⑰羽を掴まれた蝶
放課後の校舎、薔薇が咲き誇る庭園で背を低くして、アンドレアは人目を避けるように移動していた。
植込みに隠れながら、やっと人の気配がなくなったと安堵していたら、ガサっと草が擦れる音がしてアンドレアは驚いて振り返った。
「……なんだ。コンラッドか……」
こっちが必死で隠れていることなどお構いなしに、近寄ってきて当然のように横に座ってきた。
相変わらず自分勝手だなとアンドレアは呆れてしまった。
一国の王子が薄汚れた作業着を着ている姿はもう慣れてしまって驚きはしない。
「こんなところでなに隠れてんだよ」
「いや…ちょっとな……」
アンドレアはここ数日の事に頭を痛めてため息をついた。薬を流していると目星を付けていたアンバーは、誘いをかけたのに薬に関しては全く乗ってこなかった。
それなのに、別の意味で乗ってきてしまい、どうしたらいいか分からなくて途方に暮れていた。
「ああ、アンバー嬢か。パイプ役は彼女じゃないだろうな。アンバーがやっていたら、目立ち過ぎておかしいだろう。手下にやらせている可能性もあるけど、俺も探りを入れたが手下も怪しい動きはない」
「………そういうことは早く言ってくれ」
表面に出ている問題を解くのとはわけが違う。誰か相談できる人を付けてもらうべきだったとアンドレアは後悔していた。
「アンバー嬢が男嫌いで、面食いだって話は社交界では有名だよ。いつもお気に入りの生徒を側において可愛がるらしいね。すっかり気に入られたみたいだけど、まさか好きになったりしてないよね?」
「するか! お…俺が好きなのは……ローレンス様だから」
真っ赤になって、なぜここでそんな事を言わされるのかとムッとしているアンドレアの顔を見て、コンラッドはおかしそうに笑った。
「はははっ、これは面白い。ダンスパーティーが終わったら、男の姿で登場してやれよ。アンバー嬢、卒倒しそうだよね」
コンラッドはこういう意地の悪いことを考えるのは天才的な才能がありそうだ。
面白いという言葉がその口から出てくると寒気がしてアンドレアは早くタウンハウスに戻りたかった。
しかし、同じく潜入しているコンラッドと情報を共有しておく必要があった。
「他に怪しそうな令嬢はいないのか?」
「さすが規則が厳しい学校だけあって、大っぴらに薬の話題を出す者はいないね。ただ、雰囲気は明らかにおかしい。それはアルバートも気づいているよね?」
「……そうだな」
アンバーのお茶会に呼ばれるようになってから、明らかに周りの態度が変わった。よく話しかけられるようになり、おかげで情報を得やすくなった。薬についてそれとなく聞いてみたが、さすがにそこまでは口を滑らせる者はいない。しかし、コンラッドの言った通り雰囲気は日を追うごとにおかしくなっていくのを感じていた。
今日もひとりの令嬢が授業中に叫び出した。金切り声を上げて暴れ出したので、教師達が取り押さえたのだ。学院は囲いから飛び出したような問題を大きくされるのを嫌う。他の生徒達にはただの体調不良として説明された。思春期にはよくあるヒステリーみたいなものだと……。
「幻覚作用とみて間違いと思う。極端に痩せている子だったし…。俺の方も周囲に痩せることに興味がある、とだけ種は巻いておいた…。これで引っかかってくれるといいが…」
時間がないので焦る気持ちがあるが、目立った行動は相手に警戒されるだけだ。アンドレアはただでさえ動きづらい状況に頭を悩ませながら、向こうからの接触を待っていた。
「これが最近までに学院を退学した女子のリストだ。退学理由が結婚や妊娠のためになっている者は除外してもいい。理由不明や体調不良の生徒は何かあったのかもしれない」
コンラッドが懐から資料を取り出してアンドレアに渡した。本来は連絡係を別に用意していたらしいが、コンラッドが勝手に潜り込んだので、アルフレッドは仕方なくコンラッドを連絡係にしたようだった。
分かったと言って、アンドレアは見つからないようにドレスの中に隠した。
「で、なんでここに隠れてるんだよ」
「決まっているだろう。アンバー嬢から逃げているんだよ。この前、頬に付いたクリームを舐められたんだよ。それから怖くてお茶会はずっと体調不良で欠席しているけど、探しに来るから動けなくて困っているんだ」
「バカだなぁ、そんなに逃げ回っていていたら、薬の件での接触なんて来ないと思うけどな。まぁ、頑張れよ」
コンラッドは面白くてたまらないという顔で、ニヤニヤしながらアンドレアを膝で突いてきた。
アンドレアはイラっとしながらも、確かにその通りなので言い返せなかった。
このままだと、ただ時間が過ぎていくだけなので苛立っていた。
「そうだ。コンラッドに聞きたかったんだよ。元はと言えばお前の国から始まったのだろう。黒幕に目星はついているのか?」
「あーだいたいね。多分叔父のマカラード。かつて父と王位を争って破れて、死んだと思われていたけど、今はキドニーの宰相の座についている」
「…………は?」
聞いたはいいものの、まさか自分にこんなにペラペラと全部話してくれると思わなかったので、アンドレアは大きな口を開けすぎて顎が外れそうになった。
「キドニーって……、もともと大人しい小国だったけど、ここ何年かで同じ小国を狙って争いを仕掛けて領土を広げているっていう国だよな。サファイアやクラフトに国境を隣接しているけど、国交はなく、最近は小競り合いが絶えないとか…確かそんな感じだったな」
「そっ、クラフトやサファイアに恨みがあって、サファイア国の衰退を狙っている…、と言えばマカラードしか思い浮かばない。野心家で狡猾な男で目障りなヤツだよ。さっさと殺したいけど、アルフレッドが証拠が証拠ってうるさいからさ。とりあえず、今回の話に乗ったんだよね」
コンラッドは金色の目をギラギラとさせて、遠くを見ながら話していた。
その横顔には年相応の幼さが残っているが、人を殺すことになんの躊躇いもないように思える。
アンバランスで危うい男。
アンドレアがコンラッドは仲間だと聞いてからも、今ひとつ信用しきれないのはこういうところだった。
「俺の方は身軽だから、このまま生徒を監視しつつ調査を進めるよ。怪しい動きがあったら、また知らせる」
コンラッドは帽子を深くかぶり直して、掃除用具を手に持って立ち上がった。
「気をつけろよ。やけに警備兵がうろついているから、目をつけられたら危険だぞ」
一応言っておいた方がいいだろうと、アンドレアが声をかけると、コンラッドはニヤリと笑った。
「それさ、俺に本気で言ってる?」
「もちろん。ここには俺達しかいないんだから…、俺だって急に動いて助けに行けないからな」
「俺に気をつけろなんて言うのは、あの人とアルバートくらいだな」
危うくて何をするか分からないコンラッドへの警告の意味も含めていたのだが、コンラッドは嬉しそうな顔になった後、背を向けて行ってしまった。
残されたアンドレアは、やはり理解できない男にこれ以上頭を悩ませるのはやめにした。
いつまでも隠れていられないので、ため息をついた後、立ち上がって教室の方へ歩き出した。
「リデリン・レッドワイス」
名前を呼ばれたのでアンドレアは足を止めた。
放課後、人気のない薄暗い廊下の奥から人影が近づいて来た。
アンドレアは緊張を悟られないように、息を吸い込んだ後、怯えたように体を小さくした。
待ちに待った瞬間。
種を蒔き、網を張り巡らせた。
学院を去っていった令嬢達。
理由不明、体調不良となってた生徒の多くが、アンバーお茶会に参加していた生徒だった。
彼女達はアンバーのお気に入りだったものの、突然呼ばれなくなりアンバーから見放された。
綺麗でなければ、あの方に好かれない。そう言って彼女達はみるみる痩せていき、一時期は花が開花したような美しさを手に入れたらしい。しかし時が過ぎると気が狂ったようになり、学院から姿を消した。
アンドレアが蒔いた種は噂だ。
リデリンはアンバーのお茶会に呼ばれなくなり、飽きられてしまったと噂を流した。
資料を読み令嬢達から話を聞いて調査を進め、鍵はそこしかないと気がついたのだ。
「可哀想なリデリン。美しくなりたいか?」
ついに毒牙が目の前に迫って来て、アンドレアは手に力を入れた。
名女優もびっくりの演技を見せなくてはいけない。
「………はい」
アンドレアは悪魔に魅入られるように、その影に向かって、ゆっくりと顔を上げて力なく微笑んだ。
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