第六話 民主主義と先生と・・・
サガミノクニ生活協同組合には子供を集めた学校・・・というか子供教室が存在している。
それは今回の転移事故で多数の子供も巻き込まれたからである。
転移事故があった当日のサガミノクニ国立素粒子研究所は開放祭というイベントの性格上、地域の家族連れの来訪者が多かった。
そんな背景から現在のサガミノクニ生活協同組合には十名ほどの子供が在籍している。
上は十八歳から下は十二歳までと幅広い年齢だがそれでもひとつの教室にまとめて教育を行っている。
「・・・であるからして、世界各国は憲法を西暦二〇八四年に一斉に改定して、それまで経済規模の大きかった国家をすべて解体し、現在のサガミノクニを初めとした経済規模で等価な国家が世界中で誕生した」
手作りの教科書を読み、社会公民の授業をしているのは藤岡・浩司。
彼は元々学校の教員では無かったが、それでも文系大学で法学を学び、サガミノクニの官僚組織に就職していた事から、現在は社会維持部教育課に所属し、子供たちの教育を担う仕事をしている。
今はサガミノクニ時代の公民制度について学ぶ授業を行っているが、その授業はと言うと・・・
「むにゃ、むにゃ・・・お母さん、からあげもう食べれなぁ~い」
一番年下の女子生徒はノートを盾に寝言を喋っている。
大方、夕食の夢でも見ているのだろう。
とても解り易い授業の逃避だが、他の学生も似たような状態であり、退屈な時間と己が戦っているのをヒシヒシと伝わってくる光景である。
叱りたい気分になるコウジだが、子供たちの気持ちも理解できた。
(確かに・・・この異世界に飛ばされてサガミノクニの事なんか学んで、一体何の徳になるのだろう・・・子供の方が正直かも知れない・・・)
カリキュラムを自分で作っておいて、いざやってみると、この有様である。
コウジは自分が教育者として才能が無い事をありありと解らせてくれるこの残酷な現場・・・
(くっそ、俺は文系だ・・・これぐらいしかできねぇ~んだよ)
自分よりも年下のサイトウ・トシオが技術系の博士として活躍する姿を目の当たりにしていて、それにも嫉妬していた。
やるせない気持ちになるコウジだが、ここで助け舟が教室に入きた。
ガチャッ!
「授業中、申し訳ないわね」
「ハルさん! それにレヴィッタさん!」
普段は教室にあまり訪れない美人の登場に、コウジの心が高鳴る。
「コウジさん。今すぐ、力を貸して欲しい案件があるの」
ハルからのそんなお願いに、何でも言う事を聞こうとするコウジだが、心のどこかでストップがかかった。
「で、でも授業が・・・」
現にして彼は教師という役割の仕事を行っている最中だ。
あまり役に立たない授業だが、それでも途中で放る訳にもいかない。
「大丈夫よ。私が代わりの先生を連れて来たわ」
ハルがそう伝えて、ボールを持ったリズウィが姿を現す。
「隆二、兄ちゃん!」
年少の男児生徒が喜々とした声でリズウィの名を呼ぶ。
警戒しているのではなく、むしろその逆。
「よう、純、元気にしていたか?」
リズウィもその男児の顔は覚えている。
ボルトロールの研究所時代に自分と唯一仲良くしてくれた養老・純、ヨウロウ先生の息子だ。
他の生徒もリズウィにそれほど警戒していない。
むしろ逆に何かを期待する眼を向けてくる。
それはリズウィがボールを持っていたからだ。
「みんな、コウジ先生はちょっと用事ができた。その間、俺が先生をやってやる。俺の授業は体育。これが何か解るな? そうサッカーボールだ。異世界は体力が資本。スポーツを通じて俺が授業してやる・・・という訳で、皆、表に集合!」
「「「おーーっ!」」」
生徒達から歓声が起きた。
やはり子供、身体を動かすのは大好きなのである。
真面目に勉強する気の無い生徒達の姿を目にして眉を顰めるコウジだが、これにはハルがフォローしてくる。
「生徒達はしばらく隆二に任せておけばいいわ。それよりもコウジ先生に重要な仕事をお願いしたいの・・・」
「僕に重要な仕事ですか?」
ハルから必要とされたため、悪い気はしない。
生徒達の現金な反応に一瞬、気を悪くしたコウジであったが、これで直ぐに機嫌が直った。
所詮、コウジも若干二十七歳の若輩であり、美人な女性からの頼みは聞いてあげたくなるものだ。
そんなコウジを完全に手玉に取るハルは二十一歳とは思えない貫禄があったりするのはここだけの話だった・・・
コウジを連れたハルとレヴィッタは応接室へ入る。
その応接室にはスパッシュを初めとしたエクセリア国の高級官僚が既に勢揃いしていた。
「専門家を連れて来たわ。彼は藤岡・浩司。サガミノクニの元国家公務員、スパッシュさんと同じ官僚よ。そして、法律関係の大学を卒業しているわ。私よりもサガミノクニの法律に詳しいのよ」
居合わせたスパッシュ達に簡単なコウジの紹介をする。
スパッシュ達はコウジを先生と呼び、握手を求めてきた。
雰囲気で次々と握手を済ませるコウジだが、まだ現状がよく解っていない。
それは当たり前かと、ハルはこの状況を説明する事にした。
「彼らはエクセリア国の官僚の幹部職員達よ。ここに来たのは他でもない。この先、エクセリア国に民主主義を定着させようとしているの。いろいろと教えてあげて」
「へっ!?」
突然にハルからそんな求めを聞いても、全く状況が呑み込めないコウジ。
(鈍いわね・・・急激な変化に対応ができないのかしら?)
そんな評価をしてしまうハルだったが、彼女も根気強く、今まで経緯を説明する・・・
しばらくして・・・
「なるほど、それは素晴らしい事です。僕が役に立てるのでしたら・・・」
やっと状況が呑み込めたコウジ。
自分に求められたのはサガミノクニの民主主義の法律を教える事だ。
どこまでやるのか・・・そんな疑問もあったが、これ以上諄い質問するとハルから呆れられてしまいそうだったので、そんな質問は一旦呑み込む事にする。
コウジもこれぐらいは雰囲気で読める男だから、公務員組織で上手く働く事ができたのだ。
大概、自分のやるべき仕事は解った。
しかし、これには時間かかる。
そんなコウジの心の疑問をまるで見抜いたようにハルから次の指示が飛んでくる。
「とりあえず、基本的な法律のゴルト語への翻訳は終えているわ。コウジさんはその実例をひとつひとつ解説をして欲しいの。翻訳魔法が働いているからスパッシュさん達と言葉によるコミュニケーションは問題ない。私は他の事で忙しくなるから席を外すけど、あとは任せてもいい?」
「え・・・あ、はい」
てっきりこの作業はハルも付き合ってくれると思っていたコウジは少々残念な気持ちになる。
それでもハルがこの生活協同組合の件でいろいろと忙しいのは解っていたし、レベルの低い生徒達に無理やり知識を詰め込む授業よりはこの仕事の方が自分に向いていると思った。
「大丈夫なようね・・・それじゃお願いね。もし問題が生じれば、私はエザキ魔道具製作所にいるからそちらに来て、それじゃ」
矢継ぎ早にハルはそう述べて、去っていた。
残されたのはスパッシュを初めとしたエクセリア国の官僚達とコウジだけである。
一気に男性の密度が増えるこの応接室。
ここでスパッシュはまず過去にハルより教えて貰ったサガミノクニの法律文書の写しを机に広げる。
「コウジ先生。早速、今から教えてください」
低姿勢な態度はライオネル王譲りであり、スパッシュもこんな姿が板についてきた。
コウジも悪い気にはならない。
少なくとも、授業を碌に聞かない不良生徒達に教えるよりは良い仕事だと思ってしまう。
「まずは最初にあるこの言葉、『基本的人権の尊重』とは何でしょう?」
「それは基本の『キ』だな。『すべての国民は生まれながらにして、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を持つ』という意味だ。その考え方が元となって、あらゆる法律に影響を及ぼしている。行政も国民より納税を受ける立場なのだから国民に対してサービスを提供する義務がある。それを約束している法律が文書としてここに書かれている事の意図だ」
まるで試験問題の模範解答のようにスラスラと話すコウジ。
現代社会では当たり前の知識もこのゴルト世界では異質な考え方だ。
コウジの解説を手早くノートにまとめる紅一点の女性官僚から賛辞の言葉が浴びせられた。
「なるほど。我々の法律にある『国民生命の保護義務』と似たような考え方なのかしら?」
「僕はゴルト社会の法律の事は解らないが、それでもそれが国家の責務だとするならば、あまり違っていないように思える。ただし、『基本的人権の尊重』には外敵から身を守る以上に最低限の生活を保障すると言う意味も含まれている。即ち、国民を餓死や適切な医療を受けられないなど不遇の死より守る事も国家の責務に含まれている」
「すばらしい考え方です! コウジ様さすがです」
「いやぁ~それほどでも・・・」
女性職員のおべっかに気を良くするコウジ。
だらしない顔になってしまうが、それはコウジが今まで人から・・・いや、女性から頼られた経験など無かったからである。
このように女性に対する耐性の無さを露呈してしまうコウジの姿は他人からも解り易い。
そんな初心な姿に気付けた女性職員は、その後にいろいろな会話のシーンで執拗にコウジの身体に触れてくる。
「すごいですわ」
「コウジ様、尊敬いたします」
「何でもご存じなのですね」
いろいろと理由をつけてコウジを持ち上げ、ボディタッチするそんな姿はまるで歓楽街で男を誘惑する女性のようにも見える。
「オホンッ! ミルジュさん、ほどほどにしておきなさい。我々がここに来た目的を忘れないように」
「えっ!?・・・あ、ハイ・・・」
スパッシュから軽い注意が出されて、女性職員は位を正した。
それによってコウジを篭絡する行為は慎まれたが、コウジは少し残念に思った。
スパッシュとしては民主主義の知識をコウジだけが持つのであれば、若い女性職員を使った篭絡行為もありかと思っていたが、この生活協同組合というコミュニティはあのハルの牙城である。
彼女を怒らせれば、多大な不利益を被るのは明らかだ。
なので、女性職員に軽はずみな行動を控えるよう後で注意するつもりだ。
そんな事で溜息をついて窓の外に視線を移してみれば、子供達が駆け回っていた。
「元気な子供達ですな・・・そう言えば、コウジ先生は教師の仕事もしているらしいですね」
「ええ、あまり向いていませんが、子供の面倒を見られる人が少なかったので、私が面倒を見ている状況です」
多少面倒くさそうにそう答えるコウジだが、スパッシュはこれに賞賛を贈った。
「いえいえ、教育とは大切な仕事です。ここがクリステと呼ばれていたエストリア帝国の頃からの習慣なのですけど、低学年の初等教育の先生には経験豊かな人物が就く名誉職でもあります。子供は国の礎、国家の大切な宝ですからね。コウジさんがサガミノクニの子供達の教育を任されている事は若いのにとても優秀な方だと評価されているのでしょう」
「そんなこと・・・私よりも優秀な人物はこの組合に沢山いますから・・・」
コウジがそう答えるのは解っている。
ハルを初めとした技術者集団はこの世界でもトップクラスの人材だ。
しかし、スパッシュは目前のコウジに対しても敬意を払う。
「そんなことありませんよ。コウジ先生が立派に学をお持ちなのは、現在進行形でも解っております。やはりサガミノクニ人とは優秀な人間が多いのでしょうな」
「・・・」
微妙にコウジ自身が褒められているような、それともサガミノクニ全体が褒められているような不思議な感覚だ。
「それにしても本当に子供達は楽しそうだ。ボールを使って何かをやっているようですが、あれも教育の一環でしょうか?」
スパッシュはサガミノクニの子供の現在の授業内容に興味を持つ。
広場を眺めてみるとリズウィがボールを蹴り、一対多でサッカーをやっているのがコウジにも見える。
「いいえ。アレは遊びのようなものです。サッカーという球技で、手を使わずにボールを定められた場所に蹴り入れれば勝ちになる遊戯です」
遊んでばかりの子供達とリズウィの存在を見ると頭が痛くなるコウジ。
自分の教えている子供達はお世辞にも勉強ができるとは言い難い・・・それが今のコウジの子供達に対する評価である。
「ほほう、遊戯ですか。面白いです。あれならば我々にもできそうだ。今度詳しく教えて貰いたいものです」
ボール自体はこの世界でも存在している。
しかし、今、見るような遊戯は存在していない。
スパッシュが楽しそうに遊ぶ彼らを見て興味が沸いた。
「サッカーですか・・・私もあまり得意ではありませんが、隆二氏が得意なようですので、ご興味あれば、彼を派遣しますよ」
とコウジは面倒くさそうにリズウィの派遣を勝手に決めてしまう。
そんな態度を見て、スパッシュはコウジが教育という仕事は自分の負荷に感じている事を察知した。
「それは有難い。後でハルさんに相談させて貰います。それとお子様達の教育もエクセリア国で対応できるかも知れませんよ」
「はい?」
「この地域――旧ファインダー伯爵邸の周辺には元から学校が少なく、戦後復興事業の一環で近々学校を新設しようとする動きもありまして・・・そうなれば、ここの子供達も受け入れ可能になるかも知れません」
そんなスパッシュの一言で一瞬顔が明るくなるコウジ。
やっと先生という仕事から解放されるのか思ってしまうが、その直後にそんな重大な決定権は自分が持たない事を思い出した。
「・・・親御さん達に聞いてみないと・・・」
コウジが弱々しく紡ぎ出したのはそんな一言だけだ。
しかし、スパッシュはそれで十分だった。
元々コウジは重要な決定権を持つ立場ではない事は解っている。
ただし、これによってコウジが自分達の進める民主主義の政治システムの移行に専念できるようになるのであれば、スパッシュ達にも利益があるのだ。
「解りました。これも後でハルさんに聞いてみます」
スパッシュはそう述べるに留め、コウジ自体には脈ありと感じたところで特にそれ以上に無理強いはしなかった。
その後も民主主義に関する法規解釈の質疑応答を進め、本日予定していた作業は終了となる。
スパッシュ達は最後にハルと面会して、本日の作業が終わった事と、サッカーの事、子供達の教育の事をハルに提案する。
「・・・解ったわ。確かにこの先、私も子供達がここのサガミノクニの領域だけで生きていく事には不安を感じていたのよねぇ~」
「ですね。サガミノクニの文化は素晴らしいですが、ここはゴルト世界。この世界の常識と言葉・文字・文化というものを知っていただいた方がいろいろと経験になるかと思います」
「スパッシュさんの提案も興味深いわ、親御さんに聞いてみるわね。理解が得られれば、来年から学校で受け入れてくれるのかしら?」
「ハイ。春には開校する予定です」
そう言って大枠の話がまとまる。
ハルも子供達の安全のために防犯グッツを開発しようと心に決めた瞬間でもあった。