第57話 嘘をつきたくないのです
「泣きそうな顔、かな」
穏やかに答えるカオス様に感じる違和は、どんどん強くなります。いつも抱き上げる時、カオス様は左肩に寄りかかるように姿勢を整えてくれました。それは……右側にいたら見えないからですか?
今回は私が自分から転がった。そのため普段と違い、作為が働かず右側に来ています。考えてみると、右側に私がいることを避けておられました。右上位の作法に従えば、私は左側に立つもの。だから今まで気づけませんでした。
「隠すのですか。私はカオス様の妻になるのに」
「……っ、ごめん。そうじゃないよ。知らないでいてくれたら良かったんだけど。右目は見えてないんだ」
カオス様が隠す理由は分かりません。ですが全能神と呼ばれた方が、体に不具合を抱えているのは変です。お母様の病を治してくださったのに、ご自分の体は放っておくなんて。
「見えない理由は聞かないで。僕は君に嘘をつきたくない」
「はい」
カオス様には聞きません。ヤクシ様達にお伺いすることにしましょう。ただ……私に関することなのですね。別のお話なら嘘をつく心配も必要もないのですから。私に関することで見えなくなったから、尋ねられたら嘘を考えるのでしょう? 愛していると口先だけで囁く人と違い、カオス様の愛情は本物です。それ故に、私のために御身を傷つけられた。
張り裂けそうな胸の前でぎゅっと手を握り、私はカオス様の上から手を伸ばして抱きつきました。強く抱き締めて、抱き返す腕の温かさに涙が滲みます。泣いたらダメ、心配させてしまうわ。
堪えながら、カオス様に微笑みます。視界が少し滲んでいるのは見逃してくださいね。問いかけられたら、私も嘘を考えなくてはいけませんから。
「レティは、本当に優しい子だね」
「いいえ。優しい子は仕返しをしませんわ」
「罰することで相手の優しさを取り戻したじゃないか。それも君のいいところだよ」
諭すような声が切なくて、この優しさと強さが哀しくて、私はぎゅっと腕に力を込めました。今はお顔を見て話すことが出来ません。この方が望んだなら、私は魂の最後の一片まで差し出せるでしょう。それで消滅しても構わない。こんな激しい感情が、私の中にあることを知りませんでした。
これは前世で愛した王太子リュシアン様へ向ける気持ちより、ずっと強くて弱くて醜い感情です。今の感情を知っていたら、前世で「愛している」と口にできなかった。この年齢になって知った気持ちは、愛という言葉から想像する美しさはない嵐です。
――愛しています。
今だからこそ、私は心からカオス様を想うことが出来ます。そのために首を刎ねられたのなら、それは甘んじて受けるべき試練だと思いました。




