第十三話 休日の一幕
「う~~ 苦しい~~っ!」
「だから、無理やり付き合って飲むからよ」
顔色の悪いレヴィッタに呆れ顔でそう返すのはハル。
「だってぇ、私に拒否権ないしぃ~。国家権力のクソ野郎め!」
美人顔に見合わない暴言でそう応えるのは、その国家権力をかざした本人が居ないからである。
小市民――末端貴族という意味で――のレヴィッタのせめてもの反抗だ。
「ともかく、昨日飲酒したのは源さんが造った日本酒を五人で一升瓶を三本飲んだ、で間違い無いのかな?」
養老先生がレヴィッタにそう確認するのはここが医務室だからだ。
何かを思い出したように急に具合が悪くなり、レヴィッタが無口で頭を振るゼスチャーだけでヨウロウ先生の問いに応えた。
「日本酒とは米を発酵させたワインのようなもの。アルコール度数は強いのだ。あまり調子に乗って飲むとこうなる」
「ヨウロウ先生。そんなこと・・・もっと前に教えて貰いたかったです。うっ、気持ち悪ぅっ!」
吐き気を覚えて顔を歪めるレヴィッタ。
美人が台無しの光景。
「呆れるわね。大人なのだから飲んでいて自分の限界ぐらいは解るでしょ? 限界に近付いたら飲むのを控えなきゃダメじゃない」
「ハルちゃん。そんな殺生な事を言わないでぇ・・・あの人達は酒豪なのよぉ~。生々しい不幸話を聞かされたから、もうこれは飲むしかないって事になって・・・」
そんな言い訳を聞いたハルは一緒に飲んでいたローラとシルヴィーナの方に視線を移す。
「確かに、レヴィッタさんの言うとおりです。シルヴィア皇女とマチルダ王女は魔法薬が原因で身内に大きな不幸を被ると言う点で同じような不幸な人生経験を共有していました。その後に意気投合した彼女達は盛大に飲み、不幸を忘れようということになって・・・ひと瓶、またひと瓶と・・・」
「あ、それでも、私はゲンさんという方から頂いたお酒は好きです。今も丁度良い高揚した気分が継続していますし・・・」
「この・・・ウワバミ共!」
まったく具合の悪くならないエルフ姉妹を恨めしそうに見るレヴィッタ。
影響ないのように見える彼女達だが、正確にローラは少々頭痛を感じる程度のダメージを受けていた。それでも彼女は人前で醜態を晒さないように集中力を働かせて、なんとかシラフで持ちこたえている。
驚異的なのは妹のシルヴィーナの方だ。
彼女は多少気分が高揚するぐらいの変化に留まっている。
生来持つアルコール耐性が発揮された結果であった。
結局、皇女と女王は明け方に帰っていったが、彼女達もあまり様子の変わらないシルヴィーナに脅威を覚えたのはここだけの話だ。
どうやらエルフとは人間よりも酒に強い特性を持つと解ったのはここからである。
ほぼ同じペースでついていけたシルヴィア皇女とマチルダ王女がある意味で勇者であった。
そんな上戸集団の飲み会の中で、一般的なアルコール耐性しか持たないレヴィッタが混ざっていたのは不運だったと思うしかない。
「ハルぢゃーーーん、きぼち悪いよぉ~~~」
恥もかき捨てで助けを求めてくるレヴィッタ。
そんな患者に応えてやるのは医師であるヨウロウ先生だ。
「レヴィッタさん。私は医者ですがここは異世界。高性能な薬は存在しません。多量の水を飲んで、ゆっくりと睡眠をとって下さい。それと胃も荒れていると思われますから、食事は軽いものに。ススムさんにおかゆを頼むと良いでしょう」
鎮痛剤などの化学的な薬は処方できないが、食生活と自然治癒に任せるしかないと述べる。
「即効性のある治癒が必要ならば、神聖魔術師達に出張って貰うしかないわね。どうする?」
「是非に! あ、でも、リュート神父さんだけは苦手だから・・・別の人にして」
レヴィッタはこの期に及んでそんな注文を付ける。
「確かにリュート神父は見た目が、中年のエロ親父だからね・・・しかし、中身は意外とちゃんとしているわよ」
ハルはレヴィッタの認識を改めるように言うが、それでもリュートは治癒魔法が得意ではない。
今回も依頼すれば、キリアかマジョーレが派遣されてくるだろう。
「解ったわ。早く苦痛を取り除きたいのだったら、やはり神聖魔術師ね。呼んでくるわ」
「現代医学が役に立たずで申し訳ない」
心なしか元気のなくなるヨウロウ先生。
自分の持つ医学の知識が役に立たなかった現実を改めて知るのであった。
その後、ハルに呼ばれたキリアが二日酔い止めの神聖魔法を施して、レヴィッタはなんとか全快になるのであった・・・
「ふふふ、人間とは酒に弱い種族なのですね・・・」
エルフというか自分の優位性を改めて認識して、少しばかりの優越感に浸るシルヴィーナ。
いつもの彼女には珍しくサガミノクニの生活組合の敷地内をひとりで散歩している。
それはシルヴィーナが知らず知らずのうちに日本酒のアルコールの影響で気分が高揚していたこともある・・・
そんな彼女は中央棟から少し離れたところで、珍しい光景を目にして、足を止める。
それは草むらに身を潜めた――努力をしているようだ――黒猫とその先で地面の餌を啄ばむ鶏だ。
黒猫は明らかに鶏を狙っている。
その鶏とは姉夫婦の娘サハラが飼育している鶏。
敷地内に放牧し、朝、サハラが卵を収穫している。
現在、その鶏を獲物として狙っている黒猫。
ニャッ!
小さな鳴き声が合図となり、黒猫が鶏に襲い掛かる。
「させない! えいっ!」
シルヴィーナは反射的に鶏に飛び掛かろうしている黒猫に精霊魔法を発動した。
すると、地面に生えている草木が伸びて、黒猫に絡み付く。
ニャッ!?
黒猫は予想外の攻撃に恐れ戦き、藻掻いたがそれでも伸びてきた草木に絡められて拘束されてしまう。
コケーーーッ!
今更、遅れて自分達が狙われていた事に驚いた鶏が羽ばたく。
勢いで羽根が数枚抜けて舞うが、被害などそれだけ。
ニャーッ、ニャー、ニャー!
黒猫も抗議の鳴き声を挙げるが、藻掻く以上の抵抗はできない。
そんな黒猫を目にしてシルヴィーナがハッとなる。
「わ、私どうして?」
黒猫の襲撃を未然に防いだ自分の行動の理由が咄嗟には理解できないシルヴィーナ。
こんな事をしても、誰も褒めてくれない。
別に放っておいても良い案件の筈であった。
しばらくしていると、向こう側から駆けてくる存在が・・・
「コラーーーッ!」
棒を持ち、威嚇するのはこの鶏たちの飼い主であるサハラであった。
怒り千万のサハラの表情は、襲撃した黒猫許せまじである。
ニャン!
危機を感じ、強く藻掻く黒猫。
ここで運良く草の絡まりが取れて、脱出に成功する。
その黒猫が逃走先に選んだのは・・・
「エッ? キャッ! 何!?」
シルヴィーナのスカートの内側。
黒猫の本能で女性の股間が、狭くて最も安全であると判断したようだ。
爪を立てられた細い足に小さい痛みを感じて、その場にへたり込んでしまうシルヴィーナ。
そんな小さな敵の侵入に屈服してしまうエルフの美女。
その現場にようやく棒を持つサハラが追い付く。
「お姉ちゃんが、鶏を助けてくれたの?」
サハラからお姉ちゃんと呼ばれるには何故か違和を感じるシルヴィーナ。
「・・・私は『お姉ちゃん』ではないわ。サハラさん、アナタから見れば、私は伯母と言う存在・・・ですが、それも少し違和感ありますわね」
正しくはサハラとは姉の娘なので、伯母という関係は呼称として正しいのだが、それでも違和感あった。
そもそも白エルフと黒エルフの子を身内と認めても良いのだろうか?
シルヴィーナが生来より持つ価値観。
しかし、その価値観もこの時はどこかに疑問を感じた。
キョトンと続けているサハラ。
サハラもシルヴィーナは母の妹だとここに来た時に紹介されたが、それでも今まであまり会話してこなかった相手でもある。
サハラは自分が白黒エルフの子だと言う認識はあって、特に白エルフから嫌われている事実は解っていた。
だから、シルヴィーナもそんな白エルフのひとりだろうと、今まで会話してこなかった事にあまり疑問を感じていない。
しかし、こうして一対一で出会った時、どのように会話していいのだろうか?
「・・・伯母が鶏達を助けてくれた?」
やっとサハラが紡ぎ出し言葉がそれだ。
「・・・ええ、結果的にそうなりますわね。咄嗟に黒猫の襲撃を抑えられたというのが正直なところですけど」
問われたシルヴィーナもそう答えるに留める。
サハラの容姿は金髪に白い肌。
整った容姿に尖がり耳、外見だけは白エルフだと見えなくもない。
そう思って見ると、何とかサハラへ友好的に接する事もできた。
「よく、鶏が襲われていると解ったわね?」
「『鉄魂ゴーレム』が教えてくれた」
サハラは肩に乗せた小人のゴーレムを指さす。
そのゴーレムは笛を吹く動作――実際に可聴できる音を発していなかったが――で鶏の襲撃をサハラに報知しているようであった。
「・・・そうなの。不思議な魔法ね・・・これも銀龍様の力なのでしょうか?」
シルヴィーナに理解は及ばなかったが、それでもこの地の治安を維持する鉄魂ゴーレムは銀龍の魔法によって生み出された守護者だと聞くので、そんなものだろうと納得する。
ニャーッ!
シルヴィーナのスカートから這い出してきた黒猫は抗議のひと鳴きして更に逃亡を謀ろうとする。
フギャッ?!
しかし、シルヴィーナはそれを阻止するため、両足を閉じて黒猫の自由を奪った。
「コラッ! 逃げるな!」
黒猫は両手両足をシルヴィーナの細足で抑えられ、スカートの隙間から顔だけを出す。
まるでスカートの中から黒猫が生えたような滑稽な図。
普段より大人しく上品な印象のあるシルヴィーナにはお茶目な一面だ。
そんな構図にサハラは目を丸くするが、それでも自分の鶏を襲った犯人を成敗しなくてはならない。
「この泥棒猫、どうしてくれよう・・・アレ、この黒猫? もしかして、ニケ?」
ニャ~~ン
鹵獲した黒猫をどうしてくれようと考えていたサハラだが、その黒猫の特徴から同じ敷地内に住む人間のペットである事を認識する。
黒猫も自分の名前が解るのか、サハラの方に顔を向けて精一杯の愛嬌を示した。
「この~っ! 悪戯猫め!」
サハラはシルヴィーナの鹵獲されたニケの額をデコピンする。
ニャンッ!
額を弾かれたニケは当然に抗議の鳴き声を挙げるが、それだけで終わった。
サハラもニケを知っている。
猫の本能として鶏を襲ってしまうは仕方ないと思うしかない。
「次、襲われたら止められないかも知れないわね。鶏は放し飼いじゃなく、柵の中で飼う事をお勧めしますわ」
「・・・そうする」
解決策を伝授するシルヴィーナに、サハラは不承不承で納得を示した。
冷静に考えても放し飼いは鶏がストレスなく生活できる利点もあるが、安全面を考えるとやはり管理された柵の中で飼うことが望ましいのは子供でも解る理屈。
「で・・・この悪戯猫はどうしましょう?」
ニャ~!
まだシルヴィーナの股の中で鹵獲されていたニケは暴れることもなく、愛嬌よろしく鳴き返して、まるで許してくれと言っているようである。
まるで自分が鶏を襲ったことなど出来心だと言い訳しそうな態度であった。
「伯母ちゃん。捕まえたニケを、ローリアンさんのところへ返しに行きたい。二度と悪戯しないようにして貰わないと」
サハラはそう宣言すると飼い主の元に容疑者ニケを連行する事に決めた。
その後、ローリアンにニケを返しに行った二人だが、そこでは大いに恐縮されて、お茶とお菓子を振る舞われたりする。
そればシルヴィーナにとってハル以外の人間との交流の始まりであった。
季節は冬に向かうが、こうやってサガミノクニの生活協同組合の敷地内の人々の交流はゆっくりと進んでいくのであった・・・
これにて第十二章は終了です。登場人物は既に更新します。