⑲背中越しの愛
色とりどりのドレスを着て、くるくると回る令嬢達。そんな、令嬢を引き立たせつつ、優雅に踊る男性達。
みんな笑顔でのびのびと踊っていて、至る所で楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
ダンスが苦手な者達は、令嬢達と食事を楽しみながら談笑していて、そちらも和やかな雰囲気だった。
両学校の交流を目的とされたこのダンスパーティーは大成功のようだった。
アンドレアは会場入りしたものの、学園の生徒達と顔を合わせて万が一の事があったらマズイので、カーテン付きの小さなバルコニーに出て、窓越しに中の様子を見ながら時間が過ぎるのを待っていた。
身を隠しているアルフレッド以外、王子達はこの時間はそれぞれ独自に動いていて、チラッと覗いた限りでは、ダンスに応じているのはライオネルくらいだった。
ダンスは男女どちらからでも自由に誘っていいとされている。無礼講と言えど、さすがに王子達相手に自分から誘える令嬢はいないので、忙しいローレンスと忙しいかよく分からないコンラッドは、ダンスには参加しないらしい。
アンドレアはダンスに関しては得意な方だった。子供の頃から淑女のマナーとしてレッスンを受けていたが、早く外に遊びに行きたくて、あっという間に身につけたという過去がある。
こんな事でもなければ、あのホールで踊る輪の中に、自分とローレンスの姿があったのかもしれない。
そう思いながら、アンドレアは中の様子をぼんやりと見つめていた。
一人になると考えてしまうのは、学園を卒業した後のことだ。
もうすぐ後期の授業も終わり、休みに入った後、次の最後の学年になる。
特例として王子や王族だけは、早期卒業という制度が使えるのだ。
それは、それぞれ国での公務が控えているので、最後の学年すべて完了することなく終えることができるらしい。
そして、ほとんどの者がその制度を利用するのだと聞いた。
ローレンスも学園に在籍していながら、国の仕事をすでに手掛けている。
ローレンスは第三王子だが、上の兄達が役に立たないのでと言って、時々苦労を滲ませたように疲れた顔をしている時がある。
ローレンスが早期に卒業することは間違いないだろう。そうすると、ローレンスはフィランダーに帰ることになり、アンドレアとは離れて暮らすことになる。
アンドレアとしても、せっかく兄の代わりにここにいるので、自分の都合で途中で退学という流れにはしたくなかった。
自分を好きだと言ってくれるローレンスだが、果たしてどう考えているのか、アンドレアの心配は募っていたのだ。
このまま離れてしまって、気持ちも同じく離れてしまったら。そもそも、ローレンスは自分の国に迎え入れてくれるのか。
考え出したらキリがなくて、アンドレアは頭を押さえて目を閉じた。
だってそうだ、今だってローレンスとはこんなにも距離があって、一緒に踊ることも叶わない。特別な事情があるとしても、アンドレアには、これが二人の未来のように思えて、心臓がぎゅっと掴まれたように痛くなった。
アンドレアがため息をついたその時、バルコニーのカーテンがユラユラと揺れた。
誰かが出てこようとしているのかと、ドキッとしたが、カーテンは大きく開くことはなく、代わりにぬっと手が出てきたので、アンドレアは思わず叫びそうになった。
「アンドレア…」
わずかに開いた隙間から背中を見せている状態だが白い服が見えて、肩の辺りに軽く結ばれた銀髪がサラリと落ちてきたのが見えた。そして、小声でその名前を呼ばれたのでアンドレアは慌てて駆け寄った。
「そのまま、カーテンは開けないでください。リデリン嬢と私が一緒にいたら、注目を集めてしまいますから」
ローレンスは背を向けて会場を眺めるようにしながら、背中越しにそっと話しかけに来てくれたらしい。
「そこにいて大丈夫ですか? 何か飲み物を持って来ましょうか?」
「だ…大丈夫です。緊張して、何も喉を通らなくて」
「心配しないでください。私もすぐに駆けつけられる位置に行きますから。アンドレアには傷一つ付けさせません」
緊張している自分を慰めに来てくれたのだと、アンドレアの胸に温かいものが広がっていった。
ローレンスの側へ近づいていき、大きな背中のすぐ後ろに立った。
「………ローレンスは、踊らないのですか?」
「私がダンスをするのは、アンドレア、あなたと決めています。この件が片付いたら、ぜひ私と一緒に……踊ってくれますか?」
「……ローレンス」
アンドレアの不安をかき消すように、ローレンスの優しい言葉が胸に響いてきた。
ローレンスはいつだってアンドレアの事を考えてくれる優しい人だ。
一人不安になって、胸を曇らせていた自分を恥じた。
この人を信じよう。
たとえ、離れて暮らすことになっても、信じて待ち続けよう。
強く心の中で思いながら、アンドレアはローレンスが後ろで組んでいる手に自分の手を重ねた。
ローレンスの手が驚いたように震えたのが分かって、もしかしたらローレンスも同じように何か不安を抱えていたのかもしれないと感じた。
「喜んで」
そう言ってアンドレアはローレンスの背中にもたれるように自分の体を重ねた。
窓からは見えない位置である。会場の誰もが、しっかりと進行を確認するように立っているローレンスの後ろで、アンドレアが抱きついていることなど気が付かないだろう。
「ローレンス、大好き」
「ううっ…!」
つい嬉しくなって、顔を擦り付けるようにして抱きついて、気持ちを伝えてしまったら、ローレンスはなぜか苦しそうな声を上げた。
「どうしたのですか!? 体調が急に悪くなったのですか?」
「いっ…いえ、そういうわけではないのです! ついムラムラっと……」
「ム? なんですか? お腹がムカムカですか? 悪い食べ物でも……」
「あ…い…え、色々と事情がありまして…、あっ! そうだ、ちょっと、警備の方の確認を! また、後ほどお会いしましょう」
アンドレアの手を握った後、ローレンスはスッと忙しそうに消えてしまった。
寂しく思ってしまったが、今はそんな状況ではないとアンドレアは自分の頬を叩いて気を引き締めた。
「よし! 頑張ろう」
これから何が起こるのか。上手く事を進める事ができるか、アンドレアは不安な気持ちを飲み込んで取引場所に向かって足を踏み出した。
取引場所はホワイトリリーにある庭園、そこのかつて授業で使用していたと思われる今は使用されていない薬草栽培用の温室を指定した。
普段学生が来ることもなく、雑草が生えていて荒廃した雰囲気が漂っている。
周りは樹木に囲まれていて、人目につかず秘密の取引にはうってつけの場所だった。
すでに朽ちているボロボロの木の扉を開いて中に入ると、イザベラも協力者もまだ来ていないようだった。
早く来すぎてしまったかと、アンドレアが小さくため息をついた時、温室のドアがギィィと音を立てた。さっと視線をドアの方へ向けると現れた人物にアンドレアは驚きの声を上げた。
「えっ…!? あっ……アンバー様!!」
朽ちてボロボロになった草木を踏みながら登場したのはアンバーだった。
今日もくるくるとした薄茶の巻き毛を揺らしながら、しっとりと濡れてこぼれ落ちそうな瞳をアンドレアに向けて近づいて来た。
「ごめんなさい……。どうしてもリディのことが気になって、後をつけてしまいました。だって、あれからいくらお誘いしても私のお茶会に参加していただけなくて……私……私、本当にショックで。夜寝る時も、リディの愛らしい顔を思い浮かべたら…会いたくてたまらなくて……」
なんてタイミングに来てしまったのかと、アンドレアは全身から一気に汗がふきだした。
キョロキョロと周りを見ながら、イザベラ達が来ていないか確認した後、なんとなくアルフレッドからの圧みたいなもの感じて、アンドレアは震えた。背中に痛い視線を感じながら、どうにかするしかないと心の中で頭を抱えた。
「アンバー様、今ちょっと忙しいので、向こうへ行っていただけませんか?」
「……は? なぜですの? やはり…私のことがお嫌いに……」
冷たく言って帰ってもらおうとしたら、アンバーは目を潤ませて泣き出しそうな顔になってしまった。
よけいに面倒なことになってしまい、焦りながらなんとか宥めようとしていたら、温室の曇ったガラス窓にイザベラがこちらに歩いてくる姿がぼんやりと映った。
アンバーと一緒にいるところを見られたら計画が完全に壊れてしまう。
焦ったアンドレアはとにかくアンバーを隠そうと打ち捨てられていた薬品棚の後ろにアンバーを連れていき、そこに押し込んだ。
「なんですの? なぜ私をこんなところに……」
「今から大事な相手と話さないといけないんです。とにかく失敗は許されないので、それが終わるまでここから絶対に出ないでください!」
「え…ええ。後で説明してちょうだいね」
アンドレアの鬼気迫る顔に、アンバーはそれ以上聞くことが出来なかったようで、静かに身を隠してくれた。
そこにちょうど、ギィィと音がしてドアが開いた。イザベラが親切な女教師、サリトルとして微笑みながら入ってきた。
今日も地味な暗い色の大人しいドレスを着ているが、正体が分かっているからだろうか、アンドレアの目にはやけに黒くて、獲物を狙う獣のように見えてしまった。
「リデリン、お待たせしてしまいましたね。あら? そんなところで何をされているのですか?」
「な…何でもないです。ちょっと運動をしようかななんて……」
チラリとアンバーの方を見たら、大人しく小さくなってくれていたが、サリトルがなぜここに? という不思議そうな顔をしていた。
「あら、リデリンは子供のように可愛い方ね。それに…、ドレスがとても良く似合っていますわ。やはり、あの薬の効果を実感していますでしょう?」
「ええ…。それは…とても。ぜひ、仲のいい平民街の女の子達にもどうしても広めたくて。今回父から商用のルート使えるように許可をもらえたので、今回のお話はこちらとしても嬉しいです」
「さすが平民出身のリデリンね。男爵令嬢となっても、かつての友人達のことを考えているなんて。その高潔な精神が羨ましいわ」
控えめに微笑みながら、アンドレアの機嫌を取るとように話しかけてきたが、やはりどうもトゲがあるような話し方だった。
心の中ではほくそ笑んでいるかのような色が透けて見えた。
「原料は前にも言った通り、高山で採れる植物で疲労回復などの薬草に使われている安全なものよ。それを他の薬草と組み合わせると女性を美しくする効果を生み出す事を発見した。開発者の友人は安全な販売ルートが確保されるまで大々的に広めたくなかったのよ。だから、私が声をかけていたの。でもこれでやっと多くの女性にこの喜びを広めることができるわ」
イザベラはゆっくり歩きながら、温室の入り口まで足を進めた。
そしてドアに手をかけてゆっくりと自分の方に引くと、外から真っ黒な外套にフードを深々とかぶった者が入ってきた。
「紹介するわ。私の友人で薬を作った者よ。王立学園で働いているの」
いよいよだとアンドレアの緊張は高まった。
イザベラの紹介でその者が外套を脱ぐと、アンドレアは息を吸い込んだ。
アンドレアももちろん知っている顔だった。
言葉を交わしたこともある。柔和で優しい外見、どちらかというと気の良いお爺ちゃんという印象しかなかった。
口元に白い髭をたくわえた小柄な初老の男。
サファイア王立学園、サザール学園長だった。サファイア王国では伯爵位を持ち、地方に広大な土地を所有して、農業や畜産業を手広く手がけている人物だった。
まさかこの人がなぜ、という思いでアンドレアは言葉が出てこなかった。
そして、もし自分のことに気が付かれたらと、ハッとして焦りだしたが、幸い着飾ったアンドレアの姿を見ても驚いたり訝しむ様子はなかった。
アルフレッドがまだ出てこないところを見ると、彼の言葉から何か証言を得たいのかもしれないと、アンドレアは会話を続けることにした。
「私は王立学園で働いているサザールという者だ。一応爵位もあるが、この事業では名前を出さないでくれるとありがたい。色々としがらみが多い業界なのでね。君がリデリンだね。今回はいい話をありがとう。私もこの薬をきちんと紹介してくれる販売ルートが欲しかったところなんだ。まずは最初の入荷数と、納期について話し合おうか」
「え……ええ。リデリン・レッドワイスです。では…まずは、どれくらい在庫があるのかと確認させて……」
その時、ガダンと音がして、振り返ると鉄製のバケツが温室の中をコロコロと転がっていった。
「誰? 誰がいるの!?」
イザベラが叫んで声を上げると、サザールの顔色も変わり一気に緊張感に包まれた。
バケツが転がった辺りは、アンバーが隠れているはずの場所だ。
間違えて当たってしまったのか、もうこれでは隠れようがない。
仕方なくという間があって、ゆっくりと手を上げながら、棚の奥からアンバーが姿を現した。
「アンバー・ミントレット……なぜ、あなたがここに?」
アンドレアに飽きて切り捨てたはずのアンバーが、こんな所にいるなんてありえないはずだった。
「……どういうつもり? まさかアナタ達…、私をハメたの?」
今まで女教師の仮面をかぶっていたイザベラだったが、不測の事態に、目を釣り上げて恐ろしい形相になった。
不穏な空気を感じ取ったサザールが、踵を返して逃げようとした時、温室のドアが破壊されて地面に砕け落ちた。
「そこまでだ」
混迷した空気を切り裂くように、重く鋭い声が響き渡った。
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