第63話 思い出したわ
天と地が曖昧な空間で、私はぼんやりと浮かんでいました。誰もいなくて、何もない。それを寂しいと思うこともありません。
右手を伸ばした先に水が生まれ、左手を振ったら風が吹きました。興味を惹かれて身を起こすと、足元に大地が出来る。それが不思議と心地よくて微笑みます。零れ落ちた溜め息が熱くなり、美しい炎が世界に温度を与えました。
生み出された物は勝手に形を取り、やがて世界は光が満ちます。そこで気づきました。先ほどまで私がいた場所は暗かったのだと。闇が凝って美しい生き物が生まれる。手や足は私と同じ形で、どうやら仲間のようでした。
黒い髪は長く足元まで届き、黒い瞳は闇のよう。どこまでも透き通った瞳が瞬き、零れ落ちた氷がころんと転がる音がしました。ああ、音とは美しいものですね。水にも風にも音を与えましょう。世界はそうして創生されたのです。
思い出しました。足りない物を創り出しながら、ある日気づきます。壊す方法がないことに……困惑した私の横で、黒髪の彼は平然と壊して創り直してみせました。自慢するでもなく当たり前のように。
彼は私の創作物ではない。何もかもが満ちていた万能の世界に余計な物を創り出した私は、この世界に選ばれなかった。彼こそが選ばれ生まれた万能の名を冠する人……それを彼が望むかは別だけれど。
安心して。あなたのための存在は私が生み出すわ。いつか巡り会えるよう、この世界にすべてを溶け込ませていく。私の存在の全てを溶かして、世界に染み込ませた。
目を開けた私を抱き起こしたのは、彼。膝を突いて私の頭の傷を確認している。
「痛むかい? レティ」
レティ? 知らない名前だわ。ぼんやりしながら首を横に振った途端、後頭部に痛みを感じて顔を顰めました。痛い。
「ああ、ケガをしてるんだから動いてはダメだよ」
苦笑いしながら呼び出した神はヤクシでした。あの小さかった子が、今は老人のよう。膝枕してあげた頃を思い出し、懐かしさに微笑んだ私にヤクシが治癒を施しました。
カオスに抱き締められた私は後頭部に手を触れ、傷が消えた黒髪に気づく。あら、いつの間に黒くなったのかしら? 世の中の出来事にはすべて因果があるから、そのうち判明するでしょう。焦ることはないわ、私達にはうんざりする長い時間があるんですもの。
「ヤクシ、周囲の人も助けてあげて。そこの若者も、あちらのご婦人もよ」
さらりと口にした言葉に、カオスの表情が凍りつきました。先ほど浮かべた柔らかな顔が嘘のよう。得体の知れない物を見る顔で私を見た後、大きな溜め息を吐きました。心配そうなヤクシを手で追い払い、私に冷たい声を向ける。まるで別人だわ。
「君は誰だ? 僕のレティをどうした?」




