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白い魔女と敬愛する賢者たち(ラフレスタの白魔女・第三部)  作者: 龍泉 武
第十二章 ボルトロールからの使者
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第九話 基礎学力の習得


「二二が四、二三が六と・・・」


 前の授業で教えられた九九の計算法を復唱するエリー。

 そんな真面目なエリーの姿に多少呆れているのはシルヴィア皇女だ。

 

「エリー、其方は真面目よのう」

「シルヴィア皇女。私が学習する姿に何の不満があるのでしょうか?」

 

 呆れ顔をしてくるシルヴィア皇女にエリーはそんな反応で返す。

 これはエストリア帝国民にとって相当不敬に当たる態度なのだが、エリーは帝皇デュランとは遠縁に当たる存在、このように接してもまだギリギリセーフだろう。

 どっちみち、ここはエクセリア国だ。

 正確には帝国法からも適用外の地域である。

 

「サガミノクニの文字や数字、掛け算の暗記法を覚えたところで、汎用型魔法陣の技術習得の一体何の役に立つのだ?」

「それは授業中にハルお姉さまが言っていたじゃありませんか? 基礎知識として覚えておいた方が良いって」

「覚えておいた方が良い(・・)だろ? それは、別に覚えなくても良いという意味ではないか?」

「皇女様・・・性格悪いですね・・・」


 エリーはシルヴィア皇女のそんな思考に対して逆に呆れで返す。

 近くでクククと静かに笑いに耐えるのはセイシルとレヴィッタだ。

 彼女達はシルヴィア皇女のそんな性格を既に解っており、今回のエリーの指摘が的を射ていると感じた。

 

「エストリアの皇女よ。ここは素直に指示に従って学ぶべき。教授を受けるものには謙虚さが求められる」


 そんな忖度(そんたく)の無い、意見が出されるはバリチェロからだ。

 彼女は才女の噂どおり、九九の計算も既に覚えたようで、自分のノートには自ら問題を出して、その答えを書く勉強ぶり。

 

「このように一桁の掛け算の計算速度が飛躍的に上昇する。頭の中で何度も足し算を繰り返す必要もなく、間違えも少ない。この技法を学ぶだけでも価値ある事」


 バリチェロは早くも自らの学習の成果を強調する。

 自分の得られた能力と価値を示す行動はボルトロール人らしい。

 

「そうですね。ハルさんのお金に対する計算がとても早かったのはここにあると思います。宿代とか食堂で全員分の値段をパッと計算したり、一人当たりの金額を算出したり・・・」


 近くのローラはハルとこれまで行動を共にしていて、彼女の優れた計算能力の実例を示した。

 

「ぐぬぬぬ。駄目だ・・・ここにはハル派しかおらぬ」


 自ら愚痴を言ったものの既に受け入れられる雰囲気ではないと諦めるシルヴィア皇女。

 しかし、彼女も本気でハルの授業を否定している訳では無い。

 ただ、一般帝国人と比べて既に高いレベルの教育を受けてきた自分には不要のようにも思えたからである。

 そこに補足をしてくるのは同じサガミノクニ人のミスズからである。

 

「皇女様・・・僭越ながら、ハルさん達の教える英数字の基礎に意味がありまして・・・」


 ミスズはこの先のカリキュラムを知っている。

 それは自分も教壇に立つから学習計画を解っていた。

 この先、ミスズが任されているのは『一次方程式』の授業。

 中学校程度の簡単なものだが、そもそもこのゴルト世界では数学自体があまり発展していない。

 それは一般生活で数学の必要性が乏しいと認識されていたからである。

 数学で用いられる数式・・・つまり英数字が記号としてよく用いられる。

 その土台を現在急ピッチで教えていた。

 基礎教育とはそんなものだ。

 教わる時点で生徒は「これが一体何の役に立つのか解らない」こともあるのだ。

 次の授業は『基本公式』としてクマゴロウ博士が教壇に立つ。

 円の面積や三角関数を教えるが、果たしてこれをどうやって教えるか?

 ミスズはその教え方が少し心配であったりする。

 そうしているうちにクマゴロウ博士が教室に入ってきた。

 長身で全身毛むくじゃらな男性は白衣を着ていなければ、一介の戦士がやってきたと勘違いしそうである。

 そんな場違い感があっても、彼は工学博士。

 知識は洗練されており、黒板にパッパッパッと公式と説明図を描く。

 そのスピードがあまりに速いのはこの授業のコマ内で三角関数まで終わらせようとしているためだ。

 いきなり授業のレベルが上がり、戸惑う生徒達。

 

「どうだ? 解ったか? これはサガミノクニの世界で小学校上級学年と中学校の初級レベルの教育内容だ」


 どうだ、と告げるクマゴロウ博士に多少驚く研修生達だが、それでもここに集められたのは元々優秀な人達だ。

 一部の人間を除いて、なんとかクマゴロウ博士の授業内容を理解できている。

 ただ、こちらの世界の常識とは異なる部分もあり戸惑うところが多いのだ。


「クマゴロウ博士。質問があります。円周率πはどうしてその定数になる? どうやってπを求める?」


 バリチェロは生じた疑問を素直に博士に投げ掛ける。

 

「うむ。良い質問だ。正確な円周率πを求めるのはいろいろな手法があるのだが、一番単純なのは直径と円周を実測し、そこらを割り算して求めるのが最も理解し易いだろう」


 クマゴロウ博士はそう述べて実際に黒板にコンパスで円を描いて、実測を始めた。

 直径は定規で、円周はどこから紐を出して測定する。

 まるで予めそんな質問が出る事を予想していたかのような準備の良さである。

 

「直径が二十一センチメートルで、円周が約六十六センチメートル。互いに割ると三・一四・・・ほら円周率πになった。これをもっと大きな長さ、大きな円で計測すると精度は良くなる。他にもモンテカルロ法とかもあるが、これは人間の計算に向かない。理屈を理解させるのも難しい。興味あれば、個人的に教えてやらんでもないが・・・それはこの基礎学習が終わってからだな」


 スラスラと理屈が正しい事を述べるクマゴロウ博士の姿にバリチェロはすっかりと感心した。

 それは彼女がこの時、自分の師をクマゴロウ博士であると定める切っ掛けとなったりする・・・

 

「これにて俺の授業は終わりだ。かなり駆け足で進めたが、解らないところがあれば、遠慮なく質問してくれ。俺はエクセリア重工業にいる。勝手に捕まえて質問攻めにしてもいいぞ。それでは授業終了」


 クマゴロウ博士はそう述べてこれにて『基本公式』の授業は終了した。

 そして、次はミスズの番である。

 彼女は研修生徒の席から立ち、ゆっくりと教壇へ向かう。

 

「・・・次は私です・・・」


 ミスズの態度は遠慮がちであり、声が少し震えていた。

 頼り無さそうな印象を出すミスズだが、それはミスズ自身が果たしてここで教壇に立っていいかどうか迷っている事が主要因だ。

 

「大丈夫。所詮は中学程度の一次方程式よ・・・」


 小さな声で自らを鼓舞するミスズ。

 普段の彼女ならば、これほど緊張する場面では無い。

 ミスズが極度の緊張に陥っている原因は彼女の心が壊れかかっているからだった。

 フーガ魔法商会で自分一手に引き受けさせられた様々な案件。

 それはミスズの能力を超えるものである。

 失敗できない――そんなプレッシャーでミスズは追い込まれていた。

 所謂、鬱病になる一歩手前の状態だが、真面目で責任感の強い人間ほどこの症状に陥り易い。

 これが現代社会ならば、自宅に帰り、家族や友人との何気ない会話、テレビジョンなどの仕事とは違った情報に触れる事で、自ずと気分転換できているものだが・・・

 ここは異世界、逃げ場はない。

 しかも、ミスズにとってフーガ魔法商会とは緊張の続く現場でもある。

 夫のカザミヤから見てミスズとは第三夫人程度の人間。

 愛だけによって結ばれた関係ではない・・・少なくともカザミヤ側からの愛は薄いものであった。

 それを認めたくないミスズではあるが、本当は心で解っていた・・・自分が利用されているだけなのだと。

 だから夫に自ら愛を求めない、弱さを見せてはいけない――無意識にそうする事が正しい事だと思っている。

 そんな、ある意味でいっぱいいっぱいのミスズの心理状況は、心の透視ができるハルには見抜かれていた。

 ハルにとってミスズとは、過去にお世話になった人であり、可能であれば昔どおりの関係に戻りたいと願う人物でもある。

 しかし、リズウィからは過去の研究所時代にカザミヤ所長と一緒になりエザキ家を糾弾した相手だと聞いていたが、ハル自身はミスズ個人に恨みを抱いていない。

 母ユミコもあの時のミスズの反応は仕方なかったと感じているようであり、リズウィほどミスズを毛嫌いしている訳でも無い。

 そんな背景もあって、ハルとしてはミスズを何とか元の状態に戻してやりたいと思っている。

 ハルがミスズにここで住み込むよう提案し、教壇に立つ事を推したのも、そんな彼女の心のリハビリを考えたからである。

 一時的にカザミヤ達と関係を断ち切り、ここで彼女本来の自尊心を取り戻す行動をさせる事で、ミスズの心を正常に戻せるのではないかと思っていた。

 そんなハルの心意気を解るか、解らずか、ミスズが研修生に向けて与えられた授業を始める。

 

「この方程式があるとします。XとYが変数でAとBが定数である場合に、このA、Bの定数を求める方法について考えていきましょう・・・」


 初めは声が震えていたが、それでも講義の進行とともにその震えは収まり、黒板に数式を書き、グラフを描き一次方程式の求め方を説明する。

 前のクマゴロウ博士と違い、ゆっとくりと丁寧に説明して、研修生にも解り易い。

 それはミスズが大学生時代に教職課程を経験していたからだ。

 結局、講義が終わるころには研修生達は一次方程式の解き方について理解を深める事ができ、これでミスズへの信頼度も上がる。

 

「以上が一次方程式の解き方となります。これで午前の講義は終わりです。午後はトシオ博士の講義になります。こちらの講義は応用が中心になると聞いておりますので、私も生徒側に戻って聞かせて貰います。それでは、お疲れさまでした」


 こうしてミスズの授業は無事終了した。

 昼になり、各研修生は共同食事に移動する。

 そこでの一幕・・・

 

「私に下々の者と同じ場所で食事しろというのか?」

「シルヴィア皇女様、嫌ならばお昼は王城に戻られても良いのですよ?」


 案内役のハルはそう述べる。

 

「ぐぬぬぬ。そうなれば、私だけ午後の授業に遅れてしまうぞ。教育について行けなくなってしまう。ハッ!? もしや、私だけ落第させる計画か!?」

「そんな訳ないでしょ! 我儘を言ってないでさっさとカレーでも食べなさい」


 ハルは研修生達を連れてカレーライスが提供されている列へと並ぶ。

 この共同食堂はサガミノクニ式のセルフサービスであり、皇女を困惑させるだけだが、それでも郷に入れば郷に従えとハルは頑なに方針を変えなかった。

 初めは渋っていたシルヴィア皇女だが、結局、彼女は折れてハルの指示に従う。

 それはエルフのローラやシルヴィーナ、そして、人間のレヴィッタもハルの指示に従っているから、自分だけが従わないのが癪に感じたためだ。

 

「く・・・仕方ない、お昼だけは我慢して下々の者と共に食事してやる。それも我が皇族の器量と言うものだ」


 せめてもの反撃でそんな事を述べるシルヴィア皇女だが、研修生達は今日が初めての共同食堂の利用となるので、提供される食事内容の方が興味津々だ。

 だが、若いバリチェロはカレーライスのトレイを持ちながら周囲をキョロキョロと・・・

 彼女の興味はカレーライスに無い。

 そして、バリチェロは既に食事を始めているクマゴロウ博士を発見して声を掛ける。

 

「おい、クマゴロウ博士。何を食べている? それは何?」


 同じテーブルに腰かけてクマゴロウ博士が急いで掻き込む麺料理を興味深く見る。

 そんなバリチェロの仕草は傍から見て幼い子供のようにも見えた。

 

「ん? 君は研修生の・・・」

「バリチェロ」

「バリチェロさんか・・・これは『うどん』と言い小麦を麺状にした食べ物だよ」


 これ時のクマゴロウ博士は幼い子供に話しかけるように優しくそう応えた。

 子ども扱いされたバリチェロの方は不服だったが、今のバリチェロはそれ以上に好奇心が勝っている。

 

「午前中の授業に質問がある・・・円周率πを求める他の方法を教えろ」


 自分の欲求を素直に伝えるバリチェロは幼かったが、それでも技術的好奇心の塊とその熱意はクマゴロウ博士に正しく伝わる。

 

「うむ、勉強熱心な奴だ。俺もそんな奴は嫌いじゃない。いいだろう。教えてやろう・・・」


 

 上機嫌になったクマゴロウ博士はバリチェロの求める知識を教授する。

 こうして、昼食の短い時間はクマゴロウ博士の講義をバリチェロが独占した。

 バリチェロはクマゴロウ博士の対面にちょこんと腰かけて、一緒に昼ご飯を食べながらその講義を聞く。

 そんな独占講義の姿は第一期研修生がここで学ぶ間にしばしば続けられる事になる。

 初日からバリチェロのそんな姿を見せられて・・・

 

「ふん。ボルトロールの魔術師は幼くてもあざといのう」


 シルヴィア皇女からそんな嫌味が漏れた。

 

「別にいいじゃない。あの()は純粋に学びたいだけ。ここでは自由よ。好きにさせてあげればいいわ」


 ハルはバリチェロの行動に問題はないと結論付けた。

 ハルもバリチェロが私利私欲でクマゴロウ博士に近付くようならば警戒したが、ここでバリチェロは自分の技術的好奇心に従ったまでだ。

 もし、クマゴロウ博士が嫌がったり、業務に支障が出るのであれば、考えなくてはならないが、まだ、その範疇ではない。

 ならば、邪魔する事も無かった。

 

「さてさて、お昼を食べましょう。午後からはトシ君が教えてくれるわ。ソフトウェアの本当の授業はそこからよ。難しくなるから覚悟して欲しいわ」


 まだ難しくなるのか・・・と一瞬嫌気の指すシルヴィア皇女と一部研修生達。

 あまりカレーライスを味わえず、昼食をさっさと済ませる。

 それは食後に午前中の復習を早々にした方が良さそうだと各々が感じたからである。

 無駄に優秀な人達の集まった第一期生でもあったりする・・・

 

 



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