第一話 貴族主流派の遠吠え
エクセリア国、それはライオネル・エリオス王がエストリア帝国の帝皇より下賜されて、新しく誕生した国。
この新生国家は自由・平等を是としている。
ゆくゆくは民主主義という理想を掲げているが、そんな過程において過去より既得権益を独占していた貴族とは障害でしかない。
国家樹立の際、民衆からの人気と帝皇の後ろ盾を巧みに利用して、貴族制を廃止する事に成功したライオネル王であるが、当然、その決定を好まない者もいる。
現在、とある屋敷に集まる元貴族の集団もその貴族制廃止に反対する一派だ。
「まったく、ボルトロール王国と和平を結ぶばかりか、彼の国と交易を始めようとするライオネル王は莫迦なのか!」
「元々は卑しい元商人出身の男。目先の金の事しか見えておらぬ!」
「そもそも我ら貴族を無碍に扱い過ぎだ。意見陳情しても相手にしてさえ貰えぬ。余所者がでかい顔をしよって!」
元貴族達が口々に文句を言い合う――そんな日常に辟易としている男がいた。
(ふん。所詮、野良犬の遠吠・・・愚痴を言うしか能の無い愚か者達め!)
他者に聞こえないように注意し、心の中だけでそんな悪態をつく彼の名はエイダール・ウット卿。
この集団『貴族主流派』をまとめる人物でもある。
エイダールは自分達が現在置かれている状況についてよく解っている。
この貴族主流派は元クリステ領の貴族出身者で構成されているが、名乗っているとおりの主流ではない。
本当の大物貴族達はライオネル・エリオス王に恭順を示しており、自ら進んで貴族籍を返上している。
アリスを当主とするマイヤー家はその急先鋒だ。
貴族籍を返上してからも民衆より人気の高いマイヤー家はボルトロールとの戦争で勝利に貢献した事もあってか、以前にも増して権威と信頼を拡げる成功例であったりする。
ここ集まっている『貴族主流派』の貴族達とは『主流派』とたいそうな名前を付けているが、実は中流から下流貴族が中心。
彼らが貴族という看板を失ってしまえば、あっという間にただの人となってしまう家がほとんどである。
だから、力が無い、影響力が無い、発言力が無い、政治力が無い、口だけの者がほとんどである。
そのような状況で冷静な分析ができるエイダールは優秀であった。
優秀なのだから、現在の自分達の状況が挽回不可能に近いぐらい追い込まれている事実も理解できていた。
そんなエイダールの憂いなど気にしないように周囲の貴族達からの罵りは続く。
「ファインダー伯爵の跡地に住みついた・・・ネズミ共・・・何だったか? そう、サガミノクニ人だ。アイツらの存在も気に入らない。エクセリアの名前を堂々と掲げて魔道具屋を始めたようだ。まるで、自分達がエクセリア国の代表であるかのように」
「そうだな。何やらサガミノクニ人はボルトロール人とも仲が良いらしい。大規模な商隊がそこに出入りしているのを見た者がいるぞ」
「本当に目障りな余所者共だ。エイダール卿もそう思うだろ?」
静かに貴族達の愚痴を聞き流していたエイダールだが、急に話が振られる。
「・・・うむ、確かにあの者達は余所者だが、サガミノクニ人の代表者はライオネル国王や国の上層部とつながりも深く、政治基盤が強いと聞いている」
急に振られても流暢な応答のできるエイダール。
ここでエイダールはサガミノクニ人が強い権力基盤のある組織な事を暗に忠告した。
そんな忠告に反応するひとり。
「私も見たことがある。あの代表・・・確かブレッタ家の弟の妻だ」
「なんだ、女か」
明らかに見下す声で別の男が話に乗ってきたが、その男にもエイダールが忠告する。
「侮ってはいけないぞ。あの女・・・確か名前は『ハル』・・・結婚パーティにライオネル国王夫妻だけではなく、デュラン帝皇陛下、南のヤコブ法王も駆け付けて祝福されたとの噂にも聞いている。単に英雄の妻という存在だけではないのだろう」
「何!?」
デュラン帝皇とヤコブ法王の来訪は『お忍び』なので、公には秘密にされている。
しかし、現在、皇族のシルヴィア第一皇女がサガミノクニ生活協同組合に出入りしている事実は隠し通せるものではない。
もとより噂話好きの貴族の間では公然の秘密となっていた。
この場でそこまでの事実を知らなった貴族達は、余程に情報収集能力が無い輩なのだろう。
エイダールはそう評価して、忠告を重ねる。
「サガミノクニ人には下手に関わらない方が得策だろう」
「・・・なるほど。皇族関わりだと厄介・・・良い情報をありがとう、エイダール卿」
若い貴族はエイダールの忠告を素直に受け取った。
少しホッとするエイダールだが・・・
「それでも、『民主主義』という思想は頂けない。その思想もサガミノクニ人がライオネル王へ進言したとの情報も得ている。私はそんな彼らを認める訳にはいかない。危険な奴らだ」
中年の貴族男性が敵愾心を露わにする。
そんな姿を再び見せられて、頭を抱えたくなるエイダール。
そこに片目眼帯で歴戦の戦士のような貴族が近付いてきた。
「エイダール・ウット卿よ。私は危険なサガミノクニ人を今すぐ排除するべき、と提案する」
「ライゴ・フェイル卿、それは拙速な判断。彼らサガミノクニ人はライオネル王のお気に入りであることに加えて、類稀な技術を持つ集団。途方もない利益を産み出す可能性もある。一方的に我らの意向だけで排除しようとすれば、国の上層部からの批判も怖い。我々の立場を危うくする可能性も高いだろう」
ライゴ・フェイル――この片目眼帯の貴族は武闘派で有名な存在。
片目を失ったのも、先のボルトロール戦線を最前線で戦った証。
勇猛果敢なクリステ貴族に相応しい人物だ。
ただし、エイダールのライゴに対する評価は猪突猛進・・・野生魔物のような存在だと思っている。
後先考えずに行動するライゴこそ、政治の世界では危険な存在である。
「エイダール・ウット卿は慎重なのだな・・・」
ライゴの台詞はエイダールを揶揄していた。
「排除するにも『上手く』やらねばならぬ。手段を間違えば、我々がエクセリアより排除されるぞ!」
エイダールはそう応えて、ライゴからどう思われても自分の考えを曲げなかった。
そんなエイダールに新たな人物が近付いてくる。
「エイダール様、少々お耳に入れておきたい話があります・・・」
新たに近付いてきた人物とは黒いローブに包まれた女性。
エイダールお抱えの魔術師だ。
彼女は明らかにこの場で話し難そうな顔をしていた。
それを察したエイダールは・・・
「イルダ・・・解った。皆よ、私は少し席を外すことにしよう。申し訳ない」
そう述べたエイダールは魔術師を連れてこの場から足早に去った。
残されたライゴは・・・
「ふん、慎重な派閥長様だ・・・」
重い腰をなかなか上げないエイダールを柔らかく罵る。
これには周辺の貴族達も良い顔はしない。
「ライゴ殿、エイダール殿は我らの派閥を預かる身。節操な行動は選択できないのだ」
「そうだ。我らは貴族に復権したいが、エクセリンを混乱に陥らせたい訳でもない。ライゴ殿もボルトロール戦争では武勲を挙げられたようだが、ここでの戦いはそんな単純なものではありませんぞ」
周囲の貴族達からはライゴの交戦的な態度を諫める声が続いたが、こんな反応が出ることなどライゴも予想済みである。
(ふん。どいつもこいつも、いざという時に行動できない腰抜どもめ! 自分が戦闘の矢面に立たされるのを恐れてやがる!)
心の中で相手の貴族達を罵りながら、それでもライゴの顔はそれほど興奮している訳ではない。
今は力を貯める時と割り切り、ライゴは我慢した。
それぐらいの自制は利くから、ライゴは貴族で居続けられるのだ・・・
そして、移動したエイダールとイルダは人気のない部屋に入る。
この部屋は防音の魔法が掛かっており、盗聴される心配はない。
「さあ、イルダ。ここならば、大丈夫。どのような情報を手に入れた?」
「スケイヤで奉公していた元ボルトロール軍の工兵集団が王都エクリセンへ戻ってくるようです。おそらく、エクセリンに滞在するボルトロール王国のマチルダ王女と接触する模様なのでしょう。いかがなさいますか?」
「うむ・・・そうか・・・」
しばらくエイダールは考える。
少しの時間であらゆる可能性を考察して、ひとつの指令を導き出した。
「監視を継続せよ。そして、輩達はマチルダ王女と接触する筈・・・その会話内容も探れ」
エイダールの命令にイルダはゆっくりと頷く。
そのようなイルダの反応はエイダールの予想どおりである。
やはり、彼女は頭が良い。
あの場でこの情報を明かさなかったことは良い判断だ。
これにエイダールは念を押す。
「イルダよ、決っして己の行動を悟られるな。ボルトロール人にも、サガミノクニ人にも、そして、エクセリア側にも、身内にも・・・だ」
「承知いたしました」
「特に身内の貴族主流派に詳しく知られては拙い・・・ライゴのようにこのような変化は何かの好機と捉える輩もいるだろう」
「・・・」
「今の我らは目立ってはならない時。見え見えの餌に食いつけば、我らは滅びの階段を転げ落ちる。私は愚者と同じ枠に入りたくない」
「・・・解りました」
いつになく真剣な表情のエイダールにイルダは納得だけを示すのであった・・・