第十一話 遅い冬支度
冬の到来を告げる降雪。
昨日降った雪は長続きせず、結局積もるまでには至らなかった。
尤もそんな天候はこのエクセリアで珍しい事ではない。
雪深くなるのは東のボルトロール王国に続く山岳地帯だと言われている。
フロスト村やエイドス村に先住する民族が過去より平地に栄えるクリステを欲していた理由もそこにある。
冬になると雪に包まれてしまう彼らの村々と比べてれば、ここエクセリア(旧:クリステ)は雪がびっしりと積もる事は無い。
しかし、雪が降るのであれば、温度もそれなりに低い。
サガミノクニの人々は冬の備えをあまりしていなかった事を今更に気付いた。
過去の生活していたボルトロール王国の王都エイボルトは山に囲まれていた盆地であり、降雪も少なかった。
しかもその研究所内は温度を一定に保つ魔道具設備が充実しており、快適な環境でもある。
それに加えて彼らは研究所より外へと出る機会も少なかった事からそれほど衣服に拘っていなかった。
しかし、ここエクセリンでは開けた土地に生活協同組合を築いており、どうしても建物間の移動のため外に出る機会も多い。
そうなれば、防寒機能のある衣服がどうしても欲しくなる。
「冬服を買い揃える必要があるわね」
ハル自身は魔法のローブがあって、それで温度調整できるのため、今までもそれほど必要性を感じていなかったが、それは魔術師専用の装備だからだ。
温度調節の機能を扱うにも魔力が必要となるため、一般人には使えない。
しかも温度調節機能のある魔術師ローブは高価な装備でもある。
この時代の一般人は革や羽毛など防寒対策の施された衣服を調達する事が冬の衣服としては常識となる。
そのため、エクセリン国内で買い物をする事にしたが、その買い物にはハヤトやアケミ達もついて行きたいと言い始めた。
遊びではないのだが、彼らもここエクセリアに来てから敷地の向こう側へ出かけた事が無い。
異世界の街にも興味があった。
しばらく考えて、ハルは同行を許可したが、行動は団体でする事を言明した。
サガミノクニの常識のままひとりで街歩きする事は危険である。
勿論、このエクセリンはエストリア帝国の一般的な都市からしても安全な部類に入るが、それでも一般住民には魔術師や帯剣者も多く、自己防衛手段を持たないサガミノクニ人にとっては危険である。
だから彼らは大型馬車一台に乗り、全員一丸となって移動する。
「さあ、着いたわ。ここはダラス商会。サガミノクニで言う『総合商社・百貨店』のような商会で、何でも取り合っているわよ」
ハル自らが大型馬車を御者して訪れたのは生活協同組合で一番付き合いの深い商会だった。
エクセリア国で一番の規模の商会であり、信頼性も高い。
馬車を止めて客室の扉を開けるハル。
「ハルって凄いねー。馬車の運転までできるなんて」
アケミはハルの多芸ぶりに賛辞を贈る。
「ひとりで生活しているといろいろできるようになるわ。そうでもしないと生きていけないし」
ハルはそう答えるが、実は少し嘘が混ざっている。
馬車の運転と馬に乗れる事――あと運動神経に関わる大半――はアクトとの心の共有で得られた経験によるもの。
言うなれば、多少ズルして覚えたような技能。
心の共有の事実を他人に言える筈もなく――実は親を含めてその事を内緒にしていた――ハルもこそばゆい限りである。
「へぇ~、ここが異世界の商会なのですね」
レンガ造りの立派な建物。
そんな感心を示すのは購買部のハルカである。
彼女はサガミノクニ生活協同組合の購買部のリーダとなるので、今回の買い出しではある意味中心人物だ。
何の物資を幾らで購入するかを決める訳だが、今回がこのエクセリアで初めての交渉となるのでハルが同伴している。
「なるほど、まさに中世の街並み。欧州に近いな」
続いて馬車の客室より出てきたのはクマゴロウ博士だ。
彼がこの買い付けに同伴するのはエクセリア重工業の組織長として買い出し要望をまとめる立場のためでもある。
同じ理由で同伴しているトシオ博士は面倒くさそうにしていた。
彼としては同じ時間を研究や開発に使いたいのだろう。
「ふふふ。このエクセリアは元々エストリア帝国のいち田舎都市。帝都ザルツはこんなものではないぞ」
感心するクマゴロウ博士相手にここで得意気になるのはシルヴィア皇女。
今日は研修授業が中止になったことを良い事に、生活協同組合の買い付けについて来てしまった。
他の研修生が今日の時間を自習に費やしているのに対して、彼女は単なる退屈しのぎでついてきただけある。
ハルからは既に不良生徒と認識されている。
と言うわけで、本日の買い付けは、ハル、ハルカ、クマゴロウ博士、トシオ博士、シルヴィア皇女、アケミ、ハヤト、そして、エルフのローラとシルヴィアの全員九名の大所帯で押掛ける事になった。
そんな目立つ客は注目の的であり、商会の職員の方がすぐに気付いてやって来た。
「こ、これは、これはサガミノクニ生活協同組合の皆様! 今日は如何なされましたでしょうか?」
彼女達の顔に見覚えのある職員が駆け寄り来店目的を誰何する。
「冬物を揃えたくて来たのよ」
「そ、そうなのですか・・・」
職員は正直ホッとした。
幹部の面々勢揃いの来店に、何か不穏な気配を感じ取ったが、それも職員の心配し過ぎだったようだ。
「入ってもいいかしら?」
「・・・ええ、構わないのですが・・・」
ここで職員のキレは悪い。
本来サガミノクニ人とは大量購入してくれる良客であり、しかも見た目が麗しい彼女達の来店を拒む理由・・・それは・・・
「入るわよ」
まだ迷う職員を尻目に、ハルはダラス商会の門を開く。
そうするとその中では・・・
「ふん、わらわ達に売らぬと申しておるのか!」
不機嫌な声が店内に響く。
その声の主を辿り、誰が悪態をついているのかはすぐに判明した。
「ボルトロールの王女様ね・・・」
マチルダ王女がダラス会長相手に悪態をついている最中であった。
「こ、これはハル様・・・」
現在詰め寄られている側のダラス会長が立ち上がり、ハルの来店を認識すると共に、それを機に迷惑な客――マチルダ王女の事――の接客から逃れようとしていた。
「いいわ。別に私達に気を遣わないでもいいから、続けて」
ハルも不穏な気配を感じ取り、ダラス会長自らの接客は不要だと伝えるが・・・ダラス会長に噛みついていたマチルダ王女もハルに関心を移す。
「おお。誰かと思えば、ハルじゃないか!」
「できれば会いたくなかったです。マチルダ王女」
「そう無碍にするな。其方がここに来ているのならば、話が早い。ダラス商会はわらわ達に汎用型魔法陣は販売できんと、無礼な対応をされておるのじゃ!」
「汎用型魔法陣はエクセリア国の最新技術です。我らいち商会の判断でボルトロール王国側に販売する事はできませぬ」
勘弁してくれと言うダラス商会。
そして、面倒な存在はより面倒な存在を呼ぶ。
少なくともマチルダ王女はそんな運命の元に生まれているようだ。
「こやつか! 最近、エクセリア国に現れたボルトロール王国の卑しき王女という輩は!」
初めから喧嘩口調なのはシルヴィア皇女である。
彼女はボルトロール王国が嫌いだ。
その理由はラフレスタの乱で弟のジュリオを嵌めた相手だからだ。
ボルトロール王国の野望のせいで、弟の人生は破壊された。
その事実を知らされていたシルヴィア皇女はボルトロール王国に対する恨みは一入である。
「シルヴィア皇女様、それはさすがに・・・」
いきなりの喧嘩口調になる対応は外交上拙いと感じたダラス会長は青い顔になる。
これに対して、マチルダ王女の方が冷静であった。
「ほほう。こやつがエストリア帝国の第一皇女シルヴィアか? レイチェルから研修生の中に帝国の皇女が紛れ込んでおると報告も受けておった」
面白そうに顔を歪めるマチルダ王女。
互いに決して友好的な態度ではない。
一波乱あるか・・・そんな緊張した雰囲気になりかけたところでハルがパンッ!と手を打ち、それを断ち切った。
「ハイ、ハイ。止めなさい。ボルトロール王国とエクセリア国は和平を結んでいるのよ。そのエクセリア国もエストリア帝国と同盟関係だわ。ここでふたりが争う事なんてないの」
「だが、ハル。コヤツはボルトロール王国ぞ! かのラフレスタの乱では後ろで手引きした悪辣国家だ」
「ふん。千年帝国だか何かは知らんが、エストリア帝国の皇族など安泰な権力の上に胡坐をかく怠け者よ」
「なんだとっ!」
「だから、止めなさいって言っているでしょ!」
ドンッ!
ハルの無詠唱の雷魔法が室内で炸裂させる。
殺傷能力は低いが、それでも轟音が轟き、皇女と王女の罵り合いを止めるのに十分な効果を果たす。
ダラス会長は自分の店が破壊されないか、恐れているようであった。
「喧嘩をするなら自国に戻ってからやって、ここは互いにとって友好国のエクセリア国。争いは認められないわ」
そんなハルの物言いに、皇女と王女はここで一度剣呑になった気配を収める。
「マチルダ王女。ここで一体何をもめていたのかしら?」
「おお、よくぞ聞いてくれたな。ハルよ!」
マチルダ王女は顔色をパッと変えて自分が不利益を被っていた事を主張する。
「ダラス商会に電卓と汎用型魔法陣の購入を持ちかけたところ、断られたのだ。我らがボルトロール人だと言うその理由だけで」
「当たり前です。ふたつの商品は国家機密に等しい戦略物資に該当します。我らいち商会の判断で他国へ簡単に販売できる訳がない」
「じゃが、エストリア帝国には販売しようとしているではないか?」
「それは・・・」
一瞬ダラス会長が口籠る。
彼の中でもエストリア帝国とはエクセリア国の宗主国であるという認識が強いため、エストリア帝国とエクセリア国は同列に考えている背景もあった。
「電卓と汎用型魔法陣を購入したいのね?」
「そうじゃ」
「いいわよ」
「「「へ?」」」
ハルからの軽い返事に一同の口がアングリと開く。
しかし、当のハルは何事も無いように続ける。
「買いたいならば、売ってあげる。ダラス商会からではなく、私、エザキ魔道具製作所から販売してあげる。それなら、ダラスさんが国家から目を付けられる事も無いでしょうから」
「ですが・・・」
「心配しなくてもいいわ。ライオネル国王には私から話をつける。ただし、これだけは約束して、これらを絶対に戦争に転用しないで」
「・・・売ってくれるのか・・・ならば、それに従うしかない」
マチルダ王女は渋々だが従う素振りを見せる。
このハルの判断はシルヴィア皇女を初めとして国家の政治の常識が解る面々からは不服を発している。
だからハルはこうを付け加える。
「絶対に嘘はだめよ。制約に銀龍をかませる。もし、約束を破れば、それ相応のペナルティを課すからね」
「なっ!」
銀龍を引き合いに出し、相手に絶対の制約をかけた。
マチルダ王女の顔色が明らかに悪くなった。
それもそうだ。
一旦約束しておいて、それを齟齬する方法などいろいろあると思っていた。
しかし、銀龍の報復というのはペナルティとして重過ぎる。
もし、約束を破った事が解ってしまえば、それが国家存亡の危機に直結してしまう。
逆にこの措置に満足したのはシルヴィア皇女だ。
「アハハハハ。いいぞ、ハル。それは最高の制約だ。戦争の道具として糞の役にも立たん電卓や汎用型魔法陣ならば、ドンドンと高値で売ってやればいいのだ」
ボルトロール王国には最高の嫌がらせになるとシルヴィア皇女は爽快なご様子だ。
しかし、その訴求にハルは追従しなかった。
「いいえ、シルヴィア皇女。マチルダ王女側には適正価格で売ります。これも戦争以外の需要を掘り起こすためです」
「ハル・・・貴様は売国奴か! 貴様とてボルトロール王国に今までいろいろと迷惑を掛けられてきただろう!」
「違います。個人的な恨みと、公人の立場を混同してはいけません。ボルトロール王国とエクセリア国は和平が成立しています。今は一時的な銀龍の脅しによる効果で成り立っている和平ではありますが、本来、我々人の力で和平を維持していかなくてはなりません」
「・・・」
「争いを無くす事。それは相互理解と互いを思いやる心。私はリューダさんやレイチェルのいる世界と分断を望む者ではありませんから。それに隆二もボルトロール王国でお世話になった身。知り合いも多いでしょう。そんな人達とは正面から争いたくないのです」
ハルは強くそう述べる。
「・・・綺麗事だな・・・」
シルヴィア皇女はそう述べるだけで、それ以上の反論はしてこなかった。
ハルは息をフウ~と吐き、心に溜まった陰気を排出する。
「さて、本来の用事を済ませましょう。ちょっと遅いけど、冬支度の買い物に来たのよ。魔術の使えない人達の防寒服とか、いろいろ欲しい物もあるから見せて貰えるかしら?」
ハルはマチルダ王女との交渉を完了させたとして話題を変えた。
ハルのそんな要望に深い頷きを見せるのはダラス会長だ。
国家間の問題になりそうな案件を収めた女傑には最大級の敬意を払い顧客対応する事が、彼にとっても高い利益となる。
その後、ハルの要望を聞いたダラス商会の職員が広い店内を走り回り、所望の品々を集める。
良客の対応だったが、その間、何も発しなかった皇女と王女。
やがて、シルヴィア皇女が意味ありげな笑みを浮かべてマチルダ王女に話しかける。
「まったく、ハルめ。格好良いところを全て持っていきよって。だが、互いに相手を知ると言うところは大いに学ぶべきだ。マチルダ王女よ、しばらく、私と腹を割って話さぬか?」
「・・・解った。応じよう」
皇女が何を考えているか解らないと思うマチルダ王女だが、この場で断るのはボルトロール王国の流儀としてあり得ない。
「おい、レヴィッタ、ローラ、シルヴィーナ。我らが妹分達よ、今日は女子だけで宴を行うぞ!」
ここでシルヴィア皇女は勝手に妹分として設定されてしまった家来達に宴の準備を促すのであった。
次回は女子会(?)になるようです。血が出なければいいのですが・・・