③黙って耐えて
「ろろろ……ローレンス様とライオネル様に会った!?」
「あー、そうそう。なんか変わったやつらだったな」
「かかか………おおお………」
部屋に戻ってすぐ、ルイスに食堂で起きた話をすると、ルイスは口から泡を吹いて白目になった。
「おまっ…、汚いぞ!こっちは食事してきたのに…!」
「それどころじゃない!何か失礼なことはしていないよね!」
「失礼なのは向こうだよ。いきなり俺のことを笑ってきたんだから。まぁとりあえず悪いやつじゃなさそうだったし、友達になりたいって言われたから、いいよって言っておいた」
それを聞いたルイスは、気絶したように力が抜けてベッドに倒れこんだ。
「よく考えたら、俺、家から出るの好きじゃなかったから、お友達って初めてできたんだ!こんなに簡単に出来るものなんだな。勉強になったよ」
アンドレアは興奮してすっかり舞い上がっていた。学園生活といえば学友なので、実は密かに憧れていたのだった。
「しっかりしてるから忘れてたけど、君が世間知らずのご令嬢だってこと、すっかり忘れてたよ……良かったね、初めてのお友達が王子様で」
「ありがとう……。って!ええ!?おおお、王子様!?」
「家名を聞かなかったの?ローレンス様はフィランダー国の第三王子で、ライオネル様はヒューバート国の第一王子だよ。俺も話したことないのに……。あっもちろん、アルバートもだよ」
ただならぬ風格から、どこかの王族だろうとは思っていたが、まさかの王子だったとは、アンドレアは驚きで今さら体が震えてきた。
「ちなみに、彼らは最上階の特別室が部屋だよ。もちろん個室。食事は部屋でとれるから、めったに食堂には来ない。まぁ、普段は本館に特別クラスがあって離れているし、ほとんどお見かけすることもないから……そんなに心配することもないかな……とりあえず、これ以上目立たないでね」
ルイスが一人でぶつぶつ言いながら、勝手に納得していた。
「はーい。アルバートはクラスでは大人しくしていたんでしょう。同じようにしているつもりだから、大丈夫だよ」
「ああ……、それなんだけど、一つ問題があってさ……」
「えー!?またー??」
ルイスの話によると、アルバートはクラスのイアンという男子に日頃からなにかと絡まれているそうだ。
原因はアルバートも心当たりがなく、入学早々に始まり、突然暴言を浴びせてきたり、教科書を投げられたこともあるとのことだった。
「なんだそれは!!アルバートはどうしていたんだ!?もちろん戦ったのだろうな!」
「いやいや、あいつはそういうの苦手だからさ。俺がいる時は間に入ったけど、いないときは、黙って無視して何もやり返さなかった。何度か教師に相談しているが、何も変わらないんだ……」
「しっ信じられない!軍人の家系でもあるブラン家の男子がバカにされて黙っているなんて!それなら、私が……」
「いや、それはやめてあげて。君はすぐいなくなるからいいかもしれないけど、アルバートはイアンといる時間がまだ続くんだ。変に争いを大きくしたらあいつが大変になる。あいつが頑張って耐えてきたんだ。同じようにして欲しい……」
そう言われたら、アンドレアは何も言えなかった。アルバートはただの遊び人にしか見えなかったが、学園でそんな苦労を抱えていたのかと思うと複雑な気持ちになった。
翌日はまだ授業が始まらないので、ルイスと学園の施設をまわって、場所や使い方などを確認した。
そしてその翌日、サファイア王立学園の後期授業が始まった。
長期休暇明けで、クラスメイトは休み中の旅行の話などで盛り上がっていた。
アンドレアは一人、緊張の面持ちで席に座っていた。
いつ、イアンとかいう男が来て何を言われるか分からないからだ。
赤毛だと聞いているので、赤毛の男が通りすぎる度に体が揺れた。
よく考えたら、こんなにたくさんの男子と同じ空間にいることも初めてだし、アンドレアは緊張のあまり、歴史の教科書を三回も読んでしまった。
「おい!アルバート!また朝からお前の面を見るのかと思うと吐き気がするよ」
教科書に集中していたら、目の前に人が立っていたことに気がつかなかった。
見上げると、赤毛の男が立っていた。それほど体格がいいわけではない。アルバートと同じくらい細身の男だ。
つんとした鼻と、薄いブラウンの瞳はつり上がり気味で、なるほど意地悪そうな顔をしていた。
「おい!まさか、朝からお勉強か!?さすが最下位のおバカくんは、新学期からやる気満々ですねー。成績発表が楽しみだなぁ」
それに関しては反論も出来ないので、アンドレアは目線を合わせないように窓の方を見た。
「おい!またずっと無視ですかぁ。それしか出来ないのかねぇ」
助けを期待してルイスの方を見たら、ルイスは机に突っ伏して爆睡していたので、肝心な時の頼りなさに力ががっくりと抜けた。
結局アンドレアは、ルイスに噴火しそうになる気持ちをなんとか抑えて、ひらすら別のことを考えて無視を続けた。
しばらく絡まれていたが、教師が入ってきたので、やっと離れていってくれた。アンドレアは授業への期待と共に、これから先の不安で胸がいっぱいになったのだった。
□□□
学園の授業はとても充実していた。アンドレアが個人教師を頼んでいても、やることと言えば、いつも同じことの繰り返しで質問しても、令嬢がそんなことにを知ってどうするのです?と鼻で笑われることが多かった。
だが、学園の教師はレベルが違う。ほぼ初めてやるような科目ばかりだが、分からないことは丁寧に答えてくれるし、おまけに補足の説明まで加えてくれるので、夢のような時間だった。
授業に集中していれば余計なことは考えなくてすむので、毎日ひたすら机に向かって気がつけば、学園生活は六日目になっていた。明日は休息日で、週に休みは一日である。
アンドレアは購買で買ったパンとミルクを持って、こそこそと昼休みには人気のない中庭へ移動してきた。
入れ替わり生活は、学習面ではすこぶる順調。アルバートが戻ってきたときのために、ノートもしっかりまとめてあり、教師からも見違えるようになったと褒めてもらった。
それなのに、アンドレアの悩みの種は、もちろんあの男だった。
誰もいないことを確認して、ぐるりと校舎に囲まれた中庭の中央にあるガゼボに入り、そそくさとベンチに座った。やっと一息ついて、お一人様ランチである。
このところ、イアンのからかいは悪化している。ついに、ランチの時間に食堂まで来て絡んでくるようになってしまった。
ルイスが適当に間に入ってくれるが、いつもルイスがいてくれるわけではない。
今日は委員会がどうとかでルイスはいなかったので、こんな状態で食堂に行ったら、何をされるか分かったものではない。
ため息をつきながら、もぐもぐとパンを食べていると、後ろに人の気配がした。
「やぁ、こんなところで一人でランチですか?言っていた通り、本当に友人がいないみたいですね」
柔らかな声がして振り向くと、神々しい銀髪の男が微笑みながら立っていた。
すっかり忘れていたが、確か彼はお友達第一号だったのだ。
「仰る通りです。後はまぁ、諸事情ありまして静かなところで食事がしたかったのです。」
「そう……。まぁそういう時もありますね」
目を伏せる姿も絵画のようでな男、ローレンスはちゃっかりとアンドレアの向かいに座った。
しかも、アンドレアがもぐもぐと食べて、ごくごく飲んでいる間、なにも言わずに本を開いて読んでいた。もしかしたら、静かに食べたいという希望を叶えてくれているのかもしれない。つくづく不思議な男だと思った。
なぜそうしようと思ったのか分からないが、ローレンスはクラスとも関わりがないし、それこそ一国の王子として様々な人間関係があるのだろうから、この際、悩みの種を話してみようかとアンドレアは思ったのだ。
「あの、ローレンス……様……さん?」
「ん?ローレンスでいいですよ」
王子を呼び捨てにするほど仲が良いわけではないのだが、本人にそう言われてしまったので、恐る恐る従うことにした。
「自分が黙っていれば収まるのだからと思って、我慢していたみたい……、じゃなくて、我慢していたんですけど、やっぱり腹に据えかねてなんとかしたい気持ちがあるんです。でももっと悪い事態になったらと思うと何も出来なくて、もやもやして困っているんです。突然こんなこと言われて、迷惑かもしれませんけど、どうしたらいいと思いますか?」
変な話をするなと言われたらそれまでだけど、思いきってローレンスに相談してみた。
ローレンスの片方の目は髪で隠れているので、見えている方の目を覗きこんだ。
まともに見ていなかったので、ローレンスの瞳は薄い紫色だと初めて知った。さすが高貴な色だと見入ってしまったら、その瞳は視線を感じたのか僅かに細められた。
「うー……ん。詳細がなくて、ぼんやりとしていますけど、つまり、言いたいことが言えなくて苦しんでるってことですか?」
「そうです」
「そうですね……。確かに黙ってやり過ごすのも手ではあるけど、よほど上手く根回ししないと、事態は悪くなることが多い。黙っていても解決しないのなら、行動するのみ。私ならそう考えますかね」
「行動するのみ……ですか……」
「そう。やり方は色々あって、とことん話し合ってもいいし、誰かに間に入ってもらうとか、正面からぶつかってもいい。学園生活は狭い箱ですよ。毎日嫌でも顔を合わせるのだから、いつまでも知らないふりを続けるのは、自分が辛いと思いますよ」
ルイスの言うことも分かる。彼なりにアルバートを思って言ってくれたのだ。だが、このままでは、帰って来たアルバートはずっと嫌な思いを我慢しないといけない、それでは何の解決にもならないのだ。
兄に辛い思いはして欲しくないとアンドレアは目を開いた。
「ありがとうございます。すごく、スッキリしました」
「大したことは言っていないですけど、参考になったのなら良かったです。私達は友人ですからね、これくらいの助言は迷惑でもなんでもない。むしろ、頼ってくれて嬉しいです」
ローレンスはふわりと微笑んだ。男性ではあるのだが、華のある優しい微笑みに思わず目を奪われた。
「我がブラン家はもともと軍人の家系なのです。もらった恩は必ず返す、それが戦場でなくともが、うちの家訓なんです」
「へぇー、ずいぶんと堅苦しいですね」
「上手く解決したら、どうかお礼をさせてください!掃除でも何でもしますから!そうしないとご先祖様に顔向けが出来ません!」
アンドレアのあまりの熱さに、ローレンスは引き気味だったが、その真剣な眼差しを受けて、面白いものを見つけたように目を輝かせた。
「分かりました。楽しみにしています」
彼は王子だから、この世の富を我が手にとか言われる心配はなさそうだ。
とにかく、ここ数日のもやもやが晴れたので、アンドレアは嬉しくて駆け出したいくらいの気分になった。
まずは、話し合いから始めてみようと、くるくる考えながら残ったパンを口に運んだ。
そんなアンドレアをローレンスは目を細めながら見つめていた。
上機嫌でパンを頬張っているアンドレアは、その視線に気がつくことはなかった。
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