題二話 奇跡の復活
ハルが双子男児レンとシュンを出産してから一箇月ほど経過したある夜中。
不意にハルは違和感で目を覚ます。
「あれ? あれれ? いない! アクト、大変よ! レンとシュンがいないわ!」
ベッドの脇の子供用の籠で寝かしつけていた筈の我が息子の姿がいなくなった事に気付く。
そんなハルの指摘にアクトも飛び起きる。
「な、何だって!?」
ふたりは子供用のベッドから息子達が落ちたのではないかと必死に寝室の隅々まで探したが・・・
「いない・・・」
しかし、どこかから子供の笑う声が聞こえた。
その声を辿ってみると、隣室の父と母の部屋より聞こえる。
恐る恐るその戸を開けてみると・・・そこには信じられない光景があった。
「おお、笑ったぞ!」
「そうね。アナタ、レンちゃんが懐いているわ!」
首のまだ座らぬ幼子をあやす父と母の姿。
普通ならばそれは心温まる光景なのだが、これにハルとアクトは驚くしかない。
「そ、そんな・・・あり得ない!」
思わずそんな感嘆を口に出してしまうふたり。
なぜならば、父タダオは再起不能なほどの廃人になっていた筈だったからである。
「あら? ハル・・・ちょっと、レンちゃんとシュンちゃんを借りたわよ」
母のユミコから何でも無い事を言ってくるが、普段からたいした事で驚かないハルもこれには気が動転した。
「ち、ちょっと! お父さん何やっているの?」
心が壊れて廃人同然の父が復帰を果たしていた。
科学的にはあり得ないと思うハル。
しかし、この部屋でレンをあやす父の眼にはかつての知性が感じられ、正常な脳の機能を示しているようにも見えた。
「ハルちゃん、凄いでしょ? お父さん、復活したのよ!」
「そんな・・・科学的に・・・あり得ない」
人間の脳とは一度委縮などによって機能を喪失してしまえば、二度と戻る事は無いと言われている。
だから認知症などにかかってしまうと回復治療が望めないのがサガミノクニの進んだ医療技術でも周知の事実。
しかし、ここで観られる父タダオの姿は確かに正常に回復しているようにも見える。
「春子、そして、お母さん。今まで迷惑かけたな。私はもう大丈夫。自分の事だから自分で解る。実は少し前に意識は正常に戻っていたのだが、身体が言う事を利かなった。正常な言葉を発するまで叶わなかったのだ・・・」
父のダダオはそう述べながら、孫のレンの頭を優しく撫でる。
その行動は理知的であり、タダオが正常である事を示していた。
それでもハルは懐疑的である。
「・・・たいへん! ヨウロウ先生を呼ぶべき・・・いや、キリアやマジョーレさんの方がいいの? あーん、もう解んないよ!」
興奮で慌てたハルは普段からの冷静な彼女ではなかった。
そこを正すのはアクトの役目。
「ハル、落ち着いて。ここはまずヨウロウ先生に診断して貰おう。魔法的な何かならば、マジョーレさんを呼べばいい。それに義父を普段から治療(?)していたのはシーラさんだから、彼女も呼んだ方がいい!」
「そ、そうね・・・アクト、取り乱したわ」
幾分かはアクトの進言によって冷静なハルへと戻り、この場でやるべき事と呼ぶに相応しい人物を脳内にリストアップする。
そして、彼女は夜中であるにも拘わらず、呼ぶべき人を呼びに行ったのであった・・・
「本当に正常化している・・・信じられん」
夜中に呼ばれたヨウロウ氏はタダオを診断してそんな結論を導き出す。
西洋医学の経験も長いヨウロウ・ヒロシ医師自身もまだ信じられないが、エザキ・ダダオ氏の脳機能はまともな大人の人間の反応を示していた。
「だから言ったじゃない。だいぶ回復してきていたから、あとは切掛けがあれば元に戻るって」
自慢の胸を張ってそう応えるのは最近タダオに謎の治療を施していたシーラだ。
不思議なものでその一言で、皆、納得してしまう。
どこか腑に落ちないハルであったが、不思議な力に後押しされて、シーラの治療を信じてしまった。
「本当ね。疑いようも無く、正常化しているわ。念のため、私のフルネームを答えてみて?」
「春子のことか? エザキ・ハルコ・・・いや、最近はこちらの人と結婚したから、ブレッタ・ハルになるのか? それとも、ハル・ブレッタと呼んだ方が正しい?」
正解である。
つまり、タダオは娘が結婚した事も正しく認識していた。
「本当に、本当にお父さん。戻ったのよね?」
ハルはようやく涙目になった。
こちらの世界に飛ばされて、やっとことで家族と再会できた時、既に父は廃人となっていた。
あの時は泣かなかったが、その時の苦しみを今、思い出す。
「お父さん! お父さん! わーーっん!!」
ここでハルは思いっ切り泣いた。
ずっと張っていた糸が切れたように、他人の前で弱みを見せても良いと心から感じたからである。
そのハルを優しく抱くのはアクトの役目だ。
そのふたりを覆うように父タダオの手が優しく添えられた。
「春子・・・すまない。心配をかけたな・・・」
心温まる光景だが、今日は夜も遅い。
こうして今晩はお開きとなり、全員解散となる。
レンとシュンがご機嫌にキャッキャッと喜んでいたのが印象的であった・・・
次の日の朝、健全になったタダオの姿を見せられて、サガミノクニ生活協同組合の全員が驚く事になる。
ただし、彼の全快を歓迎する視線だけかと思えば、そうでもない。
人々には現在のような異世界転移を作った原因がエザキ・タダオ博士の研究によるものだという意識が少しばかり残っている。
しかしそれはカザミヤの口車に乗せられた事もあり、タダオ氏に酷い扱いをしてしまったという後ろめたい気持ちもあったりする・・・
結局、人々は恐れ戦きつつも、どのようにタダオ博士に接すればいいのか解らず、困惑が大きい。
そんな中、最初に最もフランクに接してきたのはクマゴロウ博士だった。
「いゃ~ぁ。エザキ・タダオ博士。元気になられたようで俺は嬉しいぞ! あ、俺は山岡・熊五郎。お宅の娘さんと一緒にここの生活協同組合をキリモリしている者だ」
友好的にタダオ氏に握手を求めるクマゴロウ博士。
彼のそうした清々しい行動を、ハルを尊敬する他の人達も真似する。
そんな人々の温かい行動に、ユミコは感謝を感じる。
少なくとも研究所時代のギクシャクした関係には戻りたくない。
皆がそう思っていた。
結局、タダオ博士はここの全員に受け入れられて、エザキ魔道具製作所の一員として働く事になる。
これからタダオがここで何かを自ら産み出す事は少なかったが、それでもハルと一緒に元の世界へ帰れる方法について研究を進める事になる。
そして、時折タダオ氏を訪ねてくるのはひとりの女性――シーラ。
「今日も定期検診をしましょうか?」
そんな一言でハルもユミコもシーラの個別診断を怪しむ事は無い。
何せ、彼女はタダオに奇跡の回復の施術ができた唯一の功労者であるからだ。
シーラはタダオ以外を人払いした部屋で、ふたりっきりで診断する。
絶世の美女のシーラとふたりっきりになる状況で、その部屋がいかがわしい不倫現場には絶対発展しない。
何故ならば、タダオ氏はシーラに対して完全なる信頼と全服の忠誠を脳に刻まれているからである。
それもシーラは解っており、ふたりっきりとなったところで、シーラは命令口調に変わる。
「どう? 怪しい動きはない?」
「・・・はい。シーラ様・・・ハルはまだこの世界の仕組みに気付く事はありません」
「それは良かったわ。あの娘は勘が鋭いから、元の世界へ帰る研究でこの世界の仕組みに気付いてしまう事があるかも知れません。人類がそれに気付くのはすばらしい事ではあるけど・・・それは今ではないわ。今の世代で気付いてしまえば、私がズルしたと判定されかねない。少なくとも数世代こちらで暮らした子孫が偶然発見するようにしないと今回の措置が無効になってしまう」
「・・・」
何が無効になるのかは、タダオ氏に質問する権利はない。
彼に課せられている命令は、ハルがその事実に気付かないよう、巧みに研究を妨害する事だ。
それが復活の条件であった。
神の所業に近い、厳しい強制によってタダオ氏の脳の奥底へ刻まれた指令。
これに逆らう事は許されない。
疑問を感じる事も許されない。
そんなタダオ氏の様子に、上手く強制が機能している事をシーラは確認できた。
「解ったわ。これからも監視をよろしくね。ハルも実父ならば油断するでしょうから。フフフ」
静かに笑みを浮かべるシーラ。
そこに邪悪な気配は感じられない。
淡々と悠久の時を生きてきた存在、生命を超越した何か得体の知れない存在感さえ感じさせる何かがあった。
だが、この場でそれを感じられるのはダダオ氏のみ。
タダオ氏自身も、この診断が終われば、すべてを忘れてしまう。
タダオ氏の記憶に残るのは、異世界と言う新たなステージで愛すべき家族と最良の刻を過ごせる人生の幸せな時間だけであった・・・
この章の性質上、今後のエピソード的なものが中心となります。そろそろ物語の尻尾が見えてきました。