいるから」
「だけどよう・・・」
まだ未練がましいハヤトの頭を再び叩くアケミ。
まるで漫才コンビのようであり、見ていて楽しい。
「フフフ。ふたりとも仲良くなったわねー」
ハルが思わず笑ってしまう。
「いや・・・アケミとは・・・彼氏、彼女って関係よりは・・・友達の延長のような関係だ」
「今更何を言ってんのよ。寂しい、寂しいってあれほど泣いていたアンタを励ましてあげたじゃない」
「こ、こら、アケミ。そんな事を人前で言うんじゃねーよ!」
「そうね。アンタは格好付けだからねー」
「この野郎。調子に乗んなよ!」
「アハハハ」
このふたりは本当に仲がいいと思うハル。
波長が合っているようだ。
長浜・隼人――正直ハルはこの男子の事を今まで良く知らなった。
同級生ではあるが、彼と喋ったことなど数回であり、友達だという感覚は無いに等しい。
しかも自分の事を厭らしい目で見ているとの噂もあり、あまり良い印象を持っていなかった。
その彼の事を毛嫌いしていたのはアケミ達も同じであり、マイナスの印象からどうして彼氏彼女までの関係に発展したのか聞きたくなる。
しかし、今日のハルの目的は中学の友人と友誼を深める事ではない。
「ここからが先が研究領域さ」
トシオの先導で研究所内を案内して貰っている。
今日のハルの目的はこの組織の内情把握である。
この研究所の内部構成と人々の待遇状況を把握し、今後、ボルトロール王国脱出に向けて検討するためだ。
研究所として機能している城内の生活区域は比較的自由に行動できるようだが、それでも城の奥の研究領域だけは秘密の区域という事で高度な警備態勢が敷かれていた。
区画の入場を監視する警備員に入場許可証である水晶玉が埋め込まれた首飾りを提示する。
それを専用の魔道具で読み取ると入場を制約していたバーが上がり、入場が許可された事を示す。
(懐かしいわね。アストロの研究棟を思い出すわ)
そんなエストリア帝国の魔法研究施設を思い出すハル。
このゴルト大陸で最高峰の魔法研究機関にいたハルからすると、ここはその施設の物まねのようにも映る。
それでも、この警備装置はここの研究所の自慢らしく、警備担当はハルが驚く事に期待していたようであった。
「すごーい。まるでセキュリティーゲートのようね」
自分でもわざとらしいと思いつつも、派手に感心を示すと警備担当者は満足したようだ。
「ここから先は秘密の施設という事もありますが、危険なものを取り扱っています。魔法の知識無い人が無暗に入らないようにしています。これも安全を確保するためです」
尤もらしいセキュリティーの必要性の説明をしてくれるのはリューダで、その理由が建前であるのは十分に解っている。
「なるほど、万全のセキュリティー体制ということね。今日はどこまで見せてくれるのかしら?」
「他ならぬ部長の帰還です。少なくとも僕の管轄している第二研究室は余す処なく見せますよ」
「あら? トシ君。企業秘密はないの?」
「僕が部長に秘密にできる事なんて何もありませんよ」
そんな事を涼気に話してくるトシオは今でもハルの事を完全に信頼していて、尊敬をしているのが解る。
それはハルが深い科学知識を持ち、聡明な女性であると認めているから。
彼にとってハルとは単に科学クラブの部長だったという関係ではなく、自分と同じ科学信者の同志だとする特別な仲間意識を持っていた。
だから、「ここを見学させてほしい」とハルから頼まれれば、それをふたつ返事で請け負ったのだ。
「この研究所には五つの研究領域が存在して、それぞれの研究室が独立しています。第一研究室は施設の統括と王国への広報活動。その室長はフーガ所長――かつての風雅教授です。この研究所の成果管理と施設運営を司っています。第一研究室には経理部と管理部が所属しており、そこは大奥様が管理しています」
「大奥様?」
「所長の第一夫人よ・・・風雅教授って、こちらの偉いさんの娘と政略結婚して、結構いい暮らしをしているのよ!」
「ちょっとアケミ! 大奥様の事を悪く言っちゃ駄目よ!」
「ヨシコ。ちょっとぐらいいいじゃない。私、あの人って苦手なのよねー。まぁ、第二婦人ほど性格は悪くないけど」
「それは言えてる」
はじめはアケミの愚痴を窘めていたヨシコもここでその意見に同意している。
彼女達は得てして不満を遠慮なく口にする性格だったと思い出すハル。
「ヨシコまで同意するって、その第二夫人って相当クセが強そうね」
「ハル、そうなのよ。アレは性悪よ。地球最強かも?」
「そうそう。そんな女が経理部でこの研究所の予算を牛耳っているのよねー。この前も私と食堂部のススムさんが福利厚生で意見したら、すごく噛みつかれちゃって。面倒くさいったらありゃしない・・・」
「アケミもストレス溜まっているわね・・・」
「コラコラ、ふたりとも他人の悪口はそのぐらいにした方がいい。どこで誰が聞いているか解らないよ」
「はーーーい」
トシオの指摘により口を噤むアケミとヨシコ。
「ケケケ、怒られてやんの!」
それを見て笑うハヤト。
この四人は中学校時代の友誼がまだ続いているようである・・・ハルはそんな印象を得た。
「話を戻そう。この研究所には五つの研究領域がある。第一は先ほど説明したとおり。そして、第二領域は第二研究室が担当だ。そこでは有用な魔道具を研究・開発している領域――僕が担当している」
ハルが頷くのを確認したトシオは説明を続けた。
「そして、第三領域は科学・機械技術の研究開発領域・・・科学技術を利用した道具を開発している」
トシオは敢えてここでは『道具』という言葉を使ったが、ハルはこれが『兵器』であることは既に解っている。
トシオなりにハルに気を遣っているようだ。
「その開発を担っているのが第三研究室のクマゴロウ博士。現在は現場で負傷して、治療中だ」
「あら? 怪我は酷いの?」
ハルにはその人物に心当たりがあった。
それは先のエクセリア戦争の境の平原で『列車砲』という兵器の運用で陣頭指揮に立っていた『クマゴロウ』なる名前の黒髪の人間の存在を聞かされていたからだ。
「いいや。それほど深刻なものじゃない。一時は気を失うほどの怪我だったらしいけど、現在残っているのは擦り傷と打撲ぐらいだね。あの博士は元々身体が頑丈にできているのだろう、大事には至っていない」
「そうなの。それは良かったわ。こちらの世界で身体は資本よ。医者や病院はあっても、サガミノクニほど進んでいないわ。ちょっとした怪我が命取りになる事もあるらしいのよ。そのクマゴロウって人も、できればもう現場には行かない方がいいんじゃない?」
「ああ、そう伝えておこう。僕はこう見えてクマゴロウ博士とは仲がいいんだ」
そう言いニコリ顔になるトシオ。
その姿だけを見ると、やはり中学校時代の彼の姿を思い出してしまう。
トシオは集団の中でリーダー気質の強い人物であった。
他人への気遣いと、人の機微が解る人間。
そういう性格をしているから周囲からの信頼も厚い――それがトシオだ。
「また話が逸れたね・・・研究所組織の説明を続けよう。第四領域は素材・材料研究開発領域。ここの責任者はスズキ博士。とても食いしん坊な人だ。そして、最後に第五領域は医療研究開発領域。ここではヨウロウ先生が現代医療の再現を試みている。この世界では神聖魔法使いと言われる神の奇跡の魔法を制御する脅威の魔術師が存在しているからね。ヨウロウ先生が、現代医学の重要性さがあまり理解されないとよく嘆いている」
「養老先生の事も隆二から聞いているわ。私のお父さんを助けてくれたんでしょ? 本当に感謝しきれないわ」
「ああ、隆二君から聞いたんだね・・・そのとおり、あの人は医療、特に人の命を救う事に大きな使命感を持つ人だから・・・」
そんな会話をしながらも一行は研究所奥の制限領域に着いた。
「さあ、着いたよ。ここが僕の研究室――第二研究室さ」
トシオはそう簡単に紹介して、ハル達一行を室内へ案内する。
ドアを開けると、広い室内には数人の人間がいて、ひとりの人物を取り囲み、会話をしている。
いや、会話と言うよりも、そのひとりに何かを詰め寄っている状況であった。
「この素材の純度をもう少し高めて貰えませんか?」
「そうだぞ。ほら、要求仕様書に書いてあるじゃないか。錫の純度は九十九点九九九パーセント。不純物は十万分の一が許容の注文だ」
男性は書類を振りかざして注文した素材がオーダーに合わないと文句を言う。
詰め寄られている側は細い華奢な女性であり、ボルトロール王国の魔術師が好んで着る近代的な奇抜の衣装。
つまり、魔術師である。
そんな研究室内の様子を目にしたトシオはどうしたのかと声を掛けた。
「何が起きているのかな?」
その声にハッとなる彼ら。
しばらく席を外していた室長が戻ってきた事に気付いたのか・・・いやそうじゃない。
彼らはトシオの傍にハルがいる事に驚いていた。
一番驚いていたのはこの中の女性研究員。
「アナタは・・・ミスズさん・・・ですよね? 私です。ハルです。江崎・春子です」
ハルはその女性の顔を知っていた。
それは当たり前であり、かつて父の研究室で右腕的な存在だった彼女とは普段より面識もある女性だ。
それに対してミスズの顔は引き攣っている。
その理由はハルにも解っていた。
ミスズが困惑しているのはハルが生きていた事ではない。
彼女がハルの顔を見て狼狽するのはかつて彼女が江崎・忠雄博士に対して、ひどい仕打ちをしてしまった事を後悔していたからだ。
「え、ええ・・・解っています。しかし・・・私は・・・」
「その話も隆二から聞きました。でも、私はアナタのことを恨んでいません。こちらの世界に飛ばされて心が不安定だったのでしょ? 誰かを悪者にして・・・転移を誰かのせいにして自分の心が楽になりたい・・・そう思ってしまう・・・そんな過ちは人間なのだから仕方がないです」
「それでも・・・それでも私は・・・」
ミスズは過去の自分の行いを相当後悔しているようだが、謝れば済む話だと彼女自身も思っていない。
それでもハルは彼女を赦す事にしていたが、ミスズはそれほど心の切り替わりが早い人間ではなかったようだ。
まだ悩んでいたミスズだが、ここでその話をしても解決が難しいと思ったトシオは現在起きている問題に話題の焦点を移す。
「それよりも、ミスズさん。一体何を揉めているんですか?」
「室長・・・実は第四研究室に依頼していた錫のインゴットの件ですが・・・」
「ああ、アレね。次の研究に必要な素材のひとつだったね」
ここで男性研究員が元気になり、文句を言い始める。
「レイチェルが品質の悪い錫のインゴットを持ってきたんですよ。こんなもの受領できない」
「何を言っているんですか! ナツオさん。この錫は王国でも高純度の高級品デスヨ!」
そんな台詞を多少棒読み気味で吐くレイチェル。
ハルが密かに彼女の心を読んでみると、無茶振りしてくる第二研究室からの要求を突っぱねるように第四研究室の上司から命令を請けていたようである。
この錫のインゴットも本気では精練しておらず、適当なものを上司より渡され、それを第二研究室に納入してこいと強引に言われたようだ。
確かにこちらの世界で常識を逸する要求が第二研究室へ次々と出されているのは日常茶飯事の事である。
レイチェルの上司はそんな第二研究室の人間を毛嫌いしており、レイチェルに命令して適当にあしらうようにした。
「解ったわ。そのインゴットを貸してみなさい」
ハルは会話の横から入り、男性職員が持つ純度の低い錫のインゴットを奪った。
「おい。こら! これも無料って訳じゃないんだぞ!」
顔を歪ませて文句を言う男性職員のナツオ。
しかし、凄まれても多くの危機を乗り切ってきたハルには効き目がない。
金属の重そうなインゴットを軽々と手に持つハルは、ここで滑らかに呪文を唱えた。
「ハイオール。ハイオール。不浄なる金属よ。汝は精錬されて、分離されよ」
短い呪文は短縮魔法のひとつ。
本当に短縮魔法ならば、その効果は大幅に低下してしまうが、ここはハルである。
彼女は密かに無詠唱魔法で正規の精錬魔法をこのインゴットに掛けた。
そうすると魔素が活性化して、手に持つ錫のインゴットが薄黄色の魔法発光色で輝く。
しばらくすると、そのインゴットの中からまるで砂が零れるようして何かがサラサラと流れ出てきた。
それで彼女の魔法は終わりだ。
「ハイ。おしまい。これで純度九十九点九九九九パーセントの錫よ・・・あら、一桁間違えた。要求仕様より十倍も高純度にしてしまったわ。使える?」
ぎょっとするナツオ。
果たして本当にそうなのか? 疑うも、それをすぐに証明する術は彼にはない。
「それが本当ならば問題はありませんが・・・」
ナツオ研究員は眉をヒクヒクさせて多少疑いながらもハルから錫のインゴットを受け取った。
ハルの言葉を信じていないのは明白であった。
しかし、ここでトシオがそのインゴットを持ち上げて、まるで空中で抄かして見るようにインゴットを眺めてみる。
「うん、間違いないね。僕の分析でも部長の宣言した純度が確保できているのが確認できたよ」
「何っ!!!」
ここでナツオとミスズ、そして、レイチェルが驚きの顔へ変わる。
トシオの眼の分析の分析能力に対する信頼と、トシオの研究に対する厳しい性格を知る彼らはトシオが嘘をつているようには思えなかった。
「念のため、成分分析装置にかけて調べてください」
トシオが命令すると、ナツオ研究員はインゴットを恭しく受け取り、奥の部屋に設置された分析装置へ持っていく。
分析結果が出るのは明日となるが、これでハルの行ったことが正しいかは公に証明できる。
しかし、彼らはトシオが出した結果をもう疑っていなかった。
そんな高い信頼を得ているトシオ。
ここでハルも興味本位で自分の精錬の技を披露したのではない。
彼女にも打算があった。
そのハルの打算とは・・・
「私、ここで働く事にしたわ。兵器は作らないけど、素材の精錬とかならばできるわよ。だって私は魔道具師。エストリア帝国の学園都市ラフレスタで高度な魔法教育を受けてきた魔女だから・・・」




