第69話 泣く時間をください
『ええ、ありがとう。あなたのお陰で、問題なく移れたわ。これは神獣の幼体で、私は彼女と共存していくの。しばらく地上に降りる予定はないけれど、そうね。いつか気にいる子がいたら降りるかも知れない』
「レティの提案だと聞いた時は驚いたが、素晴らしい方法を考えてくれて感謝する。神々は考える前に動いてしまうから」
思慮深くある必要はなく、何か行動を起こして失敗したと思えばやり直す。この方法で大きな問題なく過ごしてきた。だから神々は考えるより、行動する方が早いのだとカオス様は笑いました。
不思議ですね。非力で知恵や寿命の少ない人間の方が、深く考えるのですから。私にも考える前に振るう力があれば、同じように考えなくなるのでしょうか。
「女神様のお名前を、教えてください」
覚えて、お父様やお母様に伝えよう。女神様のお名前を広めて、祀るようになればいいわ。そうしたら、女神様が神獣として地上に降りるときの助けになります。
『ユースティティアよ』
「ありがとうございます。お名前を広めても構いませんか?」
『うふふ、大歓迎よ』
角が触れないように気をつけながら、兎となった女神様は私に頬擦りしました。畏れ多いのですが、抱き上げさせていただきますね。長い耳の脇をゆっくり撫でて、美しい毛並みを堪能しました。いつか地上に降りて来られたとき、あなた様に素敵な出会いがありますように。願いを込めて、額に口付けを贈りました。
「そこまで。僕だって簡単にキスなんてもらえないのに」
むっとしたカオス様が邪魔をして、私はきょとんとしたあと大きな声で笑ってしまいました。落ち着いたところで、ユースティティア様を下ろします。見回した景色は以前見た花畑でした。
「あの草原はまだ回復していませんか?」
「後少しかな」
微笑んだカオス様の表情に、ほっとします。あの後枯れてしまっていたら、悲しいですから。あの土地にどんな意味があるのか、それは神々の記憶ですので私は尋ねる気はありません。ですが荒地のままの風景は、この花畑が美しい分だけ悲しく見えました。美しい草原になる頃、私は神々の末席に名を列ねるのでしょう。
「カオス様、私を王宮へ帰してくださいませ」
「僕も一緒に行くよ」
差し出された手を取り、深呼吸して目を閉じます。開いたらそこは神殿の中、きっと心配顔のお父様やお母様が駆けつけて来られるはず。
「カオス様」
目を閉じたまま呼びかけ、答える声に微笑みを添えて返しました。
「カオス様の妻になれることが、とても幸せです。でも結婚式の後すこしだけ、泣く時間をくださいね」
お父様やお母様、弟ラファエルとの別れを惜しんで、泣く時間をください。すぐに涙を拭って、カオス様の胸に飛び込みますから。お願いした私の額に優しいキスが触れました。
「もちろんだよ。僕は君から奪ってばかりだね。レティ」
「いいえ。あなた様が与えてくれたもので、私は出来ています」
目を開いた私は、神殿にカオス様と降り立っていました。




