⑯思いも寄らない
「こんな話は聞いていないぞ!だいたいお前、生徒会の会長だろう!?」
いつの間にか掃除人として潜入してたコンラッドに、どうしてこんな所にとアンドレアの頭は疑問で埋め尽くされた。
とっくに放課後を過ぎて夕日に包まれた人気のない校舎だが、誰かに見られたらまずいと廊下の目立たない所へコンラッドを引っ張り込んだ。
「だから言っただろ、面白そうだからって。会長業務は意外と少なくてさー、今のところローレンスがちゃちゃっとやって終わりなんだよ。で、俺は暇だったからこっちに加勢にいた」
「ローレンスは……アルフレッド殿下には言ってあるのか?」
「もちろん独断だよ。俺、人に聞いて行動するタイプじゃないし。面白そうじゃないか、こっちの心理戦の方が。まぁ、ぱっと見た限りアルバートはずいぶんと苦戦しているみたいだけど」
コンラッドはわけの分からないヤツで、理解しようというのが無駄なのかもしれない。
自分が苦戦しているのは言われた通りなので、言い返したい気持ちだけで前に出たが言葉にならずに唸るだけだった。
「もういい、とりあえず目立たないようにこのまま……」
「それにしても、令嬢姿よく似合っているよアルバート。まるで本物の女の子みたいだ」
「ううっ…うるさい…」
本物の女の子なのだが、コンラッドは知らないのでややこしい。まさか、学園側の人間がここまで来るとは思っていなかったので油断していた。ドレスは首まで詰まったデザインだったので、アンドレアは助かったと安堵のため息をついた。
「アルフレッド王子の提案は正直どうかと思ったけど、見た目に関しては合格だね」
ここまでやらされて不合格だと言われたら、頭を一発殴ってやりたかったが、どうやら合格らしいのと、コンラッドが王子であることを思い出してアンドレアは目をつぶって堪えた。
「ここなんてまるで本物みたいだな。何が入っているんだ?」
目をつぶっていたことで、コンラッドが何を言っているのか分からなくて身動きが取れなかった。
何のことかと問う前に、ぐわっと掴まれる感覚がしてアンドレアはバっと目を開いた。
「ん……?ただの布が詰めてあるにしてはやけに本物みたいだけど……」
バチゴーン!と鈍い音が響いて、完全に気を抜いていたコンラッドは頬を殴られて床に転がった。
「なっ…何をするんだ!?別にいいだろ!男同士なんだから減るもんじゃ……」
「………い……今は令嬢なので、絶対に許せません!最低!最悪!セクハラ!もう近寄らないでください!!」
アンドレアは自分の身に起こったことが信じられなくて、怒りが収まらず荒い息を吐きながらコンラッドに向かって叫んだ。
力いっぱい殴ったので、手が痺れて震えているが、燃えたぎる怒りで痛みすら感じなかった。
男同士の軽い冗談のつもりだったのだろう、殴られた頬を押さえながらポカンとした顔のコンラッドを置いて、踵を返したアンドレアはそのまま出口に向かって全速力で走った。
男だと思われているからといってあんまりだと、怒りで体から火が出そうだった。剣を持っていたら抜いていたかもしれない。
以前ローレンスはコンラッドに関わるとろくなことがないと溢していたが、全くその通りだと思って、発火しそうな頭を冷やしながらアンドレアは待機していた帰りの馬車に飛び乗ったのだった。
「リディ、聞いていらっしゃいますの?」
ぼっーとしてしまい、ついうわの空だった。鈴の鳴るような声に不快な色が混じっていることに気がついて、アンドレアは慌てて謝った。
「今皆さんでどんな宝石を付けるか話をしていたのよ。リディは何を用意しているの?」
「あ…私は、エメラルドのイヤリングとネックレスを…あまり、派手なものは苦手で小ぶりなものですが…」
「まあ、貴女の深緑色の瞳にぴったりじゃない。きっと王立学園の殿方達を魅了してしまうわね」
アンバーはその名と同じ琥珀色の瞳を揺らしながら微笑んだ。まだ幼い可愛さの中に大人の色気がほんのり混じって見える。いまだお相手を決めないアルフレッド殿下も、アンバーが相手であればとてもお似合いだと思えた。有力公爵家のアンバーの名前は婚約者候補の筆頭だと聞いた。
まさにその風格を真横から感じなくてはいけなくてアンドレアは気が遠くなりそうになっていた。
「このお菓子もぜひ食べて頂きたいの。さあ、お口を開けていただけるかしら」
そう言われて口元まで運ばれたら開けないわけにいかず、アンドレアがあーんと口を開けるとクリームの付いたクッキーが入れられた。
咀嚼するのにやっとだったが、アンバーはなんと指に付いたクリームをぺろりと舐めてしまった。まさかの公爵令嬢の妖し過ぎるありえない姿に、またまた頭がぐらりと揺れた。
お茶会に初めて呼ばれてから、アンドレアは連日のようにお呼ばれして、アンバーとも急速に仲良くなったらしい。
らしいというのも、アンドレアは何が気に入られたのか分からないが、いつの間にか席がアンバーの隣になり、今では肩が触れ合うほどくっ付いている。
失礼しますという声と、カチャンと僅かな音がして、カップに新しいお茶が注がれた。いつも学院の専門の給仕係が担当しているが、今日は男性が担当だった。
その担当者の腕がアンドレアの肩に軽く触れた瞬間、アンバーはドンと机を強く叩いた。
「ちょっと貴方!リディに近寄りすぎよ!匂いを嗅ぐつもりじゃないでしょうね!駄犬の分際で身の程知らずが!早く下がりなさい!」
給仕担当の男性は慌てた様子で申し訳ございませんと口にして出て行ってしまった。
テーブルを囲う周りの令嬢達はいつもの光景なのか、全く気にしないような顔でお茶を飲んでいた。
「そ…そんな、あの、ちょっと触れたくらいですから……」
「だめよ…リディ。貴女みたいな美しい令嬢が汚されるなんて、私耐えられないの」
アンドレアは訳の分からないアンバーの行為に完全に混乱していた。これが女同士の友情というやつなのだろうか。友情と言うには距離が近すぎる気がするのだが、この状態をなんと表現していいかも分からず、冷たく拒否するわけにもいかず、ひたすら小さくなりながらアンバーの美の執着心みたいなものを受け入れていた。
こんな風に権力の頂点の令嬢から特別扱いを受けたら、みんな嬉しくなるだろう。そして、飽きっぽいアンバーは明日にはこの執着心をさっぱり捨てて別の令嬢を呼んでいるかもしれない。一般の生徒で心がアンバーだけで埋め尽くされていたなら、それはショックで壊れてしまうだろう。
アンドレアとしては、パーティーまで後二週間を切っていて、焦る気持ちがあった。
そろそろ、パイプを繋ぐ手配をしてもらわないといけない。
考えていた手順を頭の中で繰り返しながら、アンバーに向かって話しかけた。
「アンバー様、私……綺麗になりたいです」
「あら、リディ。貴女は十分に美しいわよ」
「……それが、ここに来てからすごく太ってしまって……、なかなか痩せれないのです」
アンドレアは上手い具合に餌を撒けたと思った。後は、薬の話が聞けたら取引を持ちかけて、サンプルをもらい効果を確認した上で、大々的に取り扱いたいと大量購入の話を振る。
大量に用意できなければまずある分だけ。商談も兼ねて、パーティーの日に話がしたいという流れにするのだ。
反応を期待してアンバーの顔をじっと見つめると、アンバーはそんなに見ないでくださいと頬を赤らめた。
全く予想していなかった反応にアンドレアも釣られて顔が熱くなってしまった。
この二人で照れてるみたいな空気は一体なんなのだろうか。
「私は今のリディがすごく魅力的なので、これ以上細くなる必要はないと思います。ね、皆さん」
アンバーの声に周りの令嬢達はいつものように揃ってそうですわと同調した。
いやそういう事ではなくてとアンドレアは焦りだした。
薬の話が出るかと思っていたのに、必要ないと否定されてしまっては先に進めない。
これで本当にパイプ役だったら謎である。まだ警戒されているかもしれない。
「そ…それでも、自分では気になるというか……」
アンドレアも簡単には引き下がれないので、もう一押ししてみることにしたが、アンバーはなぜが悲しそうな顔になって目に涙が浮かんでいた。
「そんなに体系を気にされるなんて…もしかして今度のダンスパーティーで誰か会いたい殿方でもいらっしゃるのですか?」
「え……?」
一瞬何が起きたのか分からなかったが、気がつくとアンバーが抱きついてきて、アンドレアの胸の中に顔を埋めていた。
ありえない事態に体は氷のように固まって動かなくなり、手が不自然な形のまま下ろせなくなっていた。
「ああ、私なんて事を…。でもずっとこうしたくて…たまらなかったのです。リディ…貴女を殿方になど渡したくありません。男なんて…汚らわしい生き物に…絶対に渡しませんわ!!」
ぎゅうぎゅうと力強く抱きしめられて、アンドレアはやっと我に返って周りを見渡した。
誰か止めてくれる人を探したのに、この事態を周りの令嬢は皆、微笑みを浮かべながら平然と眺めていたのだった。
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