第五話 隆二と魔法の剣
「えいっ、やぁっ、とうっ、めーん!」
気合の掛け声が研究所の中庭に響く。
そこで隆二が棒切れを持ち、剣に見立てて素振りを行っていた。
これは元の世界で習っていた剣道の鍛錬のひとつである。
地下室へ軟禁されているのを解かれた後、隆二は大概この場所で剣道の鍛錬をしていた。
それは家族と同じ場所にいると気が滅入るからだ。
覇気が無くなり、後悔と自失の念の支配されている父親。
何かを諦めて、全く元気のない母親。
そんな両親と同じ部屋にいるだけで彼の心が病んでいく・・・
隆二は元の世界にいた頃にずっと続けていた剣道の鍛錬をここでする事が日課になっていた。
剣と向き合うこの瞬間だけが、自らの心の平安を得ているような気もしていた。
「てりゃーーっ!!」
パン、パンッ!
激しく踏み込み、的に見立てた木を打つ。
華奢な木刀に見合わず、木の葉が大きく揺れる。
それはこの一撃にそれなりの威力が籠っている証しである。
隆二は剣道で多少の才能はあった。
しかし、大会で良い成績を残せるほどでもなかったりする。
残念ながら剣道をスポーツとして行った場合、隆二の実力はそこまで発揮されない。
彼が本当の実力を発揮できるのは実戦であるが、現時点でそんな才能を持つ事など誰にも解らない。
ただし、この時に隆二の剣道の鍛錬を遠くから見ていた俊雄には隆二の剣の太刀に何か惹かれるものを感じていた。
俊雄は賛辞を込めて拍手をおくる。
パチ、パチ、パチ
「見事だ。隆二君はもしかして剣術士としての才能があるのかも知れないね」
「誰だ!」
突然、自分に声をかけられて隆二の集中力が中断された。
苛立つ顔で声の主を探す隆二。
そうすると、その先には自分の剣道の鍛錬に賞賛を贈る姉の同級生の姿があった。
「確か・・・斎藤さんだったか?」
「ああそうだよ。僕は斎藤・俊夫。君のお姉さん――部長からは隆二君の事は良く聞かされていたからね」
隆二は元の世界でこの斎藤・俊夫の事を知っている。
直接会った事は無いが、それでも姉の女友達が家へ遊びに来た時、時々話題に挙がっていた名前だったからだ。
色恋話など一切出ない姉が唯一気にしている男子として揶揄われていた記憶もあった。
そして、その俊雄とは姉の所属していた科学クラブの副部長である事も知っている。
しかし、ここでも直接話した事はない。
隆二は何故かこの俊雄に対して苦手意識があったからだ。
自分は人見知りではないと自覚している隆二だが、この俊雄はそんな隆二でも苦手な相手であった。
それは彼の印象が冷たいと感じていたからである。
こちらの世界に飛ばされてきた人達の中でも、彼だけが一番落ち着いている。
それは大人よりも大人っぽく、普通の人の価値観を超越した何かを持つような気もする。
そして、姉と同じく謎の光線の直撃を受けて、それでも生きている事実が尚更にそんな人間離れした存在感を増長していた。
瞳の色が蒼に変わってしまった事も、彼が何か別の種類の人間に生まれ変わったと印象付けているのだろう・・・
そんな俊雄が自分の事を興味深く見ている。
一体何の用かと思い、その言葉が隆二から出る前に俊雄の近くにいる人間から先に言葉が投げかけられた。
「ほら、言ったじゃねーか! やっぱ隆二君にお願いして正解だっただろう? 俊雄~」
気が付けば、俊雄の隣でヘラヘラと笑った顔で自分を指さす男がいた。
その顔は軽薄そうに見えたが、人間味もあり、隆二にとって俊雄よりもこの男性の方が苦手ではないと思えてしまう。
「うん、そうだね。長浜君の言うとおりだ。この件は本当に隆二君にお願いした方が良さそうだ」
「ちょっと! ここでそんな事して本当に大丈夫!?」
更によく見てみれば、俊雄の後ろに隠れるようにしてふたりの女子が立っていた。
そのふたりの女子の顔と名前は解っている。
自分の姉と親友だった友達だからだ。
そのうちのひとり、今現在甲高い声で騒いているのは佐藤・明美。
活発な女子で解りやすい性格をしている。
その明美と比べて物静かそうに見えるもうひとりが――少なくとも表面上の印象だが――古田・好子。
ふたりとも姉の親友であり、何度か家に遊びに来た事もあるので隆二も知っている。
「明美、心配すんな。大人達は江崎家のことを毛嫌いしているが、俺は別に何とも思っちゃいねーよ。お前達だって本当はそうだろ?」
「そりゃ、ハルの弟なんだから・・・」
何か言い難そうにしている明美であったが、それは大人達からの目を気にしているのだろう。
大人たちが今回の一件の諸悪の根源だと決めつけている江崎家と仲良くするのはこの集団でご法度行為だったのだから・・・
しかし、ここで俊雄はそんな固定概念を示さない。
「隆二君、実はこの魔道具の評価をお願いしたくて」
ここで俊雄は一振りの剣を出してきた。
既に鞘から抜いている。
「おお! これは真剣か?」
「ええ、そうです。実はこれが開発中の魔剣なのだけど、僕は道具開発の技術はあっても、『剣』というものを今までに扱った事が無いため・・・隆二君からの意見を聞きせて頂きたい。こちらの世界の人間にもお願いしているのですが、言葉の問題や価値観の違いなどがあるため、どうも的確な意見が聞かされないんだ・・・」
「そうかい」
隆二はどう応えるか少々迷うが、本物の剣にはそれになり興味もある。
竹刀の様な模造刀は常に扱っているが、それでも真剣は未だ触った事がない。
そんな経験から果たして自分が剣の事を聞かれたとしても的確にアドバイスできないかもと一瞬考えたが、それでも隆二は強がった。
その剣を俊雄から奪う様に受け取ると、それを二、三回素振りする。
「フン。悪くねえ!」
そんな感触を述べる隆二は唐突に何かを斬りたい衝動に駆られた。
そして、彼の視界に今まで打っていた樹木が目に入る。
それを的にして一閃してみる。
「どぅりゃあーっ! チェストーーッ!」
素早く踏み込み、剣を横へと薙ぎる。
そうすると信じられないぐらいの軽さで、その刃がスゥーーッとまるで飴にでも斬り込むように木の幹へ入った。
スパーッ!
そして信じられないぐらいあっさりと刃が通り、あまりにも反動が無さ過ぎで隆二の身体がフラいてしまう。
「おっとっと・・」
剣に振り回される格好になってしまったが、それでもなんとか体制を立て直し、尻餅をつくような無様な真似だけは阻止した。
そして数瞬後。
ドカーーーッ!!
大木は幹から分断されて派手に倒壊した。
大きな音がしたので、建屋の中から多くの人が出て集まってくる。
そんな外に出た彼らは子供が大木を両断したのを目にして驚いていた。
しかし、その事実に一番驚いているのは斬った本人の隆二。
「すげえ。どうなってんだ!?」
結果に驚く隆二に対して冷静に賞賛を贈るのは俊雄である。
「隆二君、素晴らしい。木が斬れたのは君の技量もあるけど、その剣が魔剣だからだよ。通常よりも切れ味が増す術式を加えているからね」
「魔剣・・・」
「そうらしい。しかもまだ試作機だってよ!」
そんな言葉で答えるのは隼人からである。
そして、彼はニコリと笑う。
それは純粋な笑みであり、人を信頼させる何かを感じる隆二。
しかし、彼は素直ではない。
「良い剣だと思うが・・・完璧じゃないね。バランスが悪りーんだよ。重心をもっと手元に持ってきて欲しい。そうすれば、扱い易くなると思うぜ」
「・・・貴重な意見をありがとう」
俊雄は少し目を丸くしたが、結局、隆二からのアドバイスを正しく聞き入れる。
それは俊雄なりに自分が開発したこの魔剣には自信があり、下手な欠点など存在しないと思っていたが、隆二から貴重な意見が聞けた事で素直に感謝の意を相手に示す余裕もあった。
そんな潔良さを見た隆二はここで初めて俊雄も良い印象を持つ事になる。
それと同時に自分が少しだけ意固地になっていた事も認めた。
「いや、元々は百点だ。それは俺の拘りかも知れねー」
「それでも君の意見を聞けて嬉しかったよ。こちらの世界の人間は僕らを謙遜して、意見を求めても良い答えしか返って来ないからね。隆二君の実直な意見を反映できれば百二十点まで価値を高める事もできるだろう。ありがとう」
「なっ、見て貰って良かっただろ!」
ここで何故か得意げに応えるのは隼人である。
彼が隆二にお願いすれば、この魔剣を正しく評価して貰えると発案した主である。
これらは男同士の清々しいやり取りだが、ここでそれを台無しにする男が現れた。
「何だ、何だ?」
ここで状況を問い正すのは風雅。
その姿に俊雄が気付き、普段から虐げられていた隆二の為にアピールをしようと何かを閃く。
俊雄はここで騒ぎを聞きつけて姿を現した顔見知りの女魔術師の存在に気付き、声を掛けてみる。
「リューダさん。さっきのアレをやって貰えますか?」
「え! トシオさん。今ですか?」
「そうです。既に基本テストはもう終えていますから安全性に問題は無いでしょう」
「・・・解りました」
こうして魔術師のリューダは俊雄からの要望を実行する。
「大いなる炎よ。私の命に灯る輝きを具現化させよ」
リューダは掌を隆二に向けて意識を集中して、魔法の詠唱を始めた。
初めは何が起こるか解らなかった隆二だが、それでもその直後、自分に向かって魔法が浴びせられるのを直感的に感じた。
「ちょ、何すんだ。たんま!」
隆二からそんな狼狽える声が聞こえた直後、リューダの掌から特大の炎の球が隆二に浴びせられる。
ボウッ!
リューダの掌から熱気と共に直径五十センチメートルほどの魔法の炎の球が飛び出す。
それは相当の熱量を帯びており、殺傷能力は疑われない。
「うぉっ!」
隆二は慄いて、反射的に手に持つ剣で自分に迫る危機を魔剣で防ごうとした。
それが・・・そのとおりになる。
ボ、ボ、ボ・・・
剣に魔法の炎の球が接触した後、それは千切れるように個々に分裂すると、その直後の炎は魔剣に引き寄せられる。
炎が不自然に歪み、粘るような形で抵抗してみたが、結局は隆二の持つ黒い魔剣に全てが吸収された。
その現象を唖然の表情で見ているのは隆二本人。
「な・・・何が起こったんだ!?」
「それが魔法の吸収工程さ。この魔剣のエネルギー源。それは相手からの魔法なんだ。相手の魔力を吸収する術式がその魔剣に設定されていて、つまり、魔法を食べるのさ」
「魔法の吸収・・・」
未だ実感の湧かない隆二は目をパチクリとさせている。
しかし、その武器の性能に絶賛を贈るのは風雅からであった。
「おお、素晴らしい! 斎藤第二研究室長。君の開発したその魔法の剣は本当に魔法のようだ。これで敵の魔法が無力化できる。これは素晴らしい武器となるだろう。その魔道具を扱えた隆二君も素晴らしいじゃないか。君達はコンビを組みたまえ。これで素晴らしく価値ある兵器がどんどん開発できるぞ。ワハハハ」
風雅は上機嫌に笑い、魔剣を扱える隆二さえも自分の利益のために利用しようとした。
しかし、ここでそれを拒否する声が挙がる。
「駄目だ! 隆二!!」
その声の主とは江崎・忠雄――隆二の父親である。
彼も樹木倒壊の騒ぎを聞きつけて外に出てきていた。
体調が優れないのか、身体の片側を妻の由美子が支えている。
「隆二、兵器開発に組みしてはいかんっ! この大莫迦者がっ!」
父のタダオからの厳しい言葉によって隆二は頭を叩かれたように首を窄める。
この時の隆二は父からの言葉を厳粛に受け止めていた。
しかし、それを嘲笑うのは風雅だ。
「愚かな親だ。息子の隆二君まで我々の役に立とうとしているのに。それを邪魔するなんて、本当に愚かな男。どこまで我々の邪魔をするのだ、江崎・忠雄!」
完全に見下した態度の風雅の言葉。
この時の風雅はこの研究所の所長としての立場を既に確立しており、この研究所内で何を言おうとも立場は揺がなくなりつつあった。
だから、忠雄を莫迦にする言葉が次々と周囲より続けられる。
「邪魔者の江崎教授・・・本当に役に立たない。我々の邪魔ばかりする悪め」
「そうよ。ホントに嫌になっちゃうわ!」
「そうだ。去れ。邪魔するな!」
いつもは多少罵られたぐらいで怒らない忠雄であるが、この時ばかりは少し事情が異なっていた。
忠雄は自分に浴びせられる罵声を無視して、隆二にこう言う。
「さあ、隆二。そんな兵器を放して、こちらに戻って来い」
忠雄は自分の息子が兵器開発の集団に組みされるのを阻止したかった。
しかし、隆二は迷う。
それは彼らに協力すると言うよりも、強力な魔法の剣の存在に魅力を感じていたからだ。
「親父・・・俺はこの魔剣を使いたいんだ・・・」
隆二は小さい声で自分の願望の言葉を出す。
しかし、それは忠雄を怒らせるだけだった。
「この大莫迦者~~!」
忠雄は隆二へ迫り、息子の顔を平手打ちしようと手を振りかぶる。
彼が滅多にしない自分の息子への折檻。
「アナタッ! 止めて!!」
しかし、ここは公衆の面前。
それが愛故の行動としても勧められるものではない。
妻の由美子はそれを止めようとした。
隆二も自分が打たれると思い目を瞑って身構える。
・・・・
「あれ?」
しかし、隆二はいつまで待っても打たれなかった。
父、忠雄が思い止まってくれたのか?
・・・そうではなかった。
このとき忠雄の顔は真っ赤に染まって、彼の目の焦点が合っていない。
「うが、うが、うがっ!」
意味不明な言葉の羅列が忠雄の口より溢れて、泡を吹いている。
明らかに状態異常を示していた。
「・・・ど、どうしたんだ。親父!」
父親の様子が尋常じゃなかったため、隆二は慌てて駆け寄る。
「あぅ、あぅ、あぅ」
今度は激しく頭を振る忠雄。
それはまるで何かに呪われたような行動であり、周囲からも怪訝な目が向けられた。
「狂ったんじゃない?」
「そうねぇ。私達を嵌めたから罰が当たったのよ。呪われて当然だわ!」
そんな心無い女性の言葉が聞こえた隆二は犯人が誰からは解らなかったが、声のした方をキッと睨む。
しかし、そんな状況の中で忠雄の様子は悪くなるばかり。
遂には全身の痙攣が始まった。
「あぅわ、あぅわ、あぅわ!」
痙攣と共に忠雄から断続的な呻き声が混ざる。
そんな様子を目にして、とある可能性について思い当たる人物が駆け寄って来た。
「これはまずいぞ。江崎教授を抑えてベッドに寝かせよう。もう遅いかも知れないが、あまり血圧を上げてはいけない!」
齢を重ねた男性がそう述べると、慣れた手つきで倒れた忠雄の頭を膝の上に乗せて、瞳孔の反応を調べるため胸ポットに入れていたペンライトを取り出し、忠雄の目に当てる。
「おっさん、何者だ!?」
「江崎隆二君、私は養老・弘。元の世界では開業医をやっていた者だ。君のお父さんは今、危ない状態。もしかすれば突発性の脳卒中の恐れがある」
「ええっ! 脳卒中だって!?」
隆二と由美子はその『脳卒中』という単語に狼狽した。
「おい、裕。来てくれ。江崎教授を運ぶぞ!」
「あ、はい」
養老・弘氏は自分の妻と思わしき人物の名を呼び、その妻は握っていた息子の手を手放して、夫の弘の呼びかけに応じた。
それは人として当然の行動ではあるが、ここでそんな行動を非難する言葉も浴びせられた。
「養老先生、何をしているのです? その男は大罪人ですよ」
それは風雅からの言葉である。
隆二は心無い言葉に怒り心頭で風雅を睨み返すが、手を出すまでには至らない。
それは養老・弘氏がこんな反論をしてくれたからだ。
「風雅所長、私の本業は医者です。医者の使命とは病を負った人を助ける事です。助ける人には罪人・聖人の区別はありません。今は一刻を争う状況です。私がこの世界、今の環境でできることはあまり多くないかも知れませんが、それでも自分の職務を果たしたい」
「・・・そうか・・・それならば、好きにしたまえ」
何かを糾弾したいと思っていた風雅であったが、結局はこれ以上何かを言う事は無かった。
彼としても危篤状態の忠雄氏をこれ以上貶すことがこの集団心理でマイナスのマインドであると判断しての事である。
こうして江崎・忠雄氏はベッドに移されて看護を受ける事になる。
養老医師の的確な処置もあり一命は取り留めた忠雄だったが、それでも脳に障害が残ってしまう。
「・・・そうですか。若年性痴呆症ですか・・・」
養老医師より忠雄の病名が伝えられ、愕然としてしまうのが妻の由美子である。
そんな母の手を隆二が握って励まそうとする。
「一体、どうなっちまったんだ?」
「隆二君、君のお父さんはおそらく突発性の脳梗塞により脳細胞の一部が損傷を負った状態。診察機器の無いこの場所では推定となるが、損傷を受けた脳の基幹は恐らく記憶と判断を司る部分なのだろう。これは運良くと言っていいか?どうかは解らないが、身体機能を受け持つ部分は無事なようだ・・・今のところはだが・・・一命は取り留めている。しかし、彼の記憶や判断をする能力はもう戻らないだろう・・・」
それは厳しい宣告であった。
「そんな・・・今朝まで普通に言葉を話していたんだぜ」
信じられないと思う隆二。
突然にこんな運命・・・一体誰が受け入れられるのだろうか・・・
「糞野郎め!」
得体の知れない運命を憎む隆二は石の壁を強く叩く。
拳に痛みが走ったが、それは気にならない。
何故なら、ここで彼の心に生じた痛みの方が大きかったからである・・・




