第81話 相応しい言葉を残して
豊かな国を見下ろす私は、王宮奥の塔にいました。神殿へ繋がる扉の前で、お父様が泣きそうな顔でティアラを差し出します。受け取ったお母様が、私の支度を整えてくれました。
「幸せになりなさい。たまにでいいの、帰ってきてね」
「はい」
感極まって何も言えないお父様の手を握ります。まだ会えます。私がカオス様の妻になり、人間ではなくなったとしても……お会いしてお話しすることは可能でした。ですが今日の婚礼を終えたら、私の立場が変わります。
神様が望まれた妻として、お父様やお母様、大神官様より立場が上になるのです。お父様達が私に敬語を使い、傅いて従うなど……想像出来ませんわ。
「お姉様、行ってしまうの?」
「ええ。カオス様のお嫁さんになるの」
「お姉様は幸せになれる?」
「もちろんよ、今度こそ幸せを掴むわ」
カオス様や私以外は意味がわからないでしょう。今度こそと言われても、思い浮かぶのはリュシアンのことくらいでしょうか。少しの間俯いたラファエルは、泣きそうな顔でした。唇を尖らせて、姉との別れを惜しんでくれます。前世では泣いていましたね。
頬に手を触れて、ラファエルの顔を私の方へ向けます。それから可愛い弟の頬にキスを。ラファエルが手を伸ばし、私の反対の頬にキスをくれました。にっこりと笑った私と対照的に、ラファエルは涙を堪えます。
「王になるのですから」
泣いてはいけません。そう言われると思ったのでしょう。ラファエルがぐっと唇を引き絞りました。ふふ、私が可愛い弟にそんな無茶を言うわけがないでしょ。
「民を愛して、人々に愛される君主になるのですよ。私は時々会いにきます。ラファエルが頑張っている姿を、見守っていますからね」
「や、約束します。僕はお姉様が誇ってくれる王様になります」
いい子ね。そう囁いて額にキスを贈りました。立ち上がる私に両手を伸ばしたのは、お母様です。私もその手を取って抱き合いました。触れ合った頬はすでに濡れていて、私も堪えられずに一粒溢します。化粧が流れてしまいますわ、お母様。
声にならない心配を込めたお母様の抱擁を終え、私はお父様に微笑みかけました。両手を広げた私に、おずおずと腕を回します。ドレスを崩さないように、化粧を落とさないように、優しくお父様は抱きしめてくださいました。今にも壊れそうなガラスを扱う繊細さで、結い上げた黒髪を撫でます。
「お父様、お母様も……ありがとうございました。私は幸せになります」
神様のお嫁さんになります。誰より私を愛してくれる人の元へ行きます。だから心配しないで。今度こそ、この手で最愛の人を捕まえたのだから。
覚えていて欲しいのは泣き顔ではなく、私の笑顔です。だから微笑んで、涙は溢れてしまったけれど……今の私の幸せを焼き付けてください。
「行ってきます」
さようならは言いません。お世話になりました、も相応しくないのです。また会いましょう、だったら告げてもいいかしら。悩んで選んだ言葉は「行ってきます」――きちんと「ただいま」と顔を見せにきますから、その時は笑顔で迎えてくださいね。




