第十四話 天寿を全うする時
「ふぅ~、何だか騒がしいわね」
不意に私は意識を覚醒させた。
(・・・確か、研究室で作業をしていたはずだったと思っていたけど・・・)
私の記憶は少し前から途切れていたが、思い直してみると前に自分がいたのは研究室だったはず。
現在いるところは何処だか解らないが、私はベッドに寝かされて子供達が集まってきている。
そして、子供達の話し合う声が聞こえた。
「ユキ、母様の容体は?」
「駄目、意識が戻らない。お医者様からはいよいよって言われた」
「そうか・・・」
深刻そうな表情で子供達が会話内容を聞き、大体の事情は察した。
(なるほど、魔法作業中に倒れた訳ね・・・あれれ? 身体が動かない・・・)
起き上がってみせようとするものの、身体の自由が利かない。
どうやら自分の身体は昏睡しているようだ。
本来ならば由々しき事態なのだが、今の私はどこか冷静であった。
(私もいよいよって事ね)
自分の最期を意識する。
この状況に恐怖が無いかと問われれば嘘になるが、それでもいずれこうなる予感があって、何となく解っていたからだ。
いや、私はもう自分の歴史に幕を閉じる事を願っているのかも知れない・・・
エクセリア国の地に自分達の生活の拠点を築いてから既に六十余年が経過していた。
いろいろな事があったが、それでも多くの子供達に恵まれて、幸せな人生だったと言えるだろう。
(ああ・・・もう思い残す事はなんて無いわ)
先月には生涯伴侶だったアクトの最期を見届けて、自分の弟も含めて既に多くの同胞がこの世を去っている。
自分達にどれほど技術があろうとも、どれほど愛していたとしても、生物である以上寿命という束縛から逃れる事はできない。
特にアクトを失ってからの私は予想以上に打ちのめされて、その寂しさを紛らわすために魔法研究に没頭する日々を過ごしていたような気もする。
魔法は魔力を形成するのに多大な精神力を必要とする。
その無理が祟り、私の残りの寿命をすり減らしたのだろう。
しかし、今の私に後悔の念はない。
既に自分の子供達は大成し、社会の役に立つ人物へ育っている。
それぞれが家族を持ち、孫まで産まれて、自分の意思と遺伝子は途絶える事も無い。
(もうそろそろ、私の責任も終わりのようね。ああ、やっとアクトの所に行けるわ)
私の気持ちは穏やかになり、自分の意識が途絶えて生命の灯が消える瞬間を待った。
そうしているうちに、この部屋には更に人が集まってきて私の最期を娶ってくれる。
身体の自由は利かないのに、不思議とその事だけは解った。
(五感は既に死んでいる筈なのに・・・魔法が機能しているのかしら?)
自分の感覚に奇妙なところを感じつつも、どこか冷静な別の自分がいて、寝かされた自分の姿を少し上の位置から客観的に眺めているような不思議な感覚だ。
「おばぁちゃん。死んじゃ嫌だぁ~!」
曾孫が大泣きして騒がしくなったが、それを宥めるのは隣にいたシーラだ。
「諦めなさい。人間には・・・いや、生物に寿命はつきもの。天寿を全うした者を生き返らせるのは神様でもできないわ」
「でも。おばあちゃん好きー。もっといろいろお話したかったよー」
目元のくりくりした可愛い曾孫が嬉しい事を言ってくれるが、それに応えてやれないのがちょっとだけ悔しい。
いずれにせよ、ここでシーラさんが言う事は正しい。
人には寿命があり、時間軸において人の魂とは有限な存在だと思う。
既に私より上の年齢で生き残る人など、エルフのローラさんぐらいだ。
(あれ?)
そこまで考えて、強烈な違和感に行きつく。
(どうして、シーラさんは普通に生きているのだろう??)
(どうして、シーラさんは美しい女性の姿のままなのだろう??)
疑問を感じたところで彼女と目が合った。
(・・・なるほど、黒幕がここにいた訳ね・・・)
その瞬間、私は全てを悟ってしまったが、相手もそれが解ったのか、私に対して目を細めて笑い返してきた。
そうすると突然景色が暗転する。
(?! 何よ!)
浮遊感を感じた私は暗黒の空間へ飛ばされた。
一瞬の出来事だったが、同じ空間に浮遊するシーラさんもいる。
そして、彼女は私に往々と話しかけてきた。
「ふふふ、ハルさん。やはりアナタの魂は強かったようね。アストラル体になっても自我を保っているんですもの・・・」
「シーラさん・・・アナタだったのね。私達をこの世界に転移させた黒幕なのでしょう?」
彼女が何者か解らないが、事件の黒幕である事だけは確信を持つ。
おそらく、彼女が我々を異世界に召喚した真犯人だろう。
客観的な証拠はないが、こればかりは永年生きてきた私の勘だ。
果たして彼女にどんなメリット、目的があったのかは全く不明だが、ここまでの力を持つ彼女が私の近くで監視していた事の説明など、それぐらいしか思いつかない。
そして、老いを知らない彼女。
その老いない事実さえも周囲に違和感を与えない不気味さ。
彼女が人間でない事の証左であった。
「ご名答よ。最期の最後で正解に辿り着いたわね。褒めてあげる」
この期に及んでウィンクで可愛くアピールしてくる彼女の姿は往年の白魔女の姿を思い起こさせてくれた。
「まったく悪びれていないわね。もうここまで来たらアナタの企みを教えてくれるのでしょう?」
「ええ、良いわ。本体が死んでアストラル体になった貴女には物質的な要素はもう無いから。私に課せられたルール違反にはならないしょう」
彼女に課せられているのが何の縛りかは解らないが、すべてを教えてくれるらしい。
「いろいろ教える前に、まずこれを見て」
彼女は彼方に広がる闇を指さす。
それを見て私はハッとした。
そこには無数の星が輝き、数々の恒星が集まっている巨大な銀河を形成する図があった。
「これが私の管理する世界。貴方達が宇宙と呼ぶものね」
シーラの言うとおり、そこにはハルが知識として知る宇宙空間の光景が映されていた。
ひとつの水の惑星に始まり、どんどん尺度が引かれて、映像は宇宙空間をプレゼンテーションするアニメーションのように次々と場面が移っていく。次は太陽系、そして、その次は太陽系の集合体である銀河へと・・・
そこまではハルのよく知る宇宙の姿だが、映像はもっと縮小していき、最後には宇宙の果て解まで映像で終わる。
「銀河って丸い球状に分布しているのね」
初めて客観的に全体の宇宙の光景を見せられたハル。
「そうよ。外から観測すれば、解り易いでしょ。宇宙が球形なのは概ね間違っていないわ・・・でもこの光景が見えるのは我々五次元人だけよ」
「五次元人?」
嘘か本当か解らないシーラの言葉だが、この場で細かい所を疑っても仕方がないとハルは思い直す。
「そうよ。そして、宇宙の空間は拡がっているの・・・」
シーラが指をパチンと鳴らすと、時間軸が加速して宇宙空間の姿が変化した。
球状に分布する銀河の境界面がゆっくりと拡がり球状の外郭が拡がっていく。
「これは?」
「宇宙の膨張現象よ。元の貴方の世界でも観測されていた事実だと思うけど」
「話は聞いた事がある・・・宇宙の膨張の話・・・」
それは宇宙物理学の話である。
宇宙の始まりはビック・バンから始まったとか、現在も膨張速度は変わらず宇宙空間が広がり続けているとかの話だ。
それはスケールが大き過ぎる話のため、ハルも知識としては知っているが、そこで止まっている学問でもある。
「そうよね。貴方の世界の英人が観測から導き出した結果ね。それは概ね間違っていないわ」
「・・・」
「だけど、ある時、こうなる」
シーラが指をパチンと鳴らすと、事態が少し変わる。
それまで膨張していた宇宙が止まり、そして、その動きが逆転した。
今度は中心へ向かって落下するように収縮が始まる。
宇宙のとある一点に向かって収斂する姿はハルもその説を聞いた事がある。
「これは・・・ビック・クランチ」
正にビック・バンの逆。
重力によって全宇宙の質量が一点へと集中してしまう現象。
ブラックホールなどの巨大質量によって周囲の物質が影響を受ける現象と同じ。
理論的にはあり得るとされながらも、その事実は観測されなかったとされる事象でもある。
「そのとおり、宇宙世界とは絶妙なバランスの上で成り立っているわ。これもあるトリガーで始まってしまう自然現象。そして、世界の終わりの始まり」
シーラの言うとおり、収縮の現場では恐ろしい事が起きていた。
惑星が拉げて圧壊し、星が、そこに住む生命が、文明が滅亡していく。
惑星の都市では多くの知的生命体が阿鼻叫喚。
突然に訪れた世界の終わりに悲鳴を発しながらも、重力の檻は容赦なく、それらすべてを平等に破壊していく。
大地が割れて、マグマが吹き出し、男も女も大人も子供も人間も動物も別け隔てなく、平等に滅びの轡に捕らわれていく。
「これは・・・酷い」
見せられた地獄絵図に目を背けたくなるハル。
圧倒的な破壊力に対して、人とはあまりにも無力だ。
「それでも大丈夫よ。それを貴方達の子孫が救えるの!」
シーラが指摘するとおり、銀河が辺境から一筋の光が・・・
その光は宇宙船などの規模では無く、太陽系まるごとの脱出であった。
歪んだ重力波から逃れるように光速に近い速度で、ひとつの太陽系が弾け出る。
それは大海原を駆けるように虚空の宇宙空間を進み、唯一残った恒星として生命を乗せる箱舟が如く輝き続けた。
「これは科学の勝利ね。技術が文明を救ったの」
誇らしげにそう述べるシーラ。
ハルはまだ状況を理解できていないが、そんな中でその恒星の姿が突如消えた。
「あれっ!?」
「心配しないで大丈夫。彼らは時空の壁を超えたの。まだビック・クランチが始まっていない別の世界に転移したのよ」
「・・・それって・・・」
ここでハルはとある可能性に気付く。
「そのとおり、異世界転移よ。彼らは遂にその技術を単独で手に入れたの。良かったわね。貴方の子孫達の力よ」
シーラは誇らしげにそう述べる。
「なるほど・・・異世界転移を成功させたのね。私の子孫があの難題を解決できたと理解していいのかしら」
「貴方達が受けた転移とは少しメカニズムは異なるけど、概ねそのとおりだと思っていいわ。もう少し詳しく言うと、彼らは次元の壁を超える事ができるようになった。彼らは私と同じように次元に干渉できる力を持ったの。つまり、五次元人になったという訳ね。これって本当に素晴らしい事なのよ。私は同族を産むことができたの。ようやくよ、ようやく・・・」
感慨に浸り興奮気味のシーラだが、ハルはやや冷めていた。
「そうね。二次元人に三次元が解らないように、高次元のことは低次元に住む者には解らないわ。アナタにとっては自分と同じ価値を持つ人類が産まれた事は嬉しいのでしょうけど・・・」
「そこを解ってくれるハルはやはり、この時代で格別の技術センスを持つわね。実は貴女がここまでやっちゃわないかと少々ヒヤヒヤとしていたのよ」
「何となく解ったわ、シーラ。アナタ・・・私の異世界転移の研究を邪魔していたでしょう? お父さんを使って」
今になり様々な不自然さに気付くハル。
もはや、この姿になれば、シーラから不思議の力の干渉を受けないようだ。
「そのとおり、アナタがあの時にその技術を解き明かしては駄目だったの。私にも龍達と同じように典範があるわ。あの時代でハルがその技術を行使してしまえば、私は典範違反。私は存在が許されなくなり、その瞬間、世界は終わる。ゲームオーバーね」
「何の事を言っているのかさっぱり解らないけど、そんな事で随分と私達の人生を弄んでくれたわね!」
「そんなに怒らないで。貴方達を転移させたのは私が唆した事は認めるけど、それを最終的に行使したのはボルトロール人よ。典範には抵触しないわ。しかも、アナタ達を選択したのは健康体で知識と実力、そして、強運を持つからよ。私の姉だった人物が管理していた世界から少々拝借したの。大丈夫、あちらの世界でもビック・クランチの罠から脱しているから」
「何を問題無いってほざいてんのよ! 本当に腹立たしいわ!!」
「だから、そんな事を言わないで、こちらの世界の人間だけでは技術の発展が間に合わなかったの。だから少し姉の世界から人材を拝借したのよ。別に悪い取引じゃなかったでしょ? 貴方達もそれなりに良い人生を送れるように私のできる範囲で特権を与えた筈じゃない」
「それは・・・そうかも」
ハルは少し考えてそう思い直すが、それでも納得いかないのが人間の心情である。
「ほら見て、アストラル体だけど彼の魂は保持してあげた。これは私からの特別な報酬よ」
シーラの指さす方向には彼の魂があった。
「あぁぁーっ! アクトっ!」
私はすべての事を忘れて歓喜する。
永年連れ添った伴侶の存在が何よりも眩しい。
私は迷わずアクトの魂に飛び込んだ。
「本来ならば、死んだ人間の魂はバラバラの魔素に分解されて、新たな生命体の材料となるのだけど、アナタ達は特別。望むだけ一緒にいる事ができるし、神にだってしてあげてもいいわ。自らの子孫達に祝福を与え続けなさい。それぐらいは私の権限の範囲で許されるから」
「シーラ、アナタは一体・・・」
「私、私は五次元人だけど・・・貴方達が理解できるとすれば、世界の創造を許された唯一の創造伸・・・そう言えば理解できるかしら?」
「創造伸・・・その割には典範とか、雁字絡めなのね・・・」
「そうね。残念ながら私も五次元人の中では下っ端の存在よ。世界を創造して、そこから生まれた文明が特別な助けなく、我々と同じレベルにまで育て上げることができれば、私の役割は終わり。逆にビック・クランチですべて消滅してしまえばタイムアップでゲームオーバー。また最初からやり直しになわね。私はもう何十回とこの仕事を繰り返しているの。そろそろ終わりにしたいじゃない!」
シーラがここで悪戯っぽく笑う姿がどこか白魔女に似ていて、何となく納得のいかないハルであったが、ここでシーラを非難しても何の状況に変わりはない。
「本当に私達に特段興味の沸かない話だけど、それでも子孫が助かったのは少しだけ感謝ね」
「その喜びは私も解るわ。彼らだけではない。この世界のすべてが私の子供、私はすべての母だから・・・今回、救えなかった文明もいるので、そこは忍びないと思っているし、救えたハルの子孫の文明を本当に祝福したいわ・・・」
シーラのその言葉を聞き複雑な心境に至るハル。
もし、その話が本当だとすると、シーラは途轍もない生命体の運命を下支えしているのだろう。
あまりにも膨大過ぎで想像できなかった。
それでも、自分の子孫が苦しむ姿を見て喜ぶ母親はいない。
そんな心境のハルだが、シーラはドライだった。
「ホラ、見て。また新しい世界が生まれるわ」
シーラの指の先にはビック・クランチによって凝集した光の塊が見える。
あまりに膨大な物質の凝集。
エネルギーは原子をバラバラに分解し、すべてを素粒子にしていく。
ブラックホールをも超える密度の天体は物質というよりもエネルギーの塊。
素粒子になってしまった物質は光子だけでなく、余剰な魔力も放つ高エネルギー体であり、空間をも切り裂いていく。
そして、別の空間にはみ出してそこへと拡がっていった。
新たな空間で現れた火の玉。
そこは新たな世界のビック・バンとなり同心円状で拡がっていく。
まるで宇宙の創造、全ての始まりだ。
高密度な素粒子エネルギーは物質と反物質を形成し、そして、その一部が融合して新たなエネルギーを引き出す。
それが爆発的に連鎖反応して、この新たな次元で世界を構成する元となり、物質の坩堝を形成していく。
そんな世界誕生の瞬間を煌々とした表情で眺めるシーラはある事を思い付いた。
「そうだ。あの世界の管理者はアナタ達にお願いしようかしら?」
ハルとアクトがシーラの姿を覚えていたのはここまでであり、最後に見せたシーラの姿は悪戯心に満ちた実に楽しそうな笑顔であったのは言うまでもない・・・
以上。敬愛する賢者達 (完話)
あと一話で本当の最終話。オリジナル版と同じく明日(金曜日)更新します。