第十話 東からの訪問者(その二)
リズウィは妻のリーザのお腹が大きくなってきてから徐々に父親としての自覚が芽生えてきたようだ。
いつもの軽い言動や感情に任せた行動が減り、以前にも増して仕事――とは言ってもアクトやハルの手伝いのようなものだが――を真面目にするようになっていた。
本日もエザキ魔道具製作所に製作依頼のあった魔道具商品を、とある元貴族に納入する仕事だ。
「・・・という訳で、魔道具の使い方についてはその資料を見てください。俺が実演できなくて申し訳ありませんが」
「いいえ、大丈夫ですよ。使い方は説明書を見れば簡単です。それよりも、この魔道具を作ってくれただけで大感謝です。なによりも、現在、このエクセリア国で新進気鋭のサガミノクニ生活協同組合。その中枢であるエザキ魔道具製作所製が自ら作ったと言うだけで価値が出ます。天才魔道具師ハルさんの実力はもう疑う余地はありませんからね。本当にありかどうございました。しっかりとお代は支払わせて貰いますので」
元貴族はそう述べて、約束どおりの報酬を支払う。
「ひい、ふう、みい・・・三十万クロルの大金貨、確かに受け取りました」
恭しく礼をするリズウィの姿はさながら商人の見習い丁稚のようである。
ここでリズウィはこちらの世界の商人についてはあまり良い印象を持っていなかった。
利益にあざとく、客とは騙し合いのような交渉を是とする彼らの行動を目にして、決して同じ仲間になりたくはないと思っている。
だからこんな事を付け加える。
「魔道具の保証はします。もし、初期不良あれば、すぐに言ってください。新品と交換対応させていただきます。正常な範囲の使用においても五年間は保証期間となります。その場合も無償で修理対応します」
「解っていますよ。エザキ魔道具製作所なので信用していますから」
前の世界では当たり前だった製品保証についても、この世界では画期的なことであったりする。
元々魔道具とは繊細な道具であり、すぐに故障したり、紛い物であったりとは良くある話だ。
ここまで明確に保証事項を謳うものも珍しい。
伝統ある魔道具商会では保証をきっちりとしている所もあるが、そうなると価格は数倍となる。
エザキ魔道具製作所のような零細魔道具製作所でカスタムメイドにまで対応し、ここまで保証が手厚いのはハルが自分で作る魔道具に絶対の自信があるからである。
なので、代役としてここへ納入に訪れたリズウィも気持ちいい仕事ができるのである。
「本日はありがとうございました」
「うむ、これからも良いお付き合いをさせて貰おう」
納入した元貴族の男性もニコニコ顔で無事取引完了となる。
玄関まで手厚く見送られたリズウィは待たせていた馬車に乗り込むと、サガミノクニ生活協同組合に向けて動き出した。
しばらく馬車に揺られたリズウィはハッと用事を思い出す。
「そう言えば、リーザから本とお茶を買ってきて欲しいと頼まれていたなぁ・・・」
現在は妊娠期間中で安静にしている妻。
退屈だと言っていたのを思い出した。
馬車の御者にはリーザとよく訪れていた雑貨店に寄るよう頼む。
御者は指示を了解して帰り道にエクリセン中央通りに面した有名な雑貨屋に寄った。
「お・・・あった、あった。これがリーザの好きな茶葉だろう?」
リズウィは雑貨屋で目当ての物のお茶の葉が入った缶をすぐに見つけた。
「お客様、お目が高いですね。その茶葉は貴族も好まれる高級品でございますよ」
「うん、知っている。これを二缶くれ。妻が好きなんだ」
「それってリーザ様ですよね?」
雑貨屋の店員はここによく来るリーザの事を覚えていたようだ。
当然、妻と同行していたリズウィの顔も覚えている。
「そう言えば、本も欲しいって言っていたなぁ・・・って言われても俺はよく解んねーんだよなぁ~」
「それならば、おそらくこの冊子だと思われます。エクセリア帝国の帝都ザルツで流行っている恋愛の詩が書かれたものです。毎月欠かさず買われていたので・・・」
「ならば、それもくれ!」
リズウィは翻訳魔法が掛けられているのでこちらの会話は理解できるが、文字まではあまりよく解らないのだ。
数字については金銭交渉で覚えたが、そこで止まっている。
本の内容や細かい文法まではよく解らない。
ここは店員の勘に頼ることにした。
こうして目的の物を手に入れて帰ろうとしたところで、不意に視線を感じた。
「何だ?」
ふと振り返ってみたが、何も解らなかった。
「気のせいか?」
リズウィもそう思い直し、自らの馬車へと戻る。
「もういいよ。目的の品物は手に入った。ウチに戻ってくれ」
「はいよ。若旦那」
御者から小気味の良い返事が聞かれて、馬車は発進。
その馬車の中で何度かリズウィは後ろを振り返る。
そんなリズウィの不自然な行動は御者も気付く。
「若旦那。どうされたんで?」
「・・・視線を感じたと言うか・・いや、何でもない。気にせず行ってくれ」
違和感あったが、それを上手く説明することもできず、結局は何もないと答える。
「若旦那ぐらいの有名人ならば、街の皆から注目されますぜぇ~」
「その若旦那ってのは何だよ!?」
「サガミノクニ生活協同組合のエザキ魔道具製作所って言やぁ、最近このエクセリンで最も儲けている魔道具製作所ですぜぇ。そこの工房主ハルさんの弟と聞けば、出世街道間違いなしってヤツですぁ~ それにサッカーも上手いし、気さくな感じで、あっしのような学のない人間はリズウィ様って結構好きですぜぇ~。そんな良い男を街の女共は放っておきませんよ~」
「何を言っているんだ。俺は妻帯者だっつう~の!」
砕けた口調で返すリズウィ。
だが、そんな雰囲気のリズウィは下々の民から人気あったりする。
「誰かにつけられている気もしたけど・・・そうだな~。いちいち気にしていたら日が暮れちまう。もういいや、このまま帰ってくれ」
結局、何らかを察しても御者の言うとおり、リズウィはエクセリア国でもそれなりに有名人になっていた。
御者から気のせいだろうと促されて、そのとおり受留めることにした。
そのリズウィの感覚が正しかったのは彼らがサガミノクニ生活協同組合の敷地内に入る寸前で解る事になる。
不自然に物陰から馬車が飛び出してきて、まるでその瞬間を狙っていたように並走する。
それは盗賊の手口と似ており、御者は少しばかり緊張した。
しかし、その実は全然展開が違っていた。
「リズウィさん。奇遇ですね!」
突然並走してきた馬車の女性御者から話しかけられた。
御者男性は驚いたが、リズウィはその声に聞き覚えあり、顔も知っていたので、警戒はしない。
「リューダさんがどうして? そうか・・・マチルダ王女と一緒にまた来たのかよ?」
「また来てはいけませんか? リズウィさん、お元気そうで何よりです」
「ああ~、俺はぼちぼちだぜぇ。リューダさんも元気そうだなぁ。自ら御者をやっているぐらいだからな。姉ちゃんに会いにでも来たのか? 何らかの交渉か?」
「まぁ・・・そんなところです。ご一緒させて貰っても?」
「ああ、別に構わねぇ~ぜぇ」
そんな軽い会話は友達どうしのような雰囲気もあり、リズウィの乗る馬車の御者の男性は別の意味で緊張することになる。
ボルトロール王国のリューダとは、サッカー大会で選手として出場もしていたスポーツ万能の美人女性である。
当然、エクセリア国内でも噂になっており、その美貌から密かなファンクラブがあるとも言われている。
そんな有名人の女性と馬車で並走。
御者男性の小さな心臓の心拍数は最大限になったが、自分が乗せているリズウィはこの状況を何とも思っていないようだ。
(やはり・・・この若旦那は大物ですぜぇ~)
密かにリズウィを最大限の評価する御者は、この先もリズウィを贔屓にしようと思ってしまうのであった・・・
「姉ちゃん! 客だぜぇ~」
エザキ魔道具製作所に戻ったリズウィはハルが普段過ごす執務室にリューダを案内する。
執務室の中にいたハルは、まるでリューダが来ることが解っていたように慌てる素振りも見せない。
「リューダさんね、ごきげんよう。息子達が同席しているけど、気にしないで」
「まぁ可愛い! レン君とシュン君、大きくなったわね。お姉さんの事を覚えている?」
「バブー!」「ダァァーッ!」
笑顔の花を咲かせるリューダは本当にハルの息子達を可愛いと思っているようだった。
「産まれた直後にしか会っていないから、覚えている訳ないと思うけど・・・」
「抱かせて貰ってもいいですか?」
「いいけど、オッパイを良く触るから気を付けてね。この子達、誰に似たのかオッパイが大好きなのよ~」
「ブー!」「アー!」
子供達はそのとおりだと言わんばかりに幼児語で奇声を発する。
その姿は可憐であり、特にレンは金髪碧眼な特徴がミニ・アクトのようで、益々に可愛いと思てしまうリューダ。
「それで・・・何の話? ここに来たからには只の顔見せという訳では無いでしょう?」
「それは・・・」
リューダは気まずそうに視線を外す。
その視線の先は同行者としてついてきた魔術師風貌の女性へと向かうが・・・
ここでハルもその女性の正体に気付いた。
「大体解ったわ。リズウィ・・・ちょっと席を外してくれるかしら。ああ・・・そこの侍女さんの荷物運びを手伝ってあげて」
意味ありげにそんな事をリズウィに述べる。
「ハルさん。やはりアナタは・・・勘が鋭くていろいろ助かります」
リューダも意味ありげな応答を示して、フウと息を抜く。
何かが怪しい、と思いつつもリズウィはハルの指示どおりリューダの後ろに静かに立つローブを深々と被った侍女を連れて、執務室を後にし、馬車の所まで戻ってきた。
「それで、何を運べばいいんだ?」
玄関まで出て、何を運べばいいのか侍女に聞くリスヴィ。
対する侍女は・・・反応が無かった。
「・・・どうしたんだ? 黙っていちゃ、何も進まねーぜぇ!」
「・・・」
やはり侍女からは何も反応がない。
まるで何かに耐えるような様子であり、そして・・・
「・・・リズウィ・・・」
侍女が絞り出すようにして出した小さい声を聞いたリズウィが、ハッとする。
「その声・・・お前っ!」
「キャッ!」
リズウィは侍女に迫って顔を深々と覆っていたローブのフードを引張る。
そうすると、その中から見た目に幼い女子の顔が露わになった。
その顔をリズウィは忘れた事も無い。
「・・・アンナっ!」
「ああ、リズウィッ!」
侍女はアンナだった。
アンナは咄嗟にリズウィへ抱き着く。
リズウィはいろいろと混乱したが、それでも、ここは屋外、いろいろと人の目もある公共の場所だ。
自分でも驚くぐらい冷静に頭が働いて、アンナの抱擁を解いた。
「ち、ちょっと、訳、解んねーっ! 解んねーけど、アンナにはいろいろと話しておきたい事もある。ちょっとこっちに来い!」
リズウィはアンナの手を引き、普段はあまり使われていない建屋の中に入る。
あまりの突然の展開に頭がついてこないリズウィであったが、その建屋内でアンナといろいろ話そうと思った。
しかし、アンナは・・・
「あぁぁ、リズウィ、好きぃっ!」
人目が無いのを良い事にリズウィに抱き着き、芳醇な口付けを交わしてくる。
まるで盛りの付いた獣の雌のような行為であり、リズウィの心の深い部分を刺激した。
かつての性欲の強いリズウィならば、アンナからこのように情熱的な誘いを受ければ、それに応えようしてしまうが、ここで妻のリーザの顔が脳裏に浮び、ストップが掛かる。
「おぉっとぉ・・・駄目だぜ。アンナ・・・会うなりいきなり過ぎるんじゃねーか」
「リズウィは・・・私の事が嫌い?」
アンナは自ら持つ雌の部分を総動員してリズウィに迫る。
(俺・・・誘惑されかけているんだよなぁ?)
流石にリズウィもこの展開は性急過ぎる不自然さを感じて、とりあえずアンナに状況を説明しろと問う。
「別に嫌いも何も・・・アンナの方が、国外追放になった俺の事をフッたんじゃねーか?」
そう言うリズウィもアンナに未練があることは確かだ。
あの時、国を捨てる覚悟があっても付いてくるか?とハルから聞かれて、アンナは否と回答した。
国を捨ててまでリズウィを選べないと言われたのだ。
つまり別れ話はアンナの方から・・・リズウィとしてはアンナを大切に思う気持ちに変わりはなかったが、それでも自分がボルトロール王国の敵――王家の親族を殺害したのが原因――になってしまったので、そこまでの人生には付き合いきれないとフラれた立場である。
しかし、まだリズウィに未練があると解っただけでもアンナは良かった。
「確かに、あの時はそう言ったわ・・・それでも、間違っていたの・・・私は選択を間違っていたのよ!」
「・・・そうか・・・でも」
もう遅いとリスヴィは言いたかった。
しかし、その意思を表明する前にアンナが言葉を被せてきた。
「だからリズウィ。やり直しましょう。今すぐ、ボルトロール王国に戻りましょう!」
「・・・それはダメだって・・・俺はセロ国王から国外追放くらってんだよ。戻れる訳がねーだろ。それに・・・」
「それならば大丈夫よ。次の女王と言われているマチルダ王女の政権に代われば、即位時に恩赦が降りると思うから、問題なしよ!」
「矢継ぎ早過ぎるぜぇ・・・俺にも喋らせてくれよ!・・・実は俺・・・」
「さあ、早く行きましょう。私のリズウィ・・・アナタは私とボルトロール王国で幸せに暮らす義務があるのよ!」
何が何でもリズウィに喋らせず、帰国を促してくるアンナの態度は流石に不自然だった。
そんな必死なアンナの様子を見て、まずは落ち着かせようとリズウィはアンナを優しく抱いてキスする。
「アッ!?」
それでアンナは大人しくなり、そして、涙を流した・・・
その意味を問い正そうとしたところで、ふたりの空間に邪魔が入る。
空間が歪んで、白い仮面を付けた白魔女状態のハルが姿を現した。
そして、白魔女ハルの後ろにはお腹を大きくしたリーザも連れてきたようだ。
「げっ、なんでリーザまで・・・これには訳が・・・」
リズウィはギョッとなり、今の状況を明らかに言い訳をしようとしてアンナを抱擁から解いた。
そんな不倫現場を目にしたリーザは無表情であり、逆に怖い。
そして、怒っていたのはハルの方だ。
「アンナちゃん、あのねぇ~ 隆二を連れ出してそこまで迫るのはやり過ぎじゃないかしら? それに乗った隆二も問題ありよ! エリザベス、コイツをどうする? 女の敵としてもう前科何犯になる解らないから、ここで殺しても文句は言わないわ!」
「ヒッ!」
ここでビビったのはアンナの方であった。
白魔女のハル・・・リズウィの姉にしてボルトロール王国で起きた大反乱を鎮めた女傑。
そして、リズウィ達サガミノクニの人々をボルトロール王国から連れ去った大元凶でもある。
華々しい戦果が得られるはずであったエクセリア王国との戦争でも彼女の妨害によって大敗北を喫した。
これが原因で父が大失脚したのも否めない。
父と母が離婚したものその影響だ。
ボルトロール王国・・・いや、自分の人生にとって疫病神に等しい存在である。
そんなアンナの行動は素早い。
「い、嫌よっ! ここで終わりなんて。リズウィ、ごめん!」
軽く断りを入れてきたアンナはリズウィの腕を強く掴んで、そして、予め仕込んでいた魔道具を発動させた。
シュパッ! ピカッ、ピカッ、ピカッ!
「わっ!?」
眩い閃光が発せられて、光の粒子に包まれたアンナとリズウィの姿は消える。
それは逃走用の転移魔法の魔道具を発動させた結果である。
元勇者パーティ専属の魔術師の能力がいかんなく発揮されて、まんまとこの場から逃げることに成功した。
残されたのは呆気に捉われていた一同・・・
しかし、ハルが硬直していたのは一瞬の期間。
「・・・まさか、リズウィをここから連れ去って、逃げようと言うの?」
ハルは挑戦的な笑みを浮かべる。
彼女はアンナの行使した魔法の痕跡を調べて、逃走先の座標を冷静に逆算するのであった・・・