第九話 新人魔術師ジーンの実力
ガッシャーン!
何か重い物を落として壊れた音がエクセリア魔道具重工業の建屋内に響く。
「何だ!? もしかして、またか?」
大きな音が一瞬気になるクマゴロウ博士だが、その直後に原因が予想ついてしまったのでそれほど慌ててはいない。
「ええ、そうだと思います。現在あの持ち場にはジーンちゃんがいましたから」
クマゴロウ博士の若い部下は頭を抱え気味にそう述べる。
彼が既に慌てないのは、こんな光景がもう日常になってきたからだ。
「・・・まったく。パネルの特殊ガラス素材を割ってくれたな。請求書をハルさんに回してやろうか・・・」
クマゴロウ博士からも呆れ声が出てしまう。
本気で請求する気はないが、それでもジーンが絡んだ仕事は失敗が多かった。
「本当にジーンちゃんはドジですよね・・・ハハハ」
別の若い現地採用の魔術師は笑っている。
彼女のようにジーンはドジで失敗は多いが、愛嬌があって、思わず許してしまいそうになる。
そんな人徳を持つ彼女だから、余計に質が悪ってしまうのはここのボスのクマゴロウ博士だ。
「ええい。スズキに依頼を出して、新しい特殊ガラス魔法素材を追加発注しておけ・・・ん、理由だと? そんなの適当に『工破』でいい。それと現場の掃除だ。あとは大丈夫だと思うが、ジーン君が怪我していないかも確認しておけ」
矢継ぎ早に若い部下に指示を飛ばすクマゴロウ博士。
「まったく・・・仲間内で造っているから良いものの、もし、購入品ならば、結構な損害になっているぞ!」
失敗を快く思わないクマゴロウ博士だが、それでも怒ってばかりいられない。
彼にはボルトロール王国と秘密裏に開発を進めている鉄道事業がある。
それには造らなくてはならない品目が目白押しであり、決して時間的余裕がある訳では無い。
今回のガラス破損でスケジュールの見直しをする必要もありそうだ。
そして、この鉄道事業はサガミノクニの中でもトップシークレットで進めているプロジェクトでもある。
プロジェクトの全貌を知るのはクマゴロウ博士以外にはハルとトシオ博士だけ。
勘の良い部下の何人かは既に気付いているのかも知れないが、それでも彼らには「とある理由で次のプロジェクトは秘密だ」と事前に通達しているので、必要以上の詮索はして来ない。
秘密にしている理由は、この職場では現地魔術師が多く働いているからである。
鉄道事業はボルトロール王国とエクセリア国との間に政治的な問題も絡むため、ギリギリまで秘密裏に開発して欲しいとライオネル王からの要請もあり、それに従っている。
「本当に面倒だ。私は自分が政治家に向かない事はよく解った」
思わずそんな独り語が漏れてしまうクマゴロウ博士。
我慢して仕事するのは技術者として不満の溜まる毎日だった。
そんな不満を増長しかねないジーンによる破壊行為。
「・・・いや、彼女は別に意図的に妨害しているのではない・・・筈だよなぁ?」
最後が思わず疑問符になってしまうのは、あまりにも失敗が続くからである。
クマゴロウ博士は、今週中にもう一度同じ規模の失敗をジーンがしてしまえば、別の仕事に移って貰おうと考えた瞬間でもあった。
そして、当の本人の様子は・・・
「ご、ごめんなさ~い」
魔力を注入し過ぎて壊してしまったガラス状の魔法素材。
粉々に粉砕された破片が散らばっているが、被害はそれだけで済み、本人は無傷である。
この不始末を平謝りするジーンだが、本日のこの現場でジーンを指導していたのはリーザであった。
「ほら、言ったではありませんか、これには精密な制御が要求されると」
ジーンの失敗を目にしたリーザは呆れ顔で再びそんな指摘をする。
これに対してジーンは恐縮しまくりだ。
「まぁ、失敗してしまったものは仕方ありません。ひとつの失敗はふたつの成功で取り戻せます。見ていて下さい、もう一度見本を示しますよ」
リーザはそう述べて、魔力未充填のガラス状の魔法素材を手に取る。
「この素材はハルさんのように性格が悪いのです。コツは初め大胆に魔力を注ぎます。こうしないと魔力浸透が始まりませんから」
リーザが強めに意識を集中すると素材が輝き、魔力が充填されていくのが解る。
「そして、上限付近に近付けば魔力注入を緩めます。そうしないと急に満タンになって上限を超えてしまいます・・・」
これがリーザの指摘する『正確が悪い』ところだ。
同じ調子で魔力を注入していると、最終段階で加速度的に魔力充填量が上昇してしまう特性があった。
リーザは意図的に魔力注入を弱め、慎重に充填していく。
「素材は上限に近付くほどに性能を発揮しますが、欲張ってはいけません。ほどほどで止めておくのもひとつの技術です。壊してしまえば元もこうもありませんから」
リーザはそう説明して、決められたレベルを超えたところギリギリで魔力の充填を止める。
そうすると素材が赤く輝いた。
規定以上の魔力が充填されて、性能が発揮された事を示している。
リーザとしてはまだ本当の上限まで少々余裕のあるところで止めたが、ジーンから見れば、ほぼ上限で止めたようなものに見える。
まるで、コップに注いだ水が零れる寸前で止めたようだと思った。
それほど緻密な魔法制御が行われていた。
「素晴らしいです。リーザ様、やはりアナタはエクセリア国で一番の魔術師です」
リーザの妙技を無条件で褒めるジーン。
実はジーンとリーザが会ったのは初めてではない。
リーザは解っていないが、ジーンはボルトロール王国と戦争の時に戦場で一度リーザを見たことがあった。
その時のリーザは大出力の火炎魔法を用いて敵を容赦なく殲滅していた。
それは英雄と言うよりもまるで魔神の化身。
一般魔術師として戦争に駆り出された自分とは別次元の人間だとジーンは思っていた。
そして、後ほど貴族の情報網より、彼女がエストリア帝国の大貴族エリザベス・ケルト嬢である事を知る。
そんな魔術師としてエリートであるリーザとは憧れの存在。
ジーンにとっての英雄が、目の前で普通に仕事を教えてくれるこの現場はジーンにとって刺激が強すぎた。
「こんなものね」
一発で成功させたリーザは何でもない成果のように述べるが、その姿勢がまた格好良い。
ジーンの中でリーザの価値は爆上がりするが、その直後これが台無しになる場面が起こる。
「おーい、リーザ、いるかぁ?」
執務室に気兼ね無く入ってきた男性の声でリーザがハッとなる。
「母ちゃんがドーナッツ作ったから、リーザもどうか?って聞かれて・・・」
そんな声に反応して、リーザの顔がふやけた。
「お母様からのお誘い・・・それは無碍にできませんわね」
「って、リーザは仕事中だったか、すまねぇ~」
部屋に入ってきた男性も現在、魔法素材に施術中だった事が解り、仕事の邪魔をしてはいけないと遠慮する。
「いいえ。この素材はあと四個仕上げれば、本日の仕込みは完了です。手早く終わらせますわ」
リーザがそう宣言すると、新たな素材を両手で掴み一気に魔力を充填する。
そこには先程の繊細さは無くなり、初めから終わりまで魔力をフル充填だ。
ガラス状の素材は輝き、色が黄、緑、紫、赤色にあっという間に変化する。
そこで停止。
リーザは失敗する事無く、あっという間にふたつの素材を仕上げると、次のふたつも同じように一瞬で仕上げた。
それはさきほどよりも魔力の充填が上限へと迫り、より赤く輝いている。
リーザの本気を垣間見たジーンは絶句するしかない。
しかし、そんなジーンに構っていられるリーザではなかった。
「ハイ、完成。これで今日の仕事は終わりよ。ジーンさん、これをクマゴロウ博士に届けておいてくれるかしら?」
「・・・」
呆気に捉われたジーンはリーザから四個のガラス素材を受け取るのが精一杯であった。
そんなジーンを放置したリーザは、この部屋やって来た男性の腕を取り、惜しげなく幸せなオーラを振り撒く。
「仕事が早いな、リーザ。惚れ直したぜ」
「いや~ん。お尻触らないでよ。お楽しみは今夜までお預けっ!」
「ちっ、焦らすなぁ~。まっ、もう夫婦なんだから俺も焦らねぇ~けど」
男性の方も満更ではない様子であり、この会話の内容から二人が円満な夫婦である事も解る。
ジーンは噂に聞いていたが、最近、英雄リーザがサガミノクニ人と結婚した情報を思い出した。
そのリーザももうジーンの事など全く眼中になく、現れた夫と幸せオーラ全開で部屋から去って行った。
こうして、執務室にひとり残されるジーン。
あとはリーザの仕上げたガラス状の魔法素材をクマゴロウ博士へ渡せば仕事終了となるが、これでは自分が全く役に立ててない事が今更癪に障る。
「私だって・・・」
ジーンはリーザから受け取った魔法素材を脇に置き、新たな素材を両手に取りリーザの真似する。
「う~ん・・・」
力むとリーザと同じように両手の魔法素材にぐんぐんと魔力を注いだ。
魔法素材が輝き出し、そして、色が黄、緑、紫、赤色に変化する。
「ここよっ!」
リーザの魔力充填の様子を見て得られた情報で魔力注入を止めようとする。
しかし・・・
ピキ、ピキ、ピキ・・・
「わっ!?」
ガッシャーン!
無情にも素材は限界を超えて破裂してしまった。
ひと際大きな音は施術の失敗をこの建屋内へ主張するにもってこいの報知機能である。
その直後にクマゴロウ博士が我慢の限界を超えて、この部屋に怒鳴り込んで来たのは言うまでも無い・・・