第53話 過去との訣別です
聖女の名において、学校を設置する。過去の罪や貴賤を問わず、知識を持つ者を募集する――。
私の8歳の誕生日に掲げられたのは、平民が通う学校の創設です。これをお父様にお強請りしました。21歳で死んだ私は、あの頃に手がけていた事業がありました。それが平民の学ぶ機会を作る施設です。
実現寸前までたどり着いた過去の経験から、お父様に細かくお願いしました。学校の先生となる方には、高度な質問にも答えられる人を選んで欲しいと。それは子供達の学習意欲に合わせ、読み書きや計算以外も教えて欲しいと考えたのです。
お触れに書かれた報酬は、決して高額ではありません。あの報酬額では、貴族の応募はないでしょう。平民が普通に生きていくより、少しだけ高額に設定しました。私はあの方々に門戸を開きます。その扉に手を掛けるも、背を向けるも、選択はお任せしましょう。
掲示された文言を読むために、街の人は元王妃様をお連れするはずです。生きていくのに十分な報酬と、自分が持つ知識を役立てる場面、過去を問わない一文に込めた想いを受け取ってくださるでしょうか。
両手を合わせて祈る私の黒髪に、カオス様が唇を寄せました。触れて離れる、ただそれだけの行為に胸が高鳴ります。
「本当に、君は聖女になってしまうね」
慈悲深い聖女様、そう呼ばれたいのではありません。私の苦しみは、誰かにそっくり転嫁するための痛みではない。あの日の嘆きは、誰かを不幸にするための涙でもなく……罰を受けて他人の痛みを知った人は、再び立ち上がる機会を得られるべきだと思ったのです。
「いいえ。私を聖女にしてくださったのは、カオス様です」
婚約者という意味ではなく、私を救ってくださった。カオス様が私に立ち上がる機会を与えてくださったから、私もそれをリュシアン様や元王妃様達に与えたいと願ったのです。お父様も同じような質問をなさいました。
お前に怖い思いをさせたリュシアン殿を恨んでいないのか? と。恨んでも憎んでもいません。悲しかった過去と、思い出した恐怖に震えただけでした。私は何も成していない。
専業で食べていける金額を提示しました。この金額はお父様とぎりぎりまで調整したものです。私に与えらえた予算の一部を使い、でも貴族が手を伸ばそうとしない報酬。現物支給も考えましたが、毎月申請してもらうのも大変でしょう。
応募は10人でした。お父様にお名前を見せていただきます。商人の次男や三男が3人、騎士家の御令嬢が2人、男爵家の未亡人、元王家の3人、ケガで引退された騎士1人。思わず頬が綻びます。
「いらしたわ」
「よかったな」
応募しなさいと命じることは簡単です。でもあの方は応募すると思いました。破門が解除されたことで、今は自由の身です。買い物もできるし、民との交流も積極的に行い、お母様の為に必死で働いておられました。私の首を刎ねた罪は、前世のもの……もう自分を許して、自由に生きて欲しい。
「ありがとうございます」
「僕は何もしてないよ。すべてレティの祈りの成果だ」
甘やかすカオス様のお膝に座り、私は逞しい胸に寄りかかりました。温かい。過去に私を愛して温めてくれた人に、これでお別れが出来る――そう思いながら目を閉じました。