⑤赤い制服
嫌な夢を見た。
誰かに追われる夢だ。
冷たい床の上を裸足で走っていた。
ひたひたと音が響いて、それがやけに恐ろしかった。
なぜだか逃げなくてはという気持ちで、ひたすら足を動かしていたら、出口が見えた。
だが、出口まで来たのに扉は開かなかった
そして迫り来る気配に身を縮ませた。
黒い手が伸びてきて肩を掴まれた。
そこで、やっとアンドレアの目が覚めた。
「はぁ…、なんて夢なの……」
ベッドから起き上がって、今見ていた悪夢から逃れるように髪をかきあげた。
背中は濡れていて額にも汗が浮かんできた。まるで、本当に走っていたみたいだと不気味な気分になった。
まだ夜も深い、辺りは暗かった。部屋の反対側で寝ているルイスの寝息が聞こえた。
部屋に用意していた水差しから、コップに水を入れて喉に流しこんだ。落ちていく水の冷たさが体に沁みていくのを感じた。
寝汗が気持ち悪いので、アンドレアは夜風にあたるためにバルコニーに出た。
部屋は二階なので、それなりに眺めは良いが、今は暗い森しか見えない。
月はまだ高いところにあって、虫の鳴き声が微かに聞こえる。
夜風はやはり少し冷たくて、じっとりとした体も心もさらってくれた。
この日の風は時おり強く吹いていて、アンドレアの下ろした長い髪は風に取られて、夜空に舞い上がった。
風の強さに目をつぶって、再び開いたとき、驚いたことに、夜の闇に溶け込むように、金色の目が光って見えた。
「え…」
一瞬猫がいるのかと思ったが、黒い影はぬらりと動いて人の形になった。
月明かりに照らされて見えた姿は、先日の手合わせをしたあの黒髪の学園の生徒だった。
こんな夜更けになにをしているのかと、目を凝らして見ると、男の制服は胸元が赤く染まっていた。
「!!」
血が飛び散っているように見えて、衝撃で思わず息を吸い込んだ。
本人のものなのか分からないが、かなりの量なので平然と歩いているのはおかしい。もしかして誰かを……。
そう思って震えながら、凝視してしまったので、視線に気がついた男と目が合ってしまった。
まずいものを見られたからなのか、驚いたように目を見開いた男は、あっという間に下の階の塀を使って、二階のバルコニーまで上ってきてしまった。
もしかして、目撃者として口封じに殺されるのか、アンドレアは恐怖で足が動かなかった。
「お前、こんな夜中に外に出て何をしている?」
それは、こちらの台詞だが、なぜかアンドレアの方が聞かれてしまった。
すると、男はアンドレアの顔を見て、何か気がついたように、また金色の目を大きくした。
「なんだ、女かと思ったら。お前、この間の金髪の弱いやつじゃないか…。たしか、アルバートとか言ったな…」
どうやら髪を下ろしていたので、女と見間違えたらしい。間違えたというか正解なのだが。
血染めの服を纏いながら、そ知らぬ顔で普通に話しかけてくる精神が分からない。そこまで危ないやつなのだろうかとアンドレアは身構えた。
「なんだ、さっきから死人のような青白い顔をして…、俺の話が聞こえてる?」
いちいち、選ぶ言葉も引っ掛かって心臓がドキリとする。
「……ああ、聞こえている。俺は眠れなくて夜風にあたっていただけだ。お前こそ、夜中に外に出歩いて……、規則違反じゃないか」
「へぇ…、そういうの気にするの?真面目だね」
男にバカにされるように笑われて、血のことを忘れてアンドレアはカチンときた。
「あっ当たり前だ。学生をなんだと思っている!ふらふら夜中に出歩いていたら、日中の学業がおろそかになるだろう!」
「……本当に真面目だね。寒気がしてきたよ」
間違ったことは言っていないのに、なぜだか、アンドレアがおかしいみたいな反応をされて、再びカチンときた。
「アンタも早く帰れよ…。そんな格好で…。何があったか知らないけど。面倒なことに巻き込まないでくれよ」
アンドレアがそう言うと、男は目をぱちくりとして自分の服を見てから、あぁと今気がついたみたいに言った。
「これね……、一瞬だったからね。向こうも痛みは感じかなっただろうね」
「なっ!やっ…やっぱり…、そっそれ……」
男の言葉に誰かの絶叫を想像してしまい、ゾワリと背中に寒気がした。
「アルバートも俺の噂を信じているだろう」
「は?噂?」
「あれ?普通クラスのやつに聞いたら、そっちも俺の話で持ちきりだって言ってたけど。兄弟殺しのクラフトの王子だっけ?笑えるよね」
「え?もしかして…、転校生?なの?」
見かけたことがなかったので、アンドレアはてっきり別の学年の生徒だと思い込んでいた。
「あれ?言っていなかったか。俺はコンラッド・クラフト。特別クラスに入ったばかりの転校生。よろしく」
コンラッドから差し出された手を見て、アンドレアはぎょっとした。その手が赤く染まっていたのだ。
手を見て顔面蒼白で固まってしまったアンドレアを見て、手が赤くなっていることに気がついたコンラッドは、ニヤリと笑ってその手をペロリと舐めた。
「ひぃぃ!!なっ…何するんだよ!頭おかしいんじゃないか!?」
完全にヤバい人間なのだと、アンドレアは恐怖で涙目になっていると、それを見たコンラッドはケラケラと笑いだした。
「あー、おかしい。いや、なかなか面白い顔をするんだね」
「おっ、俺はもう部屋に戻るから!何も見ていないし、何も聞いていない!」
一刻も早く離れたくて、アンドレアは手を振って後退りしながり、慌てて部屋の中へ戻った。
再びベッドにもぐり込み、ルイスの寝息が聞こえてやっと一息ついた。
コンラッドから前回のような明らかな殺意は感じられなかったが、それが逆に恐ろしい。
もし、明日何か事件が起きていたら、完全な目撃者である。眠ろうとしても、あのやけに明るい赤い色を思い出して、目が冴えてしまい結局朝を迎えてしまったのだった。
翌日周りをきょろきょろと気にしながら登校したが、とくに変わったような様子はなかった。
もし何か事件が起きていれば、サファイアの騎士団辺りが、乗り込んできて大騒ぎだろう。
廊下で並んで話をしている双子の後ろ姿を見つけた。長身の二人が並んでいると、遠くからでも見つけやすくて助かった。
情報通ならやつらしかいないと、ドタドタとかけ寄っていくと、二人して同時に振り返ったので、ちょっとこちらへと廊下の角へと二人を引っ張っていった。
「昨日の夜だかその辺で、何か事件は起きていない?」
「え?急にどうしたの?」
声をひそめて耳元で慎重に話すアンドレアの気も知れず、レイメルはデカい声で聞き返してきた。
「ちょっと!しぃ!二人とも色々とよく知っているだろ。誰か怪我をしたり、その……なんというか、殺人事件的なことは、ないかなぁ…と」
アンドレアから驚くような台詞が出て来て、双子は顔を見合わせた。
「べつに…、そんな話聞かないけど。いたって平和でいつも通りだよ」
「……アルちゃん、また変なことに首を突っ込んでいるんじゃないの?」
突然変なことを言い出したら、それはそうだろう。ランレイが探るような目でアンドレアを見てきた。
「いっ…!何もなかったら、いいんだ。その、夢でね。よくない夢を見たから、ちょっと気になって……」
ひきつった笑いを浮かべて、逃げようとすると、ちょっと待ったとランレイに腕を掴まれて退路を断たれた。
「あ!でも、職員室が荒らされたって話は聞いたよ。と言っても、窓の鍵が壊されていただけで、何も盗まれなかったから、いたずらだろうって話だけど」
ランレイが先程耳にしたばかりの話をさりげなく教えてくれた。
「窓の鍵だけ?」
「そう、あと植え込みのところに人が立ち入った形跡があっただけみたい」
「そう……」
死人が出たとばかり思っていたが、肩透かしにあったようだった。
血生臭い出来事とは無縁の情報で、何がなんだか分からなくなってきた。
しかし、学園の中だけとは限らない。もしかして、森のどこかであれば、誰にも見つからない可能性が高い。
アンドレアは、顎に手を当てて考え込んでしまった。
「……ほら、やっぱり怪しい」
「なんでもないよ!ほら、もう授業始まるから!」
アンドレアは二人の追求を上手くごまかして、話を終わらせた。コンラッドの血染めの制服の件は、ローレンスには話しておいた方がいいかもしれない。
ローレンスはお昼に会えるか分からないので、アンドレアは放課後、特別クラスに行くことにした。
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