第十二話 子供達の未来
リズウィが新たな妻のアンナと息子を迎えてから数年が過ぎた。
「レン、兄ちゃん。狡いよ!」
「煩い! 先生に怒られたのはシュンが課題をやっていなかったからだろ! 何でもかんでもシュンの面倒を俺が見られる訳はないさ」
「そんなぁ~」
エザキ魔道具製作所の私的生活空間で兄弟達の賑やかな口論が続く。
「え~い、煩い! 娘達が魔法の練習に集中できないじゃない!! レン、シュン! 黙ってなさい!」
その兄弟の口論以上の大きな声で注意するのは母親のハル。
そんな怒りの母親の前で緊張しているのは二人の女児。
レンとシュンの後に生まれた子供達だ。
名前は幸と華。
男兄弟と同じように双子として産まれてきた姉妹。
周囲はハルが再び双子を身籠った事を大変驚かれたが、それでも産んでしまえばどうという事は無い。
家族が多少賑やかになったぐらいである。
この頃のサガミノクニ生活協同組合内で出産ラッシュだったこともあり、子供の数が一気に増えた頃であった。
だから同世代の友達も多い。
「ユキ、ハナ。遊びに来たよ~。ゲッ!」
遊びに来て驚いた顔を示すのはススムとルカの娘のカンナだ。
それもそうだろう、ユキとハナがここで部屋の壁に立ち、地面とは直角に歩かされていたからだ。
「カンナちゃん。ちょっと待っていてくれる。今、ユキとハナに壁歩きの魔法を教えているから」
ハルは優しい母の顔でそう述べる。
現在、ハルがユキとハナに課した課題とはハルが若い頃に編み出した『壁歩きの魔法』と呼ぶ魔力集中技法のひとつだ。
頭の中で並行して別の事をさせながら魔法を行使し続ける訓練。
ハルならでは魔法教育だった。
下の姉妹は兄二人と違って魔法の素養が高い。
特に姉のユキは髪色が生まれつき青く、ハルの魔法素養を強く受け継いでいる。
かと言って妹のハナも素質が低い訳では無い。
髪色は黒だが、一般的な魔術師よりも素養は高い方だろう。
魔法の集中力も姉に負けていない。
それでも、ユキは自分の方は魔法が得意だと感じている所もあり、実力差があると本人達は思っているようである。
そんな事はないとハルは考えていたので、こうして魔法を鍛える訓練をしているのだ。
「ほら、集中して! 心が落ちると感じれば、本当に地面に落ちちゃうわよ。絶対に大丈夫だと思って歩けば大丈夫だから」
娘達に集中力を促す。
ユキとハナはゆっくりゆっくりと歩み続け、やがて天井の縁まで壁を歩いて登れた。
「すっごーーーい!」
この非現実な光景にただ感嘆するのは同年代のカンナである。
魔法はこの世で珍しい事ではないが、それでもサガミノクニの人々は魔法素養が低く、魔法が使えるのはごく一部の人間である。
カンナは自分と近しい友達が魔法を見事に使えているこの光景に感心して、拍手を贈る。
パチパチパチ
「えへ! あらっ?」
ハナが照れて舌を出したとき、集中力が乱れて髪が重力に負けてしな垂れた。
そうなると崩れるのも早い。
片足が壁から剥がれてしまう。
「コラッ! ハナ、集中力が乱れているわ。パンツだって見えているし」
「えっ! キャッ!」
子供用の魔術師ローブの裾が捲れて、白いパンツを晒していた。
これで本当に集中力が切れた。
「ワワッ!」
魔法が解除されて壁に張りついていた足が外れる。
あとは重力に負けて自由落下してしまうハナだが、そこはハルが受け止めた。
「あいたー! 失敗しちゃった~」
「何、笑ってんのよ! 駄目じゃない。下手したら怪我するわよ」
「大丈夫だよ。だって、お母さんが守ってくれるもん!」
実にそのとおり、もし、落下すればすぐに助けられるようにハルも準備していた。
だから、このような訓練も安全第一に考えていたからできるのである。
そこが解っているハナには甘さがあった。
我が娘の図々しさに呆れてしまうハルだが、それでも上の娘のユキは魔法を上手く継続させていた。
「いい? ハナ、見ていて。こうやって集中するのよ!」
ハルはハナを抱きかかえながら、無詠唱で魔法を行使し、壁歩きを始めた。
その魔力行使はスムーズであり、そして、衣服や髪も全く乱れず、壁に対して垂直なっている。
「頭の中で処理をふたつに分けて、一方では普通の事を考えて、もう一方は魔法行使に集中するのよ」
「お母さん、すごーーーい!」
ハルは簡単にやっているが、これは魔法行使の中でも高等な技術だ。
成人でも難しい施術方法であり、初等学校教育の始まったばかりの娘達には明らかにオーバースペックな課題でもある。
しかし、ハルの娘であるユキやハナはやはり特別だった。
彼女達も母親の真似をして同じ事を実行しようとする。
魔法を使い始めたのでハナを離してみたが、今度は上手く壁に張りついた。
ハルの歩みが壁から天井へと移り、益々難しい場所へ移動しても長女のユキはついてきた。
次女のハナもその後を追おうとするが、天井は自重が余計にかかり、視点も天地がひっくり返るので集中力が途切れそうになってプルプルとしだす。
「ほら、ハナ。頑張って! 魔法が途切れるとまた落っこるわよ」
ハルは頑張れと言うが、ハナは限界が近いようで、魔力が低下して髪やローブの裾が重力に負けて垂れ下がってくる。
「ハナ、しっかりヤレよ! 集中するんだ!」
「そうそう、またパンツが見えそうになってるぞぉ!」
「わッ、バカ!」
激励なのか、おちょくりなのか解らない兄達からの声援に顔を真っ赤にして応えるハナ。
ハルの心の中は、やれるものならばやってみろ、だったりする。
ハナは同年代の魔術師でも優秀な部類に入る。
だが、ここで訓練されている内容は幼小学校で行われるレベルではない事も解っていた。
(お母さんもすごいけど、ユキも・・・嫌だ、負けたくないもん!)
姉のユキは魔法の天才だった。
実力差は解っているつもりだったが、それでも負けず嫌いのハナはここで落ちるのは嫌だと思う。
自分と産まれた時間が数秒ほどしか変わらない姉ユキに対する嫉妬が芽生えて、より集中力がかき乱される。
(駄目。落ちちゃう!)
ハナはいよいよ自分の限界を感じて、落下に備えて準備をする。
そんなハナをあざ笑うユキ。
(この程度で限界なんて、ハナの魔力もたいしたこと無いわ。初等学校の魔法の授業で成績が良くてもそれは所詮凡人の範囲なのよ)
ユキは魔法の天才だった。
論理的な魔法の考察に関してはハナの方が得意だが、ユキは感覚で魔法を理解している。
実技ならば、誰にも負けない自信があった。
そんな傲慢な態度は母親のハルによって見透かされる。
「ユキ、駄目よ。油断しては・・・いつ何が起きるか解らないのが現実世界。慢心に陥っては足元をすくわれるわ」
ユキは母が莫迦な事を言っていると思った。
(この状況で何か起きる訳ないじゃない!)
ある意味で現状を冷徹に分析するユキの思考はそこで止まるが、ハルの指摘は意外なところからやってきた。
「ハル、大変だ!」
ここで血相を変えてこの部屋に入ってきたのは夫のアクトとその兄のウィル。
ふたりは強力な魔力抵抗体質の成人体だ。
ある意味で子供のレンやシュンとは比べ物にならないぐらいの魔法への干渉能力がある。
ブォーーン
部屋に充満した壁歩きの魔法の術式が次々と分解・解除される。
そうすると・・・
「キャッ!」
短い悲鳴は天井を歩く三名から発せられた。
「わっ! 魔法が解除された。ユキ、危ないっ!」
ハルは咄嗟に自分の近くにいたユキを守ろうとする。
敢え無く落下してしまうハル達だが、そこはアクトが守った。
バフン~
素早くハルとユキの落下点へ滑り込んで、身体を張って彼女達を守った。
お陰で彼女達は無傷だ。
「ハナは?」
唯一手の届かなかったハナの安否を真っ先に心配するハル。
しかし、ハナは・・・
「私は大丈夫よ!」
「ふががが・・・痛いっつうのぉーっ!」
ハナはアクトの来る前より自分が落下してしまう事を予想して準備していたので結果的に大丈夫であった。
綺麗に空中で一回転して、二番目の兄のシュンの肩の上に落下。
狙ってそうしたのかどうかは解らないが、シュンに肩車されるような形になった。
結果、肩に強打を受けるシュンだが・・・
「シュン兄さん。私は軽いから大丈夫でしょう?」
「ぐ・・・確かに軽いけど・・・びっくりしたなぁ~」
シュンの口調からは大事に至っていないと予想ができる。
結論として天井から落ちた三人は無事だった。
ここでハルが胸を撫で下ろし、突然入ってきたアクト達に苦言を呈する。
「ふう~。良かったわ、アクトーっ! 突然入ってきちゃ駄目じゃない!」
「ご、ごめん・・」
バツが悪そうな顔するものの、自分が悪かった事は解るので素直に謝る。
それで終わりだった。
ハルはいつまでもグタグタするのは嫌いな性格である。
「それで、一大事のようだけど? 何?」
「そ、そう・・・そうだった。父様が来るんだ。さっき手紙が届いた。子供達の顔を見にくるらしい」
「あらそうなの? それは大変ね。前に来られたのは私達の結婚式の時だったし・・・あっ! 部屋の掃除をしてないわ!」
いつも強気のハルも自分の義理の父母の存在には弱い。
しかし、この曾祖父の来訪に関しては息子達から強い興味と関心が示される。
「えっ? お父さんのお父さんって、もしかしてブレッタ流剣術の当主様?」
レンとシュンは物心ついた頃からアクトとウィルよりブレッタ流剣術を習っている。
アクトやウィルの事を父や叔父として尊敬しているが、それ以上に曾祖父の存在はブレッタ剣術の総師範として最大級の憧れがあったりする。
それは剣術士の家系に産まれた者としては当たり前の感覚だ。
「そうだ。しかも、トリアに鉄道が開通するからその第一号でやってくるらしい」
「え? そうだとすると、明後日じゃない! 突然すぎるわ。義父と義母を出迎える掃除が全然終わらないわー!」
ハルが悲鳴を挙げる。
「ユキ、ハナ。魔法の訓練は一時お預けよ。お母さんを助けて。掃除しなくっちゃ!」
「お母さん、何を言っているの? 掃除ならば社会維持部の人達がやってくれるし、うちは十分綺麗」
「そう。これ以上綺麗にするところなんてないわよ」
「何を言っているの! 全然綺麗じゃないわよ。私が子供産んで怠惰な生活を送っているなんて思われたくないの! それに太るもの駄目だわ。今日からダイエットしなくちゃ!」
「お母さん、全然太ってないから大丈夫だよ!」
「そうそう。少なくともカエデちゃんやアカツのところのお母さんより痩せているよ」
「コラッ! アケミやヨシコにデブッて言っちゃ駄目じゃない! 本人達は気にしているんだから!」
思ったままの事を言う娘達を軽く注意するハル。
その後バタバタとなるブレッタ家だが、ハルと娘達の奮闘もあり、ハルが納得できる清潔空間を何か確保できたサガミノクニ生活協同組合はブレッタ家当主一家を無事に迎えた。
明後日、子供達は初めて会う曾祖父に緊張するものの、それでもブレッタ流剣術の指導をして貰えてご満悦だ。
当のレクトラとユーミィは可愛い孫達に会えて終始ご満悦な様子。
そして、アクトの妹であるティアラの結婚が決まったことも報告に持ってきた。
相手の男性はトリアで由緒ある貴族の男性らしい。
人柄もレクトラが保証しているので問題ないだろうとはアクトの弁。
現在は両家の挨拶を済ませて結婚に向けた調整と準備を進めているらしい。
「そうなのだ。娘も良い齢だから、お前達に子供ができた事に焦っているようだったぞ! ワハハハ」
とレクトラは豪快に笑い、アクトも良かったと思う。
「結婚式の時は是非とも一家でトリアへ来て欲しい」
「そうですね。その時は無理してでもお誘いを受けしますわ」
ハルは普段あまり話さない丁寧語で義理の両親に応えた。
これを見た子供達はいつも豪快な母が畏まる姿が珍しかったのか、良いモノが見られたと思っている。
そして、今回が初顔合わせとなるハルの両親とアクトの両親のご対面。
「ようやく会えましたね。私どものハルがとてもお世話になりました」
「いやいや、ハルさんはこのエクセリア国でもエストリア帝国でも宝のような存在です。我が不肖の息子のアクトが本当に良い夫を務めているか心配しているところです。それに同族の方々も英知を持つ賢者だとのお噂は聞いています。これからも互いに仲良くさせてください」
そんな感じで互いの挨拶を済ませる。
良い雰囲気でまとまった。
密かにホッと胸を撫で下ろしているアクトとハルだったのは言うまでもない。
そんな感じで両家の関係は長く友好が続く。
そして、レクトラ達がここに来たのはアクトとハルの子供を見に来ただけではない。
ウィル・レヴィッタ夫妻にも子供が生まれたのだが、その名はレイヴン。
ウィルに似て寡黙の真面目な性格で、剣術に対し強い興味と高い素養が備わっていた。
このレイヴンを初めとしたレンやシュンをレクトラは甚く気に入り、エクセリア滞在中に多く剣術を孫達に教える。
子供達が名剣術士として名を馳せるのはまだ少し先の未来となる。
そして、レクトラ達がこのエクセリア国に滞在中、面白い再会がもうひとつあった。
それはボルトロール王国のイアン・ゴートのとの再会だ。
偶然の用事でエクセリア国のリズウィを訪ねて来たのだが、敷地内でレクトラとユーミィ夫人とばったり会った。
そのときのイアン・ゴートの反応は面白かった。
ユーミィ夫人に会うなり、モジモジと落ち着きが無くなるイアン。
リスヴィが不審に思い、問い正してみれば・・・昔、ユーミィを巡ってレクトラと恋敵になった事もあったらしい。
その話にリスヴィが大笑いして、イアン・ゴート師から手厳しい折檻を喰らったのは余談である。
そんな調子で賑やかに、サガミノクニ生活協同組合のコミュニティーの平和的な歯車は未来へと向かって回っていく。
次話は明日(水曜日)、更新します。