⑱ダンスパーティーの始まり
抜けるような青い空。
高らかに楽器の音が鳴り響き、紙吹雪が舞った。
サファイア王国のホワイトリリー女学院にて、サファイア王立学園との合同ダンスパーティー当日は開始前からたくさんの人が集まって盛大に始まった。
会場となるホワイトリリー女学院の大講堂は、白を基調とされた花やリボンで飾り付けられて、たくさんの飲み物や豪華な料理が所狭しと並べられていた。
中央のダンスホールの床には、白い花びらを模した絵が描かれていて、たくさんの男女が踊れば、さぞかし美しい光景が見られるだろうと期待されていた。
この日の令嬢達は、朝早くから起きてめいっぱい着飾って、誰もが緊張の面持ちで今か今かと、男性達の到着を待っていた。
ダンスパーティーは誰と踊るか事前に決められていない。
もちろん生徒の人数がぴったり合うわけではない。王立学園の男子生徒の方が人数は多いので、女学院の生徒であれば卒業生やその姉妹の参加も可能としていた。
そのため関係者として会場入りする者が多かった。王立学園の方は各国の王族もいるため、両学校から警備兵を大量に投入していて、かなりの人数で溢れていた。
そんな中、アンドレアは色々な意味で緊張しながら、人目から隠れるように校舎の中をこそこそと歩いていた。
大講堂を下に見下ろして、歓迎の音楽を聞きながらアンドレアが目指しているのは、職員用の会議室だった。
後ろを警戒しながら、誰かに追跡されていない事を確認しつつ、足を進めていた。
いつもより長いドレスは足捌きが難しく、あまり早く走れない。
アンドレアは汗をかきつつ、逸る気持ちを抑えながら必死に走っていた。
アンドレアのダンスパーティー用のドレスはローレンスが用意してくれたものだ。
空のような美しい青いドレスで裾にいくにつれて白いグラデーションになっていて、胸元は首元まで詰まって、小さな宝石が散りばめられている。
スカート部分はふわりと膨らんで下に落ちる形で、レースやフリルがふんだんに使われていた。
詰まった襟元の代わりに、背中は大きく大胆に空いたデザインだった。
髪はアップにしてつけ毛を混ぜてボリュームを出している。
実家にいた頃でさえ、こんな着飾った格好はしたことがなかったので慣れないが、ローレンスに早くこの姿を見て欲しかった。
会議室のある階まで来ると、警備兵には話を通してあるのか、通常は立ち入り禁止だが、すんなりと通された。
会議室の前にソワソワした様子で立っている大きな背中が見えたので、アンドレアはドレスを持ち上げてパタパタと小走りになりながらローレンス! と叫んだ。
アンドレアの声に反応してサッと身体を回転させたローレンスは、走って来たアンドレアを受け止めて、そのまま持ち上げて強く抱きしめた。
「女神が走って来たのかと思いました。私の心臓を止めないでください」
「会いたかった。ローレンス」
アンドレアがローレンス首元に抱きついて、二人の顔が近くなると、どちらともなく唇を重ねた。
「ああ…やはりこのドレスの色はアンドレアの輝く黄金色の髪によく映えますね。目が眩むほど美しくて溶けてしまいそうです。……でも考えていたより背中が出ますね。マズイですね、この愛らしいラインを誰かに見られるのは……」
ローレンスが頬を赤く染めながら、ブツブツと喋っていたら、ガラッと会議室のドアが開けられて、アルフレッドが焦った顔をして出てきた。
「ばかっ! お前達、こんな所で堂々と抱き合うな! 監視は付けているがどこに目があるか分からないんだぞ!」
さっさと入れとアルフレッドは二人まとめて部屋の中へ押し込んだ。
会議室内には、各国の正装に身を包んだ王子達が揃っていた。
アンドレアはなんてところに自分はいるのだろうと、冷や汗が出て来たのを感じた。
ライオネルとコンラッドは黒を軍服をベースにしたもので、金の装飾と金のマントを羽織った豪華なライオネルに対して、コンラッドは、黒で統一され装飾も控えめで落ち着いた装いだった。
そしてやはり目立つのは真っ赤なサファイアの軍服のアルフレッドと、上下白で統一されて、銀の装飾とマントが白銀の髪と相まって神々しくも見えるローレンスだった。
「あ…アルバートか? 嘘だろう。まるで本物の令嬢じゃないか」
アンドレアの姿を見たライオネルはすぐに驚きの声を上げた。
近寄って来てジロジロと眺めてくるので、苦笑いしているとさりげなくローレンスが隠すように間に入った。
「お前なぁ…少しくらい、いいだろうに」
ライオネルが呆れた顔をして、頭をかきながらため息をついた。
「そうだよ。なかなか完璧に化けているんだから、褒めてあげてるんだよ。ここなんてこの間触った時はまるで本物みたいな……」
「わーーー!! コンラッド! それは! ダメだって! 変な話をするなって!」
あのコンラッドがふざけた話をこんな所でされたら大変だと、アンドレアは慌てて口を塞ごうとしたが、時すでに遅し。コンラッドに駆け寄ろうとした背中から強烈な寒気を感じて、アンドレアは立ち止まって震え上がった。
カチャリと硬質な音がして、剣が抜かれる気配がしてライオネルが急いでローレンスに飛びついた。
「おっ落ち着けって! アルフレッド王子の前だぞ!」
「コンラッド……、頭がおかしいと思っていましたが、この私にどうしても斬られたいらしいですね」
「おい…何本気で怒ってんだよ。男同士のただの冗談で……」
調子に乗っていたコンラッドだが、ローレンスにブチ切れられて、さすがに焦った顔で後ろに下がった。
「いいですか、そこは私すら踏み入れたことのない聖域だと言うのに……。八つ裂きにしてあげましょう」
「だー! ローレンス! 冷静になれって!」
「ローレンス、あ…あの、俺がもう殴ってるから…落ち着いて」
こんなところで、ローレンスの暴走が始まったら大変なので、アンドレアも一応止めに入るがローレンスの目元の闇は深くなるばかりで、ローレンスにしがみついている一番体が大きなライオネルが今にも飛ばされそうになっていた。
「おーまーえーらーーー!!! いい加減にしろ! 今日なんでここに集まったのか分かっているのか!!」
今まで呆れた顔で傍観していたアルフレッドがついに大きな声で一喝した。
年長者であり、サファイア国の王太子の一声に、全員水をかけられて痺れたように我に返って姿勢を正した。
「いいか! 遊びだか、揉め事は後でやってくれ! アルバート! まずはお前からの報告だ!」
最初に名指しされて、アンドレアは、はい! っと大きな声上げて前に進み出た。
「報告書にてお送りしましたが、今日のダンスパーティーで大きな取引をパイプ役に持ち掛けました。この後、学園側の協力者と商談をする話になっています。ここまでの経緯としては、私が痩せ薬として例の薬を手に入れて、実際に試してその効果に感動し、ぜひ、平民の女子にも広めたいのでたくさん仕入れたいという話になっています」
「ありがとう。アルバートの活躍によって、向こうはリデリン嬢が持つ、レッドワイス家の流通網を利用しようと餌に食いついたところだ。ここからは慎重にことを進める必要がある、みんな今日の動きを確認してくれ」
ホワイトリリーに潜入したアンドレアは、自らの噂を流すことで、無事パイプ役との接触に成功した。
アルフレッドからの指示通り、取引を持ちかけたのだ。
取引に現れた者が、クラフト王国から逃れてきた者なら点が線で繋がる大きな証拠となる。
「俺は警備兵とともに、いざというときに備えて取引場所の周囲を警戒する。何かあればすぐ動ける位置にいるつもりだ」
ライオネルが警備兵を統率して動くことを確認すると、今度は機嫌の悪そうな目つきだけ残したローレンスが前に出た。
「私は会長として会場内で進行の確認をしながら、怪しい動きをする者がいないか探ります」
「俺も同じく、会場をうろうろするが、主にパイプ役から目を離さないように後ろについてまわります」
ローレンスに続いてコンラッドも今日の動きを確認した。
「それで、パイプ役だった人間については、やはりあの女性に間違いないのだな?」
アルフレッドの問いにコンラッドは軽く目を伏せながら、はいと答えた。
「アルバートから接触があったと話を聞いて、俺の方も女を調べてみました。巧妙に姿を変えていますが、イザベラに間違いありません。うちの長兄の元婚約者であり、今回の黒幕だと思われる叔父マカラードの娘」
「イザベラ・クラフト。かつて社交会の花と呼ばれた女性ですね。内戦の多かったクラフトを離れて、しばらく我がフィランダーで暮らしていたので、私も何度かお会いしたことはあります。父親の失脚とともに姿を消したと言われていましたが、まさかこんなところにいらっしゃったとは……」
アンドレアは夕暮れの校舎で近づいて来た影を思い出していた。
最初は堅くて地味な印象の人だった。だが、自分に注がれる視線にやけにネットリと絡むものを感じていた。
そしてあの廊下の奥から歩いて来た影が、夕日に照らされてその姿の全貌が見えた時、地味だった印象は明らかに変わった。
同じ姿であるのに、鋭く狂気を孕んだ瞳と、隠しきれない美貌の香りが漂ってきたのだ。
ホワイトリリー女学院の女教師サリトル。
彼女が王立学園の人間とのパイプ役だった。
アンドレアに向かって来たサリトルことイザベラは、小さな袋を取り出した。
粉末状の薬だと言われて、これ飲めば美しくなれると言われた。
普通ならそんな怪しげなものに令嬢達は手を出さないだろう。
しかしイザベラが狙ったのは心が弱った令嬢達。その匂いを探り当てて、こっそり声をかけていたのだ。
気に入ったらまた声をかけてと言われて、アンドレアの手の中にそっと置いていったのだ。
そもそもレッドワイス家の令嬢だというリデリンに最初から目をつけていたに違いない。
アンバーに絡んで傷ついてくれたので、イザベラにとっては都合のいい展開だったのだろう。
そして、何度か接触を重ねて、今回の話を持ちかけたのだった。
「アルバート、今回の作戦は君にかかっている。俺は取引場所に隠れているから、何かあればすぐに出て行くつもりだ。何としても、学園側の関係者との接触に成功するんだ」
「はい…、最善を尽くします」
アルバートは取引現場を押さえて一網打尽にするつもりだった。
証拠を得れば、すぐにでもキドニーとの協議に入り、場合によっては今のうちに叩く事ができると考えているらしい。
王子達との打ち合わせは、流れを確認した後すぐに解散になった。それぞれ散って、約束の時刻まで警戒しながら過ごすことになった。
アンドレアが緊張から腹痛を覚える中、ダンス会場からは拍手の音に続いて、軽快なワルツの音色が聞こえてきた。
いよいよ本格的にダンスパーティーはスタートした。
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