第八話 強制帰還。冒険の終焉
その後、リーザとリズウィ――もう変化の魔動具は使っていないので、ニートと呼ばず、リズウィと呼んでも差し支えない――は銀龍スターシュートと共に現れた白魔女ハルによって回収され、王都エクリセンに戻ってきた。
リズウィと別れたリーザは今回の探索で目的としていた『黄金ユリ』の球根をアリスに届ける。
アリスの屋敷はリーザが泊まる『静かな夕暮れ亭』の隣に位置しているので、訪問も容易だ。
使用人は既にリーザの顔と地位を正確に把握しており、夜半の訪問でも遠慮なく迎えてくれた。
「これでアリスの熱も下がると思うわ」
「当主の為に本当にありがとうございます」
「礼には及ばないわ。アリスへの処方についてはお任せします。アリスの容体は明日の朝、また確認しに来ます」
それだけを言い残してリーザはマイヤー家の屋敷を後にした。
今晩が遅い訪問であった事に加えて、彼女自身にもいろいろな事があり、ひとりになりたかったのである。
定宿へ戻り、受付の番台に自分が戻った事を伝えると、湯浴みを用意させた。
宿の職員は遅い申し出にも嫌な顔をひとつせずそれに応じてくれた。
やがて部屋の浴室に湯舟が運ばれてきて、その湯舟には温かいお湯が満たされる。
「ありがとう。明日の朝に回収に来てくれればいいわ」
「解りました。それではおくつろぎ下さい」
下働きの女性は恭しく頭を垂れて、リーザの部屋から去っていった。
リーザは早速、旅の装いを解き、衣服を脱ぐ。
彼女自慢の深紅のローブは沼に落とされて少々汚れていたが、それでも修復の魔法が付与されている高級品のため、目立つ汚れはついていない。
戦争などの緊急事態では同じ服を一箇月間着っぱなしの事もあるが、それでもリーザは貴族女性である。
いつも清潔な嗜みを維持する事は彼女の中でも矜持のひとつであった。
深紅のローブに目立つ汚れがない事でひとまず安心する。
それに引き換えてローブ下に着用していた衣服はひどく汚れていた。
そこには魔法付与が掛かっていないので当たり前である。
もうこれは使えないと判断して、部屋にストックしてあった代わりの衣装を確認する。
「ふうー、毒矢を受けたり、スライムの体液が掛かったり、沼に落とされたり、花粉水を塗られたりと、散々でしたからね」
溜息を吐いて、汚れの原因を羅列してみるが、それでも沼へ突き落したニートの行動を怒っている訳では無い。
あの時はああする事が最善であったし、そのお陰で五体満足の身体で帰ってこられたのである。
裸身となったリーザはここで自分の下腹部を触る。
「それでも・・・彼がリズウィだったなんて・・・」
リーザはそんな感慨に浸り、湯船に身体を漬ける。
適切な温度の暖かくて清潔なお湯が彼女の疲労を癒してくれた。
「あぁ・・・私って何をやっているのでしょう。あんなにも積極的に男を求めるなんて・・・」
彼との情事を思い出して、今更に顔が真っ赤に染まるリーザ。
リズウィとの行為の感触はしっかりとリーザの記憶に刻まれていた。
「あの時は愛して欲しいと私の情欲が暴走してしまいました・・・でも、リズウィはどうやらハルさんの弟のようです・・・これは由々しき事態です」
リズウィは素敵な男性だと思うリーザだが、彼がハルの弟だと知ったのは銀龍スターシュートで迎えに来られた時だ。
白魔女ハルからの遠慮ない折檻を受けていたリズウィ。
自分との行為の事実を知ったハルはリズウィの頭を絞めていた。
その遠慮ない折檻行動を観て、ふたりの関係は親密であり、本当の兄弟だと容易に想像できる。
それは自分にも弟がいるから解る。
ハルの弟であるリズウィと関係を持ってしまった・・・
それはリーザの心の中で複雑な心境となる。
「私もどうかしていたのです。男性に対して簡単に心と身体を許すなど・・・甘かったのですわ」
自分の軽率な行動を反省するリーザ。
今度、会ったときにはガツンと言ってやろうと決意を新たにするリーザであった。
翌朝、リーザは予告どおりアリスの容体を確認する。
彼女の屋敷を訪れると、ハルから今回の顛末を聞いていたのだろう、レヴィッタが既に訪問していてアリスの容体を確認していた。
アリス、リーザ、レヴィッタは同じタイミングで敵の奸計に嵌り、虜囚となっていたことから、その後には連帯感の強い親友となっていた。
「あ、リーザさんおはようございます」
リーザの顔を見たアリスは元気に挨拶を返してくる。
「その様子ならば、元気になったようね。良かったわ」
「それは、リーザさんが『黄金ユリ』の球根を採取してくれたお陰です。危険な辺境の森に赴いて採取して頂き、本当にありがどうございました」
「別にいいわ。アリスが元気になれば、それに採取も私達にとってはたいした事なかったのよ」
余裕な態度で返すのはアリスに余計な心配をかけないためである。
しかし、ここで真実を暴露してしまうのは事の顛末をハルから聞いたレヴィッタの口からであった。
「アリスちゃん。エリちゃんはとても危ないところやったらしいよ。スライムの群れに包囲されて危機的な状況やったらしんやてぇ。そんな状況で『黄金ユリ』を採取できたらしいー」
「わっ、コラっ! レヴィッタ先輩そんなことバラしたらだめじゃない!」
「ニヒヒヒ・・・それでも、エリちゃんが偶然パーティを組んだ相手が、なんとあのリズウィ君やったんやよ! 彼の活躍でスライムを撃破して、そして、ふたりはいい関係になって・・・あ、痛っ!」
「コラッ! レヴィッタ先輩、余計な事まで言わなくてもいいのです!」
レヴィッタの口を塞ぐリーザ。
割と本気で頬を抓ったため、涙目になるレヴィッタ。
朝からじゃれる彼女らの行動に軽く咳払いするのはマイヤー家の使用人だ。
確かに病人の前だったと反省するリーザとレヴィッタ。
「まったく・・・アリスさんに余計な心配までかけさせたくないのよ」
「ゴ、ゴメンね・・・エリちゃん・・・だけど、あんなに憧れていたリズウィ君と感動的な再開を果たしたのだから・・・弄ってみたくなったのよ」
レヴィッタの口調が標準語に戻る。
そんなレヴィッタの様子を見て、これまではレヴィッタの悪戯心が現れたのだと思うアリス。
「そうですか・・・確かにリーザさんはあの時に助けて貰った敵の男性に想い焦がれておりましたからね」
「アリスまでそんなこと言わないで欲しいわ」
勘弁してくれと言うリーザだが、リーザがあの時に助けて貰った男性から貰った傷薬の空き瓶を後生大事しているのはよく知られていた事実だ。
そして、戦争後の捕虜の尋問でその男性が敵国の勇者リズウィだと言う事実も解った。
「レヴィッタ先輩も、リズウィが受け入れたサガミノクニ人の難民の中にいたと教えてくれれば、今回のようなトラブルにならなかったですのに・・・」
「トラブル?」
アリスが怪訝な顔をする。
それにはレヴィッタがニヤついた顔で答えた。
「リズウィ君がエリちゃんをキズモノにしちゃったって、ハルちゃんが頭抱えていたよ」
そんな比喩的な表現に顔を真っ赤に染まるリーザ。
勘の良いアリスはこれでリーザとリスヴィが男女の深い関係になった事を察する。
「まぁ!」
リーザは親友からのそんな視線に狼狽えた。
「ど、どうして・・・私がここで公開処刑のような仕打ちを受けなくてはならないのですかっ!」
「リーザさん。別に私は莫迦にしているのではありませんよ。リーザさん、相手に想いが伝わって素敵だなと思います。それに今はボルトロール王国と和平が成立しています。彼と婚姻する事に何も障害はありません」
「こっ、婚姻ですって!」
リーザが今日一番の赤面をした。
「ハルの弟と結婚する、なんて・・・あり得ません!」
強い言葉で否定するリーザ。
そこに人生の先輩としての余裕を以て慰めるのはレヴィッタだ。
「まぁ、まあ、エリちゃん。リズウィ君の事が好きなのでしょう? 別に良いんじゃないかなぁ~。ハルちゃんもリズウィ君も良い人だし・・・ちょっと異世界人で、奇想天外だけど・・・最近は、エルフとか、銀龍さんとか、いろんな人がうちに入り込んで混じっているから、なんだか今更って感じだしぃ~」
「レヴィッタさん・・・何を考えているんですか! 私はエストリア帝国の名門ケルト家の長女です。そんなどこの馬の骨とも解らない人と・・・」
「あら、エリちゃんはそんな家督の柵を嫌って出奔したんじゃなかったっけ?」
「う・・・」
「ともかく、エリちゃんも諦めて、英雄の家族に入って下さい・・・そうすれば、私の重圧も、フフフ」
レヴィッタは邪悪に笑う。
レヴィッタがここで画策していたのは自分の身の丈に合わない依頼が減ってくれる事への願望だ。
ウィル・ブレッタの妻として周囲からいろいろと期待される重圧が彼女にとっては最大の苦痛なのである。
夫のウィルのことは愛していて、とっても優しくて強く、それなりに稼いでくる満点の夫であり不満はない。
しかし、ウィル以外に弟アクト、そして、弟妻のハルは今回の戦争で活躍し過ぎた。
歴史の表舞台には決して出ない彼らだが、その真の存在価値が解っているエクセリア国の上層部からの期待は計り知れない。
ハルの結婚パーティのときにゴルト大陸の大国であるエストリア帝国の帝皇一族とノマージュ公国の法王が駆け付けたのは衝撃以上の何者でもない。
隠しても隠し切れない彼らの価値を示している。
それに加えて、ハルとアクトには銀龍スターシュートが従っている。
銀龍とはその気なれば、このゴルト大陸中の人類の文明を完全に破壊できる最強の生物。
そんな彼らと共に過ごすのはレヴィッタにとって緊張の連続だった。
そこに自分と同じ境遇を味わって貰える後輩の参画は願っても無いチャンス。
下らない理由であったが、それでもレヴィッタにとってリーザとリズウィが仲良くなる事は歓迎すべきであったりする。
ちなみに、そんなレヴィッタがリズウィの事をリーザに伝えなかったのは、単純に忘れていただけだ。
彼女にとってはその時に優先すべき物事が多く、リズウィの存在をリーザに伝える事はスッポリと抜け落ちていただけであったりする。
(堪忍、堪忍・・・)
そんな方言混じりの謝罪を心の中だけで唱えるレヴィッタ。
いろいろな事が言葉に出ない状況で進むが、この雰囲気で大体の事情を察したアリスはここで次にすべき行動を提案する。
「なるほど、それはそれは運命的な再会だったのですね。それにリズウィさんがこちらに来ているのならば、私も赴きましょう。かつて助けて頂いたお礼を伝えなければ、クリステ貴族の誇りを穢す事にもなります」
「アリス、無理しなくてもいいのよ。まだ病み上がりでしょ?」
「いいえ、もう大丈夫です。リーザさんから頂いた『黄金ユリ』はテメール熱の特効薬と言われるだけあり、今朝は完全に全快です。それに以前レヴィッタさん経由でサガミノクニ人の魔道具開発現場へ侵入して、彼らの動向を内部から監視する仕事も請けたつもりです。アリス・マイヤーは早速それを履行致しましょう」
アリスはそう宣言し、こうして彼女達三人はハル達の生活する旧ファインダー伯爵跡地へ赴く事になるのであった。